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仙人の戯言 2009年

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メメント・モリ

 ラテン語で、「死を想え」、「死を忘れるな」、「自分がいつか必ず死ぬということを忘れるな」、などと訳される。古く、古代ローマの凱旋パレードの時、有頂天になっているのを、自分自身、明日はどうなるか解からないのだという意味を込めて、自らを戒めるために発せられたと言う。

 人は死ぬ。間違いなく死ぬ。現代人は、そのことを忘れて、無限の可能性があると思っているかのようだ。しかし、あらゆる生物が、いつか死ぬのと同じように、人間も死ぬ。古今東西、そのことが、人生を様々に色付かせてきた。他の生物のことは、本当は知らないが、多分、メメント・モリを意識できるのは、人間だけだろう。人の心、人の人生と言うものは、このメメント・モリの捉え方により、良しきにつけ、悪しきにつけ、その内実が変わる。

 どうせ死ぬのだからと、生きている間は、とにかく、愉快に楽しもうとする人たちがいる。彼らは、本能のおもむくままに欲望の充足を求めて生きる。どうせ短い人生なのだ、楽しく生きなければどうする、とばかりに快楽を追う。しかし、快楽は続きはしない。一つの快楽は、その快楽の持続や、新しい快楽を求める。そうして、実は快楽を求めながら、快楽になりきれない自分を発見するしかなくなる。そうすると、悩む。

 さらに言えば、自分だけが楽しく愉快であることでいいのか、という抵抗感が出てくる。それは、人の心の持つもう一つの人間らしい側面だろう。死を意識するように、他人を意識する。他人の苦しみのもとに、自分だけが楽しんでいることに、納得がいかなくなる。そうなると、快楽の追求は色あせてくる。そうすると、悩む。悩まない人も、多い。そういう人は、どこか茶番の妄想か、いわしの頭の信心に凝り固まっているのだろう。自己を特別扱いにして悩まない。

 どうせ死ぬのだから、うたかたの享楽に興じても本当の安らぎはない。死をも包み込んだ、真の平穏を求める人たちがいる。空しき浮世をあるべきでないと、遁世する人たちがいる。この世を信じ、ひたすら、世の為、人の為に尽くそうとする人たちがいる。

 思うに、人の世は無常である。あらゆるものは、無常である。さらに悪いことに、人は愚かだ。無常の中にあること、メメント・モリを意識すれば、何があっても驚くことはない。自分自身に何が起ころうと、悩むことはない。

 良寛和尚は、大地震に見舞われた知人に送った手紙に、「災難に遭う時節には、災難に遭うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これ、災難を免れる妙法にて候。」と丁寧な見舞いの言葉の後に、書いているそうだ。何があろうと、そんなこともあろう。死が訪れようと、そんなこともあろう。と、思うことができれば、まことに心穏やかに生きられる。

 人は、未だ来ぬ時を夢想する。未来に期待している。より良い未来を期待しようが、今の良い状況が未来も続くことを期待しようが、どちらも期待通りにはならない。期待するから、結果にがっかりする。期待しなければいい。人事を尽くして天命を待つ。期待ではない。メメント・モリ。

  紅き灯の 宙に浮きたり 冬夜霧

 

2009年  12月24日  崎谷英文


田中君への手紙 11

 先日は、東京で、久しぶりに飲みましたね。私は、貴君の気配りに感心していました。S君も、貴君の手助けにより、無事帰宅できたとのこと、良かったです。

 ところで、貴君の奥様のお父様が、お亡くなりになっていたこと、喪中の書状で知りました。ご冥福を祈り申し上げます。いろいろ、奥様ともども、忙しく、また悲しかったことと察します。

 昔の戯れ歌に、こういうのがあります。「子供叱るな、来た道じゃ。年寄り笑うな、行く道じゃ。」おもしろい歌です。偉そうにしている今の私たちも、辿っていけば、今のガキと同じようなものだったのです。先に行けば、よぼよぼの、判断力、記憶力の乏しくなる老人なのです。単純ですが、真理でしょう。

 このことが、しかと解かっていれば、今の子供たちを、もっと暖かく見ることができるでしょうし、お年寄りに対しても、もっと優しくできるように思います。貴君は、若い頃、勉強しましたか。私は、勉強しませんでした。好き勝手なことをやって、周囲を困らせていました。

 そして、私たちは、老人たちに教えられてきたのです。良しきにつけ、悪しきにつけ、今の老人たちの築き上げてきたものを学び、今、こうしているのです。この間の夏でしたか、貴君が、貴君のお母様一人の所へ奥様と帰ってきたとき、貴君は、奥様が、「せっかく帰ってきたのだから、外へ飲みに出るのは止めてください。」というのを振り切って、私と、おでんを食べに出てきてくれました。奥様の言葉は、貴君のお母様を思ってのことで、当然でしょう。その時、貴君のお母様は、「故郷に戻ってきて、会いたいと誘ってくれる人がいることは、とてもいいことだから、行ってきなさい。」とおっしゃったそうですね。貴君が、私に、「俺もあんな人になりたい。」と自慢していたように、本当に、貴君のことを思う素晴らしいお母様だと思います。貴君の気配りのよさ、親切さは、貴君のお母様譲りでしょうか。

 今の私たちは、今の子供たちにも教えられています。私たちが作ってきたものが、良いものか悪いものかは解かりませんが、私たちの後に、今の子供たちは、子供たち自身の新しい世界、社会を生きていくのです。私たちは、頑固であってはいけない。子供たちの自由を認めてやらねばならない。そうやっていく中で、私たち自身が、思い直し、勉強し直すことができます。子供は、叱るだけではいけないのです。

 私は、生まれ故郷のこの家で、五人の身内を見送っています。祖母、祖父、姉、父、母、よく思い出します。年を取ると、時間の進むのが速くなる、と言いますが、遠い過去は、決して遠ざかっていくのではなさそうです。自らが年を取ってから、親しい者への思いは、いっそう強くなってきています。死んでいった人々からも、私は、今、学んでいます。

 もう一度、奥様のお父様のご冥福をお祈り申し上げます。

 世の中は 空しきものと知る時し いよよますます悲しかりけり  大伴旅人

 では、また、近く一杯やりましょう。

 

  老婆一人 しゃがみて冬の 畑仕事

2009年  12月9日   崎谷英文


小次郎ものがたり 7

 わしは、三千年生きているトンビの小次郎だ。三千年もの間、世界中を飛び回っていると、地球上のいろいろな変化や、人間の変わって行く様や、また変わらないものがよく見える。

 三千年前、地球上には、中国、エジプト、インドなど、大きな国が造られていた所もあったが、森の中や、草原、海辺で、小さな部族が近くの同じような部族と、また、周辺の多種多様な生き物たちと、素朴で親密な繋がりを持って、時には互いに争いながら、生活している所が数多くあった。

 その頃、何処にも言葉はあった。文字を持たない者たちがほとんどだったが、きちんと会話をして暮らしていた。そして、何処にも神話があった。中国、インド、ギリシャなどの大きな豊かな国にも、もちろん神話があった。また、小さな数家族が集まって暮らしているような部族の中にも、神話はあった。

 神話は、人々が、どうして人間として生きているのかを語る。その中では、人間は、他の動物たちと根本的に同じである。元をたどれば、人間は、他の動物や鳥であったし、動物や鳥たちは、人間にもなった。人間は、人間として他の動物や鳥たちとは、異なる生活をするようになっていたが、人間は、自分たち人間を、他の生き物と違う特別な存在とは思っていなかった。

 自然の中で生きていくということは、人間も他の動物たちも同じである。一人の人間は、やがて死ぬ。一つの動物も、やがては死ぬ。自然の中で、人間も動物も、有限の命を持つ同胞なのだ。

 原始の人たちは、他の動物や鳥たちを、人間と同じような存在と見ながら、さらに、動物や鳥たちの多種多様な能力に、畏敬の念さえ持っていた。人は、チーターのように速く走れない。鷲のように、空を飛べない。イルカのように、海で泳げない。山猫のように、真っ暗な夜中には、自由に動けない。ハイエナのように、腐った肉は食べられない。原始の人たちは、他の生き物たちを畏れこそすれ、蔑んだりはしなかった。人間たちは、神話の中で、他の生き物たちと交流し、それを取り巻く大きな自然と対話していたのである。

 人間たちは、勘違いをし始めた。それが、文明の始まりかも、知れない。それまでは、人間と自然とは、一体であった。自然の中の、多種多様な生き物たちと共存し、自然の周期と共に、人間は自然そのものとして生きてきた。しかし、実は、その根本は、如何に文明が進歩しようとも、変わっていないのだ。

 人間は、地球の王者になってしまった。人間だけが偉い、と錯覚をしていく。自然の中で、自然そのものとして生活するのではなく、自然を征服しようとしていく。愚かな傲慢である。

 今のこんな世の中でも、人間社会は進歩してきたのだ、と多くの人間は思っているようだ。わしには、とてもそうは思えない。人間は、パンドラの箱から、最後に、希望が飛び出したと思っているのだろうが、それは、希望ではなく、絶望だったかも知れないのだ。

 怠け者の英太は、今日も、大あくびをして寝そべっている。

 

  曇天の秋 竹を焼く 火は紅し

2009年  11月30日  崎谷英文


ライフサイクル

 この間、東京で、日展のS君の彫刻作品を見て、その後、高校時代の同級生、二十数人との、小さな同窓会を持った。アラフォー、アラサーならぬ、アラ還(アラウンド還暦)の集まりである。

 人生は、誕生から始まる。そして、死で終わる。この誕生と死の間に、人生がある。孔子は、「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従ひて、矩をこえず。」と自らの人生を語った。人生には、それぞれ段階があると言われる。これを、ライフサイクルと言っていいだろう。孔子の言葉は、孔子と言う偉大なる人物のライフサイクルの実感であり、普通の人には、参考になるのかどうか疑問もある。しかし、皮肉な見方をすれば、孔子でさえ、例えば、五十にして、己の力の限界を知り、六十にして、自己主張の気力もなくなり周囲に従うようになり、七十にして、もはや、常識を打ち破る新しい改革的な考え方ができなくなった、と読めなくもない。そうなると、我々と同じようなことか。もう、そろそろ、自己主張も面倒くさくなってきた。

 ライフサイクル、人生の節目節目の考え方は、いろいろある。発達心理学では、乳児期、児童期、遊戯期、学童期、青春期、成人期、成熟期という、発達段階の捉え方がある。その節目節目において、個人の内部において、飛躍的な、あるいは、そうでなくても質的な変化があるというのであろう。私などは、成人期を越え、成熟期になるのであろう。しかし、ライフサイクルは、そんな図に描いたような、単純なものではない。私などは、青春期、いや学童期のまま、成熟期を越え、人生の終わりを迎えるばかりのような気もする。

 インドでは、学生期、家住期、林住期、遊行期(遁世期)という、ヒンズー教で語られるライフサイクルがある。学生期において、ヒンズー教をひたすら学び、家住期になると、社会に出て、家庭を持ち、子供を作り、働く。林住期においては、それまでの築き上げてきた家庭を離れ、社会的拘束からも逃れ、人里離れた所で生活する。そして、遊行期には、この世における全ての執着を断ち切り、何物も持たず、死に向かってひたすら無になって、各地を放浪する。これは、孔子や発達心理学の言うような人生の成育、熟成状態を表そうとするものではなく、むしろ、死に向かっての、悟り、諦観への道を説いているように思う。

 還暦という言葉も、本来、人生の一回の終わりを意味する。だから、赤子に戻り、赤いちゃんちゃんこを着る。今や、人生、八十年九十年の時代かも分からないが、人間の身体はしぶとくなったにしても、人間の精神は進化したわけでもあるまいし、やはり、下り坂でしかない。まあ、何が上り坂で、何が下り坂かも分からないが、そろそろ、覚悟しておこうと思う。少なくとも、もはや、何かを欲しがることは、止めようと思う。

 アラ還諸君、人生これから、ではなく、もう、この世で執着することなどないのだから、ということで、大いに、気楽に、優雅に生きよう。

 

  氷雨降る 玉葱の苗 直くと立ち

2009年  11月19日  崎谷英文


シンベー日記 17

 先日、かなり激しい雨が降った後、まだ、真上の空には黒い雲がどんよりと垂れ下がっている朝早く、珍しく散歩をした。いつものように、単線のローカル線の線路を渡り、川の土手に出る。頭上は黒々としているのだが、それはおかっぱ頭のようで、四方の地平、地平と言っても、周囲は山で、その山際と言ったほうがいいのだろうが、その山際は、ぐるっと青い空が、まるで鉢巻のように廻っている。まだ、少し雨が降っているのだろうが、気付かないほどだった。

 ゆっくりと川沿いの道端を歩いていると、秋の名残のように、バッタが一匹飛び出る。少し驚いたが、足で踏みつけないように、また草叢に戻っていくそのバッタを見ながら歩く。そのバッタの隠れて行った先に、気付かないほどの雨なのに、雨跡が同心円状に、不思議に数多く、現れては消える川面があった。そこには、春に見たのと同じ魚かと思うのだが、ずいぶんと大きくなったのが、五、六匹、餌を探すのでもなく、ゆらゆらと泳いでいる。家族も増えたようで、小さいのも交じっている。冷たい水の中も、暖かそうだ。

 僕も、年を取ったものだとつくづく感じる。数年前なら、主人の歩みがじれったくて、強く引っ張っていたものだが、病気をした後は、身体は治ったのだが、昔のように、先へ先へという元気はなくなってきている。季節のせいかも知れない。土手の草は、短く刈り取られたり、所々燃やしたような跡もあるのだが、もはや、夏のような青々とした若さを誇らしげに見せびらかしたり、刈り取られても次々と下から新しい緑を吹き出させたりするようなこともなくなっている。

 土手を外れて、右に曲がると、大きな柿の木がある。そのずっと先にも、もう一本柿の木がある。そのまた向こうには、所々紅く色付いている山々がある。まるで、童謡の表紙に出てくるような景色だ。目の前の柿の木は、僕がここに来てから、毎年約束しているようにたくさん実をつける。渋柿なのだが、その中の熟した実のいくつかは、下半分がカラスにでも食われたのであろう、甘そうな赤いゼリー状の中身を見せている。そう言えば、僕の家の北側にも、今年初めて実をつけた柿の木がある。僕がここに来たときには、柿の木自体がなかったのだから、長い年月を感じる。これから、その木も、そこで毎年、実を結ぶのであろう。僕は、その緑豊かな葉と赤い実をいつまで見られるだろう。

 稲刈りの終わった田圃の間の道を抜け、右に折れて、坂道を登ろうとした時、北西の空に、虹が見えた。主人は、「あっ。」と声を上げた。大きな虹だ。ようやく黒雲が消え、白い雲に変わっている西の山から北の山にかけての空に、切れることなく架けられたアーチだ。虹の向こうに幸せがある、と誰かが言っていた。思いがけない空からのプレゼントに、僕の胸が縮む。暫く、主人と立ち止まって、うっとりしていた。

 その日の夜は、猫のグレと乾物屋のハナ婆さんと、今朝の虹についての楽しい語らいが続いた。

  ひとときの 虹消えゆかん 秋深き (シンべー)

 

2009年  11月5日  崎谷英文


現在完了形

 中学校時代に、初めて英語というものを習った。戸惑いを持ったこともあったが、言語というものの、多様性に感心したことを覚えている。言語というものは、人間が、人間として誕生した頃から生まれてきたものであろう。類人猿たちも、言語らしきものを発するとは言うが、記号的発生であり、危険を知らせたり、仲間を呼んだりするようなときに、異なった言語発生をして、仲間に知らせる。それほどの多様性はない。多様な言語は、やはり、多様な意識というものを持つようになった人間だからこそ、のものと思われる。

 英語には、現在完了形というものがある。

 I have been to Kyoto. 私は、京都へ行ったことがある。

 I have been in Kyoto. 私は、ずっと京都にいる。

 I have arrived at Kyoto. 私は、京都に着いたところだ。

 I have gone to Kyoto. 私は、京都に行ってしまった。(今、そこには、いない。)

 主語+have(has)+動詞の過去分詞 が、現在完了形である。この現在完了形は、様々な意味を持っている。一般に、経験、継続、完了、結果の意味を持つ。それぞれ、次のような意味になる。〜したことがある。ずっと〜している。〜してしまった。〜してしまって〜。しかし、この現在完了形は、あくまでも現在の状況を表すものであり、過去のことではないのだと教えられた。だから、yesterday, three days ago, last year, などの過去の時をそのまま付け加えてはいけないと教えられた。

 その中学校当時も、不思議に思ったものだ。なぜ、一つの表現で、様々な意味合いを持たせているのだろう。日本語なら、それぞれ、別の表現になる。しかし、今考えてみると、面白いものだと感じる。人間は、今現在に生きている。過去に生きているのではない。しかし、過去のことを含めた今の自分である。過去の蓄積が、今の自分になっている。そういったことを表すものとして、現在完了形は、様々な意味合い、経験、継続、完了、結果を含めたものを、同じ過去からの自分として、一つの表現で表すようになったのかも知れない。何か、アイデンティティーを重んじる西洋ならではの表現と言えば言いすぎだろうか。言語は文化である、というのは正しい。

 しかし、過去のことが、今にどれだけ影響しているかということは一概に言えない。忘れ去った過去もあれば、心に残り続ける過去もある。忘れ去った過去もまた、今も無意識の中にあって、今の自分を作っている。何も、強烈な過去だけが、今の自分を成りたたせているのではない。あらゆることが、現在の自分を作っている。言語で表すことができることだけで、今の自分があるわけではない。むしろ、忘れ去った過去こそ、今の自分に大いに影響を持っているのではないかとさえ思う。本当は今の自分にとって大きな出来事も、無意識に拒否しながら、忘れ去ったものと繕っていることも多い。無意識の逃避である。

 過去完了形と言うものもある。思い出だろうか。未来完了形と言うものもある。夢だろうか。

  夕日射す 紅葉の陰に 渡り鳥

 

2009年  10月26日  崎谷英文


自然と循環

 稲の取入れをした。天日干しにした稲を脱穀(稲の穂から米粒を採る)していく。稲を掛けた竹から稲束を下ろし、積み並べる。手で稲束を一つ一つ、コンバインの脱穀口に入れていく。ものすごい稲と草の粉塵が舞う。マスクを用意していなかったので、容赦なく、埃が鼻や口から入ってくる。

 脱穀された籾殻(もみがら)の付いた米は、籾摺り(もみすり)をして、玄米にする。天日干しの間に、台風による強い雨も降ったが、玄米は、充分乾いていた。もちろん、下手な私が作った米だから、普通の人が作った場合より、ぐっと量は少ない。

 考えてみれば、米作りというものは、田んぼの中で、エネルギー、栄養が循環されているのだ、と知る。

 草の生えた田を耕す。田の土に空気が入り、水がしみ込みやすくなり、土の中の微生物が活性化される。時が経ち、また、雑草が生える。また、耕す。草の栄養分が、再び、土に帰る。それを何度か繰り返し、土が肥え、豊かになる。水を張り、稲の苗を植える。苗は育つが、雑草も生えてくる。その雑草を刈り取ったり、引き抜いたりする。太陽と水と土の中のエネルギーを得て、苗は育つ。昔なら、食べた米の排泄物は、再び田に戻り、土のエネルギーになる。

 中学生になると、食物連鎖を学ぶ。植物が、太陽の光を得て、光合成により養分を作る。それを、草食動物が食べる、その草食動物を、肉食動物が食べる。その肉食動物を、大型の肉食動物が食べる。植物や動物の、死骸や排泄物は、土に帰っていく。その有機物を、微生物、カビ、きのこ類が、無機物に分解する。土の中の無機物は、植物の栄養として吸収される。植物は育ち、光合成をしていく。見事な循環である。

 中学校では、炭素や窒素の循環も学ぶ。これらの循環を媒介するのが水である。結局、水も循環している。

 思うに、地球上のエネルギーには限度がある。エネルギー保存の法則は、地球上の自然の摂理だと言えよう。

 だとすれば、あらゆる生物たちは、そのエネルギーを使い回ししなければならない。自分たちだけが独占しては、自然の循環は途切れ、エネルギーは消費されるばかりで、巡り巡っていかなくなる。モアイ像のあるイースター島は、元は森林豊かな島であったが、森の伐採により、不毛の地と化した。モアイ像だけが残った。

 いくら、文明、科学が発達しても、人間の命が、自然の恵みに支えられていることは、間違いない。賢明なる昔の人々は、その自然の循環のシステムの中で、あらゆるものを自然から得て、そして、自然に返していた。昔の人は、自然の循環に寄り添って生き、その中に季節の変化を楽しみ、潤いを得ていた。自然のシステムを壊すようなことをしていては、決して、サステイナブルな(持続可能な)人間社会はできない。米は、工場では作れない。

 人は、六十才になれば循環し、赤子に戻る。死しても、転生輪廻していつか戻ってくる。浄土真宗では、往相(行くこと)と還相(帰ってくること)の回向が説かれる。とにかく、世の中、巡り巡って成り立っている。

  時雨止み 甲羅干したる 亀二匹

 

2009年  10月17日   崎谷英文


からくり

 人は、からくりの中で生きている。いつの間にか、もっともらしいものを見せられて、実は、その裏にとんでもないことが潜んでいることを知らず、後で驚く。後悔しても無駄である。いや、後悔などしないかもしれない。もっともらしいものの裏側を見ないままに、そのもっともらしさに取り付かれたまま生きていく。そんな人がほとんどだろう。

 原始の時代から、そうだったのかも知れない。しかし、近代、現代になって、そのからくりは、ますます巧妙で、したたかになる。

 人は生まれる。何時、何処で生まれるか人それぞれだろうが、人は何時、何処で生まれたかによって、拘束を受ける。差別の問題を言っているのではない。原始時代に生まれたとしても、その原始時代、その地域の中で生きねばならず、人は生まれたとたんに、原始時代ならば原始時代の、その時、その場所のからくりの中に放り込まれる。

 人は、社会的存在である。原始時代にも社会はある。人は、社会的存在であるがゆえに、その社会の拘束を受ける。時に、人が、山にこもろうとしたり、海を渡ろうとしたりするのは、その社会に拘束されていることの、裏返しである。

 人は決して自由ではない。その社会の申し子として生きなければならない運命なのだ。人は、生まれ、育てられる。育てるのは、親やその時代の大人たちである。その親や、大人たちは、その時代、その社会の申し子である。だとすれば、その子供たちも、また、その社会の申し子として育てられる。親が育てていると言っても、実は、その時代、その社会が、その子を育てている。

 その社会の申し子として育てられると言うことは、その社会に都合よく育てられると言うことになる。大人にとって、都合のいい子供たちを作ろうとしていることになる。「そんなことはない。子供が、充分に自由に、その能力を発揮してくれと育てている。」と親は言うだろう。しかし、そこには、その時代、その社会に適合するようにという親心がある。だとすれば、その時代の親の子として育てることになる。

 そのことを、親や大人たちは意識することはないだろうが、間違いなく、親や大人たちがその社会の仕組みの中で生きている限り、その子も、その社会の仕組みの中に取り込まれる。子は、その社会の仕組みに適応するように、育てられる。

 富と権力が社会の仕組みの中で力を持つとき、人が、教育され、社会化されるということは、富と権力にとって都合のいいように育てられると言うことなのだ。現代の巨大な、自由を標榜しながら、がんじがらめの鎖で括られている組織社会のなかでは、否応なしに、その社会に吸い込まれていくしかない。

 人の自由などというものは、絵空事に過ぎない。あらゆる既存の観念から自由になろうとしても、それは離れようとする既存の観念を前提とした解放であり、既存の観念に、反面、支配されている。

 真の自由とは、既存の観念を前提としない、全くの無から生じるものでなければならない。多分、そんなことは、不可能に近い。だから、人は、真の自由たり得ない。それが、この世の、からくりである。

  海に引く 月の光に 限りなし

 

2009年  10月5日  崎谷英文


不易流行

 不易流行とは、芭蕉の、俳句における教えと言われる。「不易の句を知らざれば、基たちがたく、流行の句を学ばざれば風あらたまず。」(去来抄)不易とは、変わらぬことであり、流行とは、新しいことが一時的に広がることである。

 変わらざるものが存在しながらも、変化は常に起こる。あらゆるものは変化しながらも、その真髄と言うものは、厳然と不動にしてある。芭蕉は、この不易と流行を、別々のものとして捉えているのではない。不易と流行は、互いに不即不離の関係として、世の中の一つの真理としてある、と言っているようだ。

 それは、単に、古いものがあり、新しいものがある、と言っているのではない。古いものにおいても、不易として変わらないものもあれば、変わるべきものもあり、流行として新しいものが、常に取り込まれていくのが世の中であると、言っているのだろう。

 果たして、不易というものがあるのか。不易たるべきものとされているものも、実は、その本を辿っていけば、流行になるのではないか。

 自然の営みを見る上においては、変化していないようでも、常に変化しつつ、その大波のような自然、大波としての波動は変化していくものとして変わらない。我々が見ることのできる自然は、実は、たかが知れたものではないのか。自然の小さな波を見て、大いなる自然と思っているのではないのか。我々を包み込む自然は、もっと大きな波である。小さな波から、その大きな波を感じ取ることはたやすいことではない。

 芭蕉も、不易が、これである、とは言っていないように思う。俳諧においても、五七五、季語というものの有季定型は、もはや、不易ではない。自由律俳句というものも、流行の中から生まれたものであるが、芭蕉も、これを不易を破るものとは言わないであろう。ただ、芭蕉の大成した俳句というものが、その形式を不易として、一つの文化として残っていることは事実であり、それもまた、流行から生まれた不易としての価値がある。しかも、その俳句の真髄が、不易流行でもある。

 自然でさえ、何が不易流行なのかよく分からない。人のやることなど、なおさら不易なるものがあるのかどうか分からない。人は、不易なるものを見つけようとしてきた。今も、見つけようとしている。

 科学は、不易なるものを見つけようとし、クオーク、レプトンなどの素粒子までは分かってきたらしい。しかし、まだその先は、いろいろ説はあるが、不明である。科学にも流行はある。

 人の社会は、歴史上、様々な不動のものを作り上げようとしてきたが、ことごとく新しいものに取って代わられている。今の人間社会に、不易なるものがあるのかどうか、疑わしい。人々は、幻想の中で、信じ込んだものにしがみつくしかなくなっている。人間社会というものは、自然以上に無常である。現代社会というものは、アイロニカルに言えば、無常の世界を体現している流行三昧に陥っている。

 今言える不易は、人は生まれ、そして死ぬ、ということだ。

 今度、知り合いの一才の女の子と同じ誕生日の祝いをする。楽しみだ。

  彼岸花 去年と似たれど 新しき

 

2009年   9月24日  崎谷英文


 子供の頃、変な夢を見ていた。その変な夢は、かなり年を経た大人の頃まで、見ていただろうか。

 夢の中の人が、漫画の人のようになる。漫画の人と言っても、ちゃんと、目、鼻、口のある人ではない。もっと漫画である。人という字の先に円か楕円のような顔に当たるものがあり、その下の両側に手となる二本の線がある。つまり、人という字は、身体と脚になっている。そんな漫画の人である。そんな人に自分自身がなっている。他の人もそんな漫画であったと思うが、判然とはしない。今で言えば、人の身体の動きやロボットの動き方を研究、シミュレーションする時の、コンピューターで作られた、線だけでできた人のようなものである。

 夢の中の線でできた私は、いつも追いかけられていたような気がする。何に追いかけられていたのか、今となっては、まるっきり覚えていないのだが、目が覚めた時冷や汗をかいていて、夢だと分かって安心する日々を送っていたように思う。

 私は、追いかけられていることも恐ろしいのだが、自分自身が、そんな変な形の人となっていること自体にこそ、恐ろしさを感じていた。どうして、きちんとした人の顔をした、人の身体をした人の夢を、見ることができないのか。自分がおかしいのではないかと思っていた。朝起きて、自分が漫画でないことにほっとしていた。

 しかし、年を経るにつれ、徐々に、夢の中の漫画のような人は減っていった。変な形の人の夢を見る間隔が遠くなり、しょっちゅうがしばしばになり、時たまになっていった。私自身、時たまに見る夢の中の漫画の人が、消え去ることを願い、自分自身の未熟さがそれを見せるのだと思っていた。いつ頃、全くそのような夢を見なくなっただろうか。今は、漫画の人は夢に現れない。

 現実において、動いている自分自身を見ることはできない。しかし、夢の中での意識は、まるで、映画の中にいる自分自身を見ているような場面もある。スポーツ選手などが、自分自身の成功する理想のパフォーマンスをイメージするようなことが、夢の中では、自然に行われるようだ。

 夢は深層心理に関わると言われる。臨床心理学者のフロイトやユングは夢の研究をしている。しかし、夢の中で見ることが、そのまま、隠された無意識なのではない。レム睡眠の時、脳の中では、感覚、知識、意識の整理整頓がなされている。その過程で、入り乱れて、人は変な夢を見る。夢は概して、訳の解からないものなのだ。

 昔から、夢占い、夢診断と言うものもあるが、見た夢そのものが自分自身ではなさそうだ。だから、夢判断は難しい。恐ろしい夢が、解放された心、開かれた心、元気さの証であることは多い。

 とにかく、人の心はややこしいのである。夢の中では、過去も現在もない。時には、未来さえ見えそうだ。それらが、ごっちゃになって、未整理の中で映しだされる。

 時に、もういない父や母や姉が夢に出てくることがある。そんな夢を見たときの朝はうれしい。本当に、夢で会えたと思う。

  山際に 懸かりし月や 秋烏

 

2009年  9月10日  崎谷英文


シンベー日記 16

 うとうとしていた。この頃、昼間も眠くなる。夜の間、寝ていないこともないのに、何故か、太陽が、最も短い影を落とす頃、眠ってしまう。今日も、家の中で横になって寝ていて、ふと気が付くと、目の前で、主人が僕をじっと見ている。僕のことを、暫く見ていたらしい。僕が、目を閉じて動かないので、死んでいるのではないかと心配したのかも知れない。

 僕は、急いで飛び起きて、歩み寄った。主人は、ニコニコして、おやつをくれる。やはり、心配していたらしい。だけど、僕も、自分の身体が衰えてきていると感じる。この間の病気自体は、ほとんど治っていると思うのだが、まだ、食欲が戻ってきていない。主人も心配し、これまでの、固い食事から、缶詰の柔らかい食事に替えてくれたのだが、僕の口には合わない。心配させるのもよくないので、無理して半分ほどは食べる。年を取ると食べる量も減ると言うのは、人間も同じらしいので、まあいいかと思うのだが、昔のような、ぎらぎらした元気はなくなってきた。

 猫のグレも、心配そうに僕を見るのだが、僕の残した食べ物は、しっかり食べていく。グレの方は、メタボが心配だ。

 この夏は、雨が多くて、どんよりとした天気が続いた。僕の体調も、天気のせいかも知れない。蝉の鳴き出すのも、遅かった。今までならば、もっと早く、アブラゼミが鳴き出しているはずなのだが、今年は、アブラゼミと晩夏の蝉ツクツクボウシが、8月に入ってから、ほとんど同じ頃に鳴き出した。まだ、ツクツクボウシは鳴いているが、短い夏なのか、秋の虫も鳴いている。蝉の命は短い。

 昼寝から覚めると、アリが、僕の食べ残したものに列を成して集まっている。じっと見ているとおもしろい。実によく働く。アリにとって、働くことは美徳なのだろうか。人間もよく働く。僕たち犬は、あまり働かない。働く犬もいるが、それは、人間に躾けられた犬たちで、ペットの犬たちは、上手く人間のご機嫌をとることが、仕事と言えば仕事なのだ。

 だけど、この世の贅沢は、ゆったりとした時間を過ごすことのような気もする。もう特別に、おいしいものを食べたいとも思わない。ゆっくり昼寝をしているときが、最も気持ちがいい。人間たちも、あくせくと働くことはしなくていいような社会というものを作ることを考えていけばいいのにと思う。主人は怠け者だから、あまり関係がない。しかし、人間たちは、追われるように、働いている。働いて、働いて、働いて、アリさんたちを見習っている。そうして、いつの間にか、人生の黄昏を知る。

 乾物屋のハナ婆さんが言っていた。日本で、政権と言うものが交代したらしい。期待する人たちも多いと言う。僕たち犬や猫や、そのほかの野生の動物たちにとっても、いい政策をして欲しいものだ。人間たちの世界が、多数決で決まると言うのなら、僕たちも団結すれば、大きな力になると思うのだが。

  草刈られ 残る野路菊 点々と(シンベー)

 

2009年 9月2日  崎谷英文


民主主義

 今、中学三年生の社会で、政治について学んでいます。政治は、古くは、一人のあるいはその一族が権力を握って、君主、または、王様として、巨大な武力、巨額の富を背景に、国を治めることでした。

 政治の目的は、国を外敵から守り、人間としての自由と平等を守り、国民の生活を安定させることです。このことからすれば、やはり、一人のどんな偉い王様が政治をしても、根本的な人間の自由、平等を確実に守ることはできないのです。人間は、一人一人異なっています。国というものは、国民、一人一人がその主人公であり、国の所有者は国民一人一人なのです。

 そこで、近代になって、人々の意思により、地域、民族が一つの国を作っていくと言う国民国家が生まれてきます。そこでは、国民が政治の権力の源泉であり、国民全てで国の政治を作り上げていくと言う仕組みが生まれます。これが、国民主権、民主主義なのです。

 だから、本当は、国民全員が集まって、話し合いをし、どんな政策を採るかということを決定していくのが、もっとも民主主義なのです。しかし、国民が、全員集まって話し合いをすることなど、物理的に不可能でしょう。そこで、国民の思うところを代弁してもらう、あるいはこの人なら国全体のために善いことをやってくれると言う代表者を選んで、政治を行おうとするのが、民主主義の選挙なのです。その民主主義の仕組みにも、アメリカのように、行政のトップを国民自らが選挙で選ぶと言う大統領制と、日本のように立法をもっぱらとする国会議員を国民が選び、その議会で行政のトップ(内閣総理大臣)を多数決で選出すると言う議会制民主主義とがあります。

 いずれにせよ、国民が、その国の平等な主人公であり、選挙の投票をすると言うことは、自ら共有する持ち物をどうするかと言うことに自分の意見をはっきり言う、と言うことなのです。投票に行かないと言うことは、もう自分のものがどう処分されようがかまわないと言うことなのです。必ず、選挙に行きましょう。

 国家の権力には、立法、行政、司法という三権があります。その権力全てにおいて、国民が源なのです。司法において、今回導入された裁判員制度というものも、国民とはなれたところで行われていた司法というものを、民主主義に近づける重要なものだと思います。裁判員に選ばれることは、市民の感覚で、その被告人が本当に犯罪者なのか、犯罪者とすればどのような罰を与えるべきなのかを判断すると言う、きわめて民主主義的なものへの参加なのです。

 民主主義は、国民が主役なのです。国民の得た利益を、どのように税金、保険として徴収し、それをどのように国の政策として、国民全体に、誰に、何処に、分配していくかと言うことが、今の政治の問題点なのです。今のゆがんだ世界を直すために、必ず、選挙に行きましょう。

  凛として 秋風に立つ 白鷺

 

2009年 8月22日  崎谷英文


情熱 責任感 判断力

 マックス・ウエーバーは、「職業としての政治」の中で、政治家に必要な資質として、情熱、責任感、判断力を挙げている。

 情熱とは、世の中、社会は、こうあるべきだと言う理想的姿を、ただ単に夢想して止まないというだけではなく、現実を、その理想の姿に変えていく、近づけていくことに対する、あらゆる抵抗、反発に耐え、たとえ、その主張が認められなくとも、それでも、こうあるべきだと言いきることができ、踏まれても蹴られても、自らの思うところを実現しようとする精神である。

 宗教家が、欲を捨て、みんな仲良くして、すべてを分かち合いましょう、と唱えるだけでは、政治ではない。現実は、欲望がうごめいている。その現実を、きちんと見据え、見極めることができ、その現実を、どのように変えていくか、あるいは、この現実をどのように保っていくか、と言うことを、手順を含め、説得し、納得させていくことに飽きない能力というものが、政治家には必要となる。

 評論家は、言いたいことを言う。現実社会の今ある姿について、その認識する力を発揮して、世間に対して、政治の欠陥を声高に述べ、こうすべきだとか、そうしてはいけないだとか、大いに語る。そこには、心情的に正しいことを言っているのだと言う倫理観はあっても、政策選択における結果責任はない。政治家は、心情的な倫理観はもちろん必要だが、その政策選択、実行、結果において責任を持たねばならない。今、政権交代が現実味を帯びる中、現野党は、評論家的政党から脱皮せねばならない。

 政治は、常に、理想と現実との狭間に在って、刻々変化する世界状況、社会状況、経済状況に対処する。的確に現実を把握し、的確に将来を予測する判断力が求められる。腐ったものは、全てを捨て去らねばならず、少しずつ廃棄していくだけでは、また、その端から腐敗が忍び寄る。しかし、生身の人間に対応することからして、生きたままの人間を引き裂くことも、生きたまま土に埋めることもできない。革命でない限り、少しずつの変革に甘んじなければならず、妥協せねばならないことも生じる。そこにも、やはり、正確な、現実を見る目と政策実行の結果を予測する判断力が重要となる。

 とは言え、あるべき姿というものを見失ってはならない。政治権力は甘い蜜であり、政策の選択が目的ではなく、権力を得る、権力を保持すること自体が目的化してしまうことが常態となる危険に常に晒されている。甘い誘惑に打ち勝つ純粋な情熱、命を懸けた責任感、勉学に裏付けられた的確な判断力が大切なこととなる。

 人間が、社会生活を営む限り、あらゆる場面において、政治的状況というものは生じる。そこには、明確な権限付与の仕組みがある場合もあれば、ない場合もある。しかし、いずれにおいても、その政治的選択を下すには、国家における政治家と同じく、多かれ少なかれ、情熱、責任感、判断力と言うものは必要となる。甘っちょろい理想論だけでもなく、おぞましい権力欲でもない、理念のある強い精神力が望まれる。

  何問ふや 窓の外なる アゲハチョウ

 

2009年  8月12日  崎谷英文


今の政治

 その昔、政治の役割は、今ほど大きくなかった。日本において、卑弥呼の時代から政治はあったのだが、そこでは、土地と農民を持つ豪族たちをまとめた大きな国として、内部での争いを防ぎ、外敵から国を守り、人々が生きていくだけのものを如何に確保していくかと言うことが最大の政治の課題であった。すべての人間が、農業、漁業を営み、自然の恵みをどのように豊かにし、その恵みをどのように分配する(搾取する)かが為政者の力量であった。そこでは、神の宣託やその後の仏の教えや伝統的権威が、指導者の地位、政策の選択の正当性の根拠になる。

 その時代から、江戸時代の終わりまで、様々な策謀、事件、内乱はありながらも、基本的な政治の役割には大きな変化はなかった。常に、独裁的指導者群が政治権力を握り、農民たちを支配、服従させ、富の生成、富の継続を図ってきた。

 明治時代になり、伝統的権威を後ろ盾に、近代化が始まる。産業構造の大変化により、政治の役割は、一挙に増大する。近代的官僚組織を持ち、独裁的支配に、民主的政治参加が取り入れられ、力のある政治家、軍人たちが政策を決定する。しかし、多分一人一人の政治家たちは、有能であったのであろうが、大きな時代のうねりの中、大戦に突入していく。

 民主主義の時代になり、国民が政治権力の源泉となる。票を得ることが、正当性の根拠になる。戦後の混乱後の経済成長の間、政治家、官僚たちは、国民の利益誘導に走り、その地位を確保することに奔走する。国民にとっては、あくまで、政府はお上であり、生活が上手く行っている限り、保守的であり、政策に無関心になる。官僚制の縦割り行政の下、細切れの利益分配の政策が続き、与党の政治家は権力に安住し堕落し、官僚も自己保身のために堕落する。政策は、大きな理念を持たないまま、自動的に造られていくかのようであった。

 経済が順調な時は、国民も不満を表さない。そして、政治がおかしいと思っていても、そこには、誰がなっても同じだ。自分の一票で変わるわけじゃない。どうせ、政治家は信用できないと言う風潮が蔓延する。

 今、少し政治に変化が見られる。政治の持つ役割は、格段に大きくなった。そして、選挙の持つ意味合いが大きくなっている。票の分捕り合戦が始まっている。しかし、それは、あたかも、商品の宣伝、大安売りのように展開している。新商品が、大々的宣伝の下に一時的に流行するのを見習うごとき、マスコミを利用して、一時的でよいからと国民をなびかせようとしている。それは、与党も野党も同じである。このような、情報化時代においては、マスコミを味方につけることが選挙に勝つことに繋がるのだ。小泉氏の郵政選挙で、見事に立証されている。

 現代の超情報化時代、国民がすべてを正確に理解するにはあまりに複雑な政治課題、政策課題のある中では、国民が頼ることのできるのはマスコミの情報がほとんどと言っても過言ではない。マスメディアの政治情報は、私には芸能情報の延長に見える。

 大衆を愚かな者たちと見透かしたような政治工作にはうんざりである。政治は、見事に劣化している。

  川草の 薙ぎ倒さるる 夏嵐

 

2009年  8月1日  崎谷英文


共感

 テレビで、悲しいドラマを見て、人は、瞬時の涙を流す。悲惨な事故を知り、かわいそうにと思う。凶悪な犯罪があれば、憤りを感じる。派遣村の様子を映像で見て、そこに集まる人々の気持ちに同情する。

 人には、共感する心情が与えられている。共感するとは、自分は、その立場そのものではないのに、対象、相手となる人の心情を察知し、同じような心持ちになることと言えばいいだろうか。特に、他人の悲しみ、苦しみに対し、同情し、共に苦しみ、涙を流し、またそんな世の中に憤りを覚える。

 しかし、その共感は、持続しているだろうか。ほとんどの人々にとって、その共感は、持続できていないのではなかろうか。一時、涙を流しても、直ぐ後には、それが、逆に今の自分たちの幸運と豊かさを確かめ、ほっとする。悲惨な状況をテレビで見、かわいそうにと思いながらビールを飲む。飢餓に苦しむ人々の映像を見ながら、ステーキを食べる。

 共感するのは、なぜなのか。その大きな理由の一つは、交換可能性を感じると言うことではなかろうか。何時自分が、その人の立場、状況になるかも分からない、自分がそうなったら困る、だから、その人たちはかわいそうだ、と言うことになる。

 実は、世界65億の人口の内、10億人が食糧危機になっていると言う。世界の中で、住む所に困っている人々も、数多い。しかし、日本人は、そのことを知りながら、その苦しむ人々への共感は、あまり続かない。遠い世界であり、交換可能性が低いのだ。日本国内の格差、貧困に対しては、まだ、その共感性は強くなる。何時自分が、そういう立場になるか安心していられないからである。同情、共感すべきことが、身近であればあるほど、その共感は強くなる。地球の裏側で飛行機事故が起きても、日本人が巻き込まれていないことにほっとしているのは、何か変なのだが。

 人の持つ共感能力は、全くもって中途半端だ。本当に共感し、共感が持続していれば、ビールも、ステーキも喉を通らない。本当に共感しているならば、身も世もなく、他人の苦しみは、自分の苦しみと感じ続けられねばなるまい。どんなにかわいそうな状況を知ったとしても、身に迫らなければ、所詮、他人事でしかなくなる。

 人間としての限界なのだろうか。神や仏は、余すところなく無限の愛や慈悲を持って、人々に接すると言う。やはり、神や仏でなければ共感し続けられないのかも知れない。だからこそ、神や仏は造られる。

 口では、何とでも言える。かわいそうにと言う言葉はいくらでも出てこよう。小賢しく、言説でごまかし、共感を言うことはできる。しかし、何処まで、実感しているのか。今の世の中、政治家たちも、経済人たちも、貧しい虐げられている人々は、救われねばならないと言う。しかし、あまりにも空疎で、そこに実感した叫びは聞こえない。何処までも、他人事と言っているようにしか聞こえない。

 真理は、本で読んで解かったつもりになっても、実は解かっていない。実感として体得されねばならない。体得するとは、共感を越え、実感として、心の中に入り込み、心の中に潜み続けることだ。

  雷(いかずち)は 怒りの如く 人を撃つ

 

2009年  7月21日   崎谷英文


田中君への手紙 10

 先日は、私の突然の上京に際し、忙しいのに足を運んでいただき、有難うございます。Y君、K君らが来られなかったのは、残念です。私は、S君の、春(夏)と秋の展覧会は、なるべく見に行くことにしています。

 ところで、その後、飲み語っていた時、蟹工船の話が出たのを覚えていますか。小林多喜二氏の1929年の作品です。北洋で蟹を獲る船の中の、過酷な労働者の話です。このことが、現代の格差社会、貧困社会に似通ったものとして、世間で話題になったのです。

 もちろん、時代は違い、その物語の内容、内実が、現代の労働者にそのまま当てはまるものではありません。しかし、類似した状況というものはあるでしょう。生きてゆくために、仕事をしなければならない労働者、若者たち、しかし、働く場が無く、資本家、企業は、労働者たちを安く買い叩き、過酷な労働を強制し、それに従わなければならない悲惨な労働者、と言う状況は似ているのではないでしょうか。深々としたソファーに座り、ブランデーを手の中で揺らしながら、金儲けを考えている経営者たち。

 実は、その頃も、現代も、本質的には、変わっていないのかも知れません。小林多喜二氏が、共産主義者であったからと言って、そのことで、この小説の評価が左右されてはいけないでしょう。

 中世の時代から、近代にかけて、社会は大きく変化しました。中世の圧倒的な数の農民たちは、近代の産業革命により、労働者として、都会に駆り出されます。その時から、豊かさを餌にして、資本家、経営者たちは、働く者たちを、いかに安く働かせ、効率を上げるかを考えていたのです。現代もそうでしょう。調子が悪くなれば、労働者の首を切り、安い労働力を求めて、新興の、あるいは近代化の遅れた国々に工場を建てたり、それらの国から、労働者を集めようとしたりしています。経済人からすれば、それは、資本主義の原理であり、結局は、その国、その労働者たちのためになる、と言うでしょう。しかし、私は、それは、強者の論理であり、同等の人間としての関係ではないような気がしています。

 私は、あらゆるものを疑っています。現実の確固たる常識的なものも含めて、すべてのことを、疑っています。1+1=2でさえ疑います。馬鹿馬鹿しいと思われるでしょう。しかし、あらゆることを、疑い、吟味し直すことが、必要ではないでしょうか。

 サルトルのパートナーだったボーボワールは、「女として生まれるのではない、女になるのだ。」と言いました。それは、女であることを疑っているのです。生まれてからの社会状況、社会の常識が、女を女にするのだと言っているのです。女である前の人間を、世の中が、女に作り上げていったと見るのです。今は、その状況は、大分違ってきてはいます。しかし、このような発想こそが、何か変だなと思いながらも盲従してきたことに対し、根本からその変革をもたらす力になるのだと思います。

 飲んでいる時、私が、「いろいろ考えているけれど、女のことが解からない。」と言ったのを覚えていますか。こんなことを言う私は、まだまだ、発想、思考が貧困なのでしょう。でも、やはり、女は解からない。

 また、アホな事を書きました。ご容赦ください。また、近いうちに、盃を傾けましょう。

 奥様、娘さんたち、パピーによろしく。

  五月雨の 中白鷺は 舞い降りぬ

 

2009年  7月9日   崎谷英文


小次郎ものがたり6

 わしは、トンビの小次郎だが、三千年も世界を飛び回って生きている。人も、動物も、そして地球も空から見ていると大きく変わってきている。

 太陽の照らすところは輝き、その裏側は、暗い。太陽を追いかけて飛んでいると、いつも明るくて眠れないので、世界を見て回る時はゆっくり飛ぶことにしている。

 しかし、今、地球は、その太陽の照らす側の反対側も、結構明るい。煌々と輝いているところもある。人間たちの科学は、一段と進歩している。大きな飛行機と言うものは、真っ暗な中を、きちんと行き先を間違えずに飛んでいく。それも、鳥たちよりもずっと早くと飛ぶので、仲間たちもよくぶつかって、かわいそうなこともある。この間は、そのためニューヨークで飛行機が不時着していたのに出くわした。

 わしのように、三千年も生きていると、人には見えない電波も感じ取ることができる。最近は、昼も夜も、電波が飛び交っている。わしらよりも高い所に電波の中継地を作って、人間たちは、二十四時間、情報を伝達している。

 昔からすると、ものすごいことだ。人間なんて、小さな地域で、足を使って走り回って、あるいは、せいぜい馬を走らせて、意思を伝え合っていたのだ。わしら、鳥たちの方が、ずっと速く、物事を伝え合っていた。そう言えば、以前は、人間も伝書鳩というものを使っていた。

 蒸気機関が発明され、蒸気船を使って、人間はついに地球全体を知ることになる。様々な人間がいることに気付いたのはいいが、その後がいけない。同じ人間たちでありながら、新大陸の、文明の進んでいない地域の人々を、同胞と看做せなかった。アフリカの黒人たち、アメリカの原住民たちを、ただ、征服し支配する相手としか見なかったのだ。そのことは、今でも、現代の人間社会の大いなる罪であるのだが、未だ、その懺悔も清算も終わってはいない。

 1620年、メイフラワー号に乗ってイギリスのピリグリー=ファーザーズがアメリカ大陸にやってきたのは、本来、信仰の自由のためであった。しかし、アメリカに住み始めた西洋人たちは、アメリカ原住民たちを押しのけて、土地と資源を漁っていく。その時の、所謂アメリカインディアンたちの悲惨な光景は、目に余った。銃で撃たれて、何人の原住民が亡くなったことか。

 今も、アメリカの大統領は言う。God Bless America .信仰の自由から生まれた国は、ずっと、イエス=キリストの国のままなのだ。本当に信仰の自由を認めるならば、キリスト教社会以外に対して、全くの寛容を示すべきだろう。その中で、すべての宗教を越えた、世界中の人々が理解し合う関係を作り上げなければならないと思うのだが、その道は、遠そうだ。

 信仰の自由は大切だ。しかし、信仰しない自由も大事だ。多分、西洋人たちは、人間は、何かを信仰しなければならないと思っているのだろう。

 日本人は、ちょっと違う様だ。仏教を信仰する人は多いが、政治家が、「仏のご加護を」などというわけがない。まして、God Bless Japan.などあり得ない。

 わしは、実は、宇宙の化身なのだが。

  姿無き 夏の鶯 ひとしきり

 

2009年  6月30日  崎谷英文


文明と幸福

 一体、現代の人間社会は、誰が作ったのか。我々の先祖としての人類、新人(ホモ・サピエンス)は、約十万年前に誕生した。それ以前から、ネアンデルタール人が存在していたが、数万年前に絶滅したと言われる。新人としての人類こそ、現代人に繋がる。アフリカに生まれた新人は、数万年の間に、世界中に広がっていく。日本やヨーロッパには約四万年前に到達しただろうと言われている。

 人は、それぞれの生きていくための土地を求めて、旅をしていく。狩猟、漁労生活から、農作、牧畜生活になり、それぞれの土地に定住していく。小さな数家族の共同体がまとまり、村ができる。定住した村人たちは、その中で、助け合って生きる。そのためにこそ、村同士の争いが起き、争いが収まれば、やがて大きな村になり、繰り返しながら、やがて、国となっていく。

 その間、十万年前から一万年前の間、人々は、生きていくためにのみ生きてきたのではなかろうか。食料を獲得し、飢えないようにして生きていく。しかし、食べるために生きながらも、素朴な楽しみが生活に潤いをもたらす。

 その後、人類は、文明を発達させ、生きてゆくためだけではない、楽しむために、さらに豊かになるために、生きていくようになる。文明は、世界中に広がっていく。文明は世界を席捲し、世界中が同じような豊かさを求めていく。立派な家に住み、きれいな衣服を着て、おいしいものを食べ、世界中に遊びまわる。

 しかし、今の世の中は、人々にとって、それほど素晴らしい社会なのだろうか。文明は、経済を発達させ、様々な仕事、職業を作り出し、分業化を進める。人々は、あらゆる物を、他から調達しなければならない。自由契約と言いながら、契約をしなければ生きてゆけない。契約を強制されて生きている。人々は、生まれながらにして、現代契約社会に拘束されている。人々は、自由を保障されながら、文明社会、グローバル経済社会に縛り付けられている。

 原始的社会の中にも、文明は入り込む。豊かになることが幸福につながる、と言う信仰の下に、文明人は、世界を文明化させていく。

 しかし、文明の豊かさが、幸福のものさしなのだろうか。原始人は、幸福ではなかったのだろうか。そんなことはあるまい。原始人は、生きてゆくために生きているのではあるが、そこにも文明の豊かさでない豊かさがある。日常の中に幸福はある。祭りの中に楽しみがある。助け合うことが当たり前の中に喜びがある。そこでは、周囲の人たちの喜びは、自分の喜びだった。そこには、自由などと言う大げさな理屈ではなく、自由があった。

 マルサスの人口論は、人口増加による人類の崩壊を予測したが、その通りではなさそうだ。文明、科学、経済の発展が、ようやく、人類の崩壊をとどめているようにも見える。しかし、そこには、持てる者の持たざる者に対する征服、懐柔がある。文明人たちの、もっともらしい啓蒙は、結局言い訳でしかない。自己正当化の論理だ。

 頼むから、放っておいてくれ。

  水張りし 田に蛍一羽 光あり

 

2009年  6月18日  崎谷英文


シンベー日記15

 二日間の入院の後、家に帰ってきたのだが、暫く、調子が悪かった。何とか、水は飲めるようになり、一口二口、食事も食べられるようになった。しかし、以前のようには食欲がない。頭も、まだふらふらする。

 普通なら、今まで通りの固形の丸い粒の食事なのだが、それが余り食べたくない。主人が心配して、缶詰のドッグフードを奮発してくれる。奥さんも、魚のおいしそうなところを持ってきてくれる。しかし、以前なら、こんなうまいものはないと、一挙に食べつくしていたのだが、今回は、それらも、三分の一程食べるともう食べられない。食べても腹を下している。仕方なく、北の草地に下痢をしなければならない。

 しかし、こんな時も主人は優しい。汚物を処理するのにも、少しも嫌な顔をしない。人間にも、消化器官の具合が悪い時に似たような症状はあるようで、主人は、腹の中の悪いものを出し尽くせば、きっと良くなる、と僕に言う。無理して食べなくてもいいから、水を飲んで、食べられるだけ食べておけ、と言う。野良猫のグレも心配して、僕の残したドッグフードや魚も横取りしようとしない。

 僕の母親は、二年前に死んだと聞いたのだが、僕は母の一才の時の子供だから、僕はもう、母よりも長生きをしている。母がいたら、僕を抱きしめていてくれるだろうか。

 二三日は散歩に行く気もせず、主人がリードを持って、行こうかと誘っても、僕は家から出なかった。その後、ようやく少し元気が出てきて、主人を心配させるのも悪いので、少し主人に付き合うことにした。しかし、暫く、散歩も短い時間にしてもらった。してもらったと言うより、主人が気を遣って、まだ僕の元気のなさそうな歩き方や顔色を窺って、早く帰ってくるのだ。

 一週間程して、少し食欲が出てきた。身体がふらふらするような眩暈のような感覚も治まってきた。しかし、首が少し傾いたまま、ちょっと不自然な感じが残っている。でも、下痢も治り、少しずつ食べられるようになってきた。

 散歩も、ようやく、いつも通りのコースを、いつも通りのペースで行くことができるようになった。何よりも、主人の嬉しそうな顔がいい。

 主人の奥さんが、「犬って、回復力がすごいのね。人間にはない野性の生命力がきっとあるのね。」と言っていたそうだ。人間だって、本当は野生だったのだ。人間たちも、自分の持つ回復力をもっと信じるといい。フィリピンで仕事をしている主人の友人のM君が言っていたそうだ。フィリピンで身体の調子が悪くなり、何も食べられずにいた時、タマネギだけが食べることができて、そればかりを食べていて、身体が治ったそうだ。人間も、自分自身の身体の持つ自然の欲求に従っていれば、それが回復力に繋がるのかも知れない。

 乾物屋のハナ婆さんも言っていた。今の人間たちは、腹が減ってもいないのに、おいしいものに飛びつき、たいして調子が悪いわけではないのに、栄養ドリンクやサプリメントを常用している。少し調子が悪いと、直ぐ薬を飲む。そんなことをし続けていることが、自然の身体の持つ、回復力、生命力を衰えさせているのかも知れないのに。

 だけど、僕も年だ。食欲は戻ったとは言え、若い頃ほどには食べられない。何も無理して食べることはない。穏やかに暮らしていくのが一番だ。

  蛙鳴く いつものことの 懐かしさ (シンべー)

 

2009年  6月9日   崎谷英文


相対論

 相対論と言うと、アインシュタインの相対性理論を思い出されるかもしれない。まさしく、アインシュタインの特殊相対性理論も、一般相対性理論も、相対性を唱えている。空間と時間は、それぞれ絶対的なものではない。空間が変化すれば、時間は変化し、時間が変われば、空間も変わる。質量、重さのある物により、空間は歪み、時間は変わる。所変われば、時計の針の進み方が変わり、時空が変化すれば、物の大きさが変化する。浦島太郎の世界が出現し、バック・トゥ・ザ・ヒューチャーということも生じ得る。などと言っても、人間の感覚として、そのことを捉えることはできないのだが。

 しかし、この人間の感知する世の中というものも、あらゆることが、相対的にできている、あるいは、動いていると言えるだろう。

 例えば、人の美しさというものがある。人が美しいとは何なのだろう。絶対的な美しさというものはあるのだろうか。絶世の美女だったと言われるクレオパトラは、絶対的な美女だったのだろうか。極端なことを言えば、クレオパトラが近づいてくれば、野良猫は逃げるであろう。決して、美しさに惹かれ、擦り寄ってくるということはあるまい。人の美しさなどと言うものは、勝手な、人の観念なのである。

 人の美しさの観念でさえ、絶対的なものではない。時代が変われば、美しさの基準は変わり、所が違えば、美人の観念は異なる。浮世絵の美女を美しいと思う人もいれば、それほどでもないと言う人もいる。

 また、人の心は、不可思議なもので、あばたがえくぼにもなれば、整った目鼻立ちが、ただの塊に見えるここともある。

 しかし、また、時、所を越えた美しさ、それは、人の感知することに限定したものとして、誰もがと言うのも難しいだろうが、多くの人が美しいと感じるものは、ありそうな気がする。多分、そういったものを目指し、作り上げようとするのが、芸術なのだろう。

 いずれにせよ、やはり、時が変われば、所違えば、人の心も変わるのである。今の世の中で、価値のあるものと言われているものも、一皮剥けば、ただの醜悪な汚れ物なのかも知れない。相対的な価値観に振り回されているのが、現代社会である。相対的な変化するものはうつろいゆくものなのだ。その変化していくべきものを、わが身のうちに留め置こうとして、執着し、こだわって、人は生きている。

 あらゆるものに絶対的なものはなく、すべてのものは相対的でしかない。アインシュタインは、時間と空間は、別のものとしてあるのではなく、時間と空間、時空として一体であると言っているようだが、それも、今の人知の限界に過ぎない。本当のところは、その時空さえ、別の他のものと相対的であるのかも知れない。

 しかし、人は、人間の感知する世界でしか生きられない。人間性、人間らしさというものがあるとしたら、誰もが美しいと思うもの、それは、きっと、真とか、善とかいうものに結びつくと私は信じていたいのだが、そう言う美しいものを見たいと思うし、そういう美しさの中で生きたいと思っているのだが。

  割れ石に  つつじ一輪  咲きにけり

 

2009年  5月29日   崎谷英文


シンベー日記 14

 僕は、この前入院した。犬が入院することもあるのだ。二晩、動物病院の部屋で過ごした。部屋と言っても、もちろん檻である。

 入院する二日前までは、僕は元気だった。昼前に、いつものように、主人と散歩していたのだが、突然、ふらっときて、平衡感覚を失った。踏み下ろしたはずの足が、上手く大地に届いていなかった。その時から、何かおかしいなと感じていた。主人も、心配そうに僕に話しかける。

 それからだ。帰ってきて、餌も食べ、おやつも食べたりしたのだが、気分が悪い。夜遅く、主人が帰ってきた時も、ようやっとのことで身体を起こして、主人の声に応えることができたほどだ。夜、少しうとうとしたのだが、朝になって吐いた。食べたものが、ほとんど消化されずに出てきた。僕も、自分の家を汚すのは嫌なので、横の空き地の草の上に吐いた。少し、気分がよくなるかと思ったが、治らなかった。

 眼がおかしい。何か、よく見えない。物がはっきりしない。ぼやけ、ゆらゆらして見える。その日も、昼前に、散歩に出たのだが、上下、左右がはっきりしない。何度か、足を踏み下ろし損ね、ふらつく。幸い、倒れはしなかったが、眼がかすみ、気分が悪く、よだれが出てくる。主人が、一所懸命、頭を撫ぜてくれるのだが、よくならない。その夜も、また吐いた。

 翌日、ついに、主人が心配して、医者に連れて行ってくれた。以前に、予防接種などで行ったことのある病院だが、僕も、人間同様、病院と言うものは好きではない。注射は打たれるし、口を開けさせられるし、優しくない手で触られる。

 しかし、医者は、一目僕を見て、病状を察したらしい。首が傾いている。片方の眼球が振動している。ふらふらしている。ということから、突発性前庭疾患だと言う。原因は、はっきりしないが、耳の奥の脳に血管の障害が起こり、三半規管などが異常を起こしたらしいと言う。人間で言う脳梗塞の一種かも知れないと言う。血液検査もしたが、異常はなかった。通常は、一、二週間で治ることが多いと言うので、少し安心したが、水も飲めない状態なので、入院することにした。

 主人と奥さんに、その病院に連れてこられたのだが、そこで、犬の十三才、僕の年齢なのだが、それは、人間では六十八才に当たるということを知って、二人はびっくりしていた。奥さんなどは、最近、二十才まで生きていた犬のことを聞いていて、僕のことをまだまだ若いと思っていたようだ。僕は、あんたたちより、ずっとおじいさんなのだよ。この病気も、老犬しか罹らない。

 水が飲め、食べられるようになったら、帰ることにしていたのだが、その日は、いっそう気分が悪く、何も口にすることはできず、点滴を打たれた。点滴の管を口で取らないように、首のところに、シャンプーハットのようなものを着けさせられた。もう本当に悲しかった。主人と別れることは寂しい。このまま死ぬのではないかと思った。

 二晩入院して、眼球振動が治まり、ようやく家に帰ってきた。でも、まだふらふらし、気分が悪い。主人が、僕を見ながら、ずらりと並んだ稲の苗に水を遣っている。まあ、家でゆっくり養生しよう。

  夕暮れて 檻の中なる 五月かな (シンべー)

 

2009年  5月16日  崎谷英文


草刈り

 世間は、優雅な大連休の中、三日間、草刈りを続けた。田、畑、畦、空き地、この頃から、草は一斉に命を主張する。春であるが、日差しも時に強く、いつの間にか、大汗をかく。今は、便利な草刈り機があり、休耕田の草刈りなどは、トラックにその機械を積み、田まで持っていって、押し歩いて草を刈る。

 この怠け者の私が、今年は、用意周到に、早めに草刈りを始めた。一つの田は、草刈りの便利な機械が持ち込めない。畑に利用されていたことで、土地がでこぼこになっていて、その機械では調子よくいかない。そこでは、肩に掛け、振り回す草刈り機を使わなければならない。結局、その一反足らずの田に、延べ七、八時間かかったであろうか。二日目の朝に終わった。

 身体を苛めている。自分自身の身体を苛めて、自分自身で楽しんでいる。岡林信康氏の「山谷ブルース」を思い出す。

今日の仕事はつらかった。あとは焼酎をあおるだけ。
どうせ、どうせ山谷のドヤずまい。ほかにやる事ありゃしない。

 私のような能なしは、身体を苛めさせて、眠らせてやるのが一番だ。何かに憑かれた様に、充実感を覚える。ただ、ひたすら草を刈る。世間のことなど何の関係もない。ただ、草と格闘する。刈ったそばから、小鳥たちが虫を漁りに来て、カラスが蛇を捕まえて運び去る。別に生きるために汗を流しているのではないが、生きている感覚がある。何も考えていないのではない。様々なことを考えながら、それでも、夢遊病者のように身体を動かす。ただ、必要だから、必死でやる。そんなに熱心にやらなくてもいいのだろうが、魂を込めてやる。素朴な中にこそ、人の生きる生活がある。草を刈っている時、浮世の泡は、私に届かない。ただ、今を懸命に生きる自分の生命があると錯覚する。

 漫画の「あしたのジョー」の最期は印象的だった。その結末については、様々な意見があるようだが、私には、燃え尽きた生命の静かな終えんを思わせた。ジョーは、充実した生命を燃え尽きさせたのだろう。あの最期の、ジョーがリングの椅子に座って、首をうなだれ、両手をだらりと下げ、目を閉じた姿は、私の心から離れていなかった。ジョーは、終には、あらゆる欲望を捨て去って、ただ、心と身体を燃やしていったのだと思った。

 草刈りを黙々とやっていて、そのジョーの姿を思い出した。このまま、ジョーのように死ねたら、とふと思う。身体中が痛む、目がかすむ。しかし、もっと、自分の身体を苛める。妥協しないことを当たり前にした、不思議な自分がいる。生きることとは、本当は、こんなことではないのか。ただ、ひたすらに生きる。

 どこかで読んだ事があるのだが、名も忘れたが、ある禅宗の高僧に、「あなたの一生とは何でしたか」と尋ねた時、その高僧は、「日常の連続であったような気がする」と言われたそうだ。僧といえども、日々いろいろなことがあったであろう。事件もあったであろう、事故もあったであろう。しかし、それはすべて日常だったのかもしれない。生きてゆくということは、変化する日常を、ただ素直に受け止めながら生きてゆく、ということになるのだろうか。憂いも喜びもすべて日常の中に埋没した中で受け入れた、ひたすらの生活なのだろうか。

 草刈りは疲れた。後は、焼酎をあおるだけ。いや、今日は、ビールにしよう。

  クロアゲハ 見え隠れして 遊びおり

 

2009年  5月7日   崎谷英文


土に触れる

 先日、遠方からの友人も含め、親しい者たちと筍掘りをした。私の居る所は、筍の産地である。手前味噌かもしれないが、この地の筍は、全国で、最もおいしいと思っている。

 筍は、その生育、収穫において、文明を寄せ付けない。筍を機械で掘ることなど、ほとんど不可能であろう。竹林の中で、機械の入り込む余地はない。掘るのは、もちろん手仕事である。

 筍は、地下の茎、根節のところから生えている。その先に、薄い緑の葉のようなものを持ち、それが、地上に見えるか見えないかぐらいのものが、やわらかくておいしい。地上には、少ししか見えていなくても、その根は、地下深く潜っている。

 枯れ笹や落ち葉で覆われた中で、見えるか見えないかの筍を探すのは、慣れないと難しい。足の裏で探り、土の割れたところ、少し盛り上がったところなどを、手で探って確認する。

 筍があれば、その周囲を鍬で掘って、生え方を確かめる。周囲を掘っていっても、簡単に根までは辿りつかない。手で土を掘り、その深さを見極め、鍬で動かし、根の位置の見当をつける。三日月のように伸びた筍の根は、決まった方向からでないと上手く切れない。だいたい、へたくそがやると、上のほうでちょん切ってしまう。それに、その筍の周囲に、竹の地下茎が取り囲んでいることがある。そのような時には、慣れた者でも、上手に掘るのは難しい。時には、その邪魔をする地下茎をのこぎりで切ることもある。

 筍は、力強く伸びる。上に邪魔な石があろうとも、押し上げて伸びる。地下深くにあった小さな芽が、時季を得て、勢いよく伸びてくる。

 機械に頼らず、土に触れ、人の力でないと、筍は掘れない。米や野菜などは、土を耕すのは、今では耕運機であり、ビニルハウスを利用し、機械で収穫することが多い。しかし、筍は土を耕すことはなく、土を盛ることはあるが、それも竹林の中では、機械は使えない。文明を寄せ付けない筍なのだ。

 土に触れる。大地に触れる。五感の中で、何々に触れると言うように、何々にの「に」を使うものは少ない。何々を見る、何々を聞く、何々を味わう、何々を嗅ぐ、と言うように、視覚、聴覚、味覚、嗅覚は、その対象は「を」である。何々を触る(さわる)とも言うが、何々に触る(さわる)とも言い、触れるものはやはり「に」である。

 水に触れ、肌に触れ、心に触れる。触れると言う時、対象をただ対象としているのではなく、そこにそのものとの一体感のあることを示している。見る対象とそれを見ている主体とは、厳然と区別されるが、触れるものとそれに触れる自分とは、一体になる。人間は、そうして人々や大地と生きてきた。

 筍掘りの後は、心の触れ合う宴会である。飾らない言葉が飛び交う。

 掘った筍は、昔ながらの釜で、割り木を燃やして、湯を吹きこぼして煮る。吹きこぼれた後の澄み切った湯は、鎧を解いた筍の純情を示す。

  筍の 香りたしかに 雀かな

 

2009年  5月2日   崎谷英文


思いつき

 以前、姫路の駅前に、「思いつき」と言う名の喫茶店があった。今では少なくなった、テーブル席の並んだ昔風のかなり大きな喫茶店だった。高校時代からの悪友たちとの待ち合わせ場所として、何度か利用していた。

 思いつきとは洒落た名である。客が思いついて、ぶらっと店に立ち寄るようにと言う願いから、その名をつけたのか、単に、経営者が思いつきで喫茶店をやろうとしてその名をつけたのか。

 考えてみれば、思いつきという言葉は、人の生き様を表している。人が考える葦だと言ったのはパスカルだが、考えると言うことは、何かを思いつくということのような気がする。何も思いつかずに考え続けることは難しそうだ。つまり、何かを考えると言うことは、何かを思いついて、さらに考えていくと言うようなものではなかろうか。

 日常においても、何かを思いついて、すぐさま実行に移す場合もあろうし、慎重に、さらに考えていくと言う場合もあろう。いずれにせよ、何かを思いつくということが、自己決定、自由の根底にはありそうだ。人間が、考えて思いつくと言うことは、何も先の先まで思いつくと言うのではなく、ある所まで思いつき、そしてまた、そこから考えてその先を思いつくと言うことの繰り返しをやっていることのような気がする。

 古今東西、哲学などと言うものは、思いつきの最たるもののようだ。昔、誰だったか忘れたが、ある哲学者が、その弟子に向かって、「君、何かもっといい考え方はないかね。」と聞いたそうだ。その哲学者も、立派な哲学を打ち立てているのだが、それでも、まだ、もっといい考え方はないのか、と言う思いつきを求めている。万物は火でできているとか、水でできているとか、古代の哲学者は唱えたが、思いつきだ。万物は流転するとか、万物はアトム(原子)でできているとか言った哲学者たちもいる。やはり、思いつきであろう。その思いついたことに、理屈を付け、装飾を施したのが哲学かも知れない。近代、現代の哲学も、似たようなものだ。その思いつきは、当たっているときもあれば、外れているときもある。

 科学の世界でも、思いつきが重要なようだ。思いついて理論付けしたものが、もっともらしければ注目される。上手くいけば、将来の実験的証明という裏づけを得て、その思いつきがさらに評価される。それでも、やはり、その思いつきにも、当たり外れがある。

 思いつきには、良い意味と悪い意味がある。工夫とか、着想とか、発想とかは良い意味だろうが、いいかげんな考え、気まぐれ、となると、悪い意味になる。やはり、思いつきには、当たり外れがある。

 思いついたことには、思い入れが生じ、思い込む。思いついたことに有頂天になり、思い入れを感じ、思い込む。他人の思いつきでも、ただ、その目新しさから、思い入れをし、思い込むこともある。世の中の流行などと言うものは、思いつきに飛びつく人々を利用していることなのだろう。しかし、思いつきには当たり外れがある。世の中の流行の流行り廃りは目まぐるしい。

 また、思いつきを書いてしまった。

  白き蝶 舞い見ておれば 花一片

 

2009年   4月21日   崎谷英文


小次郎ものがたり5

 三千年も生きて、空高く地球を見下ろしていると、人間の行状の変化、地球の変化がよく分かる。この間、日本海の空高く昼寝をしていると、北朝鮮の方から、ミサイルだか人工衛星だかが飛んできてびっくりした。人間の武器も、もともとは、やむを得ず、他の動物たちを獲得するものだったのだが、今では、その武器は、同じ人間に向けられている。

 その武器の威力で威嚇しあっている。

 わしが、生まれた頃、日本の人々の寿命は、とても短かった。四十才、五十才まで生きていく人たちもいたが、何よりも、生まれて直ぐ、幼児のうちに、十代のうちに死んでいく人々が多かった。

 昔は、人が死ぬということは、他の動物たちが死ぬことと感覚的に変わりはない。死というものが何時訪れるか分からないことは人間も他の動物も同じで、その命の去ってゆく時を知ることはできず、ただ、今生きている生命を生きてゆくしかなかった。

 もちろん、人は、家族、特に子供の死には、深く悲しみ、自分のことのように嘆く。しかし、それは、また、他の動物たちにとっても同じことで、子供を生み、育てることが動物たち、人間たちの本能的に与えられた使命であることは同じである。

 生きていくことに懸命であり、動物も人間も、同じ地球の上で生きていく同じ命であった。お互いに他を尊重しながら、やむを得ない生命の削り合いをしてきた。人々は、植物を含む、ありとあらゆるものからの恩恵を受けていることを知っていた。

 人間は、意識的に、自分の生の以前のことを見つめ、死の以後のことを見つめる。他の動物たちには、そのような意識としての生前、死後への観念はない。しかし、彼らもまた、本能的に、生前の世界から死後にかけての、今の世界を生きているのには違いはない。生前から受け継いだものを、この今を生きる糧とし術としている。そして、また、その受け継いだ糧と術と、また新しく得た力とを、死後に伝えようとしている。

 人間は、意識というものを持って、そこには他の動物たちも持つかも知れない無意識というものも含めて、複雑な人間関係、複雑な人間社会というものを作り上げてきた。パンドラの箱を開けたように、人間は、欲望と策謀と怨恨のうごめく世の中を作り上げていく。人間たちは、科学文明を発達させ、豊かで、便利な世界を作ってきたと思っている。

 しかし、本当に豊かになったのか。本当に便利になってよかったのか。長寿になったことは、喜ぶべきことであろう。世界中を気楽に行き交うことができるのは、素晴らしいことであろう。何時でも、何処でも、いろいろな情報交換ができるのは楽しいことだろう。しかし、そうなった時、人は、人が昔から、この土の感触のする大地と共に生きてきたということを、潮風のにおう大海原と共に生きてきたということを忘れかける。コンクリートの上で、地球と離れて暮らす。あらゆることが、人間の力で何とかなるという幻想に陥る。この大不況下の中でも、まだ、人々は、発展を夢見る。

 英太の家の裏に、キジが飛んできている。鳴き声が透きとおる。昔、英太は、誤ってキジの親子を殺したことがある。英太は、それを苦しんできていたのだが、その苦悩を癒すように、キジの子の兄弟がやってきた。

 実は、わしが、そのキジの親子を生き返らせていたのだが。

  ジャガイモの 芽はようやくに 出でにけり

 

2009年  4月10日  崎谷英文


シンベー日記 13

 今日は、変な天気だ。午前中に、ザアーとにわか雨が降った。降り続きそうな気配だったのに、いつの間にか、青空に変わってしまう。雲の様子は、通り雨のような感じではなかったのだが、通り雨だったらしい。猫のグレが教えてくれた天気予報も半分だけ当たった。人間の科学はものすごく発達しているらしいが、天気予報に関してはまだまだのようだ。

 桜の花がちらほら咲き始めているのに、最近は、少し冷え込む。人は、それを、花冷えというそうだ。この地方の特産の筍も、いつもより早く出始めたらしいが、この冷え込みで、やはり、いつもの時季にいつものように出てくるのだろうか。ここでも、人の知恵をあざ笑うような、人知を超えた自然の大きさを感じる。

 自然の偉大さは、自然と接していなければわからない。僕たち犬も、昔は、山の中にいた。その頃には、自然の中で、自然の豊かさと脅威を肌で感じ取りながら生きていた。しかし、今では、その犬たちは、人間と共存することにより生きていくことになった。僕などは、時々、野性の血が騒ぐことがあるが、たいていの犬はもはや人間たちの同僚、いや、自分を人間と思っているのも多い

 乾物屋のハナ婆さんも言っていた。人間も、本当は自然の恵みの中でこそ生きていくことができたのだが、今は、それを忘れている。自然の恵みをいただき、それを自然に返していく。そして、その返されたものから、また、自然の恵みが生まれる。地球上にあるものが増えるわけがない。あらゆるものは、循環して世の中は成り立っている。人々の生活の営みも、本来、そういったものだ。今も、その本質は少しも変わっていない。

 しかし、人間たちは、今傲慢になっている。自然を支配、操作できるかのような錯覚に陥っている。人工的に植えていった杉の木やひのきの為に、花粉症に悩まされている人が増えているらしい。自然に敬意を払わずに、好き勝手にやろうとしたことが花粉症の原因なのだ。人の力で、自然に変化を与える時は、きちんと成り行きを見届けなければならない。自然は、豊かな実りをもたらしてくれるのだが、時に、わがままな仕打ちに対しては、反乱を起こし、人間を懲らしめる。

 僕も、アスファルトの上を歩くのは苦手だ。土の上が良い。土の香りと草のにおいを嗅ぎながら歩くのが好きだ。土の中にも、草の中にも、人間にはわからないだろうが、様々ないのちが潜んでいる。そんな小さないのちを確かめながら歩いていたいのだ。あらゆるいのちが、すべてに関わっているのだが、人間たちは解かっていないようだ。

 先日、主人が、僕の北側の畑に、なにやら野菜の苗を植えていた。これから、野菜たちは、太陽の恵みを受け、大きく育つ。その野菜たちも、土の中の小さないのちや昆虫たちと共存している。わが身を削りながら、小さないのちたちからも恵みを受けるのである。

  春雨や いのちの萌える 肌寒し(シンベー)

 

2009年   4月1日   崎谷英文


逆説(パラドックス)

 今の不況下において、よく言われる言葉がある。「ピンチはチャンスだ。」こういうのは、逆説的表現であろう。なぜなら、ピンチでない時はチャンスでないのかと言えば、そんなことはないだろうからである。ピンチでなければ、なおさらチャンスはあると思う。順調な時にチャンスのあることのほうが、常識的であろう。ただ、しかし、ピンチの時の方が、新しい発想が生まれやすいという心理的、動機的な面を捉えてはいる。

 昔、ゼノンというギリシャの哲学者は、アキレスと亀というパラドックスを唱えた。また、動いている矢は、実は止まっているという説も唱えている。動いている矢を見ると、矢は、その瞬間、瞬間には、その場に留まっている。瞬間を小さく区切っていくと、正に、その矢は、その時、その場に止まっている。無限に小さく時間を区切っていく時、その動いていると思われる矢は、その時、その時において止まっているにしかないと言う。現代においては、写真を見れば、やはり、その矢は止まっている。上から吊るした矢なのか、動いている矢なのかは、その写真を見ただけでは、解からないだろう。

 世の中などというものは、すべて裏と表から見ることができる。憎んでいるということが、愛していることの裏返しであることはよくある。児童の虐待をする親が、その子を愛していないとも言えない。

 何かを信じる時、その何かを信じることはいいのだが、その裏には信じられないものがあるから、その何かを信じることになっているのではなかろうか。つまり、信じることの前提には、不信がある。不信があるから信じるのである。多分、不信のないところには、信じるということも生まれない。つまり、何かを信じるということは、何かを信じないということになる。

 もっともらしい言葉には、もっともらしい逆説がある。「急がば回れ」とも言えば、「善は急げ」とも言う。「渡る世間に鬼はなし」とも言えば、「人を見たら泥棒と思え」とも言う。熱を発する時、どこかで熱が奪い取られている。悪がなければ、善もなかろう。すべてが善であるならば、善はなくなる。

 美しい女性の顔をじっとよく見ていると、なんとも気持ち悪くなることはなかろうか。その美しい女性の顔の、たとえば、鼻とその鼻孔をじっと見ていたら、それはただの醜怪な塊の中の穴でしかない。

 心の苦しみというものは、心の喜びの裏返しなのであろう。心が苦しむのは、楽しみがあるからである。楽しみも、喜びもなければ、苦しみも、悲しみもない。だいたいが、偉そうに言う輩は、本当は偉くないからであり、かっこよくしている者たちは、実はかっこよくない。豊かな人間は貧しく見え、貧しい人間は豊かに見える。有限は無限であり、無限は有限である。一即多であり、多即一である。

 何が言いたいのか解かりにくいだろうが、自分でも解かっていないのだから、そう簡単に解かられても困る。世の中、解からないことばかりなのに、やたらと解かってしまっては、問題なのだ。

  菜の花や 雨に打たれて うすけむり

 

2009年  3月22日   崎谷英文


希薄な関係

 先日、京都へ行った帰りに、大阪でM君と飲んだ。M君は、高校時代からの友人で、東京での大学時代も、大都会で一緒に飲み遊んだ仲である。この年になれば、健康についての話も多くなるが、家族のこと、共通の友について、自分たちの仕事の話、経済の動向はどうなのか、政治の愚かさなど、様々なことに関して、いつものように熱く語り合う。つまり、人生について語る濃密な時間を過ごしたのだと言える。多分、二人ともふらふらになって帰った。

 今の若者たちは、濃密な人間関係を持っているのだろうか。本音で語り合うことのできる人間関係が作られているのだろうか。

 世の中のしがらみを越えて、本当の命がけの恋をしているのだろうか。安易にくっつき、安易に離れ、結局は、常識的な落ち着き先を求めて奔走する。ゲーム感覚の人生になっていないだろうか。

 マルクスは、大衆は団結すると言った。サルトルは、連帯が必要だと言った。しかし、今の世の中は、あらゆる人々が個になっている。孤独な個人の集まりになっている。金子みすずの言うように、小鳥は飛べるが、人間は飛べない、人間は地面を速く走れるが、小鳥は速く走れない、みんなちがってみんないい、のだけれど、その小鳥と人間との間に熱い関係を感じとっていなければならないのだと思う。個性の尊重は、違いの尊重でもある。だが、そのちがうもの同士も強烈に意識し合い、接点を持ち続けなければならないのだと思う。

 インターネットや携帯電話が普及し、顔も見せずに、声も聞こえずに、自筆でもない文字で会話をし、記号が感情を表す。至る所に、監視カメラが設置され、優しい懐かしい声は振り込め詐欺を警戒させる。

 疑心暗鬼の中で、孤独は増長する。科学の力は、世界を狭くしていったが、人間関係は希薄になっていく。経済は、グローバル化していったが、誰の作ったものか分からないものを着て、誰がどのようにして作り、どのようにして運ばれてきたのか分からないものを食べている。住む世界は広くなっているのに、個人の大きさは変わらない。

 人と人との関係が希薄になっている。人と物との関係が希薄になっている。アメリカンコーヒーは何倍でも飲めるが、コーヒーの強烈な刺激は感じない。あらゆることが、身近でありながら、遠い世界の他人事になる。多すぎて処理できない情報の中で、人々は、ますます、不安になる。確かなものを求めて、たやすく大きな声に同調する。

 生きることに必死であれば、人が一人では生きていけないのであれば、人間関係も必死に作り上げなければならない。薄っぺらな、取り繕った、希薄な関係ではない、濃密な人間関係がどこかになければ、寂しかろう。

  うぐいすの 朝茶をとめる 初音かな

 

2009年  3月12日  崎谷英文


シンベー日記 12

 昼前、主人と散歩していたら、タヌキのコロ助に会った。昨夜からの雨で、そろそろ止みそうかなという暖かな春雨が降っていた。線路の南の田んぼの間の道を、西に向かって歩いていると、30メートル程前の方から、コロ助がその道をこちらに向かって歩いてきている。僕たち犬と同じように、道の脇の草の生えているところを、漁るように、ゆっくり歩いてくる。

 初め、そのコロ助は、僕たちに気が付かなかったのか、それとも知り合いの僕だけに気が付いていたのか、逃げようともしない。少し近づいたところで、こちらを見たので、一目散に逃げ出すかと思ったのだが、あまり警戒していないかのように、暫く、鼻をくんくんさせて、道端の草叢に気を取られたままだった。僕の主人は、動物たちに怖がられていないのか、なめられているのか。

 それでも、もう少し近づくと、さすがに危険を感じたらしく、春雨で水のたまった田んぼを横切って南の方へ、そこには、休耕田の背の高い草の生えた林があるのだが、そちらに隠れるように、それでも、それほど慌てた様子もなく、入っていった。

 僕は、コロ助と夜中に二、三回会っている。まだ若いが一人前だ。しかし、山や林の中よりも、田や畑の方が餌が豊富なことを知ってしまったので、時々、僕の前にも餌を探しがてらやってくる。僕の食べ残しを欲しそうにするのだが、さすがに、僕も、コロ助にはやらないでいた。

 主人は、こんな田んぼの中で、タヌキに会ったことはないようで、少し驚いていた。コロ助は、僕が合図をしたのが解かっただろうか。僕は、コロ助に、夜にまたおいで、と言ったのだが、また、来てくれるだろうか。

 野良猫のグレが言っていたが、人間たちは、怨みも深く、欲も深く、イスラエルとパレスチナは、今も戦争をしているし、お金は作ればいいのだと紙幣をどんどん印刷したジンバブエは、インフレ率が数億倍にもなっているらしい。日本では、二枚舌、三枚舌、四枚舌の政治家たちがいるそうだ。

 乾物屋のハナ婆さんが言っていた。地獄では、鍋料理を囲んで、食べ物を奪いあって血みどろの争いをしている。極楽では、鍋を囲んでも、みんな、隣の人に食べ物を取ってあげて、みんなニコニコしている。人間たちは、かわいそうだ。僕は、今度コロ助が来たら、食べ物を分けてやろう。

 ある朝、主人が新聞を取りに来る前に、目が覚めた。何か良い香りがする。この匂いは梅の花だ。そう言えば、散歩の帰りに、家の前に梅ノ木があった。何時咲くのかなと思っていたのだが、花を開き始めたらしい。桜の花の華やかさも良いが、梅の花の奥ゆかしさも良い。ごつごつとした幹に、可憐な花がぽつりぽつりと咲いていく。早く散歩したい。

  梅の香や 目を閉じて見る 花一輪 (シンべー)

 

2009年  3月1日  崎谷英文


田中君への手紙 9

 久しぶりに手紙を書きます。先日は、Y君がおじいさんになった祝いで、楽しい酒を飲んだことでしょう。

 こんなことを、読んだことがあります。動物の中で、人間だけが、子孫を残す能力をなくした後も、長生きをするというのです。おじいさん、おばあさんになっても、いろいろなことを、子や孫に伝えていくことが、人間には、大切なことなのでしょう。人間は、他の動物と違い、生まれて直ぐに立ち上がることはできません。人間の赤ちゃんは、一年以上、抱きかかえられて育てられるのです。昔から、祖父、祖母の役割の大きかったのが、人間なのです。

 三世代がいっしょに住むということが、少なくなっている現状ですが、Y君は、きっと、おじいちゃんとして、可愛がるだけでなく、たくさん大切なことを孫に伝えるのでしょう。

 そのときの電話で、貴君は、最近私の言っていることが暗い、もっと明るさが欲しいと言っていましたが、確かに、そうかも知れません。その時、私は、私自身、世の中に絶望しているからだ、と言ったと思います。しかし、絶望というのは、大いなる希望に繋がるのです。こういう言い方は、アイロニカル(皮肉な、反語的な)、もっと言えば、ニヒルな(虚無的な)言い訳に過ぎないと聞こえるでしょう。しかし、実際、私は、絶望しています。しかし、まだ、希望もあるのです。

 今、世界中で、格差が広がっています。紛争地域、新興国ばかりではなく、アメリカや日本のような先進国においても、生きることに苦しむ人々、生活に苦しむ人々が増えてきています。物質的、身体的な困難だけでなく、精神の奥深くまで、荒廃がすすんでいるような気がします。

 しかし、その世界中の子供たちを見て下さい。その笑顔は、実に素晴らしい。外から見れば、絶望的な状況にあっても、子供たちは、純粋にいのちを輝かし、屈託のない笑顔を見せてくれるのです。命の危険にさらされながらも、生きることが精一杯でも、子供たちは、尽きることのない希望を胸に抱いているのです。もしかすると、むしろ、日本のような国の子供たちにこそ、心の荒廃が進んでいるのではないでしょうか。

 そんな子供たちを、しっかりと守り育てていくのが、大人たちの社会の役割なのだと思います。しかし、今の大人たちの社会は、子供たちの輝きの目を受け止める顔を持っているのでしょうか。顔を見せなくても、子供たちが信頼の目を向ける背中を持っているのでしょうか。政治家たちは、地位と名誉と権力にしがみつくばかりであり、経済人たちは、自分自身の利益を追い求め守ろうとするばかりです。

 魯迅(中国の作家)は、「故郷」の中で、こう述べています。

「思うに希望は、もともとあるものともいえないし、ないものともいえない。それは、地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」

 庭に水仙がひとかたまり、いつのまにか咲いていました。畑に植えたブロッコリーとキャベツの苗が、その葉を鳥に食べられたのでしょうか。茎だけを残す、無惨な姿です。しかし、まだ再生の希望はあります。暫く、様子を見ることにします。

 また、何処かで会って、飲みましょう。希望を持って。

 奥様、夕子さん、朝子さん、パピーによろしく。

 また、連絡ください。

  山陰に 霧立ち上る 春の朝

 

2009年 2月23日  崎谷英文


存在被拘束性

 私は、イギリス人ではない、中国人でもない、ケニア人でもない、ブラジル人でもない。私は、日本人として生を受けている。このことを、今流行りの言葉で言えば、私の中には、日本人としてのDNAがあるということになるだろうか。さらに言えば、私は、田舎に生まれ育ち、東京で生活し、また、田舎に戻っている。私は、その時、その時において、その場の環境の影響を、常に受けて生きてきている。

 現代においては、世界の通信、情報、交通網が発達し、世界を飛び回り、世界と絡み合いながら生きている人も多い。しかし、それでも、やはり、その人の意識、また知識というものは、その人の生まれ育った場所、今生きている場所にいることによる拘束を受けている。

 人が、自由であると言うとき、自分自身の自由な感覚、発想、思索において、選択判断をしていると思い込むのであろうが、実は、それ程の自由ではない。天使のような自由でもなく、菩薩のような自由でもない。生まれ付いてからの、地理的、空間的、家族的制約を常に持った自由でしかあり得ない。

 私は、縄文人ではなく、弥生人でもなく、武士でもなく、明治の人でもない。古代の狩猟に生きる者でもなく、手仕事の農耕に生きる者でもなく、刀を差しているのでもなく、文明開化に目を見張らせるのでもない。人は、地理的に拘束されているが、また、時代にも拘束されている。

 今、現代に生きているからこそ、今の自分が存在している。その人の意識は、常に時代性を帯びている。人は、自由だと言いながら、その意識、心は、その時代の中で培われ形成されたものでしかない。自由と言いながら、実は、ほとんど常に、生まれてからのその時代の影響を受けたものでしかない。

 親や大人に育てられ、その時の社会の中で育てられ、その時の社会状況の中で、人の意識は形作られる。子供は、親から束縛を受けている。子供は、その時代、その場所の束縛を受けている。子供は、常に、親の望むように、社会が望むように育てられる。もちろん、望むように育てられる子供は少ないが、それでも、それも、また、その親や社会の思いの中で育った結果である。

 温故知新と言っても、その故きことに拘束されたものであろう。大人たちは、すべてにおいて、結局は、教育と言いながら、押し付けているのだという側面のあることは、忘れるべきではない。子供たちは、すべてのことにおいて、その時、その所の大人たちの影響を色濃く受けて育つ。

 それが、悪いというのではない。仕方のないことでもある。人というものは、過去からの流れの中で、その時、その所で生きねばならないのであるから、大人たちが、子供たちに、生きる力を与えるためには、大人たちの思いを、子供たちに伝えなければならない。

 しかし、それでも、大人たちは、子供を拘束していることを意識していなければならない。何が良いのかどうかという事は、実は、誰にも分からないのだから。大人たち自身が、時代と場所に拘束されているのだから。自由といっても、いいかげんなのだ。本当に、あらゆる拘束から逃れる自由というものはあり得ない。つまり、人は、常に拘束された存在なのである。このことを、存在被拘束性と言う。押し広げていけば、あらゆる存在には被拘束性がある。

 人は、生まれた時から拘束されている。仏教で言う四苦とは、生老病死である。生まれ出づるときも苦しいが、生まれてからも苦しい。人として生まれるということは、窮屈な存在になるということなのかも知れない。もし、人に魂というものがあるとしたら、人として生まれるということは、その魂の自由なところから、不自由なところへ追い出されるということなのかも知れない。

 こういう言葉を聴いたことがある。自分自身は苦しみながら、周囲の人は喜びながら生まれ、自分自身は喜びながら、周囲の人は悲しみながら死んでいく。

  犬に笑う 春風の道 われ一人

 

2009年  2月16日  崎谷英文


たとえば

 たとえば、ジャガイモを育てる場合には、種イモが必要になる。種子というものもあるのだろうが、一般には、種イモを使う。種類は、有名な男爵やメークイーン、赤っぽい紅丸というのもある。土作りから始まる。秋冬の間に、畑を耕し、肥料を施す。2月の終わり頃、気温が高くなってきたら、種イモを、その大きさにもよるが、二つ三つに切って20〜30cm間隔で植える。土を5〜6cm.かぶせる。放っておくと草茫々になるので、黒いシートを植えたところを空けて敷くのがいいらしい。芽がでてくると芽かきをする。芽かきは、たくさんの芽がでてくるのを、良いものを二本ほど残すように、かわいそうだが他の芽を抜く。上に土寄せを時々する。どんどん大きく育ってくる。見る見るうちにといえば言いすぎかもしれないが、青々ときれいなものだ。六月頃になって、鍬を入れ収穫する。さて今年は上手くできるか、大きいイモが採れるか。去年は、草茫々で、イモも小さかった。

 たとえば、剣道の場合には、勝ってガッツポーズなどをすると失格になる。道は、人の道である。負けた相手に対して敬意を持たなければならない。大相撲で、横綱が優勝を決めた時、ガッツポーズをしたのは、時の勢いか。大相撲も、相撲道ではなくなったのか。考えてみれば、プロスポーツ、オリンピックなど、ほとんどあらゆる競技において、勝った者は大喜びをする。柔道も、昔は、勝って喜々とすることなどなかっただろう。ジュードーになって、道でなくなった。あらゆることで、勝った者は有頂天になる。勝った負けたなどというのは、いつ立場が代わるかも分からない。勝つことは、つかの間の喜びでしかなく、勝った者、負けた者、すべて含めて人の世である。勝ってそんなに威張っていると、下品に見える。近江商人の言葉に、「売り手良し、買い手良し、世間良し」という教訓があるらしい。儲けることが偉いのではない。すべて、たまたまのことだから、謙虚にしていなければならない。

 たとえば、株式会社の場合には、会社が誰のものかと問われる。法律的理屈からいえば、株式会社の所有者は、株主である。その意味では、会社を繁栄させ、株主への配当を大きくしていくことが、経営する者の取るべき道なのだろう。しかし、株主は、従業員を路頭に迷わせるようにリストラをしてまで、株主配当を増やせ、株価を上げろなどとは思わない。(そう思っている者もいるだろうが。)株主は、会社の所有者だからこそ、その会社の従業員のことを考えねばならない。会社が、従業員を困らせるようなことをしていれば、会社の所有者たる株主が、黙っていてはいけない。人は、自分が儲けることだけを考えてはいられない。目の前に苦しむ人がいれば、責任のある者は、己の利益を後にしなければならない。定額給付金などというものが不評なのは、苦しむ人たちを多く見せられている国民にとっては、先ずは、その人たちを助けなければいけないのに、という気持ちなのだ。均一に配当されても、心が痛む。国の所有者は、国民である。

  青き空 眠り覚ませや 四方の山

 

2009年 2月 立春  崎谷英文


シンベー日記 11

 僕の家は、主人のガレージの北側にあり、おまけに、その北側の板壁が割れて、少し隙間ができている。昨夜から今朝にかけて、とても寒かった。いくら寒さに強いと言われる犬の僕だって、さすがに、その北風に凍えそうだった。世の中には、ぬくぬくと室内で暮らす犬たちもいると聞くが、ちょっと、うらやましくなる。

 今朝、起きた時には、蹲(つくばい)に氷柱(つらら)が、太く長く垂れ下がっていた。昨夜からの寒さを、物語る。その蹲の氷柱は、寒さの指標になる。寒さが、穏やかな時は、可愛い氷柱ができる。主人も、氷柱を見て寒さを測っている。僕に、「寒かったろう。」と声をかけるのはいいが、それなら、北の板の隙間を直してくれ。主人も、分かっているはずなのだが、僕が犬だと思って、放って置いたままだ。全く、主人は優しくない。

 今、人間たちの世界では、インフルエンザというものが、流行っていると、猫のグレから聞いた。野良猫らしいグレは、夜は、風の吹き込まないところに避難しているのだろう。昼間になると、のんびりと、日のあたる刈り草にくるまってうとうとしている。さらに、鳥インフルエンザというものが人間にうつれば、大変なことになるらしい。人間たちの医学というものは、すごく進歩しているようだが、まだまだ、自然の脅威におののいている。

 昼前になって、主人が、僕を散歩に連れて行く。冬の川の土手にも、低く青い雑草が生きている。毎朝、霜に降りかかられながら、昼間のわずかな日の光を、懸命に全身で受けて、生命を繋ごうとしている。草の生えていない枯れ草の下の土の中にも、いろいろな雑草の種や根が、静かに息を殺して、暖かい光と雨を待っている。それを思うと、僕も、この冬の寒さに負けてはいられない。

 川の土手からそれて歩いていくと、電柱に珍しくトンビの小次郎さんがとまっていた。小次郎さんは世界中を飛び回っていて、時々、いろいろなことを教えてくれる。僕と主人が近づいていくと、ピーヒョロロと、一鳴きして飛んでいった。

 猫のグレからも聞いていたが、アメリカでは、黒人のオバマ大統領の誕生で大騒ぎだという。アメリカだけではなく、世界中で大騒ぎだと、散髪屋さんのテレビを見たグレは、まるで、自分の手柄のように偉そうに僕に話した。だけど、人気と期待だけでは、一時の夢のようなもので、将来、世の中が良くなるかどうかはこれからだ。しかし、オバマ大統領は、なかなかいい演説をしていたらしい。

There’s not a black America and white America and Latino America and Asian America; there’s the United States of America.

 黒人のアメリカはない、白人のアメリカもない、ラテン人のアメリカもない、アジア人のアメリカもない、あるのは、ただ、アメリカ合衆国だ。

 この考え方を、世界に及ぼすことができれば、今ある戦争もなくなり、生活に苦しむ人たちも救われるのかも知れない。

  すきま風 凍える身にも 熱き夢(シンベー)

 

2009年  1月27日   崎谷英文


無意味な人生

 人生が無意味だとしたら、今起こっているすべてのことは、無意味であり、評価すべきものではない。そうすると、あらゆることが許される。何が起ころうと、知ったことではない。

 しかし、私には、許せないことが多い。つまり、私は、人生を無意味だと思いきっていないか、無意味だと思っていても、怒らなければならない理屈があるのだろう。

 人生が無意味だとしたら、苦しみも悲しみも、無意味だ。人生が、無意味だとしたら、苦しむ必要も、悲しむ必要もない。もし、あなたが、苦しんだり、悲しんだりしているならば、あなたは、人生の無意味さを実感していないことになる。

 人生が無意味だとしたら、喜びも楽しみも無意味だ。だから、喜べなくとも、楽しめなくとも、気にしなくていい。他人を羨むこともなければ、他人を妬むこともない。喜ばなければ、楽しまなければと思うから、苦しくなり、悲しくなる。

 あらゆる喜びも楽しみも、実は、大したことではない。子供の遊びほどのものだ。たまたま、喜ぶことができれば、大いに喜べばいい。たまたま、楽しめれば、大いに楽しめばいい。しかし、所詮、大したことではない。

 と同じように、苦しいときは、顔を歪めて苦しんだっていい。悲しいときは、涙を流して泣いたっていい。どうせ、大したことではないのだから。

 つまり、人は、本来何もないのだ。何もないから、失くすものもない。何かを得たと思ったとしても、得たものは無意味なのだから、実は、得るものもない。何があっても、どうってことはない。

 しかし、人生は、単純に無意味なのではなさそうだ。私のような年になると、人生が無意味であったとしても、どうってことはない。むしろ、覚悟ができ、何事も恐れるものがなくなる。絶望ではなく、諦観に至る。

 しかし、若者にとっては、人生が有意味でなければ、生きづらい。若者は、喜びを求め、楽しみを求めて生きていかなければ、張り合いはなかろう。しかし、そうすれば、間違いなく、苦しまなければならない時があり、悲しくなる時もでてくる。そんな時、苦しむことを楽しむようにできればいい。

 苦しむことを楽しむことなどできるのか。苦しむことを楽しむことは難しい。しかし、人生を苦しんだって、楽しんだって、どうせ大したことはないのだから、どうせなら、楽しめばいいのだ。苦しいことを、楽しんでやっていく。慣れてくれば、苦しいことも、楽しくできるようになる。

 人生が無意味だと知ることが、必ずしも、世の中の絶望に繋がるのではない。人生が無意味だと知れば、逆に、心穏やかに生きることもできる。執着することがなくなる。怖いものがなくなる。失うものがなくなる。

  冴え冴えと 月の光るや とんど焼き

 

2009年  1月18日  崎谷英文


小次郎ものがたり4

 わしは、三千年生きているトンビである。三千年も生きていると、いろいろなことに出くわす。人間のやってきたことが、人間社会の進歩になっているのか、ますます悪くしているのか、訳がわからん。

 二千年程前には、地球の人口は、一億人ぐらいだっただろうか。それが、今では、六十五億人ほどになっている。特に、この百年で、四倍以上になっている。すさまじいものだ。

 人間は、その間、森を伐採し、海を埋め立て、草原を砂漠にしてきた。ヨーロッパも、昔は、森の緑が覆い尽くす自然の宝庫、生物の楽園だった。人間が生きていくためには、土地を切り開かなければならなかったのは解かるが、人間は、少しやりすぎたようだ。

 人間は、さらに、地球上の横暴者になっている。我が物顔に、地球を支配し、世界をコントロールしようとしている。人間は、人間自身が、ただ、地球上の生物の一種であることを忘れかけている。太陽の恵みによって、植物や他の生物たちが懸命に生きているそのおこぼれで、人間たちも生きていることを忘れている。昔、馬鹿な王様が、欲に駆られて神に、自分の触れるすべての物を金に変えてもらったが、もちろん、生きていける訳がない。

 人間同士の争いも、昔から絶えない。それも当たり前だ。持てる者たちが、持たざる者たちを、上手に利用することばかり考え、暴力と手練手管で、篭絡させている。四百年ほど前、ヨーロッパの人間たちが、アジア、アフリカ、アメリカに進出し、どんどん土地を奪い、森を切り、その土地の人たちを鞭打って働かせていたのを思い出す。持たざる者たちが、その仕組みに気が付けば、反乱が起こるのも必然だろう。

 今の人間たちの間で起こっている戦争も、本をただせば、嘘をついて騙してきた者たちへの、騙された者たちの反抗なのだ。わしは思い出す。ヨーロッパで大きな戦争があった時、イギリスは、ユダヤの人たちとパレスチナの人たちに、つじつまの合わないことを約束していた。(1917年 バルフォア宣言、1915年 フセイン=マクマホン協定)その報いが、今も続いている。イラクの国内の紛争が収まらないのも、元々はアメリカの大統領が誤った判断をしたからなのだ。そのために、多くの人が死に、今も多くの人が苦しんでいる。誰も、その元々のことには責任を取っていない。責任がうやむやなままに、周囲の国々も、大国には、面と向かって箴言できない。困ったものだ。

 この播磨の小さな村の、冬は結構寒い。年を取ると寒さが堪える。空高く飛んでいると、北風が冷たい。英太は、年が明けても、ごろごろしている。それでも、田んぼを面倒くさそうに、一回、荒く鋤いていた。畑は、今のうちに、適当に耕しておけばいいのだが、怠け者の英太は、ぐずぐずしている。寝る時は、湯たんぽを抱えているようだ。わしも、今夜は、木の陰で眠ろう。

  寒風の 中や猫の子 うずくまり

 

2009年  1月8日   崎谷英文


仙人の戯言

 自由は実は、苦しいのである。
自分自身で判断し、自分自身で責任を持つ
これは実に大変なことである。
勉強するのは、この考えること、判断すること
責任をもつことの前提としてある。