デイスクールてらこった
デイスクールてらこった デイスクールてらこった
Terracottaとは
活動内容
塾 てらこった
組織概要
アクセス
リンク集

 

 

仙人の戯言 2014年

* 2018 * 2017 * 2016 * 2015 * 2014 * 2013 * 2012
* 2011 * 2010 * 2009 * 2008 * 2007 * 2006-2005 *

冬の夜空

 冬の夜空を冬銀河などと言う。夜遅く仕事を終えて戸を開けると、冬の冷え澄みきった夜空には、満天の星が煌めく。

 南の空にオリオン座の三ツ星を見つける。今日も新聞に載っていたが、100万年以内には、超新星爆発を起こし、消え去るであろうとされる赤っぽいベテルギウスが左肩にあり、対角線の端の右下に青っぽいリゲルが見える。ギリシャ神話によると、美しき逞しい狩人のオリオンが神に恋をして、神は怒ってサソリを使ってオリオンを殺してしまう。そのオリオンが天に昇ってオリオン座になったと言う。

 137億年前頃に宇宙がビックバンにより誕生したと言われるが、宇宙は人知の及ぶべくもなく広大であり、無限に広がると言っていいだろう。。宇宙の果ては知らない。宇宙は、悠久の時間を持ち、過去から未来まで、果て知らぬ時を過ぎる。そんな宇宙の中の小さな銀河の中の、そのまた小さな地球の上にいのちは芽生え、人々もそこに生きている。

 ギリシャの栄えた時代、かのアリストテレスさえ、大地の動いていることを知らなかった。地球を中心として、月と太陽と五つの惑星が、それぞれの軌道を持つ同心円状の天球があり、そのいちばん外側に星々の天球があると考えた。その当時、アリスタルコスと言う学者が、地動説を唱えたが、人々に受け入れられなかった。

 ローマ時代になり、プトレマイオスがアリストテレスの天動説に沿った体系を確立し、天動説は揺るぎないものとして、定説となった。

 釈迦も、キリストも、ムハンマド(モハメッド)も今知れているような宇宙の実像は知らなかったであろう。

 仏教においての宇宙観は、須弥山に象徴される。搭のように立つ須弥山の一番下に風輪の層があり、その上に水輪、その上に金輪があり、そこを地上としてこの世の生き物たちが生きている。その周囲を月や太陽が廻っている。その上には、凡人の行き着くことのできない仏たちの住む山が聳えている。

 キリスト教においては、よく知られているように、地球中心説は根強く、コペルニクスが16世紀に地動説を唱えたのだが、ルターなどのプロテスタントからも、聖書に反すると斥けられた。ガリレオ・ガリレイが、宗教裁判にかけられながらも、それでも地球は回っている、と言ったという逸話は有名である。

 その後、18世紀になって、ケプラー、ニュートンなどの精密な観測により地動説が確固たるものとなっていく。

 時は移り、科学技術が発達し、文明が人の世を大きく変えていく。人々の生活は、豊かに便利に快適になっていく。しかし、人の営みは変わってきたのだろうか。いくら、楽しいことが増え、暖かく過ごし、贅沢な生活をし、美味しいものを食べるようになったとは言え、人が生きていくということに、どれほどの変化があると言えるだろうか。

 この世に生まれ、育ち、恋をして、子を得て、やがて老い、遂には死んでいく。この人の生に、ギリシャと今の時代とで、変わりはない。結局は、幻のような人生であることは違いなく、人はただ、無常に目を背けて生きていく。

 宇宙を知ったかのように錯覚し、その為に神は死に、仏は去っていったのかも知れない。宇宙が神の創造ではなく、仏の住処でもないとしたら、人は宇宙の中心にいないと知りながら、人こそ主人公と勘違いする。

 昔、人は謙虚であった。目に見えない何ものかに生かされていると思い、天と大地に祈りを捧げて生きてきたのではないか。しかし、今、人は尊大になり、人間の力を過信し、何処までも欲望を追求するようになっている。夢幻の栄華は、空しく潰えよう。

 広大な宇宙の、無限の宇宙の中の、塵芥のような、瞬きする内の存在でしかない人であることを自覚すればこそ、かけがえのないいのちを生きることができるのではないか。

 冬の夜空を眺めながら、今夜は歩いて帰ることにする。

  濡れ落ち葉 重なり合いて いのち湧く

2014年   12月28日    崎谷英文


隙間風

 北風が冷たく寒い日が続く。何年か前には、地球温暖化だ、と言って、暖冬だ、スキー場に雪が降らない、などと騒いでいたように思うのだが、今年の冬は、もう12月に寒波が襲ってきたようで、地球の温暖化などというのは嘘ではないかと思われるぐらいに、日本海側に大雪を降らせ、太市にも寒風が吹きすさぶ。

 この寒波も、偉い人のご託宣によれば、地球温暖化のせいではないかということになる。地球温暖化のひずみの現われであり、地球全体としては温暖化していて、暖かな大気に北に押し上げられた冷たい大気が、暖かな空気の隙間を狙ったように、今、日本に押し寄せてきているのだと言う。

 この寒波が、文明の副作用としての地球温暖化のせいなのか、はたまた、悠久たる地球の自然の気まぐれな戯れなのかは、馬鹿な英太には、知る由もない。何時も何処かで、隙間風は吹きすさぶ。

 昔医院だったその診察室を阿漕な夜の仕事の学習塾の教室にして、塾てらこったを構えてから二十年になろうか。英太も齢六十を越え、短期記憶の衰えを感じながら、古い思い出が様々蘇ってくる。

 馬鹿馬鹿しく、傷だらけの人生だったような気がする。太市で生まれ、十八年育ち、東京に行って二十数年、負け犬のようにして戻って来てから二十年、生活として苦しいと思ったことはほとんどなかったが、阿呆らしく、恥多く、罪深い人生だった。

 子供たちとの勉強が終わり、子供たちを帰した後、今は英太の書斎のようになっている居間に戻る。

 子供の頃、そこは台所の土間だった。真ん中には井戸があり、おくどさんと言った竈(かまど)が、三つ程も並んでいただろうか。上水道はなく、もちろん下水道もない。薪で火をつけて釜で御飯を炊き、薪で五右衛門風呂を沸かしていた。何時、上水道が来て、プロパンガスの生活になったかは忘れてしまった。年末の丁度今頃だったろう、何度か餅つきをしたのも、この場所だった。

 台所の西の間に居間があり、掘り炬燵があり、子供の頃は、よく中に潜り込んで遊んでいた。祖父がいて、祖母がいて、父と母と兄と姉がいて、そして、牛がいて、山羊がいて、鶏がいて、いつも犬が二匹いた。

 田んぼの世話をしてくれていた藤井さんと言うおじさんがいた。播磨新宮の奥の西栗栖という山間に住み、戦争帰りで、結構な軍人恩給を貰っていたとも聞いたが、英太の友達だった。英太が帰って来てしばらくたった時、藤井さんが病気で入院していると聞いて、見舞いに行った。藤井さんは起き上がることもできなかったが、英太を見て泣いてくれた。その数日後に亡くなった。

 その頃の掘り炬燵はなくなり、その後電気炬燵になっていたのだが、今は、それもない。台所であった土間は、床張りの台所兼居間に変わり、古い家に無理矢理くっつけたようになっている。昔の畳の間に繋がり、冷たい隙間風が吹き込んできて、止めようがない。

 子供の頃から、こんなに隙間風が酷かったのだろうか。子供の頃は、こんな冷たい風も当たり前のように、元気に遣り過ごしていたのだろうか。それとも、やはり、この古い家もガタがきて、隙間だらけになってしまっているのだろうか。隙間風は、容赦なく英太の身体を凍らせていく。

 思えば、ろくでもない人生だった。人を傷つけながら、人に助けられてばかりで、いいかげんに生きてきた報いだろう。世間には、一所懸命に生きながら、それでも苦しくて歯を食いしばっている人たちが数多くいる。英太は恵まれていたほうだろう。だからこそ、やはり、ろくでもない人生だった。

 しかし、この世もろくでもない。欲の皮の突っ張った馬鹿と阿呆の人間ばかりで、豊かに贅沢になるにつれ、剥ぎ取られるように素朴なものを失っていく。

 部屋の灯りを消すと闇が訪れる。隙間風は、音を立てるように闇を駆け抜けていく。

  眼を閉じて 凍える日々を 遣り過ごす

2014年   12月20日    崎谷英文


冬の朝

 冬はつとめて(冬は早朝がいい)と清少納言が言っているが、冬の寒い朝は、難儀する。毎朝、トラックに乗って新聞を二紙、ローソンに買いに行くのだが、近頃、めっきり冷え込んで、朝は、0℃以下に下がることが多くなり、外に置いているトラックの、フロントガラス、サイドガラス、バックガラスの全てが、霜に覆われるのだ。

 そこで登場するのが、湯たんぽである。若い頃は、湯たんぽなどなくても、蒲団の中に潜り込めば、直ぐに体が温まっていたと思うのだが、年を取ってくると手足の冷えを感じることも多く、湯たんぽを使っている。前日の夜の10時頃に帰宅した後、石油ストーブの上に水を入れた薬缶を置き、30分ほどもすれば、充分熱湯近くなり、それを慎重に湯たんぽに入れ、蒲団の中に入れておく。

 その湯たんぽの少し温度の低くなった湯を、霜に覆われ凍っているトラックのガラスにぶっかけて、見通しをよくしないと、トラックに乗れない。冬の早朝、畑も原っぱも、真っ白な霜を被り、一面白い朝である。育ちの良くないホウレン草も、ぐったりと萎れたように押し潰されて低く這い、葉を落とした柿の木に一羽の、カラスが止まっている。周囲の山も、文字通り眠っているように白く霞む。

 新聞を買ってきて、朝食を食べていると、予定より早くI君が、今着いたよと訪れた。I君は、埼玉に住んでいる英太の高校時代からの友人で、90才近い母親が、一人で姫路に住んでいて、時々、里帰りをしている。いつも、深夜の高速道路を走って姫路までやってくる。今日は、奥さんと娘さんと、一緒に帰って来たのだが、娘さんは、車の中で眠ったままであった。

 奥さんとI君は、妻の漬けた人参と小かぶの漬物を食べて、埼玉で漬物に挑戦しているとかで、妻が糠床になる糠を渡して、漬物の漬け方に一談義する。人参二本と小かぶ二つを、畑から抜いて、渡す。娘さんは、まだ眠ったままで、若いということは良く眠れるということなのかも知れないと思いながら、I君を見送った。

 朝の9時頃になっていただろうか、その頃には、霜は融けて、ホウレン草も白かったのが、息を吹き返したように、青々と色を取り戻している。山々も、白く眠っていたのが、まだ紅や黄色を残した木々の葉を見せだしている。新聞を買いに出たときには白っぽかった空は、今は、見渡すと、雲一つなく青く拡がり、一筋の飛行機雲が消えていく所だった。

 テレビでは、ストックホルムのノーベル賞の授賞式、晩餐会の模様が映し出されている。華やかな衣装を纏った御婦人たちが、燕尾服の紳士にエスコートされながら、会場に入っていく。日本人の受賞者の奥さまは、艶やかな和服を着ている。見たこともないが、昔のベルサイユ宮殿の大宴会もかくやと思わせるような巨大な会場に、机がずらりと並べられ、豪華な食事ととびっきりの酒が用意される。

 一方、オスロでは、ノーベル平和賞の授賞式があり、マララさん、サティヤルティ氏が演説する。世界では、5700万人の子供たちが教育を受けることができず、小さな時から労働を強いられ、若くして強制的に結婚させられ子供を作らされる子供たちも多くいる。不平等と貧困と戦争が、世界中にあり、まだまだ多くの子供たちを苦しめている。どうして戦車を作ることがた易く、学校を作ることが難しいのか。

 ノーベル平和賞の授賞式、晩餐会の華やかさとマララさんらの語る子供たちの苦しむ世界とが、同時にテレビで放映される。とても、奇妙な光景なのではないか。まさに、そのことが、この世の不条理を象徴している。昔、マザーテレサは、ノーベル賞の晩餐会の食事を、インドに持っていけないかと言ったという。もちろん、マザーテレサは、その晩餐会を欠席している。

 冬の青空、空は繋がっているが、青い空ばかりではない。

  明け烏 枯れ木に寄りて 三度啼く

2014年   12月14日    崎谷英文


健さんと文太

 人は生まれ、そして死ぬ。高倉健が死んだ。菅原文太も死んだ。二人とも、八十歳を超え、平均寿命以上は生きていた。しかし、時代の移り変わり、人の世の無常を感じさせる。英太にとっては、高倉健の網走番外地シリーズ、昭和残侠伝シリーズ、菅原文太の仁義なき戦いシリーズなど、もっぱら、いわゆるヤクザ映画の思い出が深い。

 高校生、大学生のころだったろう。高倉健の映画、菅原文太の映画をよく見た。60年安保から70年安保にかけての学生運動の盛んな頃、経済的には、高度経済成長の時代であったろう。そんな時代に、多くの若者たちは、健さんのかっこよさに惹かれ、文太の命知らずに憧れた。

 ヤクザ映画と言っても、実際のヤクザを描いているのではない。ヤクザという世界を借りて、男の生き方、覚悟、潔さというものを、物語るものであった。現実のヤクザの世界は、無法、暴力、非道の裏社会であるのだろうが、その舞台を借りて、当時のもやもやしたやり切れない社会に、刺激を与えるものであったろう。

 生身の臆病な心を隠そうとして、空威張りをする者たちの世界の中で、大切な人を秘かに思い続け、大事な人を命懸けで守ろうとする純情があり、強い者の横暴を憎み、弱い者いじめを許さない激情があった。健さん、文太の映画を見た者は、一時の勇気を得て、映画を見終わると、肩で風を切って歩いた。

 何も、ヤクザの世界に憧れる訳ではなく、健さん、文太を見ても、誰も、ヤクザになりたいとは思わなかったであろう。ただ、当時の社会の強権的弱肉強食への誘いの中で、管理的教育の中で、知らず知らず、心を抑圧されて生きていた人々に、愛すべきものを愛し、強きを挫き弱きを助ける、という単純な思考を思い出させ、自信と勇気を与えるものであったろう。

 不条理なアウトローの世界にいながら、健さんや文太は、筋を通し、権力者たる親分の理不尽な仕打ちを許さず、弱い者の生き血をすすろうとする者たちを、切って捨てた。

 この世に正義があるのか、などと甘っちょろいことを言う気はないが、今のこの世界、正義を唱えながら、実のところ、自分自身のため、あるいはその仲間のために、巧言令色、言葉を巧みに操って、正義を気取っている輩ばかりではないのか。ややこしく屁理屈をこねくり回し、もっともらしい数字を並べ立て、その場限りの言説を繰り返すばかりだ。

 どうして、もっと、すぱっと、権力と暴力と金銭をひけらかす強者を、バッサリと裁ち切って、か弱い者たちを命懸けで守り助けようとするという単純なことができないのか。

 ヤクザ映画ブームが去り、高倉健と菅原文太は、それぞれの道を行く。高倉健は「君よ憤怒の河をを渉れ」、「幸福の黄色いハンカチ」「あなたへ」など、重厚な、あるいは人情味溢れる映画に、昔のままに、毅然とした寡黙な演技で、人々を魅了した。台詞で語るよりも、その姿勢としぐさで、男の哀歓を表現した。

 菅原文太は、トラック野郎シリーズで、親分肌の人情豊かな人物を好演していく。その後、東北の大震災の後、役者の引退を宣言し、有機農業をやりながら、原発反対、戦争反対、弱者救済の社会的活動を行っていく。

 二人のそれぞれの生き方は異なるが、いずれも、愛すべき人々に生きる力を与えようとしたことに間違いはない。健さんは、切なくやるせなく罪深く苦悩する人を演じながら、人々に、生きる光を照らしだし、文太は、この世の自分勝手な権力者に、社会の在り方を問い、弱者に寄り添おうとした。

 最近、何の宣伝かは忘れたが、物欲バンザイ、というテレビコマーシャルを見た。現代の世は、こんなにも無惨に堕落しているのか、と情けなくなった。健さんも文太も、ヤクザ映画の中で、物欲も金銭欲もなかった。ひたすら、生きる意味を、人と人の繋がりの中で見つけようとするヤクザだった。

 今、菅原文太の最後の主演映画という、「わたしのグランパ」を、たまたまテレビで見ていた。かっこよかった。

  落ち葉敷く 更に舞い散る 落ち葉かな

2014年   12月7日    崎谷英文


ポトラの日記14

 暦の上では冬になっているのだが、今、太市の里は周囲が山紅葉に覆われ、とても綺麗だ。山の色というものは、毎日見ていてその変化が分かるというものではなく、いつの間にか、あゝ、秋が来たのだなあ、という装いを見せる。西日を浴びて、東の山の紅葉が輝き、西の空には、それは見事なピンク色をした二筋の雲が絨毯のように棚引き、南の空に、三日月が浮かぶ。

 相棒は、ようやっと、米の収穫を終え、ほっとしているようだったが、二日も土に触れないでいると、そわそわするようで、何かしら畑に出て弄くっている。二か月ほど前に種を蒔いていた人参が、その種のほとんどをカラスに食べられてしまったのだが、残っていた種から芽が出て、結構大きく育ち、相棒は、引き抜いた人参を齧っている。甘くて美味いらしい。僕は、人参は食べない。

 この間、相棒とテレビを見ていたら、横浜から大分までの三泊四日の豪華クルーズ船の77万円もするツアーの売れ行きが好調だという。その船には、映画館があり、ダンスホールがあり、もちろんプールもあり、ハワイアンフラダンスの公演があり、毎食、高級料理が振る舞われるらしい。贅沢のできる人が増えたのだなあ、と感心して見ていた。

 何か、彼らは、一所懸命に人の為になるような仕事をして、感謝されて、褒美として沢山の金を貰って、豪華な旅行をしているのか、と相棒に聞くと、なあに、彼らは、木の葉を一杯持っていて、その木の葉が、タヌキのお蔭で小判に化けたんだよ、と言う。僕は驚いた。僕は、よく、木の葉の散り敷かれた上で寝ているのだが、それが食べ物や小判に変わったことはない。木の葉が食べられたらなあ、といつも思っているのだが。

 その増えたという、豪華な旅行のできる人というのは、株高で儲けた人たちらしい。超豪華な列車による旅も人気があり、百貨店では、貴金属などの高級品の売れ行きがいいらしい。どうやら、これが、アベノミクス効果というものか。一つも汗水垂らして働かない人たちが、ただ、木の葉を沢山持っていたというだけで、魔法のように小判に変わって、大儲けをしたということだ。

 相棒が、チャンネルを変えた。そこでは、日永図書館で過ごし、買い溜めしたソーメンばかりを食べて暮らしている、独居老人のことを放映している。また、施設で育った若者が、やっとのことで80万円を溜めたのだが、それを盗まれて、それでも、自分を捨てた父親に会いに行く。彼を施設に入れざるを得なかった父親も、今は、身体を壊して生活保護を受けて暮らしている。

 これらが、同じ人間のニュースであることが不可思議で、奇異である。同じような報道番組だ。同じ人間であるだろうに、こんなにも格差のある生活というものが、人間の社会にはある。これらの報道を、ただ、へえ、そうなのか、と人々は見ているのだろうか。どれだけの人間が、この格差のおかしさ、不条理を、切実に感じ取っているだろうか。

 これが、アベノミクスだ、と言うのだろうか。ここからトリクルダウンというものが始まり、その富裕な者たちの食べ残しのようなものが、下々、大衆に移っていくと言うのだろうか。トリクルダウンと言うような、非人間的な社会構造自体が問われなければならない。弱者は、ただ、おこぼれにあずかって生きている奴隷ではない。弱者の持っている木の葉も、いつか小判に変わる、などということも、茶番だろう。

 エコノミストたちの経済予測というものは、天気予報以上に当たらない。エコノミストたちは、木の葉がどのように飛び交っていくかを、ギャンブルのように予測するだけで、木の葉などという実体のないものは、何処に落ちるか分からない。彼らは、小賢しい知識をひけらかしながら、無責任に経済予測をしているだけだろう。決して、予測が外れても、恥ずかしく思ったり、責任を感じたりしない。

 僕は、暖かい木の葉の上で寝る。相棒は、木の葉を掻き集め、大地の肥やしにする。木の葉は、決して、小判にはならない。

  野路菊に 心を洗ふ 小鳥啼

2014年   11月29日    崎谷英文


衆議院の解散

 衆議院が解散された。税収が足りないと言って、消費税の再値上げをしようとしていたのだが、景気が思うように上向いてはくれなくて、このままでは、日銀と結託して円安、株高を進めてデフレを克服しようとしていたのが、失敗しそうになり、消費税再値上げを一年半延期するとして、この経済政策を続けるかどうかを国民に問うとして、衆議院を解散したそうだ。

 その実体は、経済指標が悪くはなっているが、まだまだこれから、今に良くなりますよ、と言い募って、大衆をだまくらかして、民意を得たとして時間稼ぎをし、これからますます格差が大きくなって、貧しい人たちが置き去りにされていったとしても、それは、国民の選択でもあるとして、国民を共犯者に仕立てあげて、責任逃れをしようとしていることであろう。

 さらに言えば、日本を戦争のできる国にしていくことが、日本という国を立派にすることだと思い込んでいるような国家主義者らは、経済問題を選挙の争点にして、選挙に何とか勝って、集団的自衛権行使容認の閣議決定、特定秘密保護法の制定、原発の再稼働などの問題を、民意を得たとして、うやむやに、もう過ぎ去ったこととしてしまおうとする意図を持っている。

 そもそも、現代社会において、更なる経済成長が必要なのかどうかが問われなければならない。特に、日本国内においては、経済的には、格差を受けている弱者を除けば、もはや、飽和状態に近づきつつあるのではないか。

 日本の人口は、これから減っていくばかりである。例えば、日本国民全体で食べる食料は、みんながメタボにでもならない限り、増えていくことはない。だとすれば、外食産業が繁盛したとしても、家で食べる食料の買い入れが減っていくだけであって、食料品全体の購買の需要としては、増すわけがない。

 着る物にしても、何百着も衣服を持っているような着道楽は別にして、普通の金持ちも貧乏人たちも、そうたくさんの衣服を必要としないであろう。衣服の破れを繕って、いつまでも同じ衣服を着るような、昔の質素な生活はしなくなったとしても、やたらと新しい衣服を買うこともないであろう。あるメーカーの服が良く売れれば、他のメーカーの衣服が売れなくなる。

 住宅にしても、人口が減っているのだから、需要は増えない。今ある住宅を、改装、せいぜい建て替えるだけで、充分需要は賄えるのではないか。都会への人口集中も限度があり、核家族化もすでに限界であろう。耐震構造の必要性も、改築が済めば終わる。今、世間では、空き家が増えている。遺跡のように、古い建物が残っていく。

 その昔、冷蔵庫、洗濯機、テレビという三種の神器が、大衆の消費を促し、カー、クーラー、カラーテレビという3Cが、庶民の購買意欲を高めたのだが、今は、パソコン、携帯、スマートフォンなども行き渡り、人々に、是非とも買わなければならないと思わせるような製品は出てきていない。何とか、コマーシャルで人を釣って、一時的に買わせようとするものばかりだろう。

 そうなると、人々に、無理矢理、贅沢をさせるように仕向けて、買わせるしかなくなる。高級料理を無駄に食べさせ、メタボにさせて、薬を売り、運動器具を売り、病院に行かせ、世界遺産だ、名所だ、B級グルメだと、地方に旅行に行かせ、衣服の流行を作り、雑誌に載せ、テレビで見せて、流行に後れないようにと宣伝して、みんなに金を使って貰わなければならない。

 質素倹約、清貧の暮らしなど、以ての外である。

 そもそも、今の政府や日銀は、金持ち、大企業が、国を支えていると思っているのだろう。政府が、企業に対して賃上げを要望するようなことは、演技だとしてもおかしな話で、本来、労働者は労働者として、主体的に資本家に対抗して、その権利を実現させていったのだが、今や、労働者は、大企業に飼い馴らされてしまったようで、近代以前の、お上と下々の関係に戻ってしまっているのではないか。

 あまりに、国や大企業に依存した社会になっているのではないか。それは、管理され、制御され、操られていくことになる。武士は食わねど高楊枝、とまでは言わないが、やせ我慢してでも、生きてやる。

  空ろなる 世にも朝日の 山紅葉

2014年   11月23日    崎谷英文


道具と機械

 人類としての先祖として、英太の若い頃は、古くは約50万年前の、北京原人(シナントロプスペキネンシス)、ジャワ原人(ピテカントロプスエレクツス)というものを習ったのだが、ちょうどその頃に、約500万年前のアウストラロピテクスが見つかり、それこそ、最古の人類だと学習した。しかし、今は、2001年に中央アフリカのチャドで発見された約700万年前のサヘラントロプスが世界最古の人類とされている。

 先祖と言っても、サヘラントロプスが、そのまま残っているのではなく、サヘラントロプスやアウストラロピテクスは猿人と呼ばれ、その後、北京原人、ジャワ原人などの原人が登場し、さらには、約20万年前に、旧人としてのネアンデルタール人が出現し、時代を重ねながら、現代人に繋がるホモ・サピエンス(クロマニヨン人)、新人が現れて今に至る。猿人も原人も旧人も、今はいない。

 しかし、この猿人からが、同じ霊長類ヒト科のチンパンジー、ゴリラ、オランウータンなどと区別される、いわゆる人として認知される。人とする特徴は、直立二足歩行だとされる。脳の重さも、人であることを認識させる重要な要素であろうが、直立二足歩行こそ、人の特質とされる。完全な二足歩行ができるようになって、道具を使え、火を扱え、複雑な言語を話せ、脳もさらに大きくなっていったと思われる。

 道具は、人が動かす。人の力で動かすものが道具である。人の力、人の手、腕、脚の力を補助するのが道具であろう。人の力では捕らえられない大きな動物を、弓、矢、銛、刀で捕まえる。小さくてすばしっこいものは、網を使って捕まえる。石包丁で、稲の穂を刈り、鍬で田畑を耕し、非力な者でも使える備中鍬が生まれる。円いものが良く転がるのを見て、車輪を下に付けたリヤカーで重い物を運ぶ。

 産業革命が進んでくると、道具から機械の時代になる。道具と機械の違いは、動力源が人力以外にあるということだろう。人が力を出さなくとも、バネ、蒸気、電気の力を利用して、機械を動かす。牛馬などを利用するだけでは、機械ではない。人が、機械を動かすのには、究極的には、スイッチを押すだけでよい。今はまだ、大地を走る自動車、田畑を扱う機械などでは、人の操作能力が必要だが、操作の不要な自動車、農業機械も作られようとしている。

 機械は、大いに人力を省く。多人数で田植えをし、刈り取りをしなければならなかったのが、一人で機械の上に座っているだけでできるようになった。大いに楽になり、便利になった。機械の操作に巧拙はあるにせよ、ほとんどの人が、少し習うだけで、同じように動かすことができるだろう。基本的に、機械というものは、誰が使っても、同じように働かせることができるものなのである。

 しかし、道具というものは、そう簡単に誰でも同じように使えるものではない。包丁一つにしても、誰でもが料理人の熟練の達人になれる訳ではない。舟を漕ぐ櫓は、相当な訓練をしなければ、舟を自在に操れるようにはならない。和紙を作るには、手間暇かける職人芸が必要であり、箸を操る為に、子供たちは小さい時から訓練を受けなければならない。

 道具というものは、人の力で動かすものであり、スイッチさえ入れれば働く機械とは異なり、力の入れ具合、力の入れる方向、力の変化のさせ方など、全て、人の身体能力にかかっている。

 人が生きているということは、知恵を働かせるということも大切な一面であるが、身体を使って働いているということも重要な一面だろう。むしろ、身体を使うことこそ、人に、人として生きている実感をもたらすものなのではなかろうか。本来、身体を活用し、汗水垂らして働くことが、人の本性であろう。

 機械に何もかも任せ、便利になって、楽をしていく生き方は、何か大事なものを削り取っているのではないか。

  吸い取られ 消え行く秋の 流れ星

2014年   11月16日    崎谷英文


金で動く人間

 金で動く人間と金で動かそうとする人間で、この世は出来上がっているようで、浅ましい限り。人の鼻先に人参をぶら下げて、ついてこいついてこいと誘う人間がいて、ほいほいとついていく人間がいる。文化も芸術も学問も、金を儲けなければ認められない。もう、あらゆることが、金儲けのタネとしてしか見られない。

 日銀は、紙幣を刷れるだけ刷って金をばら撒けば、世の中は豊かになると思っているらしいが、そんなに上手くいく訳がない。円の価値が下がり、円安がどんどん進んで、輸出大企業が大儲けをし、株式市場が大賑わいになって、金持ちだけがますます資産を大きくする。日銀の刷った金は、そんな拝金主義者の連中に集まるばかりで、貧しい人たちの所にはやってこない。

 消費税をアップして困っている人がいるということには気付いているらしく、そんな人たちの機嫌をとるために、一時金を与えて、これをやるから我慢しろと言う。資産家たちにとっては、鼻くそ程の一万円を、所得の低い人に、ありがたく頂けと言う。今に経済は回復するから、ちょっと待ってろ。失敗したら言うに決まっている。経済は、生き物だから、と。

 全く、儲けるためには、何でもするのが浅ましい連中のやり方で、福島の原発の大事故など忘れたかのように、原子力発電を外国に売り込もうとする。相手の国に、原発を導入すれば儲かりまっせ、と言いながら、日本政府とぐるになっている大企業を儲けさせようとする。原発の危険性も、核廃棄物の処理の問題も、何とかなりまっせ、と金儲けしようとしている。悪徳商品の押し売りだろう。

 アメリカの中間選挙では、共和党が大勝したらしい。アメリカという国は、民主主義の権化のように言われているが、今回の選挙の投票率は、36%程度で、日本の選挙より低い。何が民主主義の国か。アメリカは、1%の金持ちが、全資産の30%を持ち、そんなアメリカになりつつある日本なのだが、そんな金持ちに群がる人々が選挙でお祭り騒ぎをしていただけだ。とにかく、アメリカの選挙は、金がかかる。

 日本がまっとうな民主主義の国かと言えば、これもとんでもない話で、さすがにあからさまな買収選挙は減ったとは言え、選挙民たちに少しの金で東京の芝居見物ができると優しく誘い、旅行社の如く団体旅行をして、仲間に引き込むのである。こんなことが、まだ行なわれているのか、と驚いたのだが、どうやら、国会議員たちは同じようなことをしているらしい。誰も、政治家取り巻き旅自体を非難しない。

 鹿児島の川内原発の再稼働に、県知事が同意した。諸般の状況を総合的に勘案し、再稼働はやむを得ない、と述べたらしい。その実体は、金である。原発のあることで国から金がもらえ、地元が潤う、と思っている。国も、もし拒否したら、今までのように金を出しませんよ、と言う。金で動き、金で動かしている。何が、やむを得ない、だ。沖縄の米軍基地に関しては、もう、そのことは露骨であろう。

 このように、金で人は動き、動かされるのだが、とにかく金が回ればいいのだからと、賭博場まで作ろうとしている。もはや、金を動かすのに、こんなことしか思い付かなくなっている。金さえぐるぐる回れば、経済は良くなると思っている輩ばかりだ。オリンピック招致も、結局は、金のためという思惑がありありとして、純粋なスポーツを貶めていないか。

 経済成長とは何なのか。このことから問われなければならないだろう。TPPによってグローバル経済を進展させることが、世界の経済効率を高め成長につながるのだと言いたいのだろうが、実は、無駄の中に、非効率の中に、手作りの下で、汗水垂らす労働の中に、人と人との生身の触れ合う中で、大地に寄り添う中にこそ、人は生きているという実感、充実感を得られるのではないか。

 そういう社会にしていくことが、社会の成長であろう。金で動くな。

  行く秋を 鴉とともに 惜しみけり

2014年   11月9日    崎谷英文


過去から未来へ

 生まれたばかりの人には過去がないのかも知れないし、死に行く人には未来がないのかも知れない。生まれる前の世界、死後の世界は知らない。人のいのちのある限りの有限の浮世の人生について語れば、そうなるであろう。

 生きている限りは、普通、生きてきた過去と生きていくであろう未来の狭間が今であり、生きているのは今現在ということになる。しかし、生きている今は、間違いなく過去に規定され、また、未来に規定される。生まれたばかりの赤ん坊には、過去がなく、過去のしがらみはない。臨終の床にある老病者には、憂うべき未来はない。しかし、今生きている人は、多かれ少なかれ、過去のしがらみと憂うべき未来を持っている。

 時というものは、一瞬たりとも立ち止まらずに過ぎ去っていく。今がこの一瞬に過去となり、未来が一瞬にして今になる。それを無常と言ってもいい。そうして、人は、今を過去と共に、また、未来と共に生きていく。過去のない今がないのと同じように、未来のない今もないであろう。もう来ない過去とまだ来ない未来の結節点で人は生きている。

 音楽を聴いていても解るように、人は音楽の一瞬一瞬の音を聴いているのではなく、音の繋がり、音の変化、音の流れを聴いている。前後のないバイオリンの一弦の一音を聴いたとしても、その振動の伝わりの初めから、その振動の消え去り終わるまでを、一つの音として聴いているのであり、決して、一瞬の音を聴いているのではない。

 いくらアインシュタインが、時間と空間の変換可能性を説いたとしても、誰も時間を止めることなどできない。空間を自由に行き来でき、空間、特にこの地球上の空間を支配できるとしても、時間を支配することはできない。過去に戻ることもできなければ、未来に先行することもできない。時は止まることなく、今更どうしようもない過去と、どうなるか解らない未来の間に、今、人は生きている。

 過去を忘れ去って今を生きるべきだとか、よく言われるが、過去は忘れ去ることなどできないし、過去を全く無として生きることなどできない。記憶喪失になったとしても、記憶と経験は、胸の中深く澱のように溜まり続けているに違いなく、過去は蒸発しきってしまうことも、風化しきってしまうこともない。意識の中では、過去は変容するかもしれないが、人は過去から逃れることはできない。

 明日というものが来ると信じて人は生きている。未来というものが、多かれ少なかれ、あると信じて、人は生きている。だとすれば、未来を思わずにはいられない。遠い未来にしろ、近い未来にしろ、その為に、今を生きていることになろう。楽しい未来を思い描きながら、苦しい未来を案じながら、上手くやれるようにと念じながら、へまをやるかも知れないと心配しながら、人は、今を生きている。

 過去を切り捨て、未来を慮ることなく生きることは、一つの悟りともなれば、一つの逃避でもあるだろうか。刹那刹那に生きることは、この過去のしがらみと未来への我欲を捨て去ることでもある。ただそれは難しい。過去が今を作り上げ、未来が今を導いているのだから。家出をすることと、出家をすることとは、似たようなものかも知れない。

 立ち戻れない過去だから、ご破算にできない過去だからこそ、人はそれを抱えて生きていく。過去への後悔と反省に明け暮れながら、どうなるか分からない未来を考えて生きていく。栄光の過去も忌まわしい過去も、未来に生きるための糧としていかなければならない。

 人は人としての社会の歴史を持ち、その歴史の中で、過去は今に繋がり、未来に受け継がれなければならない。忌々しい過去も罪深き過去も、その忌々しいままに、その罪深いままに、後世に伝えられてこそ、人の社会としての進化がある。過去を美化したり、正当化したり、忘却しようとすると、人は過ちを繰り返す。それが、どうやら、今までの人の歴史であるようだ。

  落日の 昇らぬままに 霧深し

2014年   11月2日    崎谷英文


稲架掛け

 稲架掛けが終わり、これから良い天気の続くことを望むばかりとなっている。今、多くの米農家は、稲の天日干しなどという作業はせずに、コンバインに乗ったままで、一度に稲刈り、脱穀を行ない、石油を使った乾燥機の中に籾米を放り込んで、適度に乾燥したら、また機械の力で籾摺り機の中に流し入れて玄米にする。重い米俵などを持つこともなく、僅か一日で、稲穂の波が玄米に変わる。

 農業の機械化による変化は、近代、近年凄まじいものとなっている。特に稲作においては、その機械的作業の導入、化学肥料や農薬の使用が、人々の労力を省き、人手を少なくすることを可能にし、そのことが、田舎から多くの若者たちを都会へ送り込むことを可能にさせた、と言っても過言ではない。またその生産様式の技術革新が、農民たちを過酷な労働から解放させたのも事実だろう。

 エネルギー保存の法則を中学校で学ぶ。力学的エネルギーの保存の法則(位置エネルギーと運動エネルギーの総和は不変)を学んだ後、全てのエネルギーの総和もまた一定不変であることを学ぶ。

 エネルギーには、力学的エネルギー、熱エネルギー、電気エネルギー、化学エネルギー、光エネルギーなど、様々なものがあり、また、それらは互いに変換され得る。運動エネルギーが電気エネルギーに変わり、電気エネルギーが熱エネルギーに変換される。LED電球は、電気エネルギーが光エネルギーに変換されていることに疑いはない。しかし、エネルギーの総和としては不変であり、一定である。

 自然の全ての営みにおいても、エネルギー保存則は妥当する。太陽は、水素の核融合によって得た核エネルギー(アインシュタインのE=m×c×cの法則による)を放出し、その光エネルギーによって、植物は光合成という化学エネルギーを得て、それを食べた動物たちはそのエネルギーを運動エネルギーに変換して生きている。動物の死骸や排泄物は、化学エネルギーとなって、再び植物に吸収される。

 雨水は、位置エネルギーを得て川を流れ、太陽の熱エネルギーを受けて蒸発し、熱エネルギーを大気に与え、空高く熱を失って水滴となって再び大地に降り注ぐ。

 しかし、エントロピーは増大する。エネルギー保存側が妥当するにしても、エネルギーの移動によって、そのエネルギーは劣化していく。熱は冷たいものに伝わっていくが、やがて一定の温度となって動きは止まってしまう。燃料電池の燃料としての水素を作るためのエネルギーは、水素の燃焼により作り出されるエネルギーより大きいのではないか。

 開放された地球においては、なおさらエネルギーは大気の外へ放出される。それを支えているのが太陽エネルギーである。地球上の人間が作り出すエネルギーの約1万倍ものエネルギーを、太陽は地球に注いでいるという。太陽の熱と光のエネルギーを受けることがなければ、地球は、あっという間に、死と暗黒と氷の天体となる。地球のあらゆる生き物を生きとし生けるものとして存在させ、存続させているのは太陽である。

 文明、科学技術の成果は、人々の生活を明るくし、豊かにし、便利にしてきたことだろう。しかし、それは、昔の人々が自分の力、エネルギーで汗水垂らしてやってきたことを、機械に肩代わりさせることに違いない。牛馬で鋤く代わりにトラクターを使い、腰を曲げて田植えをする代わりに田植え機を使い、手で刈る代わりにコンバインを使い、天日干しにする代わりに乾燥機を使う。

 しかし、もしかすると、そういったことが、この地球上で生きているということ、つまり、太陽エネルギーを源とする、大地と大海原とあらゆる生き物たちとの相互のエネルギー循環によって生かされているということを、忘れさせているのかも知れない。

 Let it go. ありのままに、という言葉が巷に流れているが、この地球でありのままに生きるということは、文明というベールを剥がしたところにあるような気がしている。

  眼を閉じて 風の香を嗅ぐ 天日干し

2014年   10月26日    崎谷英文


植えてみた

 家の隣は畑にしているのだが、その周囲は、時々草を刈るだけの野っ原のようになっている。その野っ原の北東に一本の柿の木があり、その隣は、犬のシンべーの墓、その横に猫のコトラの墓がある。墓と言っても、ただ小さな石が目印となっているだけだが、今書いていて気が付いたが、そう言えば、去年の盆には二つの墓に線香を焚いたりしたのだが、今年は、それを忘れていた。怒るなよ。

 柿というものは、生る年と生らない年があるようで、一昨年は鈴生りだったのが、去年は数えるほどしかできず、今年はきっとたくさんできるだろうと大いに期待していたのだが、初めは順調に実を付けていたと思っていたのが、ポツリポツリと落ちていき、期待したほどには生っていない。一本の柿の木だが、その一本を見ていて、冬の枯れ木から、春に薄い緑の柔らかな柿若葉が生え、やがて秋の実りと一年を楽しませてくれる。

 その野っ原の北側に、サラダ菜とレタスを植えてみた。秋も深まって韮のようなものが所々に生えていたりするが、草の勢いは衰え、背の低い草ばかりとなっている所に、柄の折れた備中鍬で浅く掘り返し、草を手で取り除き、牡蠣殻石灰をほんの少し撒き、買ってきたサラダ菜の苗二本、レタスの苗二本、どれも一本消費税無しの値が58円だったのを、20cm程の間隔で植えてみた。

 畑に植えたのではなく、野っ原の草の中に植えてみたのだが、それが十日程前だったが、日に日に育つのが分かり、家族四人が毎日食べるのにも充分になって重宝している。その植えた辺りは、以前、残飯や筍の皮などを穴を掘って捨てていた所で、土地がよく肥えていたのだろう。何も肥料など遣らなくとも、育つ。取り除いた草も周囲に置いておいてやると、自然に堆肥になっていく。

 今、土を掘り返すと、決まって可愛いミミズが驚いたように顔を出す。掘り返さなければ、そのまま安らかに冬の間の眠りにつくその準備をしていたのを、目覚めさせたようで、少し謝っておく。土の中には、時々、セミの幼虫のようなのもいて、地表に出てきたりするのだが、丁寧に土の中に帰してやる。セミの幼虫だとしたら、何時まで眠っているつもりなのかと思案する。

 生まれてから大学に入るまで、ずっとこの太市に育ってきた英太だが、その若い頃にも、このような大地と景色、様々な生き物たちとの遭遇はあったのだろうが、子供の頃、またいわゆる青春時代には、そのような感度はほとんどなかったのだろう。ずっと見ていたのだが、見えていなかったというような気がする。常に自分の周囲にそれらはありながら、その意味を感じ取ることなどなかった。

 四十を過ぎて太市に帰って来てからも、暫くは、今見ているようなことは、自分にとって無関係な外部でしかなかったような気がする。太市の外にある、自分の外にある見えないものを、もっと見ようとばかりに生きていたのだろう。

 見ているのに見えていない、そのことに気付く時、哲学が始まる、とどこかに書いてあったような気がするが、その通りかも知れない。このことは、田舎に住む人間だけに当て嵌まることではない。都会の忙しい、喧騒の中にいても、様々なもの、色々なことは、日常見ているのに、見えていないということは、よくありそうだ。見る目を少し深くすれば、見る心を少し素直にすれば、見ているのに見えていなかったことに気付くのではないか。

 日出而作 日入而息 鑿井而飲 耕田而食 帝力何有於我哉。日が昇れば外で働き、日が沈めば家で休む、自分で井戸を掘って水を飲み、自分で田を耕して食べる、天子の力など私たちに何の関係があるであろうか。中国の十八史略にある、殷以前の夏の時代の詩らしい。自然の廻りの中で生き、大地と共に生きるとき、国家などというものは、自分にとって無意味に見える。

 畑の前の三畳程の野っ原に、稲を手植えしている。ほったらかしで生長はよくない。それでも、二・三日後刈り取り、干すことにしている。一週間食べる量ぐらいにはなるだろう。家の前に、レモンの木を植えてみた。実が生るのはまだまだ、何年先になることやら。

  破れ着を 洗い干したる 里の秋

2014年   10月18日    崎谷英文


格差の仕組み

 いわゆる資本主義というものが、いわゆる共産主義に勝利したというようなことが、特に、ベルリンの壁の崩壊、ソ連の崩壊の後、よく言われる。勝利したということは、やはり、世の中は資本主義でないとだめなのだということなのだろうが、果たして、本当に資本主義というものは、この世の、現代社会の、現代に住む人間にとっての有意義な、有効な制度なのであろうか。

 資本主義というものは、いわゆる自由と平等を基本的に重視し、機会の均等な者たちが自由に競争して、自分自身の利益を追求していくことが、巧まずして、世の中の経済的な成長を促し、また、合理的に人々の生活に豊かさをもたらすものと考えられていた。しかし、現代において、当初のその資本主義、経済自由主義というものが目論んでいた、世界の人々の自由、平等、豊かさというものは、実現できているのであろうか。

 世界全体を眺め見て、50年前と比べたならば、きっと全体的、表面的には、生活は向上し、豊かになっているのだろう。資本主義の途上国への進出、浸透は、一面としては、その途上国全体の生活の質の近代化、向上には、役立っているのだろう。一国内においても、その資本主義の順調な時は、国内の雇用を増やし、貧しい者たちを減少させてきたと言えよう。

 しかし、自由な競争を理念とする資本主義が、富の偏在を助長し、不平等な結果をもたらしていることも事実だろう。富、財の不平等というものは、結局は、機会の不均等、機会の不平等もまた生じさせる。そこに、国家の政策による富の再分配、利益の再配分の必要が生じ、累進課税による高所得者からの高い税金の徴収の必要性があり、貧困者への福祉の充実の必要性がある。

 少なくとも、機会の不平等というものを生じさせてはならない。貧困であるがために、自由な選択のできない社会となっては、自由主義の本末転倒になる。競争というものが、ヨーイ・ドンで、同じ出発線から始めないと不公平になることは、どんなスポーツ競技を見ても明らかだろう。

 大人たちの結果としての不平等、それが本当に平等で自由な競争の中での結果として生じているのだとしたら、その結果としての不平等を、ある程度は、甘受しなければならないだろう。しかし、もはや今の大人たち自体が、機会の不平等の中で育ってきていたのではないか。だとすれば、今の貧しい大人たち、老人たちを救い、助けることは、社会の責任だろう。

 子供たちは、もっと深刻なのではないか。貧困の連鎖ということがよく言われるが、親の貧困が、子供たちの生活環境、教育環境に影響し、機会の平等を得ていない子供たちが多くいる。統計として、子供の貧困率が出されているが、日本の子供の貧困率は、16%を超え、先進国のワースト3になる。子供の6人に1人は貧困で、6人に1人は、ヨーイ・ドンの時、後ろから出発している。子供には、何としても、責任はない。

 今の資本主義というものは、景気の波を上下させながら、つまり、好況と不況を繰り返すと言われる。時に、好景気があり、時に、大恐慌が来る。

 そんな中でも、景気のいい時でも、悪い時でも、格差を広げていくのが資本主義の宿命である。好景気の日本において、一億総中流などと言われた時代もあるが、その時も、富裕な者たちは、貧しい者たちに倍して利益を得ていた。不景気になると、先ずは、労働者たちの首が切られ、給与が減らされ、馬車馬のごとく働かされる。

 この間、予算委員会の問答を、たまたまテレビで見ていたのだが、株価が上がったって金持ちばかりが潤うだけではないのか、法人税を下げずに勤労者の税金を下げた方がいいのではないか、という問いに、総理大臣は、お金持ちの人たちがお金を使うことによって、そのお金が日本全体に行き渡って、みんなが潤ってくる、などと答えていたが、本当にこんな仕組みでいいのだろうか。

 いわゆるトリクルダウンという、少数の金持ちの余った金が下々に回ってくる、という資本主義の言い訳のような仕組みを、堂々と総理大臣が述べるとは、情けない。また、誰も、それを咎めない。

 世界には、日本以上に、虐げられ苦しんでいる子供たちが多くいる。マララさん、サティヤルティ氏のノーベル平和賞の受賞が、社会変革の力になればいいのだが。

  名も知らぬ 花野を刈りぬ 涙して

2014年   10月12日    崎谷英文


天災は忘れた頃にやってくる

 天災は忘れた頃にやってくる、寺田寅彦の言葉である。今回の御嶽山の噴火は、まさしくそのようなものであったろう。1週間経って、50人以上のいのちが奪われたと判明している。その被害は、さらに大きくなりそうだ。

 世は無常である。どんなに科学が発達しても、どんなに文明が発達したとしても、世の中、何が起こるか分からないのであって、人知など、たかが知れていることを、今更に思わせる。

 日本は、環太平洋造山帯、環太平洋火山帯の西側に位置し、火山列島である。地球の中心は、鉄やニッケル、ケイ素などでできている核(コア)で、その上に、カンラン岩質を主とするマントルが地下2900kmの厚さで覆い、その上に、地殻が5kmから50kmの厚さで地球の表面をくるんでいる。その地殻の下方に動くプレートがあり、その上に載っていることになる。

 太平洋プレートとユーラシアプレート、それにフィリピン海プレートの重なるところに、日本は位置し、その擦れ合うところに玄武岩の溶けたマグマが生じ、日本列島は、地下に数多くのマグマ溜まりがある。そのマグマが、火山噴火の原因で、また温泉の熱源でもある。マグマの熱が、上の地下水の層を加熱し、水蒸気噴火を起こした。

 などと言っても、その理屈がどこまで本当なのか、判然としない。人知は頼りない。その昔、英太の若い頃、火山は、活火山、休火山、死火山に分類されていたのだが、今は、休火山、死火山という言葉はなくなり、1万年前以降に噴火した形跡のある火山を、活火山としている。御嶽山は、1979年に噴火するまでは、死火山だったのではないか。人知は頼りない。噴火が起きて、右往左往する。

 何故山に登るのか、と問われ、そこに山があるからだ、と登山家が言ったことは有名だが、文明が発達し、昔は、麓から登らなければならなかったのが、今は、中途までロープウェイなどができたりして、普通の人たちが容易に登れるようになった。山に登ることは、都会の喧騒から逃れることになり、登頂することは征服に繋がり、人々の心をそそる。

 しかし、そのことが被害を大きくした。また、多くの偶然が、その被害を大きくした。秋の紅葉の盛りの土曜日の登山者が多い日で、また、昼ごろの丁度、多くが登頂する頃の噴火であった。もし、夜中の噴火であれば、被害は、ずっと少なかっただろう。逆に、広島の豪雨による土石流は、夜中、夜明け前だったことが被害を大きくした。人の力ではどうしようもない、人知を超えた自然の脅威なのだ。登山者への災難であり、多くが若者であった。

 このような天災に遭ったことを、誰かの責任として問えるのかと言えば難しい。現代の世の中、災難に遭うことは誰かの責任であり、社会のどこかが悪いのだと言いたくなるような雰囲気ではあるが、多分、それは、文明への過信であり、現代社会への依存である。文明というものを、余り信頼してはいけない。きっと、文明は、生活を便利にし、豊かにしてくれるのだが、そのことは、上っ面にしか過ぎない。

 火力発電にしろ水力発電にしろ、実は、歪に自然を破壊しながらのエネルギー供給であろう。原子力発電などは、以ての外の所業であろう。古今、人々は自然の中から様々な資源を有効利用しようと努めてきたのだが、昔は、人の力は自然に押し返されるばかりで、自然の恵みに感謝こそすれ、自然を征服することなど、毛頭考えなかった。

 しかし、現代に至っては、曲りなりに自然をコントロールできると思い込むほどに、科学、文明が発達してきて、人々は傲慢になりつつある。しかし、人間は何も解ってはいないのだ。大地震にしろ、津波にしろ、大雨の土砂崩れにしろ、火山の噴火にしろ、人間は、予測もできず、何一つコントロールできていない。

 良寛が、災難に遭うときは遭えばいい、死ぬときは死ねばいい、それが災難を逃れる良い方策だ、と手紙に書いているのだが、そんな諦観、無常の覚悟で、やはり生きていくしかないのではないか。そのことを忘れ、厚かましく自惚れた人間たちの所業は、それこそ取り返しのつかない甚大な人災を作り出していく気配である。

  秋冷や 山に一点 白き鷺

2014年   10月5日    崎谷英文


運動会

 今日は、太市小学校の運動会で、久しぶりに見に行く。英太が子供の頃には、太市には幼稚園がなく保育園だけだったのが、近年幼稚園もできていたのだが、またそれらが統一されこども園になっていて、そのこども園と一緒の運動会である。

 万国旗がはためく光景は、英太の頃と変わりはない。しかし、とにかく子供の数が少ない。今、太市小学校の生徒は、6学年合わせて、90人だという。だから、徒競走(徒競走と言わず、go!go!ゴールへ、などと言う種目名になっている)も、1、2、3年合同、4,5,6年合同で行う。英太のいた頃は、全学年300人程、英太の学年だけでも、45人はいただろう。

 太市だけが子供の数が減っているのではないが、やはり、こんな田舎では、街と比べてその傾向は大きい。子供の数が減っているだけではなく、もちろん高齢者の割合も大きくなっていて、この太市駅前の英太の家の周囲の、相野村の4班の10軒程の中には、小学生が一人もいなく、子供と言えるのも高校生が一人いるぐらいで、高齢者、あるいは高齢者に近い夫婦、一人世帯がほとんどになっている。徐々に空き家も増えてきている。

 このようなことは、ここ太市に限ったことではなく、人口の都市集中、とりわけ若者たちの都市への移動ということで、地方では子供の数が減り、高齢者が残るという悪循環が続いている。

 それに、大都会では依然人が集まってきているようだが、日本全体としても人口は減ってきている。昔の大きなニュータウンが、今や独居老人の住処となり、空き家も増えてきているという。核家族化、少子高齢化が進み、これからは、ますます孤独な老人が増える。

 世界的に見ても、そろそろ人口増加が頭打ちになってきているようで、ヨーロッパ、日本などの先進国では人口が減り、アジア、アフリカで人口が増えているという状況だろうか。

 人間というものが誕生してから今日まで、人口は増え続けてきているのだろうが、それが、今、ピークに近づきつつあるように感じる。ものの本によると、1万年前の世界人口は、500万人程だったと言う。それが農耕社会、経済社会の始まりで、増加の度合いが早まり、1650年には、約5億人になった。そして、その後、産業革命、近代化により、人口は大爆発を起こし、2000年には60億人を超えていく。

 この人口爆発により、マルサスなどは、人口の等比級数的増加に、食糧の等差級数的増加は追い付けず、いずれ食糧難という危機が来ると指摘したが、そうはならなかった。しかし、限られた地球の資源、エネルギーとしての限界に近づいているのではないか。そうすると、人口の増加も、もはや限界に達しつつあるとも言える。アジア、アフリカの人口増加も徐々に緩やかになっていくだろう。

 このことは、人間という特殊な生き物社会の特徴ではない。多分、ほとんどあらゆる生物種において、初期のゆっくりとした増殖から、ある時大量増殖していき、その変化が進みきった時、そこで増殖は抑えられ、一定数に留まってしまう。多分、そこで、地球上の、あるいはその地域の、その場での、有用な栄養、資源というものを使い果たしてしまうからだろう。それ以上増加すると、もはや生きていけないものが出てくる。

 同じようなことが、人間社会でも起きているのではないか。もちろん、人間と他の生物とは異なるのだが、そんな人間社会においても、幾ら文明が発達しようが、幾ら医療が進歩しようが、もはや、有用な地球の資源、エネルギーを使い果たす限界に達しているのではないか。つまり、これ以上の成長など見込めない、成熟社会になりつつあるのではないか。

 ここで無理矢理成長させようとすることは、以前にもまして、生きられなくなる人々を増やし、あるいは弱者を作り出し、貧困を生みだし、格差を生じさせていくことになるのではないか。

 子供たちが少ないと、一人一人はたくさんの演技に出なければならない。老人会の人たちも忙しい。でも、みんな運動会を楽しんでいる。人が少なくても、いや、人が少ないからこそ楽しめるのかも知れない。

  穏やかな 向かい風なり 曼珠沙華

2014年   9月28日    崎谷英文


稲刈り3

 9月15日、敬老の日、この日、二畝程の小さな田の早稲の稲刈りをする。朝から稲木、竹を運ぶ、力仕事になる。米作りや野菜作りをしていると、何事も思い通りにならないことが良く解る。英太は怠け者で、自然任せで、ほったらかしにしておくから、余計にそうなのだが、篤農家たちは、自然の変化に上手く対応する。それでも、やはり、自然の条件、日照、降雨、気温、虫、病気などにより、実の生り様は異なる。

 稲の葉の緑が薄く、黄色っぽくなり、穂が黄金色にならないと、刈り時ではない。今年の夏は、雨も多く、日照時間が少なく、生長が遅く、この日になった。人間も、青二才はガキで、青春もまた青臭く、成熟は、枯淡の色合いを見せる。秋の日に黄金色に輝く稲穂の波は美しい。英太も、若者に嫉妬しながら、少しは熟れ、枯れていくのを感じる。

 最近、昼寝をすると、その目が目覚める時、ここは何処だ、何をしている、と自分を見失うことがよくある。誰にでも、目覚めの時の戸惑いはあるのだろうが、以前に比べ、その混沌の時が長くなっている。自分自身を見失う時間が、長くなっていると感じる。時を忘れ、場を忘れた眠りの中の自分が、現実の浮世に戻ることを妨げているかのようである。

 夢の中の自分と浮き世の現実の自分とが、意識の中に混在し、自分が誰なのかははっきりと分かってはいるのだが、その自分の所在、在りかが判然とせず、朦朧とした意識が続くのである。何を夢見ていたのかさえ、確とは思い出せないのだが、その夢の中の自分と目覚めた自分と、果たしてどちらが自分なのか。どちらも自分なのであろうが、今生きている自分はどちらなのか。霞んだ心とでも言えばいいのか。

 バインダー(稲を刈り、適当な本数毎に束ねてくれる便利な機械)をガレージから出し、押し歩いて田んぼまで運ぶ。刈り始めるのだが、バインダーがばらばらの束を放り出す。紐が機械に絡まっているらしく、潜り込んで鎌と鋏で絡まった紐を切り取り、ようやく正常に働きだす。草だらけの田んぼで、根元の低い草も一緒に刈り取っていく。大まかに刈り終えるのに、午前中を費やす。体力の衰えか、年々時間が掛かっていく。

 田んぼの畔に座って弁当を食う。赤蜻蛉の大群が、刈り取られた稲束の上を飛び交っている。何故、こんな面倒なことをしているのかと思う。世間の人は、もっと楽に、コンバインで刈り取って脱穀し、乾燥機に入れて乾かし、籾摺り機で籾摺りをする。それで米ができる。ほとんど座ったままでできるだろう。英太も別に、文明を拒否しているのではない。バインダーがない時代は、手で刈り取っていたのである。

 美味しいコメを作りたいとは思う。いわゆる、化学肥料、農薬は一切使いたくないとは思う。なるべく、自然のエネルギー、自然の循環のエネルギーを利用して、米を作りたいとは思う。しかし、それが大したことなのか。自己満足に過ぎない道楽でしかないのかも知れない。世間の人は笑っていよう。

 最近は、昼寝をしていない時も、夢を見ているかのように、幻想と今とがこんがらがることがある。親しかった懐かしい人々や、過去の様々な情景が、今と重なって、時の進行を止め、今と共に凝縮されたように一点に集まる。今を生きているのだが、過去もまた今に生きている。時には、見えないはずのいずれやってくる老いと死もそこに同居する。

 青二才のガキや青春の若者が、未来をこそ見つめ、時の流れを掴み取ろうとしているのとは異なり、過去も現在も未来も、全てひっくるめた永遠が、一瞬に同化しているかのようである。

 天日干しを始める。稲木を三脚に組み、竹の長さに合わせ配置して竹を置き、周囲に散らばった稲束を集め持ってきて、一つ一つ干していく。七三に分け、互い違いに横に押し詰め、上から軽く叩く。雨風で稲木が倒れないように、稲束が落ちないように、丁寧にやらねばならない。夕刻の5時頃に終わる。刈り残した分は明日にする。疲れた。

 ろくでもないことを大切そうにやっているのかも知れないが、こんなことが生きることなのかも知れないとも思う。今日の仕事は辛かった、後は焼酎を煽るだけ。

  鳶の舞う 青き空なり 天日干し

2014年   9月19日    崎谷英文


リスク社会

 リスクは危険と言う意味であるが、デインジャーと異なり、被害、損害の危険性が高く、さらに、敢えて不利益、損害を覚悟して、それを行なうという意味合いがある。リスクは、賭ける、という意味もあり、そこには失敗が念頭にある。

 生きていくということ自体、いずれ死に至る身からすれば、敢えてリスクを背負って生きていることになるのかも知れないが、生まれ出ずることは自らの行為、営みではない。敢えて言えば、親こそ、敢えて子を生み育てているのかも知れない。

 しかし、また、リスクを賭して生きることこそ、野生の人としての醍醐味であり、敢えて危険に身を晒し、虎穴に入らずんば虎児を得ずと意気込むのが人でもある。ギャンブルのわくわくする感覚に中毒になる由縁もそこにあるか。

 リスク、危険は常に我らに付き纏う。原始の時代においては、自然の中の一員として、自然の恵みを受けながら、自然の脅威に常に晒され、同じいのちあるものとの激しい生存競争の中で、常にいのちのリスクを負いながら生きていたであろう。生老病死、釈迦の言葉を聞くまでもなく、人生は、人の心身そのものが、常に思いがけないリスク、緩慢なリスクを内に抱え持つ。

 人の知恵というものは、そのリスクを如何に遠ざけ、未来を現在のものとして、不安を抱かないように生きていくかに働く。共同生活が広がっていく中で、人と人との衝突、軋轢というリスクを如何に回避し、平常を維持していくかということに、知恵は働く。生きていくという生命力に支えられながら、共に生きていくという知恵を働かせる。戦争は、人の営みの中の最も大きなリスクである。

 人の文明は進歩して、貨幣経済になり、科学技術は一段と進化して、新たな時代を作り出す。近代は、産業革命を経て、終わりなき成長を続けるかに見えた。未来を見通すことなどできないはずの人々が、未来が見えたとばかり、欲望を解放させ、利益を追求し、あらゆることが、経済的損得の計算において、世の中が作られていく。

 未来が見えるはずもなく、世の無常の中で、その見えないリスクを回避するために保険というものも作られる。いわゆるリスクの分散である。未来のリスクを多数の人々の出費によって、互いに補う。古くは、海洋進出の船に対してなされた。保険があって、危険な船出ができる。今では、人のいのちも保険によって補われる。リスクには、保険という意味もある。

 株式会社などへの投資も、巨額の資金を多くの人たちから集め、見通せない事業の失敗すれば巨額な損失が出るというリスクを、分散する。リスクの分散によりリスクのある事業に進出できる。利益も分散されるが、リスクも分散される。

 こうしてリスクを分散させながら、巨大化した産業、大規模化した経済は、貧富の差を広げ、格差を助長していく。持たざる者は、投資もできず、保険も掛けられず、見通すことのできない未来の中で、現在の生活に汲汲とする。

 科学技術の発達は、様々な豊かなもの、便利なものを提供しているが、生産にも、消費にも限界がある。地球の資源を無尽蔵と錯覚して、成長を続けようとしているかのようであるが、もうすでに無軌道なエネルギー消費は、地球を破壊し始めている。この地球の破壊には保険は効かない。地球へのリスクが始まっている。

 人口爆発の時代がそろそろ終わりを告げつつあり、明らかに消費の限界が来ているのにも係わらず、さらなる生産を拡大しようとしているようだが、科学技術のイノベーションも限界になってきていることもあり、無理矢理買わせようとしていくしかなくなってくる。生産にも消費にも人が要る。人がいなくなれば成長も止まる。

 人間疎外と言われて久しいが、この無理矢理消費をさせようとする軋轢、そして、この現代の高度情報社会、コンピューター、スマートフォンが蔓延る社会において、人々はますます、人間として、大切なものを失いつつある。生身の交流が減れば、共感する感覚は衰えていき、孤独な大衆として、流行、ブームに踊らされるばかりとなる。現代社会は、人間の喪失というリスクを抱えている。もちろん、保険は効かない。

 巨大事故はこれからも起こるだろう。保険があるから、補償すればいいだろう、という問題ではない。今の世は、地球を破壊するというリスク、人間を破壊するというリスク、社会を破壊するというリスクに包まれている。

  白鷺の 凛として立つ 秋の風

2014年   9月14日    崎谷英文


戦争へ

 今、NHKの朝の連続テレビドラマ、「花子とアン」が、丁度、太平洋戦争勃発の時代に入っている。1941年12月8日、日本は、ハワイの真珠湾に奇襲攻撃をかけて、アメリカ、イギリスと戦闘状態に突入したのである。1925年に開始されたラジオ放送、その花子の子供向け番組を中止して、政府の役人が言う。「日本国民を守る為に、米英と戦うのであって、日本国民は、政府を信頼し、一致団結しなければならない。」

 戦いというものは、それが、スポーツとか、ゲームとかであれば面白い。現在でも、スポーツ、ゲームを楽しんだり、野球やサッカーで、贔屓にしているチームを応援し、わくわくしながら観戦する人は多かろう。

 今、他国の戦争においても、ゲーム感覚で面白がっている若者も多そうだ。国と国との戦争においては、贔屓にして応援するのは、自分たちの国、あるいは自分たちの陣営の国であろう。知らず知らず、我々は、敵を作り、相手国に対し敵対心を抱く。自分の国が戦うとなれば、ほとんど間違いなく自分の国を応援することになる。

 今、イスラム国に、世界から兵士として参入している若者が数千人もいるらしいが、彼らは、大いなる正義感を持っているのかも知れないが、やはり、どこかゲーム感覚があるのではなかろうか。巷では、現実ならば余りに残酷なゲームが、遊びとして若者たちに流行していて、幻想と現実との区別のつかない感覚かも知れない。ゲームの中では、人は生き返り、死への畏れが希薄になっていく。

 一国が戦争をするには、敵を作り、戦争をすることへの国民の絶大なる支持を必要とする。国民の愛国心を煽り、国民の為と吹聴し、正義を喧伝する。そうして、国民は、ほとんど全ての人が、国家主義に染められていく。

 太平洋戦争の始まった頃、日本は、満州事変、盧溝橋事件を経て、日中戦争の最中であり、既に、治安維持法(1925年)、国家総動員法(1938年)などが制定されていて、反体制の言論は許されず、国民徴用令(1939年)、大政翼賛会(1940年)が、全国民を統制し、日独伊三国軍事同盟(1940年)を結び、日ソ中立条約(1941年4月)を結び、着々と、米英との戦争に備えていた。

 人の精神は、脆くて危うい。よく考えれば、戦争というものが、人の殺し合いであり、残酷で悲惨なことは分かりそうなのに、世の中の勢いの中で、平和を叫ぶことなどできず、心身もろとも、戦争に嵌り込んでしまう。朝のドラマでも、反戦を貫く者もいれば、心中穏やかならざる人もいるが、結局は、沈黙を強いられているように描かれ、若者たちは、挙って、日本万歳、日本頑張れなのである。

 今の時代はどうか。ネトウヨが流行しているらしい。ネット右翼のことらしい。戦争を知らず、戦争を学びもしていない若者たちが、ネット上で勇ましいらしい。若者はゲーム感覚であり、どうやら、戦争を経験した者たち、そして、その戦争について聞き学んできたはずの戦後世代の者たちが、きちんと、次の世代に、戦争を伝えてきていないと思われる。

 今、自由がおかしくなっていないか。ずっと以前からかも知れない。徐々に、徐々に、国を愛さなければならないという雰囲気が醸成されてきていて、国民の為と言論が規制されてきていて、敵を作り、戦争の準備をし、国家の安全の為と軍事力を増強し、戦争のできる国に変えられていき、強い国になるのだ、という風潮が人々を覆っている。何故、国を愛することを強制されなければならないのか。

 戦争を体験した人々は、その体験をあまり語らない。それは、心身共に自分自身が戦争に加担していて、騙されていたとは言え、戦争を遂行してきた一員なのであって、語りにくかったのだ。きっと世の中には、口には出さないが、戦後、罪深く感じ、恥じる思いをした人が、数多くいたのだ。

 今、敵を作り、戦争の準備をしながら、戦争はしません、と言う、支離滅裂な言語に騙されてはいけない。いつか、馬鹿な人々は、やれやれ、殺せ殺せ、と言い出す。英太は、軟弱と思われ、非国民にされそうだ。

 しかし、村岡花子も、戦後、猛烈に反省したに違いない。

  赤蜻蛉に 囲まれて空を 見上ぐる

2014年   9月7日    崎谷英文


情報と馬鹿

 情報は知識の源である。情報がなければ、我々は何も知らないことになる。自分自身のことは、外部情報がなくとも内部情報で、一応は承知する。しかし、外部のこと、周囲のこと、他人のことは、情報があって初めて知ることができる。自分自身の情報も、また、外部からの情報との擦り合わせにより、より確かな知識となり得る。

 情報を得た後どうするかと言えば、その情報を知識として得て、さてどう考えればいいか、さてどうすればいいかということになる。その為には、先ず、その情報を処理する必要がある。第一に、その情報が、事実として正しいかどうかを見究めることである。

 人は、正直であることが通常の前提であり、人は見たことを信じ、他人の言うことを信じる。しかし、見たと思ったそのことが何であるかを錯覚することもあり、幽霊を見たと信じ込んだりする。また、他人が偽りを述べていることもあり、嘘を信じたりする。目をよく見張り、耳をよくかっぽじって、真偽を判断せねばならない。悪意のデマもあれば、善意の噂もある。

 何も人は、嘘をつこうと思って、嘘だと解っていて、嘘をつくとは限らない。嘘だと知らず、真実だと信じて、嘘をつくことがあるから困ったことになる。何故、人が嘘だと気付かないかと言えば、人は馬鹿だからである。真実を究めようと悪戦苦闘しながらも、人の到達する所は、浅瀬の波打ち際であって、真実からは程遠い所にある。人は、その到達した所を真実と誤信してしまう。

 信じる者は救われる、鰯の頭も信心から、と言うが、信仰でなくとも、何事も信じれば収まる。人の能力なんぞは、たかが知れていて、考えれば考えるほど物事がよく理解できるのかと言えば、そうとは限らず、考えれば考えるほど訳が分からなくなり、謎が深まったりする。情報を多く得たからと言って、本当のことが良く解るとは限らない。情報が多くて、余計に解らなくなったりする。

 人は、馬鹿で愚かだから、多すぎる情報は、上手く処理できない。その情報が真実であるかどうかの見究めは極めて困難になり、そうなると、手っ取り早く、適当なもっともらしい情報に飛び付き、信じ込む。それは、もはや、思考停止に陥っているのだが、そうとは気付かず、あたかも、自分自身の正しく知り得た情報だと思い込み、信じ込む。

 現代は、情報過多の時代であろう。その情報過多の中で、全ての情報を分析、総合して、自分なりの理解を深めていくということは、やはり、人は馬鹿で愚かだから、難しい。昔は、楽だっただろう。情報は、家族の内と村の中にしかなく、その少ない情報の中では、情報処理は、少々の馬鹿でもできただろう。そして、情報が少ないからと言って、世の中を正しく理解していないとは限らない。

 むしろ、現代の方が、人々は世の中を正しく理解していないのではないか。余りの情報過多の中で、思考は停止し、あるいは情報不信に陥り、情報に不感症になり、神経が麻痺していき、遂には、情報への拒否反応を示し、情報を無視する。昔は、情報は量も少なく、全て身近なものであり、情報の一つ一つを我が身に関わるものとして、吟味し理解しようとして、馬鹿でもできた。

 しかし、今は、情報の多くが他人事となる。世界のどこかで戦争があり、多くの人が不条理に死んでいっていることが、情報として伝えられても、多くの人にとって、そんなことは、遠い見知らぬ世界の出来事であり、目に留まり、耳に入ってきたとしても、見知らぬふりをして生きていく。あるいは、そんな悲惨な状況を見知ってはいても、木枯し紋次郎であり、あっしには関わりのないことと誤魔化すしかない。

 そう言った馬鹿で愚かな人々を、また馬鹿で愚かな権力者が、情報を操作して、操っているのが、今の世の中か。馬鹿が情報を独占するとしたら、とんでもない世の中になる。大衆は、騙されるばかりとなろう。昔、鶴田浩二の歌で、右を向いても左を見ても、馬鹿と阿呆の擦れ違い、というのがあった。馬鹿は死ななきゃ治らない、としたら、絶望的か。

  暮れゆきて 疲れ果てぬや 法師蝉

2014年   8月31日    崎谷英文


ポトラの日記13

 昨夜、突然の豪雨がやってきた。僕は、相棒がそろそろ帰ってくるだろうと、ガレージの横でうとうとしていたのだが、その時、突如大雨である。もう、目の前は雨脚がカーテンのように塞がって何も見えず、ガレージの屋根に降り付ける雨音は、それこそ轟音であり、足下に水が流れ出した。

 僕は、慌てて、家の裏に走ろうとしたが、この強い雨に打たれては、身体が壊れるかも知れないと思い、ただ、その場で身を縮めて蹲っているしかなかった。きっと、このような雨が、広島に降ったのではなかろうか。一時間に100mmの雨量と言うのは尋常ではない。こんな雨は、僕の初体験だ。

 このまま続くと、広島で起きたような災害が起こるのではないかと案じていたのだが、20分も経たなかっただろうか、ふと小止みになり、暫くして、雨は止んだ。僕は安心して、背筋を伸ばし、ゆっくりと側溝の方に近づいてみると、水が溢れんばかりに流れている。広島では、このような雨が、2・3時間も続いたのだ。

 しばらくして、相棒が帰ってきた。相棒は、塾から帰ろうとしたとき、突然の大雨で、戸を開けたら、雨の壁に阻まれ、しばらく様子を見ていたのだと言う。気が付くと、母のダラと兄貴のウトラもやって来ていて、お互いに無事を確認し合った。みんなで、食事をしようとしたが、食事の皿には水が溢れていて、相棒が逆さにして空にして、そこに食事を入れてくれた。

 広島では、局地的集中豪雨により、土砂崩れ、土石流が起り、大災害になったと言う。局地的に次々と雨雲がなだれこむという、特異な気象条件になり、短時間の雨が、山を崩したのだと言う。山の土質が、花崗岩の風化した真砂土であったために、被害は大きくなったのだと言う。さらに、夜中の丑三つ時の豪雨、土砂崩れだったことも被害を大きくしたと言う。

 実際、さっきの雨が続いていたら、広島のように、この近くでも土砂崩れが起きていたかもしれない。それぐらいの激しい雨で、ただ、さっきの雨は、狭く小さな雨雲であったために一時的豪雨で済んだ。

 広島での短時間集中豪雨を、より正確に予測することができていれば、速やかに事前に避難指示が出されて、人身被害は少なかっただろう。しかし、自然は、人の能力を楽々超えている。今、余りに、所々で、集中的豪雨による思いもよらない被害が多すぎないだろうか。世界的にも、様々な地域で、異常な気象変化による被害が増えている。

 気象というものは、例えば、日本の空だけで決まるのではなく、世界中が連動していて、こちらで大雨なら、あちらではからからに乾いたりしていて、地球全体の空を見なければその変化は読み取れない。気象予報士たちは、世界中の雲の様子、気温、気圧配置などを知ってはいるのだが、気象の変化を正確に読み取れる者は、誰もいない。

 僕は、毎日の空模様が楽しみなのだ。晴れの日、雨の日、曇りの日、雪の日、それぞれの季節、それぞれの天気により、空の景色が変わり、山の景色が変わる。一つとして同じものはない。さて今日はどんな天気になるだろうかと、毎朝、わくわくしている。自然が与えてくれるものは、一つとして同じではない。僕は、ただ与えてくれるものを受け取るばかりだ。

 人は、自然を支配できないのはもちろん、制御もできず、空模様の変化を正確に予測することさえできていない。相棒は、天気予報を信じ、今日は田んぼに水を入れなくてもいいと思っていたのが、いっこうに雨が降らなかったなどとぼやいている。

 むやみと、山を切り開いて住宅地を造成したり、海を埋め立ててビルを建てたりしないほうがいい。自然は、人の予測を超えた化け物なのだ。対策を立てればいいと思っているうちに、自然は、また猛威を振るうだろう。そろそろ、小さな人間として身の丈に合った生き方を考えるのがいい。

 今朝、空はどんよりとして、暫く青空は望めそうになかった。

  山低く 雲一筋に 月赤し

2014年   8月24日    崎谷英文


火祭り

 前日から停滞前線が日本列島にかかり、そこに南から湿った風が吹いて、日本の所々で大雨をもたらしていたのだが、太市の里にも、時折激しく雨が降り、八月十五日の奉点燈祭、盆踊り、火祭りが、予定通り行われるのだろうかと案じていた。だが、その日は、雨は、時々小降りがあるものの、どんよりとした空のまま、我が家で友人たちと昼から飲み食いした。

 死者たちが帰ってくると言う盂蘭盆であり、多くの人が墓参りをするときであり、日本中で、帰省の波が揺れ動く。しかし、以前のように故郷に親や長男家族が残ったまま、都会に働き、盆と正月に帰ると言う風習も、親はすでに亡くなっていたり、子供たちもみんな街に出てしまっていたりして、古い家は荒び傾いて、残っていた親たちも入院したり、介護施設に入ったりしていて、昔日の帰省のラッシュは薄らいでいる。

 気のおけない連中たちと呑んでいると、玄関のベルが鳴る。太市中の村の電気屋さんの奥さんである。太市中の実家の斜め向かいの、以前から入院されていたおじいさんが亡くなったと言う知らせであった。二年前に奥さんが亡くなっている。盆に還ってくるいのちもあれば、盆に往くいのちもある。行ったり来たり、世の中に決まった道はない。その家には、三人の息子たちが残る。

 八月十五日と言えば、終戦記念日でもある。太平洋戦争において、多くの兵士たち、民間人たちが死んでいった。死んだ彼らが、一斉にこの世に戻ってくるのであろうか。だとすれば、日本は賑やかになるのであろうが、そんなことを言えば、不謹慎か。静かに、死んでいった彼らのことを思い出すのがいい。彼らも、静かに戻り、静かにまた戻っていく。思い出すことにより、彼らのいのちは、我らのいのちの中に宿り続ける。

 第二次世界大戦において死んでいった人たちを、犬死だと言えば、怒られるのであろう。しかし、決して美化してはいけないのだと思う。個人のいのちよりも大切に守らなければならないものがある、と信じて戦った兵士たちの心は純情であったかも知れない。これ以上の犠牲者を出さないように戦争を終結させるために、日本の本土を空襲し、原爆も落としたのだ、とアメリカ軍は言うのであろう。

 しかし、結果、悲惨な殺し合いであったことに変わりはない。よく言われるが、戦争では、多くの人を殺した者が英雄になる。そんなことはあってはならないのだが、戦争は、人を狂気に導く。日常ならば、その異常さに気付くはずなのに、戦時の中では、他人のいのちを屁とも思わなくなる。そんな中で、とんでもない暴虐、大虐殺も生じる。彼らを、無責とは言わないが、戦争の罪でこそあろう。

 大いに飲み食べて、夕方、破磐神社に向かう。雨はほとんど降っていないのだが、とにかく蒸し暑い。酒を飲んだせいもあろう、汗が体中から染み渡る。播州音頭の盆踊りが始まり、輪の中に入って踊ろうとするのだが、難しいリズムであり、幾らベテラン衆の真似をしようとしても、上手く踊れない。しかし、子供も多く輪の中にいて、浴衣姿の女性たちに囲まれて、面白かった。真二が上手かった。

 その後、火祭りである。今はもう跡しか残っていないのだが、少し北の峯相山の頂上に鶏足寺という大きな寺があったのだが、天正八年、本能寺の変の二年前、1580年に、秀吉の中国征伐の際に、従わずに焼打ちに合ってしまい、その僧侶や氏子たちの供養として始まったと言う。焼打ちのとき、黒田官兵衛もいたのだろうか。

 「目出度目出度が、三つ重なりて、鶴が御門に巣を掛ける。おもしろやなんじゃいなお,ひょうたんや、さあ、えんとえんと」の歌の後、松明を叩きあい、火の粉を浴びる。ひょうたんとは、秀吉の旗印か。小学生の子供たち、四十二歳の年男たちが演じる。英太も、太市に帰ってきたその年に、後厄の男として参加した。もう二十年も前の話である。

  やさしくも あらあらしくも 夏の水

2014年   8月17日    崎谷英文


第一次世界大戦

 ちょうど100年前と言っていいだろう、1914年7月28日、オーストリアのセルビアに対する宣戦布告により、第一次世界大戦は始まった。オーストリアの皇太子夫妻が、ボスニアのサラエボで、セルビアの青年に暗殺されてから、ちょうど一か月後のことであった。ロシアは、セルビアにつき、ドイツはオーストリアにつき、戦いは広がっていく。

 帝国主義の華やかなりし頃であり、ヨーロッパ諸国、アメリカ、そして日本も、アジア、アフリカに領土、権益、利権を求め、独占資本家と国家権力とが結びついた対外膨張競争の時代であった。今の状況と似ている。ドイツはドイツ帝国になって、ベルリン、ビザンチウム(今のイスタンブール)、バクダッドを結ぶ3B政策を進め、イギリスは、カイロ、カルカッタ、ケープタウンを結ぶ3C政策を展開していた。

 ヨーロッパ内においては、ドイツ、オーストリア、イタリアが三国同盟を結び、イギリス、フランス、ロシアが三国協商の関係を持ち、軍事、経済面において、連携、対立していた。日本は、ロシアの中国への南下政策を阻止するため、共通の利害を持つイギリスと日英同盟を結んでいた。

 600年続いている強大な、一時は、バルカン半島奥深くまで、アフリカの地中海沿岸一帯まで支配していたオスマン帝国は、徐々にその力を衰えさせてきていて、バルカン半島では、セルビア、ブルガリアなど諸々の民族国家が独立していった。第一次世界大戦の直前も、第一次バルカン戦争、第二次バルカン戦争が起こり、帝国主義の争いの、民族主義の争いの縮図がそこにあった。バルカン半島は、ヨーロッパの火薬庫と言われた。

 ドイツ、オーストリアのパン=ゲルマン主義とロシアのパン=スラブ主義との争いが頂点に達しようとしていた。オスマントルコは同盟国側につき、イタリアは、中立の立場から三国同盟を脱退し、三国協商側につき、日本は、ドイツの中国における利権を奪おうと、中国のドイツ艦船を攻撃し、アメリカは、モンロー主義の中立の立場から、ドイツの無制限潜水艦作戦に対抗して、ドイツに宣戦して行ったのである。

 戦いにおける合従連衡は、古代よりの戦略であるが、その代償はあまりに大きい。同盟すれば共に戦わなければならず、戦いを回避すれば、敵として攻撃されるかも知れない。その頃までのヨーロッパでは、戦争はしばしば行われていて、あるいは短期間に勝敗が決し、あるいは細々と長期に戦いながら互いに疲れて和解したりして、ほぼ局地的な争いが多く、人命の甚大なる被害というものは少なかった。

 しかし、この第一次世界大戦においては、1000万人もの人命が奪われた。そして、戦いは勝たねばならず、そこには、平和も正義もなく、権謀術策が渦巻く。イギリスは、1915年、アラブ人に、大戦後のアラブ人の独立を約束するフセイン・マクマホン協定を結んだ。有名なアラビアのローレンスは、それを信じて、アラブゲリラ部隊を組織し、トルコ軍と戦った。

 しかしまた、イギリスは、1917年、ユダヤ人のシオニズム運動(2000年前にパレスチナを追われ、流浪の民となっていたユダヤ人が故郷のシオンの丘に帰ろうとする運動)に協力し、パレスチナでのユダヤ人の国家建設支持を約束する、バルフォア宣言を行い、ユダヤ人の大富豪ロスチャイルド家から、莫大な戦時資金を得ようとした。イギリスは、インドにも独立を仄めかし、150万人を動員させた。

 さらにイギリスは、1916年、フランス、ロシアと共に、大戦後のオスマン帝国の領土の分割を約束する、サイクス・ピコ協定を結んでいたのだ。ロシアは、黒海沿岸、フランスはシリア、イギリスはイラクの一部、ヨルダンをと。

 これらの秘密裏に行われたおぞましい二枚舌、三枚舌外交の協定が、多くのパレスチナ難民を生み、現在のイスラエル・パレスチナ紛争、中東紛争、さらには、今のイスラム世界とキリスト教世界との紛争の源であったのだ。

 第一次世界大戦の頃、平和への動きもあったのだが、例えば、社会主義を世界的に実現しようとし、戦争はしてはならないとしていたインターナショナル運動も盛んだったのだが、ひとたび自国が戦争に突入してしまうと、彼らはナショナリズム、国家主義に変身してしまったのである。強い心は持てないのか。

 大戦後、反省をしたはずだったが、その大戦後、僅か20年後、第二次世界大戦は起こり、3000万人以上の人々が死んでいくことになる。

 そして、現在、まだ反省していないのか。

  毎年の 無常を学ぶ 青田波

2014年   8月10日    崎谷英文


性善説・性悪説

 司馬遼太郎の書いた有名な「二十一世紀を生きる君たちへ」と言う文章がある。その中で司馬は、二十一世紀を生きるであろう若者たちに提言をしている。思い上がった人間の心を戒め、自然への畏怖、敬意を呼び起こすように説き、自己に厳しく、他人には優しくと言う自己を確立するように話しかける。

 そして、司馬は言う。自己の確立と言っても、自己中心に陥ってはならない、人間社会は、あらゆる自然物の繋がりがそうであるように、人間同士が、また、助け合って生きているのだと。そして、この助け合うと言う気持ちや行動の根本に、いたわりと言う心があると言い、言い換えれば、それは他人の痛みを感じることであり、また、やさしさとも言えるであろうと。

 司馬は、これらの、いたわり、他人の痛みを感じること、やさしさは、一つの根から出ていると言いながら、それは本能ではないと言う。だから、訓練して、それを身に付けなければならないのだと。例えば、道で転んだ友を見て、ああ、痛かっただろうな、と感じる気持ちを、その都度作り上げていくと言う訓練をすればいいのだと。

 人の性は、善なのであろうか、それとも、悪なのであろうか。紀元前四世紀頃、孟子は、人の自然な本性として、人間には、「人に忍びざるの心」が備わっているとして、人の性は善であると説いた。人に忍びざるの心とは、他人の不幸を見過ごすことのできない心だと言う。幼児が、井戸に落ちようとしているのを見て、驚いてとっさに助けようとするのは、人の本性としての、他人を思いやる心なのだと。

 井戸に落ちようとする幼児を助けようとするのは、自分自身の為ではない。幼児の親に感謝してもらおうと言うのではなく、他人に褒められたいからと言うのでもなく、また、ここで助けなければ他人に非難されるからと言うのでもなく、ましてや、謝礼が欲しいからでもなく、人間の本性として備わった他人を思いやる心、惻隠の心が、そうさせるのだと言う。

 対して、孟子に少し遅れて、荀子は、性悪説を唱えた。荀子は、人の性は悪であり、人の善なるものは、偽と説いた。人の善は、生まれついて持っているものではなく、後天的に人為によって獲得されるものであると。人の本性は悪であり、放置すれば自己利益を求め、他人を妬み、他人を貶め、本能の欲望に従うばかりであり、だからこそ、人は教育され、矯正されなければならないのだと。

 司馬が、いたわり、他人の痛みを感じること、やさしさを身に付けるためには、訓練が必要なのだと言うとき、性善説に立っているのであろうか、それとも性悪説に立っているのであろうか。どちらでもいいような気もするが、本能ではない、と言うのだから、性悪説に近いのかも知れない。しかし、司馬は、いたわり、他人の痛みを感じること、やさしさの根は一つだとして、その根を人は元々持っているのだと、言っているのではなかろうか。

 だとすると、訓練をせねばならないのは、この世の、この社会の、滲みついた悪に染まらないようにするためでもあるのではないか。もちろん、孟子が言っているように、生まれ持った善の心を、より確かに充実したものにするためにも訓練は必要だと思うが、現代社会においては、その本性の善を忘れないようにするために、なおさら訓練する必要があるのではないか。

 人の本性は、善だとしても、時に狂気が入り込み、悪心が顔を覗かせる。現代社会において、一人一人と話をしてみれば、みんな善良な心を持っているのだと思うのだが、現代社会の巨大な欲望システムの中に、がんじがらめに絡め取られてしまい、のっぴきならない状況に追い込まれてしまって、人は善なる本性を見失いかけている。

 現代の若者たちが、本来持っているはずの、人に忍びざるの心、人の痛みを感じる心を見失わないように、今一度、世の中を見つめ直さなければならない。

  雷を 遠くに聞きて 山暮るる

2014年   8月3日    崎谷英文


夏の風

 梅雨が明けたその日は、ちょうど土用の入りであった。土用と言うのは、本来、立春、立夏、立秋、立冬の前の十八日間を言うらしいが、立秋前の十八日が夏の土用として、世間に知れ渡っている。この間の丑の日が鰻を食べる日と仕組まれている。この夏の土用は、昔から暑さの盛りであり、大地の生き物たちにとっては、季節の変わり目としての大きな環境変化の頃となる。

 その日の朝早く、まだ、夏の風は涼やかだったが、一匹のミツバチが揺れる木の葉を確かめるように飛んでいる。普通の人なら、そんなミツバチにも警戒するのだろうが、ミツバチは、余程のことがないと人を刺したりせず、たとえ刺されたとしても、スズメバチのような強い痛みも傷害もないだろう。

 ミツバチやチョウたちがいることで、木々の花も咲き、野の花も開き、野菜も実を付けることができる。ミツバチたちがいなくなると、木の実なども少なくなり、木の実を食べる鳥たちも困り、野生のシカやクマも食べ物が減って困ることになる。今、農薬の為に、ミツバチが減っているという話もある。

 今年、英太は、鹿除けのネットを田んぼの周囲に廻らせているが、もしかすると、シカが農作物を狙って山から下りてくるのは、山の木の実が少なくなっているせいかもしれない。自然は、繋がっているのである。

 ところで、ミツバチの巣は正六角形の穴でできているのだが、ミツバチは、六角形の穴を作ろうとして作るのではなく、彼らは、ただ、円く穴を作っているのだと言う。しかし、円を描いてみれば解るのだが、円の周囲に同じ半径の円を描くと、ちょうど六個の円が取り囲むことになり、その隙間が埋められて、正六角形の集まった巣ができるのである。

 この自然の作る正六角形の集まった構造は、ハニカム構造と言われ、空間を効率的に強度に利用する優れたつくりで、人間は、その構造を、建築物や工業製品に利用している。自然は、巧まずして、美しく合理的な姿を作り出し、人々がそれらに学ぶことは多い。カブトムシなどの固い羽の内側に隠された、折り畳まれた柔らかい羽の原理は、宇宙ステーションのパネルに利用されている。

 ちょうどその日は、英太の地区の田んぼの中干しの時期が始まる日でもあった。田植えでは、せいぜい四・五本の苗だったのが、茎の数が分けつによって二十本近くまで増えたところで、田んぼの水を抜き、土にひび割れができるほどに干上がらせる。このことによって、根への酸素供給を助け、土中の有害気体を抜き、根を強く張らせるという、昔からの知恵である。

 朝食の後、田んぼに行くと、もう夏の風は生暖かく、青田の大きな波が揺れている。その上に、赤トンボの、今の季節はナツアカネと言うのだろうが、その大群が飛び交っている。彼らは、小さな虫を食するのであろう、農薬の多く撒かれているような田んぼの上はあまり飛ばない。トンボの飛行は、ヘリコプターよりも、オスプレイよりも巧みで、空中に止まったかと思えば、素早く動き、華麗である。

 土用の土いじりはするな、と言う格言もあるらしいが、そんな時に、田の水が抜けきらないうちに草を取ろうとしたのがよくなかった。暑い陽射しの中で汗だくになって作業していると、頭がくらくらしてくる。これがいわゆる熱中症の前駆症状かと察して、もう温かいと言うより熱くなっているペットボトルのお茶を飲み、休み休み草を抜いていると、突然、鼻がむず痒くなる。

 虫に刺されたと気付き、トラックに常に置いているムヒを塗り、バックミラーで見ると、右の小鼻が、テレビドラマの黒田官兵衛に出てくる、鶴太郎演じる小寺の殿様のように真っ赤になっている。やはり、古人の言うことは正しく、この時期は、おとなしくしているのがいい、と合点する。土用の時期は、自然こそ、大いに活気づくのであろう。

 早々に草取りを切り上げて、夕方近く、再び田んぼに行くと、風はまだ暖かかったが、その激しさを増し、夕日に光る青田の波は、いっそう荒々しい。一羽のシラサギが青田の上から首を出していると思ったら、直ぐ近くから、もう一羽青田の中から首を出した。

  ナツアカネに 包まれ空に 風にのり

2014年   7月27日    崎谷英文


ポトラの日記12

 相変わらず相棒の野菜の育て方はいい加減なのだが、草茫々の中に、トマトやナスやキュウリやピーマンが立ち並び、黄や紫や白の小さな花を、ぽつりぽつりと咲かせながら、それなりの実を作っていくのだから面白いものだ。ろくに肥料も遣っていなくて、野菜たちは、太陽のエネルギーと大地に潜むエネルギーだけで育っていくのだから面白い。

 カボチャなどは、肥料代わりの残飯を畑に埋め混ぜておいた中の種から、芽を出し、茎を伸ばし、葉を拡げ繁らせている。畑には、色々な虫たちがうようよいて、ナスやキュウリの葉は、虫にたくさん穴を開けられて、これで大丈夫かと心配して見ていたのだが、存外、野菜と虫とは敵対するばかりとは言えず、ナスやキュウリも、ちゃんと実を付ける。

 相棒が、折れ取れた、トマトの青い実の大きいのがもう二・三個生っている枝を、畑の隅に刺して支えを作って、水を遣っていたら、一度は葉が茶に萎れ、枯れかけたかなと思っていたのが、何時の間にか、息を吹き返したように青々と葉を繁らせるようになり、自然とは大したものだと感心していると、相棒が、自然は、自ずから然りなのだと偉そうに言う。

 自然というものが、本来野生であり、植物たちも、その野生の中でしぶとく生き残っているのであって、少々の虫に纏い付かれたり、些かの病気にかかったとしても、野生の力は残っているもので、相棒は、その力を信じ、毎朝、何することもなく野菜を見て回るばかりなのだ。野生の力を、野菜が思い出すかどうかが鍵で、もちろん上手くいかないこともある。

 僕が、元々、野生の野良だったのかは、親から何も聞いていないので、確とは解らないのだが、今は、相棒との共同生活であり、半分野良でもあり、全くの野生でないことは確かであろう。それでも、母のダラからは、獲物の捕まえ方なども教わっていて、地面に下りて歩いている鳥を見ると、野性の血が騒ぎ、飛び掛かっていったりする。いざとなれば、この野生の力が役立つ。

 人間たちは、文明というものに毒されていて、人間というものも元々は、野生であったのだろうが、その野生の力など、今は一欠片も残っていないと思われ、いざとなったら、どれだけ生き残れるだろうかと、心配してやったりする。いざとなったら、文明などあてにはならない。

 相棒は、学習塾と言う妖しい夜の仕事もしているのだが、街中からやってくる中学生が、塾となっている田舎の家のトイレへの廊下が暗くて怖いと言うので、苦笑している。夜は暗いのだ。人間は、それさえ見失いかけている。男で、洋式の便座に座らないと、おしっこもできないような子もいるらしく、それでは、野に放り出されたら、生きてはいけないだろう。

 文明というものが、本当に立派なものなのかが怪しいのであって、人間たちは、そんなに楽をしたいのか、そんなに豊かになりたいのかと思う。文明の豊かさは、人間を不自由にさせている気がする。人間と言うのは、本当は怪しい、心を麻痺させるような、この文明、この豊かさの為に、戦争もし続けているのではないか。

 僕も、この文明のお蔭で、楽に生きていけるのかも知れないが、僕は、何時ももやもやしていて、こんなのは本当の自由ではない、と思っていて、時々、ふらっと相棒から離れて、二・三日放浪する。そんな時、あゝ生きている、と実感したりもする。

 部屋の中の飼い猫たちは、飼い猫らしく生きることを運命づけられているのであって、もういったん、ぬるま湯のような生活に浸ってしまうと、わくわくするような自由な野生生活など、考えもしなくなる。

 人間も似たようなもので、世間の常識的な生き方に嵌め込まれるように育てられ、豊かさへの渇望から逃れられず、本当の自由を見失っていることに気付いていない。

 相棒が、玄関の戸を開け出てきた。僕が、昼寝から目を覚まし、声を掛けて近寄ると、トンボだ、と指差して教える。ナツアカネだろうか、畑の上、空中で一瞬止まり、またすばやく動く。

  トマトの実 傷つきながら 葉に隠れ

2014年   7月19日    崎谷英文


考えない人

 ロダンの「考える人」は有名だが、人は考える時、いつも、あの椅子に座って如何にも考えるようにして考えているのではなく、日常ぼうっとしながらも何かしら常に考えている。英語のthinkは、思うでもあり、考えるのでもあるのだが、日本語で言えば、思うと考えるは、少々ニュアンスは異なり、思うには感じることも含まれているし、考えるという言葉には、ロダンの「考える人」のようにあれこれ苦悶する様子も強い。

 とは言え、思考するという言葉もあり、思い考えることは、人の心の存在を証明するものとも思われ、デカルトが「我思う故に、我有り」と看破したことは有名である。人は、特に新人、ホモ・サピエンスは、賢い人なのであり、考えることのできるのが、人の人としての意義ある特徴であろう。とは言え、サルは考えないのかと言えば、サルもいろいろ考えるであろうし、イヌやネコもまるっきり何も考えないわけではなさそうだ。

 しかし、人が考えるという時、彼ら、サルやイヌやネコとは、少し次元の違う、やはり、そこには、人間としての考えるという意味が読み取れる。サルやイヌやネコは、考えると言っても、本能に導かれた中での自己の生存と存続の為の反応に近く、彼らは充分に環境の変化を感じ取り、その変化に対してどうすればいいかを、彼らなりに考え反応している。しかし、それでも、彼らが考えるということと、我ら人間が考えるということとは異なるだろう。

 何もサルやイヌやネコを馬鹿にしているのではない。何も人間だけが特別に優れていると言うのでもない。人が考えることも、やはり、本能に導かれたものであり、考えることの理由の根底には、生存と存続と言う目的が隠れている。考える必要もなく、何の心の愁いもなく、生きていくことができれば、人もまた余り考えないのではなかろうか。しかし、人は、そう簡単に、能天気に生きていくことができない。

 人間一人、個人の生に関しても、いずれ老い、病を得て、死に至ると言う定めであることを自覚するのが人であり、悩みは尽きず、苦は付き纏う。そのことを覚悟する時、人は、では、どうすればいいのか、と考えるのではなかろうか。それは、サルやイヌやネコの考えるのとは違った、新しい次元の思考であり、人こその持つ心の働きなのであろう。

 人が人として考えることができると言うことが、人が人たる所以だとしても、存外きちんと考えることは難しい。考えない方が、楽だからである。人は、常に何かしら考えているのだとは思うのだが、易きに流れ、自らの頭の中で、自らの心の中で、煩悶して丁寧に考えているのかと言えば、余りそうではなさそうだ。大きな大人になれば、しっかり考えるのかと思えば、そうでもなさそうなのだ。

 人が考える時、自分が考えるのであって、他人が考えるのではない。ところが、人は自分が考えていると言う時、その考えていることが、実は、自分が考えていることではなく、他人が考えていること、他人が考えていたことの借り物、受け売りであることが、結構多い。他人の考えであっても、自分の頭の中、心の中でゆっくりと吟味して、検証して、自分の考えとしていればいいのだが、単純な他人への迎合であることが多い。

 そうなると、偉そうなことを言っていても、サルやイヌやネコと変わらない、ただ環境に敏感に反応しているに過ぎないのではないか。教え込まれた伝統的観念から抜けきれなかったり、組織の中で同族意識が植え付けられたり、権威の前にただひれ伏したり、流行に惹かれるままにのめり込んだり、世の雰囲気、ムードに押し流されたり、自分で考えているようで、ほとんど自分では考えていないのではないか。

 自分で考えないで生きていくことができれば、それもいいのだが、そんなに人は愚かな馬鹿になり得ず、何処かで、ふと、これでいいのかと感じるはずなのだが、それを感じないまま、人生を全うする人も多くいて、この世は、特に現代は、自分で考えない人によって動いているようで、恐ろしい。

  慈雨なれど 過ぎては妖し 夏嵐

2014年   7月13日    崎谷英文


戦争放棄

 日本国憲法前文、第一文、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

 日本は、第二次世界大戦、太平洋戦争において、多くの日本人たち、外国人たちが殺し合い、悲惨な結果を招いたことを悔い、反省し、日本国として、二度と戦争を起こさないということを決意している。

 日本国憲法前文、第二段、第一文、「日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

 恒久の平和を念願することは、多分、普通の人ならば当然のことであろうが、日本国民は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう、と決意したのであって、そこに人間関係を支配する崇高な理想を見い出して、覚悟を持って、日本国民の安全と生存を、世界の人々への信頼に懸けている。信頼し合う関係こそ、崇高な理想である。

 日本国憲法前文、第二段、第二文、「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

 国際社会が、平和を維持し、専制と隷従、つまり、民主的でない専制政治や独裁政治、それに連なる、自由なる批判の許されない隷従し支配される国民であること、圧迫と偏狭、つまり、他国に対し力で圧迫を掛けて言うことを聞かせようとしたり、他国を仲間外れにしたりいじめたりしたりするような関係を除去しようと努めていると信頼し、その中でも、日本は断固として、平和主義を何があろうと貫く名誉ある国家たらんとする。

 日本国憲法前文、第二段、第三文、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

 全世界の全ての人々が、平等に、戦争の恐怖や貧困という欠乏から免れ、平和のうちに生きていくという権利、平和的生存権を持つと確認している。宮沢賢治が、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。」と言ったように、世界から戦争を無くし、貧しくて苦しむ人々がいなくなるようにしなければ、日本人は幸福になれない。

 日本国憲法、第九条、第一項、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

 国権の発動たる戦争を放棄しているのであり、本来は、自衛戦争も放棄していることは、憲法前文の覚悟からしても明らかだと思われるが、百歩譲って、殴られようとして殴られるのを防ぐ正当防衛としての個別的自衛権は認められるとしよう。

 日本国憲法、第九条、第二項、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 前項の目的とは、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求することであり、その目的のために、軍隊はもちろん、軍隊のような戦力も持たないと宣言する。自衛隊は、今や、軍隊であることは明白であるが、警察予備隊、保安隊、自衛隊と、なし崩し的に、組織化、装備化されてきたもので、どうやら、世間では、違憲とは思われていないようであるが、英太は、自衛隊は違憲だと思っている。

 かろうじて、戦争をしない国、戦争放棄の国として、世界から少しは認められてきた日本が、遂に、戦争をする国へと変わっていくようである。集団的自衛権の行使を認めることは、幾ら歯止めがあると言おうが、主観的判断でしかなされず、歯止めなどなく、戦前、戦中を振り返っても分かるように、結局は、自衛などと称して戦争をするはめになる。太平洋戦争はもちろん、古今東西、あらゆる戦争は、自衛のためと宣言されて行われている。

 日本の、日本国憲法の戦争放棄は、放棄された。

  欠伸して 世を捨て行かん 昼寝せん

2014年   7月6日    崎谷英文


分かち合う

 資本主義という大義名分は、人の欲望を開放し、自由に利益を追求することを持って善しとし、人とは先ずもって利得することを本分とするという人間観が、もう、近代以来ずっと続いていて、その流れの中でしか人々は生きていくことができないような社会の仕組み、世の中のシステムになっていて、全ては、その欲望の追求、利益獲得という生き様の中で競争していくというスタイルが定着している。

 その世界では、多くを得る者と少ししか得ない者とが生じることは、当然の成り行きとして、それが、浅ましきこととか、慎むべきこととか、悲しむべきこととか、憐れむべきこととかなどでは決してなく、強欲を本分とし、慎ましさを悪徳とし、全ては競争原理の下、奪い合い、騙し合い、博打の駆け引きのような実体のない幻想の世界で、ただ勝ち続けることが要請される。

 人々は、そんな社会の仕組みを叩きこまれて育てられ、勝つか負けるか、得するか損するかで人生は決まるかのように思い込まされて生きてきていて、人々に格差のできることは当然として、それがこの世の当たり前のこととして、自分が勝ち組になるか負け組になるかばかりに気を配り、勝てば有頂天になり、負ければ意気消沈する。

 敗者は勝者を、僻み、妬み、羨むのだが、この世が悪いのだと申し立てることなど到底できなくて、世を拗ねて生きるか、仕方がないと勝者からのお恵みを乞い願い待つ身となり果てる。この世の仕組みが悪いのだと訴えることは、自らの無能を表明するのに等しいと感じられ、異議申し立ては、躊躇われ、憚られ、ただただ、運の悪さを呪うばかりとなる。

 勝者が利益を独占し、それを敗者に分け与えることによって、この世の不平等を覆い隠し、敗者の不平不満を繕っていくのが、現代の世の仕組みであり、勝者たちは、利益を独占することに、些かの後ろめたさも感じず、敗者からの非難を受けないように、敗者の暴発を防ぐべく、富、財の僅かばかりの一部を分け与え、この社会を維持しようとし、その分け与えを、自らの慈悲の心と勘違いしたりする。

 富の偏在を認めるのが資本主義なのだろうが、そもそも、この世の富というものは、この世に生きる全ての人々の共有物ではなかったのかと思うのだが、そうすると、誰かが富を得たとしても、その富は、仲間たちとの、生きる全ての人々との共有物であり、それが分配されるということは、当然であり、財を得た者が得られなかった者に、その財を分配することは、分け与えることではなく、優しい恵みでもなく、ただ、元々の共有物を分かち合っていることになるのではないか。

 狩猟の時代、人は獲物を独占することはなかったし、今でも、アフリカのピグミーやブッシュマン、パラグアイのアチェや北極に近いイヌイットも、獲物はみんなで分かち合っている。(山極寿一、「暴力はどこからきたか」)それは、交換とか売買などでは到底なく、いつかお返しをしなければというよなお互い様という意識もなく、贈与でもない。どんな誰かが手に入れたものでも、みんなのものなのである。

 農耕の時代に入り、自ら作り出した農産物の所有が始まり、その農産物を産出する土地に対しても所有するという観念が生まれたのだろうと推測するが、元々この世の全ては、みんなのものだったのだ。何も原始時代に戻れ、狩猟採集時代に戻れとは言わないが、本来、人はこの世のすべてのものを共有しているのだという観念は、思い起こし、呼び起こしてもいいのではないか。

 富の偏在を認めてしまっているような社会であるが、たまたま才能が有り、運が良く、自分の手元に富、財がやってきたとしても、それは、元々みんなのものだったのではないか。だとしたら、その富、財を分配することは、分け与えるのではなく、giving ではなくsharing であり、分かち合うことであり、助け合いとかでも、福祉政策というものでもない、当たり前のことをやっているだけではないのか。

 だとすれば、強欲な者たちは、強欲であること自体が、間違っているのであり、後でいくら取り繕って、自己満足しても、それは自己欺瞞に過ぎない。

  黒雲や 血を流さんと 雹の降る

2014年   6月29日    崎谷英文


信頼

 国家間の信頼の欠如が、核兵器の存在理由、つまり、あいつは何をやらかすか分からなく変なことをすると痛い目に遭うぞ、と核兵器を持つことで威嚇しているのだが、そもそも、国家が軍隊を持つことも、周辺国家、世界の国々を信頼していないからだと言え、もし本当に、人間というものを信頼し、国家を信頼するならば、核兵器も軍隊も要らない。これが、日本国憲法の立場である。

 しかし、どうやら世界の国々は、そんなに信頼し合ってはいず、同盟国と言われるような国々の間でも、特に大国が、現代の発達した通信機器技術を利用した、また、人工衛星も利用した、国々の政府、さらにはその国の人々に対する盗む聞きや盗み見を、隠れて、あるいは平然と行っている状況であり、たとえ口先で信用しているようなことを言おうが、不信感が底に渦巻いている。

 と言うことは、世界の国々が互いに情報を手に入れようと躍起になっているということで、世界中で監視し合っているということで、そこには互いの信頼感などあるとは思えず、たとえ、それが、危険を回避するための仕方のない方策だとしても、互いの疑心暗鬼を増長させるだけで、そんな機密情報取得合戦こそ、世界を信頼の輪から遠ざけ、世界を混沌とさせる。

 渡る世間に鬼はなし、とも言うし、他人を見たら泥棒と思え、とも言うが、世間には鬼も泥棒もいないと信頼したいのが、最も健全な人の心性ではないだろうか。他人を疑いの目でばかり見ていたら、人と付き合うことは疲れるし、知らない人とはなるべく関わらないように身構えることになり、気を楽にして生きていくことなど難しい、ぎすぎす、かりかりした世の中になっていく。

 今は、街の至る所に監視カメラが備え付けられ、優しい言葉に気を付けろと言われ、鍵はしっかり掛けましょうと注意される。英太の携帯メールには、警察から不審者情報がしばしば送られてくるのだが、子供への声掛け事案が多い。子供への声掛けと言っても、「ちょっと、僕。」と声を掛けると、たとえそれが道を尋ねる目的だったとしても、子供が逃げ帰って親に報告し、不審者として警察に通報されたりする。

 その昔、いやほんの数年前までは、道で知らない人に出会っても、きちんと挨拶しましょう、と小学生に教えていたのではなかろうか。今は、知らない人と口を聞いてはいけません、と教えているのだろうか。そうすると、子供は、大人は怖いのだ、人って恐ろしいのだと覚えてしまうだろう。都会の通勤ラッシュでは、互いに傍若無人の冷たく、澄ました顔ばかりの行進になっている。

 最近会わなかったね、どうしてる、と近所のおばさんの話を我慢して聞くような、近くの頑固じじいに怒られて、あかんべーをして逃げ出すような、茄子を一杯炊いたからお裾分け、と隣の若奥さんが持ってきてくれるような、見かけない人を見れば、どちらかお探しですか、と声を掛けるような、鍵など掛けなくても、どうせ盗られるものなどないのだから、というような、そんな社会は、もう全くの郷愁でしかないのか。

 人は、信頼し合いたいと思っているに違いないのだが、現代社会は、人の不信を煽るばかりで、何か事あれば不安になり、誰も信用できなくて、孤独になっていきそうで、素直で優しかった人々が、陰険になり、横目で監視し合い、他人の不幸を蜜の味と思い込んだりして、あげくは、他人を貶めようとしたりする。

 人が信頼したいと思っているところに付け込む輩が、オレオレ詐欺をやり、ひとたび信頼されたと勘違いして、人気のあるうちにどさくさに紛れて、戦争をする国にしようとする政治家がいて、この世は、もはや信頼するに値しないのかも知れないが、それでも、英太は、善良な人々を信じたいし、純情な若者を信じたい、と微かに思う。

 人は、騙そうとして人を騙すのだが、ポトラは気ままだが、英太を騙しはしない。騙すのは、人だけだ。

  夏の月 窓の灯りが 一つ消え

2014年   6月22日    崎谷英文


抑止力

 核兵器は世界の中で十か国ほどが所有しているというが、多分、全世界の人は、その兵器は絶対使ってはならないものだ、と思っていると思うのだが、だとすれば、絶対使うことができないものを、どうして多くの国が持っているのかと言えば、それは、抑止力だと言う。核兵器を持つ、あるいは核兵器を持っている国と同盟を結ぶことで、他国からの侵略に対しての抑止力になるのだと言う。

 しかし、考えてみれば、馬鹿げたことではないか。決して使ってはいけないようなものを持っていることが全くの無駄であることは、普通の感覚だろう。せいぜい、武器を持つことで安心するということだろうが、絶対使ってはいけないような武器を持っていることが安心につながるとは、何とも奇妙なことではないか。こう言った素朴な疑問を、人々は持たないのだろうか。

 仮想の敵国が核兵器を持っているとしたら、そして、もしその国が核兵器を使ったとしたら、報復として、逆に核兵器を見舞われる、というようにしておかないと、いざ、本当に敵対し、戦争状態になった時、困るという不信感によるものだろう。世界全体が平和にならない限り、抑止力としての核兵器は必要なのだと言うことなのだろう。

 しかし、もし、日本が、日米同盟と今は世間で言われている日米安全保障条約を結んでいなかったとしたら、戦後日本は、核兵器によって潰されていたのだろうか。これからの将来も、日米安保条約というものがなくなれば、日本は他国に侵略されるのだろうか。

 世の中何が起こるか分からないのは、自然災害と同じで、いつ何時、日本が巻き込まれそうな戦争が起こるかは分からない。しかし、日本は、何があっても戦争をしないのだ、戦争に巻き込まれることもしないのだ、と言って、日本国憲法ができているのではないだろうか。

 戦争は絶対にしないと心から誓っている国に、戦争を仕掛ける国があるだろうか。あるかも知れないという現状なのだと人は言うかもしれない。しかし、それはきっと、日本が、あるいは日米が、戦争のできる国だからこそ、相手に警戒されているという状況なのではないか。全く戦争をしない国で、国家として国民として悪いことをしない限りの日本は、他国から侵略されることはないのではないか。

 現に、日本海で、東シナ海で、領土が奪われているではないか、と言われるが、領土として争いのある土地に関しては、互いの言い分がそれぞれあるのであって、仕方がないのであって、息長く相手国と交渉するしかなく、よしんば、少々呉れてやってもいいではないか。などと言うと、非国民と言われる。

 しかし、世界の国々で、何故対立が生まれるかと言えば、それは、個々の人間と同じで、経済的格差の問題が大きいが、それに日本の場合は、太平洋戦争の侵略国の立場であり、その侵略国が、侵略された国よりも豊かになっている(英太は、決して豊かとは思わないのだが)ことが、やはり、人間同士と同じで、恨み、妬まれる存在なのであって、だからこそ、日本をぎゃふんと言わせたいと思う、大戦の被侵略国があるということも、対立の大きな要因だろう。

 だとすれば、それこそ悪いことをしたと謝り、その侵略された国々のことこそ、日本よりも優先して豊かになるように気遣い援助していくことが大切なことだと思われるのだが、どうやら日本人は、大戦の反省を忘れ、俺たちは立派にやってきたのだ、ざまあみろ、とばかりで、果ては、実は戦争で日本は悪くなかったのだとまで言い張りそうな気配で、ならば攻めて来い、戦ってやると開き直ろうとしているようだ。

 日本が戦争のできる国になることが、戦争を起こさない抑止力になるのだという、笑止千万な理屈が通れば、いずれ、日本の自衛隊が他国の人々を殺し、自衛隊員が他国の人に殺される事態を呼び起こすだろう。蟻の一穴から堤は崩れていく。

  一斉の 代掻き海を 作りたり

2014年   6月14日    崎谷英文


夏の雨

 これまで乾燥注意報が毎日のように発令されていたのが、久しぶりにまとまった雨が降り、気象庁も梅雨入りしたらしいと宣言した。夏の雨は慈雨である。稲作においての田植え時には大量の水が要り、夏に雨が降らないと田植えができず、米が作れなくなるので、梅雨に入ると言うことは、米農家にとって嬉しいことになる。

 しかし、その後、気象庁の天気予報が怪しくて困っている。今、英太は稲の苗床を作り育てているのだが、水を切らしてはならず、日に二度か三度水を遣っているのだが、ここ二・三日、姫路の天気予報が太市に当て嵌まっていないのか、今日も夕方には雨が降るという予報をしていたのだが、きれいな青空が広がるばかりで、雨の降ることを期待して苗に水を遣ることを控えていたのだが、これでは雨は降らない、と急遽帰って水を遣ったりしたのだ。

 今の時期の天気予報は難しいのかも知れないが、やはり人間の能力の限界かも知れない。人間は自然の中で生きてきたのだが、これまで、何度となくその自然の脅威に見舞われている。気象庁というものができて、天気予報というものがなされるようになり、今では、全国の多くの地点に観測所が設けられ、また、世界中からも多くの観測結果が届けられているのだが、それでも、正確な天気の予測は未だ難しい。

 人間の科学文明というものは、自然の真実の姿を見つけようとすることに始まる。無限に大きな宇宙の世界について、また、無限に小さな素粒子、さらにそれよりも微小な世界について、人間は未だ正解と言われるような真実の姿を見い出してはいないが、かなり、その真実に近づくまでにはなっているのかも知れない。

 しかし、人間は、はっきりと自覚しなければならないことがある。たとえ現代のように科学が発達したとしても、自然の真実に近づいているとしても、結局は、人間は自然を制御できないということを。

 人間は、科学によって、こうすればああなるということを、数多く解明してきた。しかし、こうすればああなるということが解って、そのことを利用することができるようになったとしても、実際の所、どうして、何故、こうすればああなるのかという真相は、見つけていないのではないか。自然はそうなっているのだ、としか言いようがない。人間は、自然を作れないのだ。

 実験室で、化学物質のみを用いて光合成を再現することはできるかも知れない。動物よりも動物らしいロボットも作ることはできるかも知れない。人間の臓器の働きをする人工の器械も作っているし、人工のダイヤモンドも作ってきている。しかし、それらはすべてまがいものでしかない。自然の中の生き物を創生することはできず、人工のダイヤモンドも、やはり、自然のものに較べれば劣る。

 結局は、人間は、自然の中にあるものを利用することしかできない。稲の種もみを人工で作ることはできず、せいぜい様々な種を交配させて、新しい種を作ることぐらいしかできない。太陽エネルギー以外、地球上にある資源からしかエネルギーを作り出すことはできない。今、この世に散乱する機械製品、様々な物質も、全て自然の中にあるものを利用して変形させたものに違いない。

 多くの人間は勘違いしているのではなかろうか。人間は、地球上の王者であり、万能の力を有し、自然を制御できるのだと思ってはいないか。人間はそんなに偉くない。間違いなく、何処まで行っても、人間は自然の奴隷でしかない。何処まで行っても、自然と上手く付き合っていくしかない存在なのだ。人間こそが、自然の産物であり、自然の一部であり、自然に制御されていくしかないのだ。

 自然は、あらゆるものが、近づきながら遠ざかりながら、常に互いに反応し影響を与え合い、循環しながら存在している。人間もまたその中にいて、循環するエネルギーを受け取り受け渡しながら存在している。今、人間は大きな錯覚をして、人間だけで生きていくことができると思っているのかも知れない。

 明日は、雨が降るのだろうか。天気予報はあまり期待しないで、やきもきしよう。

  峰に湧く 雲や大地と 呼び応ふ

2014年   6月8日    崎谷英文


立憲主義

 国は人の為にある。人が国の為にあるのではない。日本国憲法第13条、「すべて国民は個人として尊重される。」個人の尊厳の宣言である。このことが転倒され、個人が国家の為にあるとされる時、国家主義、ナショナリズム、全体主義に陥り、個人の基本的人権、自由、平等、平和の中で生きる権利が奪われ、戦争になる。人のいのちは国家の為に犠牲になる。

 人の世界の話である。人の世界では、個人は個人として尊重され、自由で平等で、平和に生きることができなければならない。すべからく、国家というもの、政治というものは、国民の自由と平等と平和を守る為に存在する。この国民の自由と平等と平和を守る為に、憲法がある。

 立憲主義とは、たとえ君主主権の国家であるとしても、君主はどんな政治を行ってもいいと言うのではなく、国民の自由と平等と平和に生存する権利を侵してはならず、その為に君主が守るべき規範としての憲法を定めたものである。国民主権国家においても、憲法の定立により、民主主義の多数決原理によって法を定立する時、憲法に定めた個人の尊厳に反するものは違憲であり、無効となる。

 しかし、たとえその作られた法律、あるいはそれに基づく行政行為が違憲であるとしても、法を定立した者、あるいは法を執行する者自身が、その法、その行政行為の違憲であるかどうかの判断を自らすることは、自身にとって都合のいい恣意的判断にならざるを得ない。だからこそ、その法律、その行政行為が憲法に違反するかどうかを判断する独立の機関が必要となり、それが裁判所である。

 近代的三権分立は、モンテスキューの論に代表される。モンテスキューの三権分立論は、君主主権における権力乱用を防ぐための、立法、行政、司法の均衡、抑制論であったかも知れないが、それは、もちろん現代の民主国家においても妥当する。立法とは、法を定立することであり、その法は、国家、国民を規律する。行政は、その法に基づいて、その法を執行する。税の徴収、道路建設などである。

 司法は、国民の人権を守る為に、国民の権利の争訟に関し、法の支配の下、正義の判断を下す。法に違反する行政の判断、処分を許さず、法に基づく行為だとしても、その法自体が憲法に違反する時は、その法を違憲と認め、その法に基づく行為は許されない。司法はこうして、立法、行政の恣意的判断、恣意的行為を、憲法、法律、そして裁判官自身の良心により、違憲、違法、無効と判断する。

 その為に、裁判官は、独立して職権行使を行なうことが認められ、その身分は保障される。(日本国憲法第76条、第78条)裁判所は、国民の自由と平等と平和に生存する権利を保障する砦なのである。日本では、憲法裁判所というものはなく、抽象的憲法判断はできないが、具体的人権侵害の争訟において、憲法判断をする。最高裁判所が、憲法の最後の番人と言われるゆえんである。

 福井地裁において、大飯原発の再稼働を認めないと言う判決が出た。これは、直接的に憲法判断を含むものではないが、生存を基礎とする人格権は法分野において最高の価値を持つとし、電力供給の安定性、コスト低減につながるという関西電力の主張を、そんなことと、人々の安全に生存する権利とを比較することなど許されない、と断じたのは、正しく、個人の尊厳、個人の生活生存権を重視した判決である。

 戦後、裁判所は、統治行為論というような理屈で、政治的争いのある事項について、憲法判断を回避する傾向がある。しかし、現に国民の人権、平和に生存する権利が脅かされている時、憲法判断を回避してはならないだろう。立憲主義が骨抜きになる。裁判所は、政府の犬になってはならない。裁判所は、独立した司法権の担い手であり、憲法を守る最後の砦なのである。

 この福井地裁の判決も、どうせ上級審では覆されると思っている人が多いのではなかろうか。そんな雰囲気自体、情けない。福井地裁の判決が、他の裁判所にも勇気を持たせ、上級審でも維持されることを望む。

  闇に紛れ 停まる葉のなき 蛍かな

2014年   6月1日    崎谷英文


奈良吟行

 その昔、人は現実的な不老不死など欲すべきでなく、何時死ぬか分からない状況に常にあって、子を多く持っても、その多くが若くして死に至ることを承知し、それはどんな偉い人でも同じで、人々は、この世の空しさを肌身で感じながら生きていたと推察する。運よく飢饉にも合わず、疫病にも罹らず大人になったとしても、老いてゆくことは避けられず、その先に死のあることは明らかであった。

 六世紀の中頃、仏教が日本に伝えられた。宗教というものは、生を超えた死というものを見据えたもので、無常のいのちに死後の安らぎを与える。本来、宗教というものは、栄耀栄華を得るための生きる術を教えるものではなく、死後の安穏を保証するもので、そのためにどう生きるかを教えるものであろう。仏教もまた、仏への信仰により、死後のいのちを与える。

 信仰が深ければ深いほど、この世での不幸は避けられ、死後は仏の国へと導かれていくと信じて、偉い人たちは、その信仰の深さを、仏像を作ることにより、豪華な寺院を建設することにより示し、仏の承認を得ようとしたのだろう。聖徳太子の時代から、飛鳥に、そして大和に、数多くの寺院が建設されていく。

 元来、仏教というものは、この世の幻を説き、形あるものを崇拝することを認めないのであり、全ては心の在り様、あるいはせいぜい信仰行為の在り様を教えるものだろうと思うのだが、そして、そこがまた、原始宗教、太陽や山や海への信仰との違いとも思うのだが、だとすれば、財に飽かして仏像を作り、寺院を作って奉ったとしても、救われる訳ではあるまい。

 しかし、そうせざるを得なかった偉い人たちの心情に、悪意はなさそうだ。仏像を作り上げる仏師の心に穢れはなく、それを作らせ、大寺院を建設した偉い人たちの心にも、それほどの邪心はあるまい。縋る思いを仏に届けるには、そんなことぐらいしか考え付かないであろう。歴史に残らない清貧の僧や仏教信者も、また多くいただろうが、今となっては知る由もない。

 飛鳥路は村の中にあり、山の麓にある。大和の山はなだらかで、竹の秋を迎えて、所々竹藪が黄に色付いている。尾根に至るにつれて、木々は五月の光を浴びて輝く。初夏と言えど盛夏のような陽光の中、苗代水の速さに驚きながら、吟行をした。 仏の顔は様々で、仏を守る菩薩や四天王たちも、また様々な顔と姿態を見せる。

 大和路は 見遣れば緩き 夏の山

 飛鳥寺は、五九六年創建の日本最初の寺と言われる。本尊飛鳥大仏は、六〇九年、止利仏師の作とされる日本最古の仏像らしい。推古天皇、聖徳太子、蘇我馬子らが誓いを立てて発願したものだと言われている。

 夏草を 掻き分け来たり 飛鳥寺

 古の 魂をたずねて 夏の影

 その後、その蘇我馬子の孫、蘇我入鹿が、中大兄皇子と中臣鎌足に殺されたとされる場所、飛鳥板葺宮跡を見る。無常は常であり、権力争いは、今も昔も変わりはない。

 飛鳥を経て、天武天皇、持統天皇の白鳳文化の時代、その頃に、薬師寺は作られた。人々の心身の病を癒すと言う薬師如来が、大伽藍の内に、日光、月光菩薩を従えて、飛鳥寺の大仏よりふくよかな柔らかな顔をして、その姿を現す。真夏のような日差しが、回廊の下にくっきりと影を残す。

 回廊に 吸い込まれ行く 夏日影

 如来も菩薩も、仏への道を行く姿であり、如来はより仏に近く、菩薩はより人に近い。人は仏への永遠の道を辿り続けるのだと言う。

 さよならの 手をした薬師 旅の終

 唐招提寺は、鑑真が中国から五回の渡日を試み、失明しながら、七五三年、やっと日本に来て創建した。中学の社会の教科書に必ずと言ってよいほど載っている綺麗な金堂の中に、宇宙の中心にいると言う廬舎那仏を中央に、薬師如来、千手観音菩薩が配されている。四方には、四天王たちが、仏たちを守っている。庭には菖蒲が色を濃くしている。

 罪咎を すくう千手や 花菖蒲

 仏に現世利益を願うのではない、次の世のいのちを願う。生きている限り、恥多く、知らず知らず罪を重ねることになる。英太は、もはや救われないと解っているが、古の人々の心情もまた同じであったろうか。

  早緑の 苔むす夏や 秋篠寺

2014年   5月25日    崎谷英文


世捨て人

 世捨て人になりたくて世捨て人になろうとしてきたのだが、そう簡単に世捨て人になることなどできないと解ってきて、さてどうしようかと悩んでいるのだが、何の解決策もなくて、ずるずると馬齢を重ねている。空を仰ぎ、山を望み、地を穿り返しても、人の世というものは付いて回り、容易に人の世から解放されそうにない。

 本来、世捨て人というものは、とても偉くて悟りきった人しかなれなくて、それも、この世の確執を、非情をものともせず、きれいに断ち切ることのできる覚悟のある人しかなれないとしたら、英太はとてもできないことだと諦めるしかなさそうなのだ。しかし、そうた易く諦めることも、また悔しくて空しくて、せめて世捨て人の真似事でもできないかと、また空を仰ぎ、山を望む。

 生きていくということは、特に真面目に生きていくということは、とても大変なことで、真面目に考えて真面目に生きようとすればするほど、この世の馬鹿らしさが見えてきて、真面目に生きていくことが空しくなる。だからと言って、不真面目に生きたって、この世の馬鹿に自分の馬鹿が重なり増えるだけで、生きていくことの空しさがなくなるわけではない。

 この世の人々は、存外、元気に楽しく生きている人が多いように見えるのだが、そんなに心に迷いなく心底充実した人の世を送っているのだろうかと訝しい。もしかすると、英太こそ馬鹿で無知で愚か者で、世間の人々こそ賢くて健全でまっとうに生きているのかも解らなくて、英太はますます、己の勉強不足と知識不足と心の貧しさを感じたりする。

 だからと言って、いくら本を読んでみようが、偉そうな人の話を聞こうが、いっこうに、感じている世の中の愚かしさと人生の空しさが拭われることもなく、この年まで生きてきても何も解らないということは、結局は、世の中の人々も、ただ、魔物に憑りつかれ、偏見と先入観の自己満足で生きているだけではないのかと思い付き、やはり、世間は馬鹿だと結論付ける。

 英太のような無能で無力で、地位も名誉も権力も財力もなく、孫子のような賢い策略など、到底思い付かない者が、この世の馬鹿馬鹿しさを感じ取ると、もう、この世を捨てるしかないではないか。もっとも、地位も名誉も権力も財も、英太にとっては、怪しく、厭わしく、嫌悪さえ感じ、そんなものを手に入れる気もなく、手に入れた途端に後悔するだろう。英太は負け犬なのである。

 などと言ってみたりしていると、お前こそ独りよがりの偏見と自己満足に陥っているだけではないかと言われそうだが、全くその通りであるかも知れず、しかし、自己満足に浸っていくほど傲慢にもなれず、苦しみもがき、やはり、世捨て人にならない限り、この苦痛から逃れられないのではないかと思ったりする。

 昔の賢い世捨て人たちは、人間というもの、人生というもの自体の空しさを悟り、世を捨ててきたのかも知れないが、人間、人生の空しさ自体は、今も変わりなく続いている。だが、人の世の醜い有り様もまた変わりなく続き、古の世捨て人たちは、その醜さにも耐えられなかったのだろうと思うが、現代に至っては、その人の世の醜さは一段と酷く、目を瞑っていても逃れられないほどになっている。

 なんとまあ、悲観的で希望のない絶望的な元気のない間抜けな野郎だと思われそうだが、実際そう感じるのだから仕方がない。ただ、そんな世の中でも、人々は何とか善意を信じ、人と人との繋がりを渇望し、身近な人を守るために、健気に汗水垂らし働いている。だからと言って、人々が、特に大衆が賢いというわけではない。愚かである。

 愚かであるが愛すべき人々の世の中であるのかも知れず、世捨て人になりたくて仕方がないのだが、愛すべき人たちと共に暮らしながら、少しでも醜いこの世から遠ざかり逃れようと心砕く日々が続く。

  ぼろ納屋の 玉葱白し 夏の雨

2014年   5月15日    崎谷英文


ポトラの日記11

 鳶(とんび)の小次郎さんが空高く、同じ所を何度も何度も回っている。何か、この世の異変を感じ取ったのであろうか。そして、それを誰かに伝えようとしているのだろうか。小次郎さんは、ただ、気持ちよくこの五月の風を満喫しているだけなのだろうか。僕なんかは、現実には、せいぜい塀の上に上がって下を見るぐらいしかできないのだが、それでも、地上からの景色とは違い、この世の見方が変わる。

 さらにその上から見ると、この世はどのように見えるのだろうか。俯瞰とも鳥瞰とも言い、空高くこの世を見ることは、自分自身を省みるとてもいい機会である。所詮僕らは、大地に足を着けて周囲を見渡すことしかできず、ごく身近なものばかりを見て過ごしていることになる。しかし、僕らでさえ、上から見下ろすしかない大地を這う虫の世界もあれば、どんなに目を凝らしてみても見えない小さな世界もある。

 人間には人間の世界があり、猫には猫の世界があるのだが、人間とても、その生活している世界は、人間中心の、自分中心の狭い範囲でしかあるまい。人はよく、この世はこうなっているのだとか、この世をこういうようにしていかなければならないのだとか、偉そうに御託を並べたりするが、本当にちゃんとした目でこの世を見て言っているのだろうか。

 宇宙から見る地球は美しいと言う。青く輝き、白い雲が絵を描き、裏側は、人工の光で所々光っていると言う。宇宙の広大さを知り、宇宙から地球を見ることも必要かも知れないが、余りに高くて遠い所から地球を俯瞰すると、余程眼が良くないと、小さないのちを見落としてしまう。よく、木を見て森を見ず、とか言うが、森ばかり見ていると、一つ一つの木のことが見えなくなる。

 俯瞰も大切だが、虫の目、虫瞰を疎かにしてはならないだろう。俯瞰が行き過ぎると、虫の一匹一匹のことなど目に入らず、全体としての調和のみを求めようとしてしまう。それはつまり、一匹一匹の虫のいのちなど気にすることはなく、全体として進歩していけばいいのだという考えになりがちである。鳶も鷹も、高くから見ているが、小さないのちを見逃さない。(食べるためだが)

 しかし、人は余りに偉くなると、小さないのちを見逃してしまう。余りに高い所から俯瞰していると、自分自身が空高く位置していると錯覚し、本当は、自分自身もまた大地に足を着けた一匹の虫けらに過ぎないことを忘れてしまう。どんなに偉そうにしても、どんなに高く飛べるようになったとしても、所詮人は、大地に足を着けて生きなければならない存在に変わりはない。

 そうやって人は、自分自身を、あるいは仲間としての自分たちを、一段上の世界に留まらせようとして、あるいは、自分の、自分たちの一段上の世界を築こうとして、小さないのちを見逃して、全体を守ろうと言う屁理屈で、人参を突き付け、餌で釣り上げ、侵略し、戦争をし、地を這う虫たちを踏みつけてきたのではないだろうか。一匹一匹の虫など、目に入っていないのだ。

 俯瞰する力は大切である。日本画は俯瞰が多い。相棒は、まるで方向音痴で、左から入った店を出る時、また左に曲がり、元来た道には戻れない。これは俯瞰の力がないのである。空高く地上を見下ろす感覚があれば、方向を間違うことはないのだが、その能力に相棒は欠けている。周囲の親しい人たちには言ってないらしいが、僕は、相棒がよく道に迷うことを、よく知っている。

 しかし、俯瞰する力も大事だが、虫の眼を持つことも大切だ。身近な小さなものに気付き、そんな小さなものを疎かにしない眼を持つことも必要だ。人間の世界でも、一人一人のいのちや心に目が向けられなくてはならないのではなかろうか。俯瞰ばかりしていると、小さないのちや小さな心は、統計上の取るに足らない資料として、見捨てられるばかりになる。

 僕は夢の中で、時に蝶になり、鷹になり、空高く、地上を見下ろす。また、時に蟻になり、蚯蚓(ミミズ)になり、地上を這いつくばり、地下に潜って、地上を見上げる。天と地を行ったり来たりしていなければ、この世は解らない。

  五月晴れ 鳶見上ぐる 猫がいて

2014年   5月10日    崎谷英文


ポトラの日記10

 ぽかぽかとした陽気になって、僕はガレージの裏の積み重ねられた薪の隙間に入って、よく昼寝をする。此処なら外の自動車の音もあまり聞こえないし、敵にも見つかりにくい。昼御飯を食べた後は特に眠たくなり、青い空を見つめながら、爽やかな風に当たって考え事をしていると、何時の間にかうとうととして眠ってしまう。

 今、考え事をしていたのだ。何を考えていたのだっけ、朦朧とする意識の中で、何とか考えを進め纏めようとしているのだが、気持ちは夢の中に吸い込まれていく。兄のウトラが、右の脚を引き摺りながら僕を追いかけてくる。脚が悪いのだから、そんなに速く走れるはずがないのに、僕は懸命になって逃げている。しかし、僕は、猫ではなくアゲハチョウになっている。ひらひらと兄のウトラから逃げている。目の前に溝がある。その溝は大河になっている。

 と、そこで目が覚める。一瞬、自分自身が何処に居て、何をしていたのか分からなくなり、果ては、自分が何なのか、全てを失くしたように感じる。ぼんやりとした頭で思いを巡らせていくと、ようやく、そうだ、僕は猫だったのだ。お腹一杯になって眠っていたのだと自分を取り戻す。

 人間に人間の世界があるように、猫にも猫の世界がある。人間たちは人間だけがこの世に居て、自分たちだけの世界だと思っているようだが、それは大きな間違いで、猫にも猫の世界があり、蝶にも蝶の世界があり、山にも山の世界があり、そんなみんなの世界が寄り集まって、この世というものが存在している。

 うとうとと春の夢を見ていると、自分自身が何だったのか、夢の中では、時に、僕はポトラでなく、蝶になり、鴉になり、風になったりする。そんな夢の中の僕は、僕ではないのかと言えば、やはり僕なのであって、僕は僕でありながら、蝶でもあり、鴉でもあり、風でもある。いったい、本当の自分というものは何なのだ。

 猫の世界も人間の世界も、もしかしたらたった一つなのかも知れなくて、ただ一時の泡沫(うたかた)の気まぐれの幻の中で、猫の僕は猫の、人間の相棒は人間の、それぞれの役割を得て、ただそうとも知らず、役になりきって役者として演じているだけなのかも知れない。猫は猫になりきって猫になり、人間は人間になりきって人間になる。山には山の、風には風の役が与えられている。

 古人は知っていたのではないだろうか。荘子は夢の中で胡蝶(チョウ)になり、自らが荘子であることを忘れ、蝶として遊び楽しんだ。荘子が蝶になったのか、蝶が荘子になったのか。夢幻は、実は現実なのかも知れないと、古人は知っていたのではないだろうか。蝶と荘子は異なるはずだが、目覚めたる今が現実であるとは限らず、夢の中こそ現実であり、今の現実が夢を見ている最中かも知れない。

 この世が現実か、夢幻か、夢の中こそ現実か、行ったり来たりしながら、記憶喪失を繰り返しながら、この世は経廻っている。僕は猫なのだが、相棒と同じ人間でもあり、蝶でもあり、風でもある。人は、この世の夢幻を知ろうともせず、ましてや、人間同士なおさら行ったり来たりする存在であることを忘れ、我こそはとしゃしゃり出ようとばかりする。

 現実の猫に、それぞれの猫の配役があるように、人間も、それぞれの人間の配役がある。みんなで同じ人間など有り得ない。蝶となって生きていく人もあれば、山となって生きていく人もあり、川となって静かに流れる人もあり、思うがままに、この世の夢幻を彷徨えばいいのだ。行ったり来たり、人と猫と蝶に区別がないように、もちろん人と人とに区別などありようがない。

 今一度、夢の続きを見たくて、蝶になりたくて、眠りにつく。蝶になり、大河を上から望み見ると、大勢の人がいる。あくせくと水の流れに逆らって上流に歩もうとしている。もがけばもがくほど、脚を捕られ、一気に押し流される人がいれば、のんびりと岸で佇む人もいる。

  風に載る 蝶の眼下に 大河あり

2014年   5月3日    崎谷英文


春の花

 知るとはどういうことなのか。俳句なんぞを作ってみたりするのだが、如何せん、花の名前が分からない、木々の名前もはっきりしない。林に囲まれたような家に住みながら、桜、紅葉や、蓮華、蒲公英ぐらいは分かっても、後は名も知らない花ばかりである。木の名も知らず、一度教えて貰って覚えたつもりが、今は柿の木と杉ぐらいしか分かりはしない。

 しかし、名前が分からないからと言って俳句が作れない訳ではなく、春の花と言ってしまって誤魔化して済ませることもでき、青葉で夏を表し、色変える葉で秋を表現し、裸木で冬の句になる。しかし、本当は、俳句の表現としては、具体的な花々、木々を表すことにより、その句を見る人に対してその句の詠まれた情景を良く解らせるのであり、やはり、具体的な花や木の名を出した方が良い。

 しかし、そうすると見る方も、その句の中の花や木の名前のそれぞれが良く分かっていなければいけないことになり、英太なんぞは、この名の花はあの花か、その名の木はきっとあんな木だろうなどと、いい加減に想像して読んでしまう。時に、とんでもない思い違いをしているかも知れない。

 俳句をする人はみんな良く知っているようで、よく勉強をし、いろいろな花や木を知り、いろいろな出来事を知っているようで、難しい漢字もよく使われている。馬鹿で不勉強な英太は、春咲く花は春の花、夏飛ぶ鳥は夏の鳥とうそぶくしかなく、難しい漢字は、何のこっちゃと汗を掻いている。

 しかし、知るということは、名を知るということではなかろう。たとえ万物の名付けられた物や出来事の名前を知ったとしても、万物のことが知り得たとは言えまい。名前なんぞは、人が勝手にその物や事に付けた呼び慣わしであり、桜の花は桜の花なのだが、現実の桜が自分自身で桜だと名乗ったことはなく、誰かが桜と読んで、みんなそう呼ぶようになったのだ。

 もちろん語感というものがあり、桜の花が桜と呼ばれるのは、「咲く」からきた言葉で、如何にも相応しい。しかし、英語では、チェリーブロッサムであり、日本語でも桜と呼ばれる必然性はなく、別の名であっても不思議はない。ただ、そうして現実の桜に対して、共通の呼び名である桜ということで、共通の理解になって話が通じる。

 しかし、知るということは、その物の名、事の名を知ることでは済まないだろう。浅薄かも知れないが、例えば桜の花の艶やかさに心を動かされ、計ったように咲くことにこの世の四季の変化を感じ、また風に吹かれて散っていくのを見て、人のいのちになぞらえて、その儚さを惜しむ気持ちを実感することが、真に知るということではないのか。ただ、たくさんの花の名を知ることが花の意味を知ることではなさそうだ。

 人の世も、また然りであろう。知識をひけらかして物事を論じているからと言って、その人が本当にそのことの意味を分かっているのかは解らない。いや、むしろ、本で読んだり、テレビで見たり、今ではインターネットであろうか、そんなもので知り得たこととか、そして、周囲の人に教えられたこととか、そんなことの切り貼りで覚えた知識であることが多く、ただ、知識として知ったということだけで、それがどうしたと言われて、全うに答えられない知識ではないのか。

 自分にとって権威のある人の発する言葉に抗うこともできず、少々おかしいと思っていても、やっぱこっちと、自分のいる体制に媚びへつらっているとは知らず、自己防御の精神が働き諒解してしまった知識であることに気付かないまま、現実社会に嵌め込まれている人が多い。

 花の名は知らなくてもいい、その花の意味を知ればいいのだと思う。

  名も知らぬ木に 名も知らぬ鳥 夏隣

2014年   4月27日    崎谷英文


電話

 日曜日から何度も電話しているのだが、相手が出ない。毎月の気の合った学習塾経営者との第三水曜日の会合の連絡をしているのだが、月曜日にも数回、火曜日にも数回、掛けるのだが、応答がない。携帯に掛けているので、何処かに忘れたか落としたかしたのではないかと思いながら、また一抹の不安を抱えながら、その週の会合が流れた。

 と、その木曜日に、件の相手からの電話が掛かってきた。電話の合図の音楽と共に、写し出された相手の電話の主の名を見て、ほっとして電話に出ると、声は女性である。「Sさんですか、私、Tの娘です。」頭の中に残っていた一抹の不安が幾らか膨らんできたが、まさかと思いながら「そうですが、Tさんはどうされています。」「Tは亡くなりました。」

 去年の11月、5か月前の話である。これまでいろいろな人の死に接してきたが、こんな唐突な死との出会いはなかった。何しろ、ほんの20日程前に、英太の稲の脱穀、籾摺りを手伝いに来て、会ったばかりでもある。英太が太市に帰って来てからの、同業者の中の最も親しい人であった。英太より、4才年上になる。

 「なんですって。」「Tは死にました。」「うそでしょ。今週会う予定で連絡していたのですよ。」「その着信履歴から掛けています。あのSさんですね。父からよく聞いています。」その後の会話は、ほとんど覚えていない。英太は、うそでしょう、うそでしょう、とばかり言っていた気がする。茫然自失の意味を、身を持って知った気がした。

 Tは、8か月前、65才になるその年の3月をもって、学習塾を閉じた。以前から、仕事を辞めたら、四国八十八箇所巡りをするのだと言っていたのだが、言葉通りに、5月に一番札所から徒歩での巡礼を始めた。しかし、始めて10日程で、中途の坂で転び倒れて帰って来ていたのだが、それから、3日ほど後に自宅で吐いて倒れた。

 Tは、娘二人は結婚して一人住まいだったが、その時は、急遽、近くの姉に電話して、近くの病院に連れて行ってもらって、胃に穴の開く胃潰瘍だったそうで、今の医療技術は進んでいて、腹を切ることもなく、腹に4カ所の穴を掘り、そこからきれいに潰瘍を切り取ったのだ、などと10日程の入院の後、話していた。

 その時はとても元気そうにしていて、Tは、また、秋には続きをやろうかな、などと話していた。1回目は、荷物が重すぎたのだ。ベテランの人に聞くと、持っていくのはせいぜい5sまでで、何も知らないから、あれもこれも必要だろうとリュックの中に詰め込んで運んでいたのだが、それが良くなかった。

 四国の寺巡りは思ったより山道ばかりで、地面も岩石、石ころだらけで坂道が多く、思いのほか堪えたよ。それで、下り坂で転んで足を捻挫したらしく、もうそれ以上歩くのが辛くなって、何とか大きな道に出て、タクシーを呼んで次の宿まで行って引き返してきた。そう言ってTは、1回目の失敗の顛末を話していたものだ。

 この秋も、丁度、英太が電話した日曜日の翌日ぐらいに、再び、四国巡礼の続きをやるのだと、その準備をしていたらしいと、娘さんから聞いた。会う度に、今度はいつ行くのですか、などとけしかけるように、Tに話していたことが罪深く厭わしい。一見、豪放磊落な人なのだが、そんな人こそ繊細で生真面目な所がある。

 その気になったらな、などと、今思えば、内心、精神的、肉体的に不安であったことが窺えるような応答をしていた。しかし、Tにとっては、この四国巡礼は止める訳にはいかなかったのだろう。仕事を辞め、これから何年生きるか分からないが、自分自身のけじめとしてやり通したかったのだと思う。

 脱穀、籾摺りを手伝ってくれた、その僅か20日後に、Tは死んだ。死因に不審な点はなく、解剖もせず、心筋梗塞による心停止が死亡診断書になった。誰かいたら助かったであろう。発見は水曜日だが、日曜日の昼ごろの死亡だったらしく、英太がもう少し早く電話していたら、Tは助かったかもしれない。親しい人が死ぬ度に後悔する。

 何かできなかったのかと後悔するのだが、Tの死もまた、英太に罪を背負わせる。英太は、Tの娘さんからの電話の後、丁度、仕事が終わって暗い中、叫び声を上げていた。

  本棚の 春の夕日に 手を伸ばす

2014年   4月20日    崎谷英文


忘却

 忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ。1952年、「君の名は」というラジオドラマの冒頭のナレーションである。人は忘れるのが当たり前で、何もかも覚えていてはたまらない。大事な事だけが記憶に残るように、無意識の内に頭の中で調節されていく。しかし、反対に、忘れようとしても忘れられないことがあり、忘れてはならないこともある。

 過去を引き摺りながら人は生きている。過去は過去、何時までも拘っていては、現在を生きていけない、という言説は、全くの偽りである。人は過去の蓄積で生きていくのであって、それは、どんな小さな赤ん坊でも、生まれ出でてからの経験の積み重ねがないと育っていかない。過去を捨て去って生きていくことなど人はできない。だからこそ、時に、人は家出をしたくなる。

 日本人において、忘れてはならないことがある。一つは、第二次世界大戦における日本の行状、惨状である。資料によると、大戦で死亡した日本人は、軍人、軍属で、155万人、一般国民、30万人、負傷、行方不明、67万人、となっている。(新詳日本史図鑑)日本軍が殺した外国人は、日本人の何倍になるのか。決してこのことは忘れてはならない。

 第二次世界大戦を経験した人は、ますますその数が少なくなり、ほとんどが戦争を知らない日本人になっているのだが、日本人としてのアイデンティティーは、この大戦の経験を語り継ぎ、忘れないことにある。自虐史観ではなく、事実として受け留める謙虚さと度量が必要なのである。

 この大戦の反省の下に、その制定の過程についてごちゃごちゃ言う人がいるが、この大戦への懺悔の意味を持って、そうしてもう二度と過ちは繰り返しませんと誓って、制定されたのが日本国憲法である。日本は、不戦の誓いを立て、それをこそ世界に訴え拡げ、世界が日本に倣って不戦へと歩みを進めるように働きかけることこそ、積極的平和主義であろう。

 今の日本は、どうやら、その第二次世界大戦の悲惨さを忘れ、平和を誓ったことを忘れてしまおうとしているようだ。戦争状態が来ることを予測して国家安全保障会議を作り、武器を外国に輸出できるようにし、集団的自衛権の行使を認めようとし、特定秘密保護法を成立させ、いずれは、戦争放棄の憲法第九条を改正しようと企む。このままでは、日本は、確実に戦争ができる国になり、いつか戦争をする。

 NHK会長のお上べったりのイソギンチャクを辞めさせることもできず、今や、マスメディアは信じられなくなる。もうすでに、報道の委縮は始まっている。愚かな大衆に迎合しているのか、もはや国民の自由と平等を守るという報道の使命を捨て去ったのか、もしくは、すでにどこがおかしいのか見究める能力もないのか、お上に楯突くことなどもっての外と思っているのか、とにかく、薄っぺらで中身のない報道ばかり。

 日本は悪くなかったのだ、中国、韓国に負けるな、日本は強くなければならない、日本人は偉いのだ、日本頑張れ、いけいけどんどんのヤンキー的風潮が、若者に広がっているという。安倍首相は、第二次世界大戦を忘れることにより、いけいけどんどんの日本にしようとしているようだ。強い日本を取り戻すとは、まさに、戦争のできる国にして、世界で威張っていきたいという宣言であろう。こちらが威張ろうとすれば、相手も威張ろうとする。

 日本国憲法を解釈変更して、集団的自衛権の行使を認めることなど、賢い子を育てたい文部省には、本末転倒のはずだ。日本国憲法は、交戦権を放棄しているので、せいぜい、日本国内での自衛しかできないと読むのが、普通の頭のいい子でも解る解釈であり、もし、日本国憲法のこの規定の解釈として、集団的自衛権の行使を認めるものだとしたら、もはや、国語の読解力など無視されたも同然で、ますます馬鹿が増える。

 忘れてはならないことは忘れてはならないのであり、世代が交代しても、人の生き方の、国の在り方の教訓として、忘れてはならないことは、忘れてはならない。初心忘るべからず、とどこかの小学校の校長先生が入学式で言っていたが、第二次世界大戦後の新しい日本の出発点における初心を忘れてはならないのである。

 そして、今一つ忘れてはならないのが、福島原子力発電の事故であるが、これも忘れようとしている。

  花の雲 ゆらりゆらりと 歩きたり

2014年   4月10日    崎谷英文


春の遊び

 春爛漫の景色である。野に山に、色取り取りの花が、目を楽しませる。山桜の淡いピンクの塊が所々に山の笑窪を作っていたのが、日に日にその数を増し、ピンクのあばたとなっていく。竹林は、その青みを濃くして風に揺らめく。大津茂川の土手に居並ぶ数十本の桜の木が、花の雲を作り、川原一面に咲く菜の花の絨毯を見下ろしている。

 この寒さを花冷えと言うのだろう。これまでの暖かな春の気配が、一転して冬に戻ったかのようである。そんな日に、妻と花見をした。二人きりの花見である。小さな弁当箱と水筒を持って、大津茂川の土手に座って、散り急いだ桜の花びらが一片二片、白い御飯の上に模様を作るのを楽しみながらのランチだった。まさに、桜は満開であった。

 人は、古今、ずっと遊びを楽しんできた。花見というものは、最も古い遊びかも知れない。桜の花見だけではなく、様々な木々の春の訪れを告げる彩色豊かな花々を、古代の人々も楽しんでいただろう。日々の懸命の汗水垂らす労働の合間に、ふと遠く望む山の色に、再び廻りくる春を感じ、貧しさの中にも希望が見えてくる。

 人は遊ぶ。遊ぶことがなければ、日々の労働を長続きさせることは難しかろう。生きていくために働かなければならないのだが、ただ身を削り、心に鞭を打って働くだけで生きていくことは難しい。遊びをせんとや生まれけん、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子供の声聞けば、我が身こそさえ揺るがるれ、と梁塵秘抄(平安の歌謡集)にあるように、古より、人々は遊び心で生きていた。

 雪とけて村いっぱいの子供かな(一茶)子供はなおさら遊ぶ。雪深い越後に春が来て、子供たちが喜び勇んで野に山に駆け出していく。子供たちは、遊びながら様々なことを学んでいく。決して義務的な勉強ではなく、遊びながら、知らず知らずの内に、野や山の在り様を知り、様々な生き物たちの生き方を学んでいく。村の子供たちみんなで遊ぶことによって、人と人との繋がりも学んでいく。

 今、自然の中で遊ぶことは少ない。都会に居れば、自然はなくなる。わざわざ海や山に出かけて、一時自然に触れる。しかし、それが本当の自然かどうかは疑わしい。観光地の人々が懸命に誂え、拵えた人工的自然であることも多かろう。少なくとも、物見遊山の旅では、生活に溶け込んだ自然を知ることは難しい。遊びは遊びだろうが。

 都会に居ると、人の世が自然の一部であることを忘れる。自然の中で育つものが、人間の生きる糧となっていることを見失う。その昔、イギリスのテレビ局が、エイプリルフールの日に、「スパゲッティが今年は豊作です。」と真面目に放送した。木々の枝々にたわわに垂れ下がるスパゲッティを、多くの人々が信じたと言う。今や、野菜も肉も魚も、工場で作っていると思っている子供も多かろう。

 今の遊びは、コンピューター、電子情報関連になる。携帯、スマートホンを使ったゲームが、子供たちやそして大人たちに蔓延している。先日、京都への電車の中で、ほとんどの若者が手元を見て、ピコピコやっている。文明は、人々の遊びを変えていく。昔、一億総白痴化時代と言われたことがあったが、今も似たようなことになっているのかも知れない。賢そうな遊びだが、決して賢くない。ただ踊らされているに過ぎない。

 人は遊ぶ。しかし、遊びに呆けていては、馬鹿になる。遊びに中毒になり抜け切れなくなる子供も多いし、ギャンブルが絡んでくる遊びで、大人たちも身を崩したりする。昔から、お上もまた、遊びを利用して大衆を操作しようとしてきた。姫路のお殿様がゆかた祭りを始めたのも、人々の憂さを晴らさせ抵抗を抑えようとする意味があったろう。

 現代もまた、人々は、飴とおもちゃを与えられて、享楽して考えず悩まない。その間に、恐ろしい企みが、なし崩し的に、どさくさに紛れて行われようとしていることを隠し、進められている。

  花咲かぬ 草の踏まるる 春の野辺

2014年   4月6日    崎谷英文


春の雨

 昨夜からの雨がいっそう激しくなって縁側を打ち弾んでいる。一雨毎に春らしくなると言うが、春雨じゃ、濡れていこう、の気になるような穏やかな雨ではない。少々の雨ならば、帽子を被って平気で外に出る英太なのだが、さすがにこの雨では、傘も長靴も必要になる。案の定、畑の畝の間の溝には、細長いプールのように水が溜まっている。

 植物には水が必要であるが、多すぎる水分は、また生長を妨げる。葉物の野菜ならば、少々水が溜まろうが、根腐れを起こすことも稀であるが、根ものの野菜、地下の茎野菜、人参、ジャガイモなどには、水はけの良さが必要で、水が溜まることにより、せっかく育った地中の果実が腐ってしまうことになりかねない。

 とは言っても、それぞれの野菜の種類、野菜としては同じでもそれぞれの品種により、生育できる適正環境は異なり、この水の影響がどのように現われるかは、後々にならないと分からない。たとえ同じ品種であったとしても、その一つ一つの種(たね)にもやはり個性があり、その環境に適するかどうかは、それぞれである。

 環境への対応がどのようにして決まるかと言えば、生まれ持った遺伝子の働きが大きい。それはそれぞれの種が生まれ持っている記憶のようなものであり、野菜の種たちは、それを忘れずに呼び戻し、反復する。野菜は、自分にとっての適した環境を知っていて、人はその野菜の記憶に相応しい環境を提供する。

 四季の変化が豊かであればこそ、それぞれの季節に適応する木々、花々、野菜たちが存在するのであり、そのおかげで、人々のバラエティーに富む生活も存在している。地軸が傾いていなければ、単一とまではいかなくとも、種類の少ない生物の単調な世界となっていただろう。四季の変化があればこそ、生き物たちは様々に進化してきたと言える。

 進化するには、先祖の優れた形質を忘れずに受け継ぐことが必要で、一代限りの天才では、後が続かない。先代の優れた形質、先代の持つ環境により適した形質というものは、遺伝により受け継がれる。キリンの首が何故長いのかと言えば、高い所にある木の実や葉を取ることができるように首が長くなっていったということになる。

 ラ・マルクの用不用説によると、キリンが食べ物欲しさで懸命に首を長くしていって、それが、代々受け継がれたということになるが、遺伝するには、遺伝子の中にその首の長い遺伝子があり、それが受け継がれなければならないのだが、首の短い親が努力してその生きている間に首を長くしても、それが遺伝子に組み込まれることはないというのが、これまでの定悦であった。

 これまでの定説では、遺伝子の突然変異により首の長いキリンが生まれ、その首の長いキリンばかりが生き残って今のキリンが存在しているとする。しかし、最近、生きている間に獲得した形質が、遺伝子に反映されるのではないかという説が有力になってきている。だとすれば、愚かな親も、頑張って賢くなれば、それが子供にも受け継がれ子も賢くなるということになる。朗報だ、頑張れ。

 人間においては、他の種と比べ、遺伝要因と同じくらい環境要因が大きく、生まれ育った環境、文化、教育により、その個性も大きく変化する。そうして、人は、過去の歴史における教訓を、代々受け継いで、文化的、教育的に子孫に語り継いで、一応の進歩を遂げてきたのだと言える。

 人は、過去の失敗の歴史を教訓として、より自由で平等で、より平和な世の中を作り上げようとしてきたと思うのだが、今、後戻りしようとしているのかも知れない。第二次世界大戦の罪も、原子力発電崩壊の罪も忘れて、再び競争、威嚇の世の中にしようとし、自然との共生を拒否しようとしている。せっかく首が長くなったキリンが、首を短くしようとしているようだ。

 経験が遺伝するとしたら、今、愚かで恥知らずで罪深い心性を獲得してしまうことは、取り返しのつかない人の世の未来を生み出すことになる。

  珈琲の 香り包みて 春の雨

2014年   3月30日    崎谷英文


春の山

 彼岸の中日である。彼岸は年二回、春分の日と秋分の日で、太陽が真東から昇り真西に沈み、昼と夜の時間がほぼ同じになる。昔から、暑さ寒さも彼岸まで、と言い習わし、春の彼岸から暖かくなり、秋の彼岸から涼しくなるという。しかし、今日は、寒さが少し戻ってきている。東北、北海道では、大雪、吹雪らしい。

 天候は人のままにならない。寒さも彼岸までと言いながら、子規の句に、母の言葉から思いついたという、「毎年よ 彼岸の入りに 寒いのは」というのがある。昔からの言い習わしのようでも、多分に人々の願望が含まれているようだ。とは言え、梅の花も散り、早咲きの桜が咲き始め、春の気配は確かに感じられる。

 季節が何故廻るのかと言えば、地球の自転する軸が、公転軌道の垂直線から、23、4度傾いているからである。北極、南極の近く、赤道直下でも、やはり季節の変化はある。この地球の自然の豊かな生命力、生産力、生物の多様性、そして数多の動植物の存在と共生は、この繰り返す四季の変化によってもたらされているのではなかろうか。

 先日、この太市に古代山陽道があったというので、その発掘調査が始められ、調査経過の説明会が、その発掘調査現地であった。飛鳥時代の終わり頃、天皇の命により、奈良の都から九州の大宰府まで繋ぐ、幅約12mの大路が作られたと言う。最短距離で直線的に結ばれていたとされ、今も小字名(古くからの地名)馬屋田と呼ばれる所の田を二面、調査している。

 およそ16km毎に駅家(うまや)が置かれていて、この太市に、大市駅家(邑智駅家)があったと播磨風土記にも記されている。(太市はもと邑智と書き、後大市となった。点を付けたのは、誰かの無知かいたずらか。)確かにあったらしく、昔の瓦や須恵器などの土器も見つかっている。古代山陽道が、英太の実家(今の塾)辺りを通っていたらしい。(駅家とは、馬を乗り継ぐための駅で、常時10頭程がいたらしい。)

 飛鳥、奈良の時代から、ここに大路の駅があった。何時の頃まで存在したのか、駅家があった頃の人々の生活はどうだったのか、付近は賑やかだったのか、その当時の太市の人々にとって日本の国とはどういうものだったのか、都との関係はどうだったのか、そして果たして、今の時代、その頃と比べて人々は進歩していると言えるのだろうか。想像すればきりがない。

 さらに遡れば、稲作伝来の時代、さらには狩猟採集の時代になる。その頃に至れば、もはや国というものは存在していなかったであろう。太市に人々はいたのか。多分、多分としか言いようがないのだが、山の中で、イノシシやシカやウサギを追いかけ、川に入っては魚や貝を採って、自生の木の実を食べていたのだろう。

 狩猟採集の頃、20人程度の血族的繋がりのあるグループが、縄張もほとんどなく、ただ山の中を渡り歩く生活をしていたのではないか。狩りは共同作業であったろうし、単独で仕留めた獲物だとしても、保存することもできず、グループ内で分かち合うしかなかったろう。余れば、他のグループにも分け与えられていただろう。

 個人の所有などということは、山の中を渡り歩く狩猟採集の人々にはなかった。一日一日が、生きていく闘争であったろう。一つの土地に定住し、樹木、穀物を栽培し、保存できるようになって、個人の所有という概念ができたのではないか。土地を耕して収穫して手に取って自分のものになる。その時に、収穫した物は個人の所有するものとなり、さらに、それを生み出す土地も所有の対象となった。

 狩猟採集の時代、経済的取引などない。誰かが手に入れた物は、みんなの物であり、贈与という感覚さえなかったのではないか。それが2000年を経て、自給自足、分業、贈与経済、貨幣経済、自由主義経済、そして資本主義経済、さらには金融グローバル経済へと、人の世は変動したのである。

 昔に戻れるわけではないが、昔の精神、心には学ぶことはできよう。狩猟採集の人々も、春分、秋分の日には、季節の変化を読み取り、自然の豊かさと脅威に、感謝と畏れの祈りを捧げたことだろう。

  ままならぬ 世にも確かに 春の山

2014年   3月23日    崎谷英文


春宵

 前日の雨がすっと上がり、少し春らしく暖かくなってきたと思っていたのだが、今夜は、寒の戻り程でなくとも、幾らか冷たさを感じる。戸を開けて夜空を見上げると、春を知らせるように、オリオン座が南から西に傾いて見える。戦国武将の毛利家の旗印であり、精神的支柱でもあったと言う三ツ星がその長方形の四方に明るい星を従えている。

 左上の星が少し橙色っぽいベテルギウスであり、右下に青白いリゲルが見える。星の色は、その温度を表し、赤いのは温度が低く、青白いほど温度が高い。オリオンの騎士の形を成すオリオン座だが、それぞれの星は同じ平面上にあるのではない。三ツ星は1300光年から1500光年、リゲルは700光年、ベテルギウスは500光年の先にあり、それらが地球上から見ると、オリオンの平面になる。

 光の速さは、秒速30万Km、1光年の距離は、約9兆5000億Kmになる。そのオリオン座のベテルギウスが、もう間もなく爆発してなくなるかも知れないと言う。心配することはないらしい。ベテルギウスは、今から100万年以内に爆発して消えるかも知れないと言うだけらしい。

 宇宙は、あまりに広大である。英太は子供の頃、宇宙の広大さを知ってから、悩むたびに、宇宙の広大さを思い、自分の悩みの小ささを知ら示させて、苦境を逃れる術を覚えた。何があっても、どんなことがあろうと、宇宙の広大さからすれば、大したことではない。英太は、今でも、その手法で悩みを受け流すことがある。ちっぽけな人間の悩みなど、大したことではない。

 太陽系の属する銀河系は、約2000億個の恒星を持ち、約10万光年の直径で、太陽系はその中心から約2万8000光年の位置にある。レンズ状の銀河系の中心に集まる星の群れを、地球上の日本から、夏、天の川として見ている。そんな銀河系のような銀河が、さらに宇宙には、1000億個もあると言う。気の遠くなるような話になる。

 約137億年前、ビックバンによって宇宙は誕生したとされる。地球の誕生は、約47億年前、生命の誕生は約37億年前と言われる。人の歴史は、せいぜい500万年、現代人にしてみれば、たかだか10万年程度に過ぎない。この宇宙は、空間的に無限に近く広大であり、時間的にも無限に近く永遠であり、人の世は余りに小さい。

 そんな宇宙の隅の埃のような地球の中の個人であり、永遠に近い時間からすれば、瞬きする間もないほどの人生の時間を生きているのであり、何を悩むことがあろうか。なるようにしかならない。すべては幻の中にある。幻の中で汲汲として自分の利益のみを求め、殺し合い、殴り合うという、つまらぬ愚かしい人の歴史が存在している。

 しかし、取るに足らない人生だからと言って、捨てたものでもなく、だからと言って、好き勝手に他人を蹴散らして生きていけばいいとも言えず、この取るに足らない人生だからこそ、短い時間だからこそ、塵のような存在だからこその生きていく意味もあるに違いない。生きるも死ぬも、取るに足らないことだと言ってしまえば、身も蓋もないのだろうが、そうと知ればその感慨もある。

 先日、英太に伝わる山の中に、シカの防御柵を村の事業として設けたのだが、その土地は自分のものだという人が出てきた。譲畔という言葉が残っているが、賢人は境界争いのある畔を人に譲ったという。僅かな土地を何故争うと思い、英太にしてみれば、いくらでも譲ってやるのだが、無理が通れば道理が引っ込むことになっては、筋が通らず、後々宜しくなく、かえって周囲の人を困らせることにもなる。今も昔も、人のさもしさは変わらない。

 ウクライナのクリミア半島の国家帰属騒動など、それ自体大したことではないのだが、それが、暴力、武力などの筋の通らないことでなされることが後々宜しくないのだろう。

 鍋を囲んで食べ物を取り合いしている席があるかと思えば、和気あいあい仲良く食べている席もある。その席では、箸が余りに長く、その箸では、食べ物をつまんでも自分の口には持ってくることができす、周囲の人に与えるしかない。人に食べ物を差し出し、人から食べ物をいただくしかない。争うことなどできるはずがない。

 輝く夜空を見ながら、英太は、星に吸い込まれてしまいそうになる。

  静かなる 海忘れ得ぬ 春や来る

2014年   3月16日    崎谷英文


春寒

 三月になって一時春めいて暖かくなってきたかと思っていた矢先、とたんに再び、厳冬に戻ったかのような寒い朝、ローソンまで歩いて行く。往復三十分の道のりになる。

 太市駅の入り口、英太の家の前には、四・五年前、農協の太市支店があったが、今はビルだけが残り、時々、その倉庫を利用して農協の販売所が設けられるだけになった。この太市の駅前には、昔は酒屋もあり、煙草も売っていて、様々なちょっとした食品や雑貨類も売っていたのだが、今はその店もなくなり、数台の清涼飲料水の自動販売機だけが残っている。

 姫新線の線路を横切って、大津茂川の土手に出る。川の水は少なく、まだ水も冷たいのか、泳いでいる魚は多くない。「ゆく河の水は絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」

 この川の土手を歩くたびに、この言葉を思い出す。川面に浮かんだ木の葉などがなければ、川の水は停止しているかと錯覚する。しかし、川の水は常に動いていて、刻々新しくなっている。淀みの泡も、よく見れば、泡が一つ消えては一つ現われ、同じような顔を見せながら、常に変化している。

 鴨長明の生きていた時代、鎌倉の始まりの頃でさえ、無常は自然の中にも、人の世の中にも、実感として捉えられていたのだが、今の時代、人の世の変化は凄まじい。明治維新から人の生活は大きく流動し、産業革命がおこり富国強兵の掛け声によって栄華を謳歌したと思えば、無謀な戦いによって没落した。

 戦後、民主主義を標榜し、経済復興を遂げたのであるが、その過程において、集団就職に象徴されるように、田舎から都会への人口の流動は、勢いを増すばかりとなった。都会への人口の集中は、世界の至る所であり、アジア、アメリカ、アフリカでも、都市に人々は殺到する。

 今や、グローバル経済の時代になり、国家というものを越えた商品物質の流れが必然であるかのように唱えられる。商品物質の流れだけではない、人の流れもまた、国家というものを越えて、自由であるべきだと論じられる。

 このコンピューター社会、情報社会において、ビッグデータが、個人の知らないうちに国家、大企業に共有され、街の至る所に監視カメラが備え付けられる。個人はもはや個人ではなく、数字の番号、あるいは単なる統計の一資料でしかなくなる。

 英太が生まれてから、この世はとてつもなく変化している。英太にしてみれば、もうとっても追いついていくことなどできないほどに、世の中は大きく変動している。英太が習ってきたような知識や学問は、もはや通用しない時代になってきているのかも知れない。

 地域の中で暮らすことから始まる人々の生活というものが、根底から覆りつつある。さらには、国家というものの輪郭さえ失いつつあるのではないか。今や、国民と言うものはいなくなり、世界人としてしか生きられない時代になっているのかも知れない。

 この膨大で複雑な世の中になりつつあるとき、きっと誰も、この世の全貌というものを見破っていない気がする。経済学者は、ただ、グローバル経済、自由貿易になればなるほど、世の中は良くなるに違いないと信奉する。そうなった時、国民はいなくなり、国家主権というものは消えゆき、民主主義は全うできなくなるであろう。

 この間、ちょっとした旅のための宿をコンピューターで予約したら、その後、その取った宿に類似した宿の案内、コマーシャルが、否応なくコンピューターに流れ出てくる。これは、便利な時代なのか、英太には、気持ち悪い。ローソンで買い物をすると、それらのデータは、知らず知らずのうちに、商業ベースに載せられていく。

 大地と大海原と人の息づかいの中で生きていくしか知らない英太などは、もはや、現代の化石になっていくのかも知れない。

  春寒や 明日の風に 菜を植える

2014年   3月8日    崎谷英文


犠牲

 自然淘汰の自然界において、食う食われるの弱肉強食の世界があり、そこでは食物連鎖という生物の繋がりがみられる。緑色植物は草食動物に食べられ、草食動物は肉食動物に食べられ、その肉食動物は大型の肉食動物に食べられる。最後に王者が残る。

 緑色植物を生産者と言う。緑色植物は、太陽の光を浴びて光合成を行ない、栄養分を作り出す。この栄養分が、ほとんど全ての生き物たちの生きていく源になる。その緑色植物を食べる草食動物、さらには肉食動物たちを消費者と呼ぶ。人もまた生産者ではなく消費者である。動物たちは、緑色植物のお蔭で生きていける。

 そうして、あらゆる生き物、植物も動物も含めて、彼らの死骸や排泄物は、分解者と呼ばれる菌類(キノコやカビ)、細菌類によって水に溶ける成分に分解され、緑色植物の養分として吸い取られていって、再び緑色植物が成長する。

 緑色植物にも草食動物に食べられるものと食べられないものがいる。見方によれば、食べられてしまう植物は、生き残った植物の生きるための犠牲になったと言える。草食動物も、例えば草原で群れを成すシマウマのうち、ライオンに襲われて食べられるシマウマは、生き残ったシマウマの犠牲になっていると言えよう。肉食動物でも、同様に言える。

 このことを、一概に、無惨だ、残酷だ、とは言えない。これが自然の摂理であり、多すぎるものは減っていかねばならず、強いものが残り、適正な数が残って共生していく。多くの植物は多く食べられ、多数の草食動物は一部を肉食動物に食べられ、食べられたものを犠牲にして、他のものは生き延びる。

 人間ももしかしたら、以前から同じように弱い誰かを犠牲にして強い者たちが生き残る仕組みであったのだろうか。そうに違いないのだが、現代においては、人は戦争のような殺し合いはもちろん、弱い者を封じ込み、閉じ込めたまま、一部の者たちが栄えるようなことは、拒否したのではないだろうか。

 「福島から東京は250km離れているから安全です。」と誰かが言ったらしい。この言葉を聞いて、そのおぞましさを感じ取れるだろうか。この言葉は、まさしく、福島を犠牲にして、福島の原子力発電所の周辺に住む人々を犠牲にして、東京の人々は安全に生き延びるのだ、と言う宣言ではないだろうか。

 文明の作り出した災難でさえ共有できず、自分たちは安全です、だから、安心してオリンピックを開けます、などと言って、オリンピックを招致することの傲慢、不遜、身勝手さに気が付かないのだろうか。

 やはり、人は賢くなっていない。いや、ずる賢くなったのだろう。弱者に対する想像力、災難にあった者たちへの共感する心が、決定的に欠如している。豊かな者たちにとって、貧しい者たちのことは、どこまでも他人事であり、貧しい者たちが豊かなる者たちの犠牲になっているということなど、全く心に浮かび及ばないようだ。

 国家のため、国民のため、という謳い文句は、誰かを犠牲にして、一部の者を犠牲にして、国家全体、あるいは全体としての国民、つまりは一部の強い者たちが生き残ろうとする方便である。国のため、国民のため、何という心地よい洗脳の言葉だろうか。

 貧困が連鎖していると言われるが、富貴、権力も連鎖している。三代目、四代目の権力者たちは、自分たち支配者層を特別な人種として生まれ育ち、彼らは、いくら弱者たちの情報が耳に入ったとしても、弱者たちの実状、弱者たちの心情を身に沁みて理解することはない。弱者たちの長年の犠牲の上に、自分たちの今あることなど決して想像しない。

 犠牲と書いて、いけにえ、とも読む。古代から、人は神へのいけにえを生きる手段とした。それは、形を変えて、今も続いている。

  初梅や 今朝は澄みたる 山模様

2014年   3月1日    崎谷英文


擬人法

 詩の修辞法の中に、比喩がある。比喩とは、例えることであるが、その中にも、直喩(明喩)と隠喩(暗喩)というものがある。直喩とは、花のようだ、とか、ゴリラみたいだ、とか、言葉において、ようだ、みたいだ、という直接例えているということを示しているもので、隠喩とは、そのような言葉を使わずに、例えば、君は太陽だ、などと言う場合である。

 直喩では、君は僕にとって太陽のような人だ、となるのだが、隠喩と比べた場合、人(君)と太陽とが異なっていることが前提となった表現と言えよう。対して、君は太陽だ、という時、一瞬、君(人)が太陽そのものになったという感覚を与える。もちろん、その一瞬後には、太陽のような人(君)、だと分かるのだが、そこには、人(君)と太陽との峻別の前提はない。

 擬人法とは、読んで字の如く、人でないものを人に擬す、つまり、人間でないものをさも人間であるかのように表現することで、空が泣いている、梅の花が笑いかけてくる、とか、山は眠っているようだ、蛙が怒ったように啼く、という表現である。前者が隠喩で、後者が直喩である。人でないものが人のように、感情を持ったり、人のように振る舞ったりするように表現する。

 古代、人と自然とは、別のものではなかった。自然のあらゆるものが、人と同じように生きていて、感情を持ち、笑い、怒り、意志を持って行動するものだと人は思っていた。それは、生き物、動物に対してだけでなく、植物にも、さらには、いわゆる無生物、山や川や森や石にも、人と同じようにいのちは宿り、それらは、人と同じように感情を持ち、行動すると思っていた。

 そこでは、人に例えるというような人為はなく、あらゆるものが人と同じであるという感覚だっただろう。神話において、山々は時に怒り、空は時に嘆き悲しむ。アメリカ先住民たちは、自分たちの祖先を鷹などの動物と信じ、トーテムポールを作って祀った。神話の中では、熊は人と同じように生活をし、人と熊とは相互に依存しながら、交替さえしながら、世の中を作っていると考えられていた。

 童話の世界では、動物たちは、人間と同じように話し、同じように感情を持ち、同じように喧嘩して仲直りする。そこには、擬人法などという修辞ではない、人と生き物との区別のない世界が広がっている。それを、ただ無知の、科学の知恵のない愚かなる所業であるとは言えないだろう。そういった世界を思い描き、想像することで、人としての心の豊かさが育まれたのである。

 今、人は、あまりに人と人でないものを峻別し過ぎてはいないだろうか。人でないもののうちの、いのちのあるものに対して、そのいのちを軽んじてはいないだろうか。この世に人として生きている我々であるが、この奇跡のような地球の上では、あらゆるものは同等ではないのだろうか。生きていく糧も、生きていくためのエネルギーも、すべて、この地球のあらゆるものの繋がりで得ている。

 山川草木悉有仏性、仏教においては、あらゆるものが仏性を持つと言われる。擬人法を用いずとも、あらゆるものは人と同じであり、仏になり得る。

 こういうようなことを言ってみても、現代の世には、到底通用しないだろうことは分かっている。しかし、人は、あまりに傲慢に、厚かましくなっていないだろうか。この地球で、自分たちこそ王者であり、知恵あるものであり、自分たちがこの世を作り変えていくのだと思い込んでいないだろうか。実は、我々は、ただこの地球上で、あらゆるものと同等に生かされているだけのように思うのだが。

 擬人法は、ただの修辞ではない。人々が忘れてはならない感覚のような気がする。

  眠りから 山目覚め行く 風青し

2014年   2月23日    崎谷英文


グローバル社会

 グローバル経済の時代である。グローバル社会という響きはいい。世界の人口が七十億人を超え、世界の人々が助け合わなければならない時代になっている。もし、世界が一つであれば、世界のどこで大災害、大凶作などが起きようが、世界中の人々が、その利益を放出し、手助けをし、損失を分かち合うことができる。

 しかし、世界は一つではない。グローバル経済と言いながら、その実体は、経済力のある国、特に資源も豊かな国が、他の国に対して自由貿易、経済の開放を要求し、自国の製品、産物、さらにはその産業自体を、売り込もうとしているのではないか。産業、技術開発の遅れた国に対して、豊かさを提供しましょう、あなたの国を発展、成長させましょう、と言って、自分たちの文明を売り込もうとしている。

 豊かさに憧れる国は、そういった先進国の文明、科学技術を採り入れようとする。しかし、その文明の売り込みは、果たして、その国々に本当の豊かさをもたらすものだろうか。その国の人々の、いわゆる生活水準というものは、徐々に上昇するだろう。しかし、それも、大国に大いなる利益を吸い取られながらのものであり、徐々に先進国の格差を模倣した社会になっていく。

 文明の進んだ社会、科学技術の恩恵により、様々なことが便利になり、仕事も効率が良くなっていくことは、確かに、人々の生活を豊かにするものだと言えよう。しかし、そこに繰り広げられるのは、人と人、企業と企業、国と国との競争社会であり、規範の厳しい管理社会であり、殺伐とした監視社会であり、過剰な宣伝社会であり、エネルギーの大量消費社会なのではないか。遅れた国の人々は、ただ豊かさの幻想を夢見させられているだけではないのか。

 日本も含めて、先進大国は、もはや巨大な大量生産、大量消費の行き詰まった社会になっていて、もはや、市場を国内に求めるだけでは、到底立ち行かなくなっている。人口が減少し、高齢化していく中で、生活に必要なものは揃い、定期的に壊れていく製品を供給し定期的に買い替えさせていくだけでは、嘗てのような大きな需要は見込めない。先進国は、他国に市場を、生産も含めた拠点を求めずにはいられなくなっている。

 今進んでいるグローバル社会への動きは、遅れた国々の豊かになることへの願望を利用した、大国のまたその大企業、資産家の共同で行う国家資本主義の流れである。そのことは、弱小国の国家主権というものを否定しかねない。世界は一つではない。それぞれの国はそれぞれ異なる。しかし、今のグローバル社会の流れは、国家の経済的自立性、食糧の自給、安全性を損ないかねず、さらには、国土の崩壊さえもたらしかねない。

 TPPなどというものは、アメリカの陰謀に近い。日本の大企業は、そのアメリカの陰謀に利害は一致するようである。アメリカは、国土も広く、資源も豊かで、世界で何が起ころうが、いざとなっても自立できよう。しかし、日本はいざとなったら、自立できなくなるのではないか。それ以前に、国土が荒れ荒みそうだ。日本は、戦争をしないが、世界のどこかで戦争が起きても、日本人が食べていくことができるようにしておかなければならない。世界は、一つになっていないのだ。

 そろそろ、大量生産、大量消費に頼った発展、成長を追い求めるのではなく、穏やかな安定した経済、節約し消費を抑制し、生産も大量規格製品ではなく、少量の長持ちする手作りを心がけ、資源、エネルギーの浪費をしない質素な生活が尊ばれるようにならねばならない。自然は豊かであっても、無軌道な人間の行いによっては壊れていく。

 グローバル社会に進むにしても、大量生産、大量消費を改め、国家分業もほどほどにして、各国、各地域の文化的特色を失わせないように、また各国が自給自立していくことができるように進めなければならないだろう。

  鳥になる 若人の夢 ジャンプ台

2014年   2月16日    崎谷英文


ポトラの日記9

 昨夜から雪が降り出してきて、今朝は一面の雪景色だ。僕が生まれてから、まとまった雪を見るのは何度目だろう。冷たい雪は苦手だ。今も雪は、降り続いている。こんな時は、縁の下に入って、眠っているに限る。幸い、近頃は、食事をしっかり摂ってきたので、一日や二日、食べなくとも平気だ。

 いくら人間の文明が進歩しても、やはり、自然は脅威だ。いくら科学技術が発達しても、この地球の気候の変動を操作することなどできず、的確な天気の予測さえままならないのだ。せいぜい、想定される自然の脅威に対して、その防御策を講じるしかない。文明の力など、たかが知れている。

 いつの間にか、人は自然に逆らって生活することを覚えたらしい。などと言えば、僕たち猫だってそうなのだが、多くの飼い猫たちは、自分たちが猫だ、と言うことを忘れて生きている。ネズミを捕まえることなど、もうとっくの昔のおとぎ話になってしまったかのようだ。そういう僕だって、母のダラが、一所懸命、獲物の見つけ方、捕らえ方を教えてくれるのだが、今のぬるま湯の生活にどっぷりと浸かり、学ぶのがかったるい。

 科学技術というものは、生活を便利にし、生活を楽にしてくれる。生きていくために汗水垂らして働くことなど、無能な者のすることで、賢い者たちは、机の前に座って、コンピューターを弄くって、架空のマネーゲームで勝利することに血道になる。食べる物など、札束をちらつかせれば、田舎の百姓がいくらでも持ってきてくれる。

 しかし、僕もそうなのだが、そんな生活に充実感というものはあるのだろうか。自然と向き合って、自然からしか得られない恵みをいただこうとする農業だって、今や、汗水垂らして働くことなど、愚かな者のすることで、指の力さえあれば、農業機械がほとんどやってくれる。今や、工業だけでなく、農業もまた、大量生産、大量消費の経済的仕組みの中に取り込まれている。

 少なくとも日本において、人間も僕たち猫も、生きていくこと自体ではなく、生きていくこと以上の訳の分からない何かに憑りつかれて、苦悩しているように感じる。それは、贅沢な悩みと言えるだろう。生きる以上に豊かになろうとして、この格差社会の中、拝金主義に陥り、どうにかして、セレブに近づき、豪勢な食事をし、豪華なもので身を包み、優雅に旅行をし、豪邸に住みたい、と思い続けている。

 文明の恩恵の溢れる生活に慣れきってしまうと、人も猫も、この地球で生きていく根元を失うのではないか。人も猫も、自然と共に生きていて、自然の思うようにならない中で、汗をかいて自然に働きかけて生きてきたのであって、実は、そのことは、いくら文明が発達しても変わりはなく、自然を無視し、ましてや自然を敵対視して生きていくことなどできないはずなのだ。

 自然の弛まざる循環の中で、自然は尽きることのない恵みを、人や猫に与えてくれている。化石エネルギーの利用において、既に、その自然の循環を損ないかけているのだが、原子力エネルギーの利用は、自然の循環など全く生じさせるものではなく、ただただ、将来の地球の崩壊をもたらすように思える。

 自然は、太陽も含めて、地球全体として生きている。その中で、ちっぽけな僕たちも生きている。日本人も中国人もアメリカ人も、白人も黒人も、トラもライオンも、トンボもメダカも、モグラもミミズも、キノコもカビも、みんなみんな、生きている地球の中で生きている。

 午前中、雪が降り続いたが、みぞれ混じりのようで、積もることはなく、泥水があちらこちらに溜まっている。まだ、寒さは続くのだろうか。また、雪の降ることはあるのだろうか。仕方がない。天のことなど、僕には分からないのだから。

  春の雪 飛ぶを躊躇う 鴉かな

2014年   2月9日    崎谷英文


お墨付き

 現代は、何事にも、権威というものが強い力を持っていると感じる。あからさまな政治権力とか言うものでなくとも、様々なあらゆる分野で、権威的なものが世の中で力を得てきていると感じる。そんなの昔からだよ、と言う声も聞こえるが、以前に増して、権威的なものにひれ伏し、権威的なものを利用しようとする輩が増えている。

 あらゆる仕事の技術、能力において、資格というものが幅を利かし、実に様々な、そんなこと資格とか検定とか必要ないだろうというようなことさえ、国家資格、あるいは民間資格、また検定合格などを要求されるようになっている。

 資格を持っていることが、また、検定の級を持っていることが、その技術、能力のあることの証となり、世間の人も安心できるという意味であろうが、本当に、そんなに資格というものは、信頼できるのであろうか。

 世の中における、いわゆるお墨付きというもので、人々は、ただ、安心しているだけのように感じる。資格を持つことで、お墨付きを得たと有頂天になり、資格のあるお墨付きを持っている人だからと信頼するということである。

 現代の溢れるばかりの資格、検定の社会というものは、どこかおかしくないだろうか。偏狭な専門的世界の中の有資格者ばかりが、遍在する社会になっているのではなかろうか。石を放れば、有資格者に当たる。これも、複雑な社会の、分業化の究極の流れなのだろうが、いわゆるジェネラリストのような社会全体を見通せる者がいなくなってしまうのではないか。もはや、そうなっていると思える。

 そうなってくると、逆に、資格、検定というそのもの自体の信頼性が失われていくのではなかろうか。餅は餅屋なのだが、餅屋に資格は要らない。もしかすると、これからは何でもかんでも資格となって、餅屋を開くにも餅屋の資格が要るようになるかもしれない。

 人は、自分自身でもはや判断をしなくなっている。何らかの権威、お墨付きのあるものを信頼し、自分自身で判断しなくなっている。日展の不公正な審査問題においても、日展という権威のお墨付きを得れば上手くやっていけるという芸術家たちの可哀そうな境遇は察するが、その日展とかの権威のお墨付きでしか芸術を判断できない人々ばかりになっているのではなかろうか。このままだと、日展は、信頼を失くしそうだ。

 B級グルメなどと騒いでいるが、B級と言いながら、世間のお墨付きを得ようと、みんな奮闘しているように見え、滑稽だ。B級でお墨付きを得たら、A級にならないのか。ならないらしいが、どちらにしても、A級、B級にしても、何らかの世間からの、顕彰、表彰、お褒めの言葉、ミシュランの星、世界文化遺産登録、何かが欲しいのである。

 こういった現象は、本当に良いもの、本当に信頼できるものを覆い隠し、マスメディアや大衆流行の入れ代わり立ち代わりの激しい宣伝合戦の中で、たいしたことのないろくでもないものを浮き沈みさせて世に蔓延らせる。世界遺産のお墨付きがそれほど嬉しいのだろうか。世界遺産ばかりになりそうだ。

 文学賞の類も、その数は増えるばかりで、ただ、本を売らんとする宣伝のためと思われるのも多く、ろくでもない作品が賞を取ったりする。以前は、と言っても数十年前になるのだろうか、人は、権威とか名誉とかお墨付きに対して、嫌悪感、不信感を持ち、そんなものより、真実に内容のあることが大切だというような風潮があった気がする。芥川賞も、昔は、良い作品がなかったら、該当者なしとしていた。勲何等とかいうのにも、批判があった。

 時代は変わった。表彰されたら人は喜び、表彰された人を人は褒める。それは、名誉なのだろう。しかし、そのことが、そんなに意味があるのだろうか。表彰する人も表彰する人だし、表彰される人も表彰される人のように思われてならない。お墨付きの時代、人の真実を見る目は、曇らされていく。

 お前は何も持たず、誰にも褒めてもらえないから、僻んでいるのだろう、という声が聞こえた。そうかも知れない。

  日脚伸ぶ 山は微かに 狼狽へり

2014年   2月2日    崎谷英文


閃輝暗点

 冬の畑は、概して寂しいものである。大根とか白菜とか、冬に採れる野菜もあるが、英太の畑は、朝起きて見ると、一面に霜がかかり、ホウレンソウなどの青物野菜は、ぐったりとしな垂れて、今にも朽ち果てそうで、土は白っぽく粉をはたいたように静まりかえっている。畑近くに、所々、霜柱でさらに膨れ上がっているモグラ塚があり、踏めばグサッという音がする。

 モグラがいるということは、モグラの餌になるミミズがいるということで、ミミズがいるということは、その土にはミミズが好む微生物が多く、栄養があるというように思われている。一応、その通りなのだろうと、英太は思っている。しかし、こんな知識も、真に本当かどうか分かりはしない。人間というもの、何処かから知識を仕入れて来るのだが、大抵は、本に書いてあるから、多くの人が言っているからそうなのだと思い込んでいるだけで、実際の所、本当かどうかは、分かりはしない。

 科学といわれているものでも、様々な自然の現象に、もっともらしく理屈をつけて、その理屈に合っているかどうかを検証しようと躍起になっているのが現状だろう。このもっともらしいというのが曲者で、もっともらしいと人は信じる。しかし、いくらもっともらしくとも、真実でないことはやたらとある。人は手品師に騙されるのである。

 人間の確知能力には限界があり、自分の目で確かめ、自分の肌で感じ取ることのできる真実というものは、そう多くはない。人は有史以来の知識の蓄積の中に、身を委ねているに過ぎない。その過去の発見を基礎として、そのことを真実と信じ、現代を生きている。ニュートン力学が、相対性理論によって覆されたように、今に、新しいこれまでの真実を覆す発見があるかも知れぬ。

 人の世、人の社会においては、なおさら、何が真実なのか、分からないだろう。現代における、世の中のしきたり、有り様の全ては、他の科学と同じように、過去からの蓄積の中で今、存在している。そこには、もっともらしい理屈があって、世の人々を煙に巻いて平伏させる。しかし、その理屈が正しいのかどうかは分かりはしない。ただ、もっともらしいから、人々は従っているに過ぎない。まことしやかに愛を語る女衒にたらしこまれる生娘のように、真実は上塗られて世に蔓延る。

 などと思いながら、ミラン・クンデラの「別れのワルツ」を読んでいると、目がチカチカする。本の頁の左上に、キラキラと稲妻が走っている。<が繋がってチカチカする。目を閉じても稲妻は走っている。目ではない、脳がいかれたのだ。とうとう来たか。英太の脳は、遂に異変を来たし、次の世の前奏が始まったのかと感じた。しかし、倒れそうにもなかった。だが、本は読みにくくて仕方がない。

 仕方がないので、そんな目のまま、インターネットで「目がチカチカ」を調べてみると、直ぐに表示される。「閃輝暗点」と言って、どうやら、偏頭痛の前兆の症状としてよくあるそうだ。英太は、ときどき猛烈に頭が痛くなることがある。決まって右側頭部である。しかし、これまでは、目のチカチカは感じたことがなかった。

 今回は、目のチカチカの見えたときに、暫く強い痛みをこめかみ辺りに覚えたが、それは、直ぐに治り、それから頭痛はしない。この閃輝暗点自体は、それほど問題はないと書かれている。通常、5分から30分で治まると言うが、英太の目も、その後直ぐに元に戻り、頭痛もしなかった。目に繋がる視床下部の神経に関わる血管の痙攣が原因で、その後の頭痛は、血流の過剰によるものだと言う。

 もっともらしい説明だが、本当かどうかは分からない。半信半疑だ。去年の師走の中頃、朝起きると、左目が真っ赤になっていて、目医者に診てもらったら、いろいろ検査したあげく、結膜下出血で放っておいて一週間で治ります、と言われてあっけにとられたのだが、今回は、眼医者に行くまでもなく、30分で治った。

 閃輝暗点の症状については、分かったつもりになったが、では、何故血管が痙攣すると稲妻が走るのか、どうして丸い月ではないのか、分からないだろう。

  目に走る 冬の稲妻 四畳半

2014年   1月26日    崎谷英文


     

思い出して思うこと

 高校二年生のときだったろう。いわゆる大学紛争が高校にまで影響を及ぼしてきて、この県立姫路西高等学校でも、受験一辺倒の進学校の体制、様々な自由の規制、例えば男子の頭髪規制、などに対して抵抗し改革しようと言う動きが起こった。若者たちの自由を押さえつけ、社会の体制の中に閉じ込めようとしてきた学校教育に対しての反抗であった。

 「君たちは、改革改革と言うが、その考え方は外部からもたらされてきたのではないか。そんな周囲からの雑音に同調するのではなく、君たち西高生自身の考え方、それは僕たち教師も含めてのことだが、この西高内部で、自分たちでよく考えていろいろ変えていけばいいのではないか。世の中の風潮に流されない方がいい。」と教師Aは生徒を前にして言う。

 「本当に正しいことがあるとすると、その正しいことの発想が、我々自身の内部から、我々自身の内面から生まれてきたのか、それとも外部からもたらされてきたのかどうか、などと言うことは、関係ないのではないですか。我々西高の中で決めることだと言っても、その新しい考え方というものが、外部からもたらされたものだとしても、その考え方を我々が正しいと思う限り、採用すべきです。」と英太は言う。

 この後、その教師が何と言ったか覚えてはいない。その頃のことを少しは覚えている者でも、様々な立場があり、それぞれ、自分はこうだったなどと思い出し、幼く馬鹿馬鹿しいことだったと思う者も多いだろう。多分、そういう彼らは、賢く大人になっていったのであろう。しかし、英太はその頃の心情とあまり変わっていない。英太は馬鹿なのである。

 英太は、その頃に感じていたこと、思っていたことが、おかしかったとは思っていない。その感覚は、今でも心の中にあり、ただの流行の若者の反抗心でしかなかったとは思わない。今も、その改革への考えは今も通用する正しいものだと思っている。しかし、今の教育の制度、体制は、以前にもまして、いびつになっている。世の中、変革は難しい。

 日本国憲法が、アメリカ、GHQからの押し付け憲法であり、日本国民は、国民自身が作る自主憲法を制定するべきだとする憲法改正論者たちの意見をよく耳にする。このことは、先の高校紛争のときの教師の意見と英太の意見の関係に似ている。英太にしてみれば、それが何処から来たものかに関わりなく良いものならばそのまま採用していいのだ。

 高校のときの教師が、西高生としての自尊心をくすぐって、生徒たちの急進的な改革を抑えようとしたのと同様に、憲法改正論者たちは、日本国民としての自尊心に働きかけて、憲法を変えようとしている。もっと具体的に言えば、改正論者の一部には本心において戦争も辞さないとする輩もいるが、そうでなくとも、多くは戦争のできる国、戦争のできる憲法にしようとしているのだろう。

 彼らは、日本が戦争のできる国になることが平和と安全をもたらすのだと思ってはいるのだろう。しかし、日本は戦争放棄、平和主義の道を選んだのではなかったか。たとえ、それがGHQの押し付けだったとしても、諸国民の公正と信義に信頼して、国際社会において名誉ある地位を占めることを、輝かしい理想として歓迎したのではなかったのか。戦力均衡のような危なっかしい平和は、いつか崩れる。

 戦前、大戦の反省に立ち、武力による威嚇、戦力均衡による平和を拒否したのが、日本国憲法である。きっと、今は、英太のような考え方は、女々しく弱々しいものとして、多くの人に嫌われるのだろう。英太にしてみれば、やはり人間はプライドが高く、偉そうにしていたいのだなと感心するばかりだ。本当は、武器も持たず戦わないと決意することの方が勇気のいることだと思うのだが。

  何を見て 何語るのか トンビ啼く

2014年   1月18日    崎谷英文


覚え書き

 昔から、自分自身を遠くから見ることがあった。自らの欲望に耽っている時にも、そんな自分自身を肉体から離れた遠い所から眺めていたりする。そんな時は、決まって、事後に自己嫌悪に陥る。そうして、もう二度とこんなバカなことはするまいと思って禁欲を誓う。そんなことばかりの繰り返しで、この人生を生きてきたように思う。

 もっと子供の頃は、情緒不安定、落ち着きがない、と通信簿に必ず書かれていて、事実、じっとしていることのできない子供だったような気がする。興味を持つことには、そのことに没頭し、周囲に見ているものがいてもいなくても、自分一人で悦に入っていた。ADHD(注意欠陥多動性障害)と今では言われそうである。今となっては、そんな人間でも、それほど世間から疎まれずに生きられるのだという証として意味があろうか。

 もちろん、当時の本人は、自分自身が世間の常識から外れている精神構造であったかも知れないということなど、知る由もない。実際は、その精神構造の変位は、人間個性の多様性、二重性の許容範囲の中に納まるのであろう。人は、人それぞれであって、生まれによっても、育ちによっても、異なって存在するという、ただそれだけのことかも知れない。

 人が、何のために生まれてくるのか、と言うのは、今もって英太には解っていないのだが、どうやら、いつか死ぬことだけは確かなので、やはり、死ぬために生まれてきたのかも知れない。何しろ、生まれてこなければ死なないのだから、生は死の前提なのである。生まれてきて確実なことは、死なのである。どんなに医学が進歩しようが、生を受けたものはいつか亡びる。

 考えてみれば、生きるということは、死ぬまでの間に生きるのであって、死というものが後に必ず控えているとしても、死を越えて生きなければ、生きている値打ちがなくなるのかも知れない。死というものが必ずあるのだが、その死のために、この生を空しく、無意味、無価値と自覚するのなら、生まれてこなければよかったではないか、ということになりかねない。

 人は、人それぞれ、生きていることの意味を、意識的にしろ無意識的にしろ持ち合わせている。生き物としての、動物としての本能は、生きていくために、種の保存のために、性欲と食欲を人間にも与える。その本能を満足させることばかりでも、生きている価値、生きがいはあると言えよう。そうして、現代人のいろいろな一般的価値観というものの元を辿っていくと、この本能に行き着くような気がする。

 経済的豊かさを希求するのも、性欲と食欲の変形に過ぎないのではないか。下品な言い方をすれば、美味い食い物があって可愛い女(男ならば)がいれば、満足なのだ。それを、さも、自由競争の中で大いなる夢を実現するために懸命に努力することが大事なのだとか、二人の愛は純粋なのだとか言ったって、そんなのは見ようによれば、醜い(と言ってしまえば身も蓋もないが)少なくとも本能的欲望を言い繕っているに過ぎない。

 人は、賢いと言っても、地位、名誉、権力、金、女を欲望する限り、生き物としての、動物としての本能から逃れられていない。人の賢(さか)しらな精神は、その本能的欲望にベールを掛けて着飾らせて、さもきれいに見せることに奔走している。

 死ぬために生きるのではなくして、死があるからこそ生きるのだとしたら、そこに死を越えた生きる意味があるかも知れない。死ぬまでの生きている間に欲望を貪るのではなく、欲望を削り取った姿こそ、死を越えていくことができる姿ではないか、と実感できればなどと夢想してみる。

  隙間風 せめても酒は 熱くせん

2014年   1月11日    崎谷英文


仙人の戯言

 自由は実は、苦しいのである。
自分自身で判断し、自分自身で責任を持つ
これは実に大変なことである。
勉強するのは、この考えること、判断すること
責任をもつことの前提としてある。