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仙人の戯言 2016

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師走の山

 野生の時代、原始の時代、村人たちはあらゆるものを共有していた。誰が獲物をしとめようが、その獲物は村人たち全員のものであった。山の村人と海の村人は、時に諍いを起こしながら、互いに足りないものを補い合っていた。長い間に、村人たちが共に生きていくための掟が定着していく。掟破りは淘汰される。山の村と海の村の間でも、平和を保つためのしきたりが生まれ、儀式が作られる。

 野生の時代、原始の時代、人は生きる力、エロスを溜め込みながら、そのあからさまな欲望を抑制して生きねばならないことも知っていた。エロスは、闘う力でもあるが、共に生きる喜びでもある。生存競争を勝ち抜くための生きる力は、自然の脅威に打ち克つ力でもあれば、自然の恵みを有り難く頂く力でもある。

 やがて、小さな村が大きな村になり、小さな国になっていく。指導者が生まれ、権力者になり支配者になっていく。みんなのものが、国のものになり、やがて個人のものになる。大衆は、権威と暴力により支配されながら、限られたいのちを、狭い世間をよりどころとして、精一杯に生きていく。一方で、権力闘争が繰り広げられる。

 まだ、自由とか平等とかの言葉を知らなかった頃、不自由と不平等は、当然のこととして人々に受け入れられていたのであろう。部族にしろ国家にしろ、権力者たちは人々を支配していたのだが、その頃は、秩序を保つことが正義であったかも知れない。原始の時代、自覚もしなかったが、当然のこととしてあらゆるものが共有されていたことは、もはや遠い昔の懐かしい幻となる。

 人々が、自由と平等に目覚める時、一方で欲望も解放される。仏教もキリスト教もイスラム教も、そしてあらゆる宗教も、強欲を禁止し、戒めていたはずだ。暴力はもちろん許されないが、貪ることもなおさらに否定されていたはずだ。しかし、人々は自由と平等という価値を手に入れ、それを人類の普遍の共有物として、そこから勘違いして、強欲の貪りと搾取を正当化してしまう。

 強欲の世界は、またどこまでも戦う世界であり、欲望は限りなく、強者はますます強くなり、こころ優しき人々が虐げられていく世界である。あからさまな暴力による支配ではなく、権力者、富者たちによる経済的支配である。自由と言いながら、平等と言いながら、富を独占し、貧者たちをこき使い、僅かばかりの施しを与えて、権力者、富者たちがふんぞり返る世界である。

 山かすめ 煌めく朝日 枯木立。

 自由は、欲望を開放する。伝統的秩序、抑圧から解放され、人は初めて自由を獲得するのだが、自由は、また欲望も解放する。

 しかし、自由を獲得すればするほど、自由になれない自分を発見する。自由を獲得して人は本当の不自由を感じる。思うがままにならないことが当たり前であった頃、人は自由を知らず、不自由を知らなかった。自由を獲得してこそ、人は思うがままに生きられない自分を発見する。

 束縛の中で、抑圧の中で生きているうちは、無意識の諦めに閉じ込められ、自らの思いと現実との懸隔に気づくこともなかった。しかし、ひとたび自由に生きることを、建前としてでも与えられるとき、自らの思いに気づき、自らの思いをおろそかにできなくなる。自由であればこそ、この世の不条理、理不尽の中で、自由に生きる難しさに苦悩し、不自由を発見するのである。

 苦しまずに、悩まずに生きるなら、何かに縋りつく、何かを信じる、何かに盲目になることが手っ取り早い。神に、権威に、大きく見えるものに身を委ねるとき、こころは安らぐだろう。苦しみ、悩みから逃れるには、考えることをしなければいい。

 権力者たち、支配者たちは、人々に考えさせないようにする。それは、伝統であったり、権威であったり、信仰であったりする。人々に、遊興と娯楽と享楽と食べ物を与え、夢中にさせておくようにする。自己責任の重圧に怯えさせ、不平等を自己責任と切って捨てる。

 自由とは苦しいのである。自分自身で考えなければならない。

  じたばたと 馬齢を重ね 去年今年

2016年     12月31日     崎谷英文


師走の雲

 母子一体の母親の胎内から、子は母親から分離され、個となってこの世に誕生する。

 人は他の哺乳動物のようには、生まれて直ぐに立ち上がることはできない。人は知恵を持ち、頭脳が発達し頭が大きくなる。大きくなり過ぎた頭は、お産の時に困難をもたらす。そのために、他の哺乳動物のように生まれて直ぐに立ち上がることができるまで母親の胎内で成長させることはできず、一年程早く生まれるという生理的早産になる。生まれた後に成長の続きが待っている。

 だからこそ、生まれた後、母親と子供は暫くの間、胎内の延長のように、母は子を自らの分身のようにして育てていく。子は母と分かれながら、胎内の一体感を持続させながら、ゆっくりと一人の個となっていく。

 赤ちゃんの笑顔は自然の笑顔である。母親ばかりでなく、人の顔を持つ周囲の人々全てに、自然と笑顔を振りまく。それは赤ちゃんが、自らのいのちが、母に守られ、同じ人々によって守られていることを知っているからこその笑顔である。そして、母はもちろん、周囲の大人たちも、その赤ちゃんの笑顔を見て、改めて共生、共存、共に生きるという喜びを確認しているのである。

 そこには、力による支配はない。同じ人として生きる喜びがある。あらゆる生きる資源は赤ちゃんに与えられる。大人たちが生きることに精一杯だったとしても、パンを割って子供に与え、自らは食べずに子供になけなしのパンを与える。

 そこには、経済はない。金銭的取引はもちろん、交換もない、ただ贈与がある。利害得失でなく、ただ与える。見返りなど何も求めない無償の贈与がある。しかし、全くの無償というのは間違いでもある。子供が元気に育っていくことを見ることこそが、報酬になるのだから。

 そして人は、自らの子供、家族ばかりでなく、周囲の人、あらゆる人へも優しい目を向ける。共に生きることを喜び、他人の苦しみは我が身の苦しみとして感じる。キリストは、汝の隣人を愛せ、と言ったらしいが愛さずにはいられないのである。自分だけが、自分たちだけが、喜び楽しむことはできない。宮沢賢治が、世界全体が幸福にならない限り個人の幸福はあり得ない、と言ったのはそういうことだろう。

 人には共感能力がある。それはきっと、人間ばかりでなく、他の動物にもあるのではないか。残忍そうに見える猛獣にも、優しさはあるに違いない。人は優れて共感能力を持っている。相手の立場に立って考え、相手がどう感じているかを感じ取る。そうして、人の喜びも悲しみも、自らのものとして、共に笑い、共に泣く。

 個となって、この世に放り出された人は、この厳しい生存競争の中で、生き残るために闘う運命に曝されるのだが、ただ自分だけが、自分たちだけが豊かになったとしても、心底から喜びを得られないことを知る。

 人は有史以来、いがみ合い、奪い合い、殺し合って、そして戦争をしてきたのだが、それでは本当の幸福はない、平和こそ大切と度々思い至るのだが、暫くすれば、またぞろ、反省も平和への思いも忘れ、闘争本能剥き出しに、奪い合う、殺し合う戦争を繰り返すのである。

 共感能力が全くない人、著しく低い人をサイコパスなどと呼ぶ。彼らは、人を思いやることができず、本当の優しさを持っていないとされる。人のために涙を流すことを知らず、平然と人を殺め、平気で嘘をつく。人の気持ちを想い図ることができず、鉄面皮のようである。

 しかし、彼らは小賢しく、教育と経験を経て、計算づくで世渡りをする。人のこころに共感するのではなく、こうしたら拙い、こうしたら上手くいく、と計算する。人の喜びを喜ぶこともなく、人の苦しみを苦しんだりはしない。ただ優しい仮面を被る。

 そういう人たちが本当にいるのだとしたら、彼らこそ戦争を繰り返してきたのかも知れず、また戦争を繰り返すであろう。

  雲白く 光を弾き 山眠る

2016年     12月25日     崎谷英文


師走の雨

 人は野生ではないと思われている。人であれば野生ではないということか。自然の中で勝手に生育する動植物を野生というならば、人は人工的に生育する生き物として、野生ではないということか。確かに、社会的教育を受けずに自然のままに育つような野生児は、今の時代にはあり得ないだろう。昔、狼に育てられた子供がいたが、見つけられた後、人間社会になじめなかったと言う。

 しかし、人もまた元々野生であったのではなかろうか。犬や猫は、人に飼われることにより野生でなくなるということで、他の動物にしても、人に飼われることにより野生でなくなるとしたら、人に飼われる前は、やはり野生であったろう。犬や猫などは、もはや人に飼われなくなっても、野生ではなく野良と呼ばれる。しかし、やはり、犬や猫は、犬や猫になる前は野生であった。人もまた、人となる前は野生であった。

 この自然の中に放り出された野生の生き物たちは、この世において生存競争に曝されていく。全ての生き物が共存して生きていくには資源が足りない世界で、生きていくためにその足りないものを奪い合って生きる運命を背負わされる。その生きる力は、生存競争に打ち克つ力であり、家族を守り、子供を育て、敵対するものを倒していく力、エロスとして与えられる。エロスは、性的なものばかりでなく、愛でもあり、闘う力でもある。

 この世に生まれる前は知らない。しかし、生まれる前の我々には、何の苦しみも悲しみもなく、もちろん争いもなく、あらゆるものは融合し同化した宇宙の平和で穏やかな世界だったのかも知れない。それが、個として分離した、この世の不条理な弱肉強食の世界に放り出されて生きねばならなくなった、というのがこの世への誕生かも知れない。勝ち生き残っていくという試練を与えられたのかも知れない。

 エロスは生きる力であり、生への欲動である。強くなり、勝ち続け、生き残ろうとする欲動である。エロスは、あらゆる場において勝利を目指す源泉として、人は、ゲーム、スポーツ、賭け事、勝負事において、勝つことが至上の喜びとして、こころに刻まれるように作られているようだ。他の生物との生存競争ばかりでなく、人同士、闘い勝つことが喜びとなる。そうやって醜い戦争を繰り返してきたのが、人類の歴史である。

 しかし、またエロスは平和への欲動でもある。あらゆるものとの共存、共生を願い、人同士もまた平和で共に生きるという願いをもたらすものだったはずだ。エロスは、生まれる前の平和で穏やかな世界を目指すものでもある。野生のエロスは、闘う力でもあり、平和と共存の力でもある。

 しかし、この世は余りに不条理で、奪い合い、いがみ合い、殺し合う世界であり、こころ安らかに生きようとする人たちは、やがて、徒労の努力を空しく使い果たし、生きる世界の前の争いのない平和で静かな世界への回帰を願うことにもなる。これが死への欲動、タナトスである。

 母親と一体であったいのちが、母親と分離して生まれ出ずるのだが、時を経るにつれ、ゆっくりと個としてのいのちに移っていく。母親を通してあらゆるものと融合していたいのちが、ゆっくりと個としての生きる力を蓄えていく。この世の不条理に絡め捕られ、どうしようもなく絶望すると、人は、死への欲動に駆られ、破壊の衝動に駆られる。

 文明が進めば進むほど、人と自然は遠ざかるのではないか。人工物が溢れ、機械に囲まれていく社会は、便利で豊かに見えるが、人と自然を遠ざける。人同士もまた、遠ざかり、血の通わないような関係に陥っていき、宇宙の秩序、コスモスはますます遠のいて、人は阻害され、孤立し、不安が募り、悶々と空しく生きることにもなりかねない。

 この世の仕組みも、作り上げた理屈も、この世の意義を解明することはできず、反対にますます人のこころから平穏と充実を奪っていくのではないか。小賢しく生きても、こころは空しくならないか。

  含羞を ひめて散りゆく 落葉かな

2016年     12月18日     崎谷英文


師走の風

 先日、四代前位に縁のあった親戚の八十五才のお爺さんが亡くなったのだが、その葬儀の三日後、今度は同じ村に住む七代前に縁のあったと聞く親戚の九十一才のお爺さんの訃報である。

 しかし、今回は村の町内放送で初めて知って驚いた。自治会長による放送で、三日前に亡くなって、既に今日家族葬を済ませました、と言う放送だった。遠い親戚ではあるが、何の連絡もなかった。次の日の朝、線香をあげさせてもらった。この夏までは、元気に畑に行く姿をよく見ていたが、八月に転んで骨折をし、寝たきりになって、家に帰って来て暫くして老衰で亡くなられたと言う。昔、缶詰屋さんだった。

 今、身内のみで行う家族葬とか直葬とかが多い。普通に葬儀を行うにしても、香典は御遠慮します、などと言うのが増えている。僕なんかは、父、母の時に香典を頂いているので、何か申し訳なくも感じるが、これが今の世の趨勢のようだ。

 昔は、この村では、村人総出のようにして、みんなで葬儀を行ったものだ。人が死ぬということは、一大事だった。このことは今も変わらないだろうが、昔は同じ村、近所の人と共に生き、共に暮らすという繋がりが強く、人が死ねば、また共に悼み助け合うという関係が、当然のようにしてあった。

 しかし、世の中が変わり、人もまた変わったということか。昔は、村人の生活は、村人同士の交流の中で成り立っていた。それこそ、ずっと以前は、村の中で自給自足の生活をしていたに違いなく、時代が進んでも、多くの人は米と野菜と筍の生産、収穫に勤しんで、村の中に、炭屋、鍛冶屋、下駄屋、酒屋、豆腐屋など、分業化した様々な人たちがいただろう。

 田んぼの水の割り当て、水路の整備、農道の修復など、村人たちは協力して行わなければならなかった。村人たちは、村の掟を守らねばならず、その掟があればこそ、村の自治も成り立っていた。同じ村に住み、共に生きる村人たちだったのだ。そして、人が死ねば、やはりみんなで死を悼み、家族を労わり、みんなで葬儀をしたのである。

 しかし、どうやら世の中も、村も、人も変わっていったらしい。今、世の中はグローバル化していると言われる。それは、簡単に言えば、国家の枠組みを超え、流動化し繋がっていくということだろう。それは、一方では自由の拡がりでもあるが、また一方では、国内での人と人との繋がりを希薄化させるものにもなり得る。人々は世界に飛び立つこともできるが、孤独な個ともなり得る。

 同様類似なことが、村にも、それはグローバル化以前からのことでもあろうが、交通の発達、流通の発達、更には農業の衰退もあり、村の人々は、村の中での共同生活の枠を乗り越えて、自由に生きることができるようになった。村のしきたり、村のしがらみ、村内の付き合いを面倒で煩わしいことと思うようになる。そして、当然のように、村内の人と人との繋がりも希薄化していく。

 今、太市の村では、太市村創生会議というものが始まった。太市小学校の生徒は、全学年で八十数名になってしまったようで、高齢者の割合はますます高くなっている。少子高齢化の限界集落に近づきつつある。年々、休耕田は増え続けている。そこで何とか、今の内に、太市の村を活性化できないかと模索し始めたのである。

 しかし、だからと言って、住宅地にして開発することは望まない。農地がなくなるのは良くない。この山に囲まれた田園の地は残さなければならない。高齢者たちが楽しんで、自給自足のようにして野菜を作っている畑をなくしてはならない。

 単に人を呼び込むのではなく、この太市の里で、自然と共に過ごしていくことを、子供たちが喜んで選択していくような村にし、また、人が外から来るとしても、この自然と共に生活していく人たちを選ばなければならない。

 昔のように、人々が強い関係で結びつくようなことは難しくとも、現代に合った、優しい共同体というものに何とかできないかと思案している。

  烈風に 斜めに走る 枯落葉

2016年     12月11日     崎谷英文


冬時雨

 火葬場を出ると、西の空から雲が広がっている。さっきまで一面の青空だったのだが、天気予報が、今回は当たりそうな気配である。今朝、東の空は綺麗な朝焼けで、ピンク色に染まった雲が山の谷間に漂っていた。天気予報で午後から雨が降るだろうと言っていたのも、きっと外れるだろうと思われるほどに、その後も空は青く輝く小春日和だったのだ。

 親戚の八十五才のお爺さんが亡くなった。四代、五代前ぐらいに縁のあった親戚らしいのだが、詳しいことは知らない。縁としてはもっと近しい人たちは、ほとんど太市に住んでいない。その人は、同じ太市に住む縁者である。僕が子供の頃からよく知っている人で、数年前までは、自らトラクターを操作して米作りもやっていたと思うのだが、近年はさすがにその姿を見かけなくなっていた。

 酒好きの豪快な人で、我が家の法事の時なども、よく笑う陽気な人だった。市役所を退職した後、村の自治会長や筍組合の理事長などをしていたことがあるそうだが、それは僕が太市に帰って来る前のことだ。その後、奥さんがアルツハイマー病に罹り、ほとんど寝たきりのような状態になって、暫く一人で面倒を見ていたらしい。男の子はなく、娘二人だったのだが、その長女が幼い孫を連れて旦那と実家に帰って来たのは八年前位だっただろうか。

 金曜日の夜、塾に電話がかかって来てその人の死を知らされた。突然の訃報であった。直ぐ翌日が通夜で、日曜日に葬儀ということであった。その夜の内にその家を訪れると、その爺さんはやつれた様子もなく穏やかな顔をして眠っている。若い頃から禿げていた人だが、その色艶は変わりない。遠くの親戚より近くの知人とも言うが、近くの親戚である。義理とかでなく、愛おしい。

 この八月に肝臓に癌があると診断されたらしいが、それでも毎晩の酒は欠かさなかった人らしい。それほど体調も悪くなく、娘さんの都合で一週間病院に入っていたのだが、さあ、家に連れて帰ろうとしたその日に亡くなったらしい。そんなことも知らなかったのだが、生きている間に会いたかった、と心が痛む。

 他の火葬場はどうか知らないが、この火葬場は煙突もなく、天に上る煙を見て亡くなった人の行く末を思ったりすることもできない。

 通夜の席、浄土真宗、本願寺派の西楽寺の若い住職の読経が響く。前住職の孫である。寺を継いだ叔父が若くして亡くなり、祖父の後を継いだのである。祖父の住職とは長い付き合いだったし、叔父の住職にもよく世話になった。その三十才になる住職は、祖母と一緒に寺に住んでいたのだが、その祖母が脳疾患で施設に入り、今は一人でその寺に住んでいる。身体の大きい人だが、その声は高くよく通る。

 正信偈が終わり、白骨の御文章が読まれる。夫、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものは、この世の始中終まぼろしの如くなる一期なり、で始まる室町中期の浄土真宗中興の師、蓮如の文である。朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり。この世の無常を教える。さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて、夜半のけふりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。

 先日、永六輔の残した言葉、などと言うテレビ番組を偶々見ていたのだが、永六輔は、人は二度死ぬと言ったらしい。一度目は、本当の本人の死の時、二度目は、その本人を思い出す人がいなくなった時と言う。確かにその通りであろう。法事などと言うものも、その先祖を思い出す儀式でもある。忘れつつある先祖を思い出させ、いずれ彼の地で会いましょう、と掌を合わせる。

 葬儀もまた、その死んでいった人ばかりでなく、いろいろな人を思い出させる。

 再び葬儀場に戻り、外に出た時には、まだ雨はしとしとだったのだが、今、窓の外の山々は白く煙り、本格的な雨模様になっている。

  朝焼けの 青空やがて 冬時雨

2016年     12月5日     崎谷英文


神無月の頃

 昼食を食べて、何とはなしに、ぼうっとしてテレビを見ていると、窓の外に不穏な影が見える。右から左にやって来たオートバイが止まり、黒っぽい服を着た男が降りてくる。我が家に用事があるのだろうかと見ていると、門の方ではなく、足早に窓の外の庭の、さらに外の目隠しのように植えているミカンの木に近づく。手に何か持っている。ミカン泥棒と咄嗟に気が付く。

 「どなたですか。」と部屋の中から叫んだ。経験上、大声を出せば聞こえるはずである。しかし、応答がない。もう一度、「どなたですか。」しかし、男はミカンの木に手を伸ばす。窓を開けて、「何をしているのですか。」と声を掛ける。男は慌てたようにオートバイに戻り、「すみません。」と言って、走り去った。

 窓の内側からは、外は結構よく見えるのだが、外からは、ミカンの木や柚子の木やスモモの木などが眼前に迫り、家の方は暗がりになって見えにくい。男は以前からこのミカンを狙っていたようにも思える。もしかしたら、一度、一つくすねて食べてみたことがあり、美味かったので、今度は、まとめて盗ってやろう、と思ったのではないか。ビニール袋のようなものも見え、計画的だったのかも知れない。

 そのミカンは、自分も忘れたのだが、多分いわゆる温州ミカンだったと思う。もちろん、プロの育てたようなミカンではなく、今の甘みの優れたミカンとはいかないが、昔食べたようなミカンの味がする。僕にはこれ位が丁度いい。きっと、この泥棒も美味いと思って盗ろうとしたのであろう。すぐ後で見に行くと、慌てて引きちぎった跡だろう、ミカンの蔕が、まるで白い花のように五つ残っている。犯人は五つ盗っていったらしい。

 吉田兼好の徒然草に、神無月の頃、というのがある。

 神無月の頃、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入ること侍りしに、遥かなる苔の細道を踏み分けて、心細く住みなしたる庵あり。

 木の葉に埋るる筧の雫ならでは、つゆ訪ふものなし。閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに住む人のあればなるべし。「かくてもあられけるよ」と、あはれに見るほどに、彼方の庭に大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、周りをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか。

 山間の人のあまり通わないような中に、小さな家があり、木の葉に埋もれた雨樋から漏れる水以外、訪れるもののないような所の家だが、それでも人が住んでいるのであろう、仏の水を置く棚に、菊や紅葉が散らしてある。「こんな所でも、このようにして暮らしていけるのだなあ。」と思っていたら、実のたわわに生っているミカンの木があり、人に盗られないようにであろう、周囲を柵で囲っているのが見え、興ざめした。

 というような話だが、昔から、泥棒というのはいたのであろう。しかし兼好の言うように、盗られないように囲いをするというようなことは、不粋に過ぎる。盗人は昔からいる。しかし、人のものを盗む人は、よほどの理由がある。困っている人にはくれてやればいい、と言えば言い過ぎだろうが、それでその人が助かるならば、それも人助けになろう。

 今、防犯だ何だと言って、防犯カメラが至る所に備えられ、セキュリティー会社に頼んだ防犯システムが網を張り、個人でも防犯対策を厳重にする人が増えているようだ。

 先日、友人の母親が一人で住む家を訪ねたのだが、玄関ベルを押しても返事がない。戸を開けると鍵も掛かっていない。中に入り声を掛けても返事がない。携帯で電話すると確かにこの家内から音がする。届け物を中に置いて帰った。

 昔は戸締りなどしなかった。盗られるものもなかったのかも知れないが、盗られたってよかったのではないか。貧乏人ほど、人にものをくれてやる。金持ちほど、盗られないように抱え込む。そんな世の中になっているようだ。

 ミカンを盗んでいった男が、逃げながら「すみません。」と言ったのが、かわいらしく耳に残っている。「ください。」と言えばくれてやったのに。

  蜜柑の実 鳥の突きし 跡があり

2016年     11月27日     崎谷英文


霜月のある日

 今年は、米の収穫量が大きく減ってしまった。ひとえに、自分自身の怠慢であり、熱心さの欠如が原因と思われる。もう少し丁寧に草取りをするべきだったと思うし、さすがに有機天然肥料も少なすぎたと思う。自分自身のいい加減な、まあいいかが招いたことである。

 しかし、別に米を量多く収穫することが目的ではなく、何となく昔のやり方で手間暇かけて、なるべく文明に頼らない米作りをしようとしているわけなのだから、基本的に最低限、自分たちの食べる量が穫れればいいのである。

 それでも、今年の失敗は良く胸に刻み、来年はもう少し丁寧に作ろうかとも思うのだが、とにかく根がずぼらで、怠け者なのだから、今そう思っていたとしても、実際どうなるかは分かったものではない。

 周囲の近所の人が、畑でいろいろな野菜を作っていて、いつも世話になっている。多くできるものは、勝手に採っていっていいよと言われ、遠慮なく頂くことにしている。

 近くで四軒の家が、我が家の隣の畑で野菜を作ったり、花を育てたりしていて、皆さん上手である。僕よりも年上の人ばかりで、仲睦まじく畑仕事をする老夫婦もいれば、土を弄っていると癒される、ほっとすると言って、家族がみんな嫌いで食べないような野菜も作ったりして、食べないから採っていって、という人もある。

 僕の野菜の作り方、育て方は、やはり適当で、小さな耕運機で耕したり、備中鍬でせっせと耕したりして、スコップで両側を掘って、畝らしきもの、あくまで畝らしきものを作り、だいたい鶏糞肥料と牡蠣殻石灰を混ぜたものを畑に撒き、また耕す。そうして、種を蒔いたり、苗を植えたりして、後はほったらかしである。とにかく雑草だらけで、畑の先輩たちから、草を取れとかもっと肥料をやれとか言われるが、面倒でほとんどしない。

 今は、何事もそうだが、科学的な分析をし、有機、生き物として存在するものの中のこれこれの成分がこういった効果を発揮しているとして、その成分を凝縮すればさらに効果があるとして、いわゆる化学肥料、農薬などが作られ、多く利用されている。

 しかし、自然というものは、その循環でできているのである。それは、一つのまるごとのいのちが、別の一つのいのちを育てていることを繰り返しているのであって、科学的分析によって発見された単なる化学成分が循環しているのではないのではないか。

 人と人との関係も、本来はそういった自然の循環のようなものではなかったろうか。現代は、金銭というものを媒介にして、人と切り離された商品というものが循環しているのだが、本来は、その交換され流通するものに潜む人の手、人の温もり、人のこころ、人の魂というようなものをひっくるめてそのものは交換され、取引されていたのではないか。今は、商品に人の影はなく、人を離れた単なる物になる。

 誰が作ったか、何所で作られたか分からない単なる物が、金銭を媒介として運ばれていく。大量生産、大量消費となればなおさらで、機械を使ったほとんど自動的に生産される商品には、人の影は見えなくなる。

 人は、自然の中で自然と共に生きているのであり、また人々の中で同じ人と共に生きているのである。人が生きているということは、その自然に関わり自然と触れ合い、人と関わり人と触れ合って生きていくことなのではなかろうか。時に世捨て人となる者もいるが、自然と離れ、人と離れて生きていくことは、本来の人の姿ではない。

 現代の人々は、自然と対決し、人と対決して生きているようだ。あらゆることが損得勘定で計算され、殺伐とした中で生きることを強いられている。だからこそ、現代に生きる人々のやるせなさ、生き辛さ、切なさは募る。

 時に感動的な自然の景観が放映され、人と人との感動的な繋がりが演出されたりするのも、現代のささくれだった世を示すものではないか。

 分析された自然ではなく、粉々になった人ではなく、まるごとの自然、まるごとの人とのつながりの中でこそ、生きていく意味があると思うのだが。

  吊し柿 夕日を浴びて 少し揺れ

2016年     11月18日     崎谷英文


ポトラの日記22

 めっきり寒くなって、もう少し朝の日射しを感じてから目覚めたかったのだが、相棒は相変わらず定時に起きて、障子を開け硝子戸を開けて僕を呼ぶ。仕方がないので、ゆっくりと起き上がり、のろのろと相棒に歩み寄って、おはようと声を掛けてやると、おはようと相棒が嬉しそうに応える。可愛いものだ。それでも、お腹が空いていたので、相棒の差し出す食事を美味しく食べた。

 庭の紅葉が綺麗だ。この庭では、色々な赤や黄の葉が、周囲の山々よりも早く色付くようで、すっかり秋模様である。ジョウビタキが、この冬もやって来て、枝をちょこちょこと渡り跳んで、自分の縄張りを主張している。相棒は、鳥たちにもよく声を掛ける。ジョウビタキがやって来た時は、ようこそ、お帰りなどと言っていたのだが、もちろんジョウビタキは、知らぬふりである。

 今、人間の社会では、色々な面白いことが起こっているようだ。世界を見渡すと、アメリカという大国の大統領に、ドナルド・トランプとか言う、ディズニーのキャラクターか、カードゲームのような名前の大男が選挙に勝って、世界中で大騒ぎになっているらしい。とにかく、トランプという男は、言いたい放題の人種差別的で、支離滅裂の演説を繰り広げ、クリントンとの討論など、子供の喧嘩よりも幼稚で醜いものだったらしい。

 人間というものは、猫よりも賢いと思っているらしいが、本当は、それほどでもなさそうだ。猫だってまともに話し合いをする。相手をやたらと貶したり、中傷したりしない。僕が食べているものを欲しがる野良も、時に現れるのだが、もちろん警戒はするが、痩せた彼女であるような時は、僕がある程度食べた後、彼女に残しておいてやったりもする。喧嘩はなるべくしないようにしている。

 人間は、猫よりも欲が深そうだ。人間は、自由・平等という建前の下、自由競争の資本主義、国民主権の民主主義なる仕組みを作り上げたのだが、その内実は、強欲主義とも言うべきもので、金持ちになって豊かになって贅沢をして生きることこそ価値がある、という人間社会を作ってきたのであって、欲望はとどまるところを知らず、どこまで行っても満足することなどできなくなっている。

 そんな中で、資本主義を利用して大金持ちになったトランプが、民主主義を利用して最高権力者、大統領になったのである。

 人間の社会というものは、自由を標榜しながら、その実、生きていくためには大きな体制に絡め捕られ、大きな組織の中に閉じ込められ、管理され監視されて生きていかなければならないような社会らしい。日本のいわゆるブラック企業では、月100時間の残業を強いられて、自殺する社員がいる。何をそんなに思い詰めるのか。生きることが第一であるはずが、逃げられないほどに追い詰める社会になっている。

 僕ら猫にも格差はある。一方では、ぬくぬくとした家の中で、それこそ猫可愛がりされて、好きなだけ美味しいものを食べて生きる猫たちもいれば、ホームレスのように漂い、寒さに震え、いつも腹を空かせて、様々な敵と戦いながら、短いいのちを生きていく猫たちもいる。どちらの猫が幸せかは、一概には言えまい。短いいのちながら、充実したいのちを生きているのやも知れず、閉じ込められてメタボになって走ることもできない猫が幸せとも思われない。

 人間社会というものが、その建前の自由と平等に違い、不自由で不平等な社会を作り上げているような気がする。経済発展だ、経済成長だと、血眼になってあくせくするばかりで、疲れ切ってしまい、大切なことを忘れてしまうような世の中になってはいないか。オリンピックだ、博覧会だ、と派手なことに浮かれ切ってしまっている社会は、結局は空しくなるばかり、地に足がついていない。

 僕は、もっとのんびり穏やかに、日々の喜びを感じながら生きていきたい。ハクセキレイが畑にいて、相棒が、声を掛けると付いてきたなどと埒もないことを言う。軒の吊るし柿が、日に照らされて眩しい。

  冬の草 短くしかと 根を張りぬ

2016年     11月13日     崎谷英文


秋の夜長

 生まれては死に、生まれては死に、の人生の繰り返しというもので、人の世はできている。それは何も人の世ばかりではない。あらゆるいのちにおいても、生まれては死に、生まれては死に、の繰り返しでこの世は動いている。永遠のいのちなどというものはあり得べくもなく、毎年同じように季節は巡り、春夏秋冬、同じような景色に出合い、同じような生き物たちに巡り会うのだが、彼らが去年の彼らであるとは限らない。

 どうせ死ぬ身であるということは、あらゆるものが死に亡び、朽ち果て、砂となり、土となり、塵芥となり果ててゆくことであって、朝紅顔の美少年、夕べには白骨となる定めである。

 人のみがこの死の運命に曝されているのではない。あらゆる生きとし生けるもの、意識せずとも死を待つ身に変わりなく、あらゆるものは、そのいのちある限りを如何に生きるかに惑い、苦しんでいることに違いはない。微生物も植物も動物も、あらゆる生あるものは、そのいのちを如何に全うするかで格闘している。

 格闘しているのではないように見えるが格闘している。生きるということに忠実に向き合って、ただそのことだけに集中して生きている。死は知らず、ただ生きることのみに徹して、彼らは生きている。

 微生物は微生物なりに、植物は植物なりに、動物は動物なりに、ただ生きることを自己目的として生きている。

 生き延びて種を残し、やがて天寿のごとく死んでいくものもあれば、短いいのちをその生きてきたというだけの記録も記憶も残さずに死んでいくものたちもいる。しかし、あらゆるものはそのいのちを全うしている。生きることに、ただ生きることに、自分自身の全てをかけて生きてきたのだ。

 人もまた同じである。何時死ぬとも知らず、生きることに専念している。

 しかし、どうやら人は、厄介なものを抱え込んでしまったようだ。ただ生きることにもの足らず、豊かに生きる、楽しく生きる、幸せに生きるなどと、強欲なこころが人を支配する。人はただ生きることに満足しなくなり、豊かに、便利に、楽に、贅沢に生きることを生きることとし始めた。

 そのために、他のいのちを躊躇うことなく奪い、この自然の限りある資源を貪り、人同士もまた競い戦いながら、自分こそはと生きていくことを選択した。あらゆるものと共に生きていくというのではなく、あらゆるものとの淘汰、人同士の淘汰の中で生きていくことを選択した。神は死に、強欲が神となる。

 人の強欲なこころは、生きていくための強い原動力にはなるであろうが、それはまた人のこころを蝕むことにもなる。どんなに争って、戦って、勝って、豊かさ、権力、地位、名誉を得たとしても、所詮は空しい。共に生きていくという、生きとし生けるものが持っているはずの原点というべきこころを置き去りにする。気が付けば空しくなる。

 ニーチェが、この世は永劫回帰であると言ったが、人もまた、生まれ死に、生まれ死にして、同じことを繰り返す。人のこころには、善と悪が住み、導かれるものを失って善と悪との戦いを繰り返す。いくら歴史を学び、反省、後悔しようとも、人が変われば忘れ去られ、善と悪とのせめぎ合いは続く。永劫回帰、善と悪は繰り返す。

 群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、というのは、ドラマ、ドクターXのことらしいが、人はこの言葉の心地よさを知っている。だからこそ、このドラマの痛快さを喜ぶ。ということは、つまり、この世が如何に、群れを好み、権威に服従し、束縛されているかの証でもあろう。そんな理不尽な世の中で、人は妥協し、諦めて、仕方なく目先の利益を求めて生きているということである。

 生きとし生けるもの、それは長かろうが短かろうが、生まれ死に、生まれ死にして、その生を繰り返して世の中は動いている。人の作り出したものもまた永遠の存在ではあり得ず、いつか壊れ倒れ、朽ち錆び、影も形も失っていく。永遠のいのちなどない。

  朝霧の 山に隠れし 狐鳴く

2016年     11月6日     崎谷英文


ある秋の日

 クワァーという音が聞こえてくるのだが、何所からの何の音なのか分からない。首を傾げて車庫の屋根を見ると、カラスが一羽、目を向ければ目を逸らす。最近のカラスはこんな鳴き声をするのかと思ったりするのだが、もしかすると、カラスは普通にカァーと鳴いているのに、この中途半端に年老いた身には、その耳の衰えからか、カラスの声らしからぬ異様な音に聞こえたのやも知れぬ。

 近頃、感覚能力が衰えてきていることを実感している。目はもちろん小さな文字が見え難く、読書用の眼鏡が大いに役に立っているのだが、耳の聞こえも悪くなっているようで、テレビドラマなどを見ることもあるのだが、聞き取りが悪くなっているらしく想像力で補うこともある。こんなことは自然の成り行きであって、年寄ればゆっくりと世俗から遠ざかっていくことを、身を持って導いているのであろう。

 カラスは黒い。白いカラスもいるのかも知れないが、まだ見たことはない。いたとしても、突然変異のカラスであって、白いイルカのように見世物になるだろう。カラスはイルカのように人に好かれてはいないようだ。都会では、ごみ箱を荒らし、糞を蒔き、悪さをし、うるさい存在として嫌われていそうだ。屋根にカラスのいる家には不吉なことがあるなどと言うデマさえ飛ぶ。

 田舎にもカラスはいる、と言うより、田舎にこそカラスはいる。今の時期には、熟しかけた柿の実を突いたりしている。我が家の柿は渋柿なのだが、熟してくると甘くなってくるので、その赤くなった実をよく食べているようだ。夏にはトマトなどもよく狙う。猫の餌なども隙を見て食べているようで、ポトラも、ハトやスズメは捕まえたり追い払ったりするが、さすがに大きなカラスは苦手らしく、時に餌を取られている。

 カラスは嫌われ者になっているようだが、本来そんな嫌われるような存在だろうか。枕草子では、秋は夕暮れ、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり、などと風情あるものとされ、童謡、七つの子では、カラス何故鳴くの、カラスは山に、かわいい七つの子があるからよ、と子を想う優しい鳴き声として描かれている。

 カラスは黒い、黒いから嫌われるのか。確かに、黒という色は、良いイメージではなさそうだ。葬儀には黒は付き物であり、泥棒にも黒が似合いそうだし、白黒をつけるときは、黒は悪である。黒一色のパンダなど人気者にはなりそうにないし、黒猫のタンゴもあるが、黒猫に出会うと縁起が悪いなどと言われたりする。というように、黒というものは、死を連想させ、暗く、陰気で、悪いイメージを持たれていると言っていいであろう。

 しかし、この世は全て、裏と表である。裏があるから表があるのであり、同じように黒があるから白がある。黒がなければ白もないであろう。真っ黒な世界も困るが、真っ白な世界も困る。黒が白を際立たせ、白を黒が引き締める。パンダも黒一色でも白一色でも面白くない。裏だからダメなのではなく、裏には裏の役割がある。裏を見ながら表が見えるのであって、裏を知らなければ表も裏もない。裏と表は入れ替わる。

 人生というものも同じで、人は幸せなどというものを追い求めて生きているのかも知れないが、幸せばかりでは幸せにはなれない。苦労のない楽しみ、悲しみのない喜びというものは、所詮薄っぺらなものでしかなかろう。苦しんで、やっと何かをやり遂げる時こそ、本当の喜びというものが分かるのであって、楽をして手に入れても、うれしくはあろうが、充実感はない。

 この現代文明の時代、溢れんばかりの情報に包まれ、便利な機械に囲まれて、人は汗を掻くこともなく、頭を悩ますこともなく、工夫もせずに、機械に頼りっぱなしの便利で楽な生活をして、楽しく、ハッピーなものを求め続けているようだが、安易に手に入るものは有難みも少ない。有難みの少ないものが手に入ったとしても、それで満足するはずもなく、あてどなく欲望を広げるしかなくなる。苦労して手に入れないからそうなる。

 苦は楽の元。数学の難問も、何時間かかっても自分の頭で悩み、苦しんで、解くことができた時ほどうれしいものはない。

 カラスがいるからシラサギもいる。カラスも立派に生きている。

  秋霖に 息を潜めて 山深し

2016年     10月29日     崎谷英文


また夜が来る

 また夜が来た。高校三年生の英語の問題を見る。

次の各組の空所に共通の語を書け。
(1) A Would you be ( ) enough to post this letter?
    B Questions of this ( ) are very hard to answer.
      明治薬科大学
(2)  A That house was very small and had only one ( ) upstairs.
    B I ate a lot ,but I still have ( ) for desert.
      芝浦工業大学

 日曜日に雨が降るような天気予報だったので、土曜日に小さな田んぼの脱穀、籾摺りをする。僅か二畝か三畝ほどの小さな田のキヌムスメという品種の米なのだが、大きな田んぼで作っているヒノヒカリより少し早く稲刈りをしているもので、天日干しにしてから二週間が経つ。干してある稲束を手作業でコンバインに掛け脱穀し、運んで籾摺り機に入れていく。

 数日前に花粉症になったらしい。その日の夕刻、突然ずるずると鼻水が出てきて、風邪でも引いたのかと、これは酷くならないように注意しようと思っていたのだが、日が明けて重い頭と鼻づまりにもやもやしながら、はたと気が付いたのである。思えばここ数年、春にも秋にも花粉症になっていたではないか。決まって、春の一時期、秋の一時期に鼻水が出、くしゃみを頻発し、目をしょぼしょぼさせ、時が経てば治るということを繰り返していた。

 くしゃみ、鼻水、のどの違和感、少しの頭痛があるのだが、熱もなく体のだるさなどもなく、医者に診断してもらったわけではないが、花粉症と自己診断する。

 その日から、外に出るときは、マスクをする。まあこれも例年通りだが、マスクを掛けたからと言って、そう簡単には花粉症は治まらない。マスクの隙間から花粉は入るだろうし、隙間だらけの家には花粉はどこからともなく入り込み、戸や窓の開け閉めで花粉は忍び込み、衣服や帽子にも花粉はくっついて運ばれてくるだろう。

 この花粉症の元は分からない。春の花粉症の原因も分からないが、この秋の原因も分からない。秋にはブタクサとかの野の雑草が原因であることが多い。別に何だって構わない。今までと同じであれば、時が経てばいつの間にか治る。死に至る病ではない。どうせ瘦せ我慢と空元気で生き続けているだけなのだから、少々のことは大したことはない。

 グローバル化の波は、人間社会におけるより早く自然界で始まっているようだ。ヌートリアとかアライグマだとかブラックバスだとかブルーギルだとか、外来種の動物が日本中に住んでいる。セイタカアワダチソウなどの外来植物は、この太市でも蔓延って、丁度今真っ盛りである。この花粉症は時期からして、このセイタカアワダチソウが原因かも知れないとも思うが、はっきりとは分からない。

 グローバル化というものは、一見良さそうに見えるが、自然界におけると同じように、これまでの国内秩序、国内自立、国内安定というものを妨げるものともなる。日本列島の自然界の生き物たちが、共存して住み分けていたのが、外からの異種の侵入によって、その共栄を妨げられるように、人間社会においても、自立してきた国内秩序が外国からのグローバル化要求により乱される。

 嘗て、日本は治外法権の撤廃や、完全自主権を取り戻すことを苦労してやり遂げたのだが、今は反対に、グローバル化は治外法権を認め、関税自主権を失うような方向に進んでいる。果たして世の中、それほど纏まってやっていくことのできる状態なのか。イギリスが、EUからの離脱を選択したのも、EUへの不信と国家主権の喪失、ひいては国民主権の喪失に繋がるという危機の恐れがあったのではないか。

 TPPというものも、グローバル化を利用した大国の搾取と支配、小国の依存を助長し、ますます歪んだ競争社会をもたらす危険がある。在来種が外来種に排除されてはならないのである。

 クイズのような問題だが、(1)は、kind、 (2)は、roomが正解だと思う。

  真青なる 空にちらほら 紅葉かな

2016年     10月23日     崎谷英文


また朝が来る

 朝、目を覚ますと空気が冷たい。一週間前とは大違いの寒さである。と言っても、これが平年の気温であるというのだから、これまでが暑かったということだろう。暑くなり、時に寒くなりしながらも、地球は確実に温暖化しているようだ。今日の空は、正しく秋晴れで、雲一つなく澄み渡っている。雲のない朝は、一層空気は冷たくなる。

 人間の仕業によって地球温暖化が進んでいて、世界各地で異常気象になっているようだが、昔から気象の変動はあったと思われる。日本においても、数年毎に、干ばつ、冷夏、大雨、洪水による飢饉があった。天明の大飢饉では、五年に渡って全国で飢饉が続いたと言う。自然の脅威から逃れる術はなく、ただ空を見上げるしかない。日本では、更に、地震、津波、火山の噴火など、自然災害の危険が高い。

 如何に文明が発達しようが、人は自然を操ることなどできない。地球環境の周期的変化であるにしろ、人の所業による温暖化が理由であるにしろ、自然は、人の予測を超えて牙を剥き出す。せいぜい、天気予測を確実にし、事前の避難、予防を促すしかない。

 考えてみれば、自然の変動、地球環境の変化は、地球自身にとって致命的ではない。ただその上に住むものたちにとって致命的となり得る。地球上の生き物たちが絶滅しようが、地球自身は、数億年は生き続ける。人は、地球に勝てないのである。

 今、秋祭りが各地で行われている。太市では、17日、18日に祭りがある。灘の喧嘩祭りは、今日本番であろう。秋祭りというものは、本来収穫を終え、神様に感謝するものであったろう。しかし今は、ほとんどその意味は薄れているが、人にとって祭りというものは必要であったし、今も必要だろう。今も、灘の人たちにとって、喧嘩祭りは心騒ぐ一大行事であり、祭りを前に、灘の高校生たちもそわそわすると言う。

 人々には、日常を逃れた非日常が必要である。同じ日常を続けていることは、人の持つこころと身体のエネルギーを沈殿させ、日常ばかりであると、そのエネルギーはマグマのように奥底に溜まっていく。そのエネルギーを、火山の噴火のように放出させて鎮める儀式が必要なのである。それはまた、日常の不条理、不合理、不公平な社会への異議申し立てを抑え、社会秩序を保つことに繋がる。

 現代にも現代の祭りがある。日々の遊びもまたわくわくする祭りになるであろうし、物見遊山の観光旅行も祭りのようなものかも知れない。ポケモンGOもコマーシャルメディアを通じて演出された祭りであろうし、運動会や修学旅行も祭りになろう。スポーツ観戦も芝居見物も、祭りのようなものである。それらは、地域における秋祭りのような儀式でないとしても、祭りの効能を持つものと言っていいであろう。

 しかしまた、そういったものから文化というものが生まれてきたことも事実である。人々の欲望が解放されることによって、文化も生じる。大衆文化というものは、時を変え、所を変え、エネルギーの放出される祭りを通して生まれていく。

 現代は、大衆の欲望を様々に解放させようと蠢く者たちの社会になっている。オリンピックや博覧会は、国際的、国家的な行事、祭りとして、大衆を動員させようとするものであり、戦争もまた、宣伝によりわくわくした祭りになり得る。昔からそうであるが、国家権力は、大衆支配、大衆操作のために、祭りを演出しているのである。

 また、現代消費社会は、マスメディアを使った宣伝コマーシャルにより、これでもかとばかり大衆の欲望を喚起させようと躍起になっている社会であり、日常の中に祭りの要素を潜り込ませていこうとしているのである。

 明日、大きな田んぼの稲刈りをしようと思っていたのだが、これまでの予報と違い、午後になると雨になりそうなことを言うので、今日、田んぼの三分の一程をバインダーで刈り取った。露に濡れるが、どうせ干すから構わないと思っている。疲れた。明日は、もっと疲れる。

  秋冷や 時の流れに 蹲る

2016年   10月15日    崎谷英文


秋の夜

 昼食の後、ずっと塾にいて、夜の九時半とか十時とかになって家に帰ってきて夕食になる。もう、こんな生活が二十年以上続いている。学習塾というやくざな夜の稼業をやっていることの宿命であろうか。昔から間食を摂る習慣はなく、時たまお腹が鳴ることもあるが、もう身体がこの生活に慣れ切っている。

 缶ビールを飲み始め、テレビを見ながら夕食を取る。相も変らぬ事件が続く。

 人の世は、もう既に数十万年も続いているのだが、個人個人は、僅か数十年のいのちを繋いでいるわけで、人類は、失敗と成功を繰り返しながら、人類としては一応の進化をしてきているのだろうが、その時代時代、その所ところに生まれついた個々の人間は、生まれつき進化して生まれるのではない。生まれつき人類の培ってきた文明文化を、身に付けているわけがない。

 ここ数千年、数百年の人類の進歩は著しいものがあるが、個々の人間は、その時代、その地に裸で放り出されるのであり、進歩した人間として生まれるのではない。生まれついた途端に、自然に物質文明は身に纏わりつき始めるであろうが、精神文化、そういったものが進歩しているのかどうかも疑わしいが、そういった精神文化が一朝一夕に身に付くわけもなく、善きにしろ悪しきにしろ、育ちと教育の中で、その時代、その地の精神文化を身に付けていくしかない。

 そして、この世は常に不条理で、不条理なまま時が過ぎてきた。文明というものが大いに進歩し、人々の生活が豊かになっていくのだが、戦争は繰り返され、自然は破壊され、自由になったと言いながら、生き辛さ、窮屈さは増すばかりに思え、自由が不平等を助長し、豊かさだけが人々を幸せにするという幻想が振り撒かれ、貧困は自己責任と切り捨てられる。

 まだしも、一昔前、身分社会でありながら、人々が助け合い、ささやかな喜びを共有して生きていた時代の方がこころ安らかだったかも知れない。自由を獲得したと言いながら、がんじがらめに体制組織に絡め捕られる社会で、管理され監視されながら、生まれついて豊かなる者とそうでない者との格差はますます広がる。アメとムチ、パンとサーカスで大衆を操作しようとする権力者たちは、僅かばかりの施しをばら撒いて、言うことを聞けと民主主義を利用する。

 何時の時代も、そして今も、強欲な人間たちの自己本位で自分勝手な性向は変わらず、冨と権力を獲得し、握り続けようとする。大衆は、豊かさのみが、それは言い換えれば、金さえあればの現代の強欲の論理に導かれ、小賢しく上手に世渡りした者が勝ちとなる。強欲は限りなく、不正義も見つからなければ同じ勝ちとなり、先達の不法を受け継ぎ、法の隙間を潜り抜けようと言い訳を吐く。

 政治家たちは、自分は偉いのだと勘違いし、偉いから少々、いや少々でないか、悪いことをしても、許されて当然なのだとばかり、ふんぞり返って開き直り、世の中の非常識をいとも簡単に常識にする。そんな世の中では、大衆も、ますます上手いことやり抜けることばかりに執心し、正義も倫理も責任もあったものではない。挙句は、弱者は世の中の役に立たない厄介者と排除しようとする輩が出てくる。

 少々酔って、そろそろ眠ろうとするのだが、いつものようにテレビをつけていると、夏目漱石の妻、というドラマの再放送をやっている。漱石が、留学して帰国して、被害妄想のような神経衰弱に陥っている。妻の鏡子が、辛抱強く立ち向かう姿がいい。則天去私という漱石の晩年の、晩年と言っても漱石は四十九才で亡くなるのだが、その境地とは程遠い若き日の漱石である。黒猫に救われた?

 面白く見ているうちに、午前一時を過ぎてしまった。明日は、少し寝不足になりそうだ。

  夕日浴び 黄金に群れる 赤蜻蛉

2016年   10月8日    崎谷英文


秋の夕暮れ

 昼食を済ませ用事のないときは、そのまま塾のある実家へ入るのが通常となっている。と言っても、塾の勉強が始まるのは、夕方、夜で、極稀に、その準備をすることもあるが、通常は本を読む時間になる。

 年を取って老眼が進んできたのだろう、元々軽い近視だったのだが、本を読むこと、特に小さい字を読むことが辛くなって困っていて、最近、読書用の眼鏡なるものを誂えた。そんな読書用の眼鏡などというものが存在することさえ知らなかったのだが、偶々通常運転する時などに使う近視用の眼鏡が壊れ、新しく買う時に店員から勧められたのである。虫メガネを使うよりは便利そうで拵えた。

 それ以来、本を読む時はその眼鏡を掛けているのだが、なかなか具合がいい。その日は、柄谷行人の「帝国の構造」を読む。

 本を読む時、読み始めが肝心で、読み易くすっと入っていくことのできることもあれば、スムーズに、書いてある内容、情景が浮かばなくてイライラすることもある。その本が、自分に合っているとかいないとかということもあるかも知れないが、読む時の気分、集中力というものが影響するようだ。その本では、気分が乗らず、後回しにして別の本を読んだりもするが、時を置いてその本を読み返すと、すらすらと読めるようなことも多い。

 「帝国の構造」も、初め理解し難い語彙に戸惑ったりして読みづらかったのだが、我慢して読み進めていくと、途中からすらすらと理解が進むようになった。柄谷行人の独特の視点、世界=帝国、世界=経済というキーワードを使った観点から、世界史、それこそ古代から現代までを眺め、人類がどのようにして国家を形成し、帝国を作り上げていったのか、というようなことが語られている。面白かった。

 一人掛けのゆったりとした椅子に、どっぷりと腰を落とし、両脚を投げ出して本を読んでいると、暫くすると眠くなる。昼食を食べた後、本を読んでいると決まって眠気に襲われ、うとうとと昼寝をする。特に午前中汗を掻いて動いた後では、実に気持ちよく眠ってしまう。別の事、例えばパソコンを弄っているときなどは眠くならないのだが、本を読むと眠たくなる。血流が胃に集まり、脳に届きにくくなるのであろう。

 しかし、少し眠った後は、また以前よりすっきりとして、本を読み進めることができるようになる。夜の睡眠が、5、6時間で昼寝をすることにより、身体も休まり、脳も軽快になるのだろう。夕暮れ近く、本を閉じ表に出ると、小鳥が、何の鳥か分からないが、驚いてバタバタと逃げ飛ぶ。一月前は蝉の声が喧しかったのだが、今は、虫の声が喧しい。

 最近、余り長い本は読まないようにしている。何しろ、忘れっぽくなったのである。一冊の本を、三日も四日もかけて読むことは控えるようにしている。例外もあるが、なるべくならば、一日で読めるような本を読むようにし、長くとも二日で読めるような本にしている。小説ならば、長いものでも二日で読めるであろう。その意味で、新聞の連載小説も読まなくなった。筋が分からなくなってしまう。

 忘れるということは悲しいことかも知れないが、年を取って忘れっぽくなるということは、世間のしがらみから逃れ、この世の煩わしさから解放され、彼岸に近づく一歩なのかも知れない。思えば、忘れることは、近時の事ばかりで、逆に遠い昔が、今まで色褪せていたものが色濃く思い返されたりして、懐かしさと郷愁と、罪悪感と疚しさと恥が鮮明に蘇ったりする。

 どうやら、現代は、過去の罪も恥も忘れ去ろうとしているようだ。罪は罪、恥は恥で、どんなに繕おうと、忘れ去れるものではないはずなのだが、忘れ去ろうとしているようだ。忘れ去ってはならない。それらを抱えて、人は今を生きていかねばならない。

 太平洋戦争を美化し、戦争が悪かったのではない、戦争に負けたことが悪かったのだとし、今度は負けないように戦争の準備をしている。過去の罪も恥も忘れ、再び全体主義になっていきそうな日本である。

 僕は、そろそろこの世を忘れようと思う。久しぶりに夕焼けを見た。

  秋霖に 煙りし山や 鳶高し

2016年   10月1日    崎谷英文


昼下がり

 台風がそして秋雨前線が、大雨、大風を呼び込み、日本の各地に大きな被害をもたらしている。ここ太市でも、九月に入って雨の日が続き、時に強い風も吹き、畑に水が溜まり、キュウリの枝が折れるなどしたのだが、テレビで放映されるほどのことではない。長雨の間、少し肌寒くも感じていたのだが、漸く雨が上がり、久しぶりに畑を耕し、いくつかの野菜の種を蒔き、苗を植えた。

 昼食を済ませ、塾のある太市中に行く。新聞二紙を読み返す。恥ずかしいニュースばかりで、最近、世の中は劣化しているというのか、それは、ずっと昔から繰り返されていることなのか、人間社会が、本当に進歩し良くなっているとは、到底思われない。

 東京都の豊洲中央市場の移転問題などは、全くの巨大組織の作り出した無責任体質が生み出したものだろう。嘗て、官僚は堕落する、徹底的に堕落する、と言った人がいるが、まさにその通りであろう。一人一人の公務員が、無責任で能力がないのではなかろう。巨大組織の中に入って、怪しげで妖しげな雰囲気に染まってしまい、機械部品のような存在になってしまうのであろう。何しろ、会社のように潰れる心配はない。

 官僚、公務員たちだけが劣化しているのではない。富山市議の政治資金不正使用などは犯罪であり、全く政治家の堕落でしかありえない。こんなことは、氷山の一角のようにも思わせる。政治家、公務員の汚職、不祥事のようなものは、もうずうっと続いていて、目新しいものではない。発覚するたびに大問題となりながら、暫くすると再び同じことが繰り返されるのである。

 議員たちは、勘違いをしているのではないか。議員は偉いのだと思い込んでいるのではないか。議員は選挙に落ちればただの人、だとかマスコミなども言いはやすが、そもそも、議員はただの人である。議員という職業のただの人である。議員でなくなっても、ただの人である。世間全体が勘違いをしているのではないか。

 人間は、どうやら同じ過ちを繰り返すものらしい。いくら反省しても、心からの反省はできないようだ。どんな悪いことをしても、それが見つかった時、しまった見つかってしまった、ということが真っ先の反省の種であり、本当に悪いことをして申し訳ない、などとは思わず、今度は、見つからないように上手に悪いことをしよう、と反省をする。一応は、神妙に反省するふりをしながら、舌を出して頭を下げるのである。

 人類、この現生人類というものは、有史以来、ずっと戦ってきたのであろう。戦って敵を倒して生き残ってきたのが、現生人類で今の現代なのであろう。人も本来野生であり、他の生き物たちとの生存競争に打ち勝ってこなければ生き残れなかったのであり、その意味では、強暴な者こそ生き残り、心優しい人たちは淘汰されてきたのかも知れない。強暴な弱肉強食に打ち勝った者たちが、優しいふりをして生き残っている。

 現生人類のホモ・サピエンス、クロマニヨン人は、ネアンデルタール人を戦いによって亡ぼした、という説があるが、現生人類は、他の生き物そして兄弟のような人たちをも敵として戦って、今に生き残っている。現生人類の時代に入っても、同じ人同士、敵と見れば戦って、相手を殺し、土地を奪って、我こそ強くて偉いのだと強暴に生き抜いてきたのが、今生き残っている人間たちなのかも知れない。

 そんな強暴な人間たちが、今の時代も世界を支配しようとしているのが、現代かも知れない。心優しい人間たちは、もしかするととっくに淘汰され、いなくなっているのかも知れない。

 有史以来の、戦って生き残るのが生きる道、というのが現代の趨勢である。ずる賢い輩は、戦っている人間たちを尻目に、ただ乗りするようにその利益をかすめ取ってきたのであろう。小賢しい輩は、そうやって生き延びてきたのだ。そんな強暴でエゴイストな人間たちとずる賢い人間たちが生き残っているのが現代かも知れず、反省をするふりをしながら、またぞろ本性をさらけ出して同じ過ちを繰り返していくのである。

 本を読んでいると眠くなってきた。少し昼寝をしよう。

  雨に濡れ 稲穂は更に 頭垂れ

2016年   9月25日    崎谷英文


朝食の後

 朝食を終え、トラックに乗ろうとすると、畑の隅に赤いものが見える。もしやと思って近づいてみると、思った通り、彼岸花である。9月22日の秋分の日は、もうそこに来ている。律儀に時を違えずに咲く花が、季節の訪れを知らせてくれる。すぐ隣に、韮の花だろうか白い花が群れ咲いている。赤と白の共演である。

 今週は忙しかった。日曜日は、駅前周辺の相野村の自治会の集まりなどで、一日を使い切った。どうやら漸く、この太市の過疎化をどうにかしなければ、と考え始めたようだ。太市小学校の生徒数は六学年合わせて、84人になってしまったと言う。来年は、20人ほどが卒業し、4・5人が入学するばかりで、そうなると、来年度は全校で70人程度になるということか。ますます、太市小学校の統廃合、あるいは複式学級が現実味を帯びてくる。

 月曜日は雨で、少しゆっくりできたのだが、火曜日からは連日の草刈り、草取りに追われた。農村ではどこでもそうだろうが、この10月の稲刈りを控え、その前に村で溝掃除とか道造りなどの共同作業がある。そしてその前に、自分の田んぼの周囲の道や畔の草刈りをし、休耕田は一面の草を刈っておかなければならない。連日、草刈り機をトラックに載せ、田んぼに運び、午前中に1、2時間、休耕田の草刈りをした。

 その上、米を作っている田んぼは例年通り、いや今年は怠けていたせいもあり、雑草が稲より高く、いったい何を作っているのかと見紛うほどに、例年より蔓延っていて、その草取りもしなければならなかった。

 年を取ると、体力は衰える。自分自身では元気なつもりでいても、疲れが溜まる。以前ならば、休まずに作業を続けていたと思うのだが、そろそろ用心して、休み休み草刈り、草取りをしなければならなくなったようだ。元気なつもりで作業を続けてしまうと、後の疲れが酷い。年を取ってくると、疲れにも鈍感になってしまう。年寄りが熱中症になりやすいのも、そういった意味がありそうだ。

 それにしても、休耕田は毎年増えていく。聞くところによると、塾周辺の村、太市中では、今年、五軒の家が米作りを止めたそうだ。子供たちは遠くに出て、帰ってくるのは盆と正月ぐらいで、太市に残っていたとしても、農業などやろうとしないらしく、それでもこれまで何とか、おじいちゃん、おばあちゃんたちで米を作っていたのだが、寄る年波、気力、体力が衰え、田んぼ仕事がままならなくなり、米作りを諦めてしまう人が多い。

 これまで、よく農作業をしている見知ったおじいさんたちの顔が、いつの間にか見えなくなっている。どうされているのかと案じているうちに亡くなった、と言うこともしばしばであった。

 少子化と高齢化、それは世の中の趨勢で、その流れはもはや止めることができなくなっているのだろうか。多分昔は、多くの家が、細々と農業に勤しみ、貧しいながらも、多くの子供たち、孫たちに囲まれた生活を送っていることが当たり前だったのではないか。その頃は、太市の村も、この小さな盆地に、夏は早苗の波が、秋は稲穂の波が一面に広がっていたはずだ。子供たちは、時に手伝いをしながら、冬の刈田を走り回っていたはずだ。

 今、日本では、専業農家は少ない。大規模な農業経営をして、日本の食を支えている人たちもいるが、この日本の農村を支えているのは、多く、小さな土地を抱え、自らの食料の足しになるばかりの細々とした農業をやっている人たちではないのか。おじいちゃん、おばあちゃんたちが、儲けにもならない、傍から見れば徒労のような田んぼ仕事、畑仕事をして、日本の農村を守ってきたのではないのか。

 人が生きていくことの原点は、農業、漁業にある。大地と大海原の恵みを受け取らなければ、人は生きてゆけない。いずれ、おじいちゃん、おばあちゃんになる次の世代が、確かに、おじいちゃん、おばあちゃんを受け継いでいくように工夫をしなければ、日本の農村は駄目になる。

  赤蜻蛉 群れ飛ぶ先の 夕日かな

2016年   9月17日    崎谷英文


朝食の前

 朝食の前に、コンビニに行って新聞二紙、お茶のペットボトルを一本、コンビニの100円コーヒーを一杯買うことが習慣になっている。その後、田んぼの様子を見に行ったりする。去年は熱心に、毎朝のように見に行っていたのだが、今年は生来の怠け癖が現れて、行ったり行かなかったり、別に熱意が冷めたわけではない。

 その後、塾のある実家で買ってきた新聞にざっと目を通し、駅前に戻って畑を覗くのも習慣である。雑草だらけの畑ではあるが、終わりかけのキューリやナスが丁度良く生っているかを確かめる。

 習慣というものは、ちょっと恐ろしく感じる。同じことを繰り返して何が面白いのかと思う反面、同じことを繰り返すことにより安心感が生まれるということがあるようで、その習慣を邪魔されたりすると、忘れ物をしたように不安になったりする。

 人の生活というものは、そういう習慣、繰り返す日常で成り立っているのかも知れない。その人の自分自身の生活に限ってみれば、幸にしろ不幸にしろ、同じようなことの繰り返し、その持続によって、人は安心して暮らしていくことができるのかも知れない。豊かな生活でなくとも、家族との同じような触れ合い、あるいは孤独でありながらも好きなことを続ける生活というものが、人を支えているのかも知れない。

 しかし、今日という日が昨日と同じであるはずもなく、今日は昨日とは違う一日であり、同じような日常でありながら、昨日と今日とでは変化がある。人は、同じような日々を過ごしながら、自ずとその変化に対応して暮らしているのであって、また、その変化があるからこそ生きていけるのであって、全くの昨日と同じ今日など、つまらなくて堪らないことになる。

 自然というものも同じようなもので、一年を周期にして同じことを繰り返しているようであるが、決して同じ一年を繰り返してはいない。去年の九月十日と今年の九月十日は、似てはいるだろうが、同じではあり得ない。一年は繰り返すが、一日一日、一分一分、一瞬一瞬、自然は変化していて、それも去年の一年を繰り返すのではなく、常に新しい一年なのである。今年の紅葉は去年の紅葉ではない。

 去年はこうだったから、今年もそうなるのではない。去年はこうだったが、今年はそうはいかないのが自然である。昔、米作りを始めた頃、経験豊かな老人たちにいろいろ教えて貰っていたのだが、「毎年、一年生だよ。」と言って笑っていたのを思い出す。

 しかし、去年を頼りに、今年も同じことが繰り返されることを期待して農業を営むことも確かである。今回の前代未聞の台風の北海道への集中的上陸により、北海道のタマネギやブロッコリーなどが大きな被害を受けたと言う。天候の異変に対し、人は予測し、予防し、対処するのであるが、人の予想を超えた異変には対応できない。いつもの夏、いつもの秋に似た夏や秋であれば、その変化に対応できるが、想定外の変化には人は対応できない。

 人もまた同じようなもので、一瞬一瞬、人は変化しているのだが、同じ自分であり続けていると信じているようなところがある。しかし、去年と同じ自分ではなく、同じ今年を過ごすことなどできないのであって、一年一年、一日一日、一瞬一瞬、変化しながら過ごしている。そして、時に事件が起こる。

 若いうちは、いろいろな変化があることは当たり前で、むしろ事件が起こり、新しいことに巡り合うことこそ、生きていくことの意味だったのかも知れないが、年を経ると徐々に、変化しない安定を求めがちになるのではなかろうか。同じことを繰り返すことで安心して生きていく、そういう生き方になっていくのか。

 しかし、同じような日々もつまらない。ここに至るまでの来し方を思うと、時に全てを御破算にして新しく生きられれば、と思わないでもない、と言えば、叱られるか。

 キューリとナスが、二つ三つ生っていた。

  秋冷に 眠りを覚ます 四畳半

2016年   9月10日    崎谷英文


目覚めた後

 目覚めた後、猫が来ているかどうか確認する。半野良のポトラである。猫というもの自体が生来気まぐれなのか、ポトラだけが気まぐれなのか、朝の食べ物を要求して窓辺にやって来る時と来ない時がある。起きて居間に行くと、ポトラがいるときはこちらが声を掛けなくとも、ニャーニャーと声が聞こえる。こちらも、おはよう、と声を掛け、障子を開け窓を開けて、食べ物を与える。

 実は、毎日のようにポトラのことを心配している。家の中で飼っているような猫ではなく、日頃ずっと家の外にいて、自由に動き回っている猫であり、敵もいれば、自動車にも気を付けなければならず、家の中の猫に比べれば病気にも罹りやすいだろう。実際、親のダラ、兄弟のコトラは車に跳ねられて亡くなり、もう一人の兄弟ウトラは、少しの留守の間にいなくなったのだが、どうやら病気だったらしい。

 さりとて、ポトラを家の中で過ごさせてやろうとは思わない。半野良は、半分野良なのであり、もはや現代は、こんな田舎でも自然に解き放たれるというような自然ではなくなっているが、ポトラには、野生の血を持った自由な猫でいて欲しいのだ。

 家の中で飼われている猫というものは、幸福なのだろうか。食べるものに何不自由することもなく、家人に可愛がられ、快適な部屋でごろごろと寝転がって生きていて、彼らは幸せなのだろうか。

 猫を飼っている人は多い。最近の調査では、犬を飼っている人よりも、猫を飼っている人の方が増えたらしい。僕が、ポトラの食べ物を買ってくるホームセンターでも、最近になって、犬の餌のコーナーより猫の餌のコーナーの方が、前面に出てスペースも広くなったことも、社会の変化に対する店側の敏感な反応であろう。

 我が家でも、昔から犬を飼っていた。以前の実家では、二匹の犬を常時飼っていた。きっとそれは、防犯、泥棒よけに飼っていたのだが、ずっと昔は、今のように散歩に連れて行くようなことはせずに、夜になると庭に放していた。セコムよりも、強力な防犯効果があったかも知れない。我が家の墓の隣には、代々の犬たちの墓がある。

 駅前の家に引っ越す前に、生まれたばかりの子犬のシンべーを貰い受け、駅前の家でも飼っていたのだが、丁度シンべーが亡くなる一年ほど前に、ポトラたちが我が家の相棒になったのである。シンべーは毎日散歩に連れて行ったが、猫にはその必要がない。

 今は、犬を防犯のために飼うということは、少なくなってきたのではなかろうか。家の外で犬小屋に繋いで犬を飼うということも少なくなり、多くは家の中で家人と一緒に過ごす犬が多い。それでも、そんな犬でも、夜中に侵入する泥棒よけに少しはなっているだろうか。

 犬にしろ猫にしろ、今は、人の愛玩する、人を慰めてくれる、家族に近い存在として飼われているようだ。メタボの犬や猫が沢山いるようで、亡くなると、ペットロス症候群などと言われたりする。

 しかし、その家の中で飼われている犬や猫たちは、幸せだろうか。贅沢に食べ、暖かな中で暮らし、敵もいず、実に豊かな生活である。

 しかし、それが幸せか。ただ人間に飼い馴らされて、家の中に閉じ込められて、美味しいものを与えられて、それは一見幸福そうではある。しかし、犬として猫として、彼らは充実して生きているのだろうか。野生の本分を奪い取られ、自由に動き回ることさえできない。安易に楽をして生きて、それで彼らは幸せか。

 まあ、人間も同じようなものである。金持ちになって、楽になって、便利な生活をして、美味しいものをたらふく食べ、優雅に生きていくことが、今の人の幸福になっているようだ。

 しかし、そんな生活は虚しく、空しくならないだろうか。祭りの後の空しさを、常に抱え込むことにならないだろうか。人も飼い馴らされてしまっているようだ。

 今朝は、ポトラがニャーと鳴いて元気そうだ。心配だが、猫らしく生きていくと思っている。

  秋風の そよぐ向こうを 猫の見る

2016年   9月4日    崎谷英文


夏の朝

 誰かが追い駆けてくるので、恐ろしくなって急いで逃げようとするのだが、脚が何かに捕まれたように動かない。それでも必死になって、捕まれた足を引っこ抜いて走る。周囲の田んぼでは、見知ったお爺さんが、何事かと振り返るのだが、驚いた風もなく、また鍬を持って元の作業に戻る。頬被りしたお婆さんが、指をさして笑っている。大汗を掻きながら走り逃げているのに、誰も助けてはくれない。

 目が覚めると、薄っすらと明るい。自分が何所にいるのかを確かめる。珍しく夢を見たようだ。夢は誰も、毎晩見るのだそうだが、人それぞれらしいが、目覚めても思い出すような夢は久しぶりだった。夢日記などを書いていたような古人もいるが、彼のようには夢を語るほど、自分には夢は現実にはならない。思い出すことのない夢の間は、現実世界とは違うところにいて、壁があって、そこでは自分も、違う自分であるのだろうか。

 夢を思い出しはしないが。目覚めた後いつも自分を確かめる。何処にいて、今は何時なのか、自分は誰なのか。瞬時の内に、現実に戻ることが多いのだが、時に意識と身体とが離れたまま、居所も時も、自分自身をも見失って、じたばたするのではないが、呆然と目を閉じたままに、夢でもない夢の中に漂うことがある。夢と現実の狭間に、双方から押され引っ張られるように、誰でもない自分がいるような景色である。

 現実は現実として、現に存在するのだろうが、意識することによってこそ自分の現実になるのであって、意識しなければ現実が現実としてそこにあることは解りはしない。逆に現実でないものを現実と意識していると、現実でない現実が自分の現実になるのであって、現実は誰が何と言おうが現にそこにあるのではなく、人によってあったりなかったりする。夢を現実と見紛えば、現実でないものを現実と意識して、その夢はその人の現実になる。

 夢を現実と見紛えば、現実の方こそ夢となる。現実と夢とが逆転し、夢が現実となり現実が夢となる。夢を現実と見紛う程度ならば、まだその認識を改めれば、また現実に戻ることができるのだが、夢を現実と信じ切ってしまったならば、現実は取り戻せなくなるやも知れぬ。信じる者こそ救われる、鰯の頭も信心からとも言うが、宗教でなくとも、凝り固まった頭は、容易には柔らかくなってくれない。

 しかしまた、人は現実を現実と知りながら、夢を見る者かも知れなくて、それは決してこの夢は現実でないと知りながら、意識的にまた無意識に、その夢もまた現実と信じ込むこともありそうだ。日常に埋没する現実から、夢の非日常に逃避して我が身を癒そうとしたりする。

 現実を目の前にしながら、それを他人の現実でしかなく、己に関わる現実などと到底思うこともなく、自分自身に都合の良い現実、実はそれは現実ではなく夢なのだが、その夢の中に浸り切ったりする。

 しかしそもそも、何が現実で何が夢なのか判然としない。胡蝶の夢ではないが、己が人なのか蝶なのか、見極める術はあるのか。世間虚仮、この世は幻、が現実やも知れず、そうすると現実と夢の境目はなくなり、ありそうな壁など元々なかったことになるのではないか。だとすれば、己は、蝶にもなれば花にもなるのだが、また蛇にもなれば蠍にもなるのであり、つまりは塵、芥でしかないのかも知れない。

 ようやく現実に戻って時計を見ると、四時半であった。夢の続きを見たい訳ではないが、現実に戻り切ってしまうのももったいなくて、再び目を閉じれば、また夢を見る。人の夢は儚いのかも知れないが、現実もまた儚いに違いなく、縋りつくほどの現実ではなさそうだ。

 追い駆けられるのも嫌なので、今度は楽しい夢を、例えば、蝶になり畑に舞い、蜻蛉になって田んぼの上で遊ぶような、そんな夢を見ることを夢見ていたら、六時半に目覚めた。夢は忘れた。

  数百の 蜻蛉の群れに 紛れ込む

2016年   8月28日    崎谷英文


オリンピック

 リオ・デジャネイロのオリンピックが終わろうとしている。今、サッカーの決勝戦で、ブラジルとドイツが1対1のまま決着がつかず、ペナルティーキックの争いになっている。スタジアムの熱狂がすごい。

 本来、オリンピックは平和の祭典である。古代ギリシャのアテネでのオリンピアの祭りを起源とし、1896年、フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱により、近代オリンピックは始まる。人と人が殺しあう戦争ではなく、人と人が純粋にスポーツ競技としてのその身体能力を競い合う。戦争で殺しあった末に勝った負けたと騒ぐのではなく、殺しあうこともなく、勝っても負けても、互いに健闘を称え合う。

 日本での熱狂もすごい。ブラジルは、日本からすると丁度地球の裏側にあたるのだが、その地球の裏側で逆さまに立っている選手たちの競技する姿が、リアルタイムに日本のテレビに映し出される。テレビでは、24時間、何処かでオリンピックの放送をしている。通信技術が発達し、見えるはずのない地球の裏側が映し出される。考えてみれば不思議なことである。

 グローバル化は、科学技術が先導している。地球は狭くなり、映像の中に没頭していると、ともすると、自分が何所にいるのかを見失う。

 それにしても、オリンピックの熱狂はすさまじい。新聞でも、丁度夏の高校野球の時期でもあり、スポーツ欄の紙面の数が大幅に増え、他のいろいろな政治、経済、社会事件の報道が追いやられている。

 夜、寝ようとしたら、テレビではオリンピックの柔道の試合が始まり、ついつい見てしまって寝不足になる。やはり、日本選手が活躍していると見逃せなくなる。柔道、体操、水泳、レスリングと、日本選手たちは大いに頑張った。卓球での愛ちゃんの負けと涙と後の頑張りに感動した。バドミントンの高松ペアの大逆転の金メダルに感動した。陸上の400mリレーの銀メダルなど奇跡のようである。

 日本人の活躍に日本中が沸き立ったであろう。メディアがその感動を演出する。選手たちがどれだけ頑張って努力してきたか、どんな子供だったのか、親はどうやってその選手たちをサポートしてきたのか、コーチ、監督はどのように選手たちと接し、練習をさせ育ててきたのか、テレビでは、メダルを取った選手たちにインタビューし、親の涙を映し、選手たちの地元に集まった人々の熱狂ぶりを伝え、そこにいる子供たちに希望を語らせる。

 確かに、日本人選手たちの活躍は嬉しいものである。自分の国の選手たちが、平和の中で罪のない戦いを繰り広げ、勝っていく姿は、同じ国の人間として誇りに感じることなのだろう。人には、闘争心とか競争心とかが身に備わっている。何事につけても、相手に勝つことが嬉しく、相手より上位になり、一位になることが最高の栄誉なのだろう。

 しかし、この日本選手の活躍に、水を差すのではないが、熱狂ぶりに危うさを感じる。国別メダルの獲得数を競い合って、オリンピックのメダルの数で国威を発揚しているようで嫌な感じがする。勝った選手たちも、まるで日本のために戦っているような言葉を発する。応援してくださる皆さんのおかげです、応援してくださる日本の人たちのおかげです。日本の人たちの期待に応えられずごめんなさい、と泣く選手もいる。

 かつて、日本の国のためと言う期待と圧力に耐え切れず、自殺したマラソン選手のいたことを思い出す。平和の祭典と言うならば、国家主義を助長するような今の状況は、おかしな雰囲気を感じる。スポーツは国家の手段ではない。純粋に個人のものであろう。今も、やり投げの選手が申し訳ないと涙を流している。

 オリンピックが商業主義になり、国威発揚、ナショナリズムの場になっていくようで、とても嫌な感じがする。日本政府は、金メダルを取ったら国歌を歌えと言うのか。今回の表彰式では、他の国の選手で、国歌を歌わない選手は数多くいた。それが健全だろう。

 ブラジルがサッカーで金メダルを取った。ブラジルの人たちは大騒ぎをしていることだろう。

  暑過ぎる 暦は秋と 言う勿れ

2016年   8月21日    崎谷英文


 

サングラス

 暑い日がずっと続いているばかりではなく、雨が相当の期間降っていない。晴天の夏には、夕立のような雨がしばしば降ってもいいと思うのだが、そんな雨は、覚えているのが正しければ、この二十日程の間に一度、それも焼け石に水のような短いものがあっただろうか。梅雨の間、田んぼに水をあまり入れなくて済むほどに雨の続いていたのが嘘のように、梅雨が明けると畑がカラカラになるほど雨は降らなくなった。

 今まで、あまり掛けることもなかった昔作った度付きのサングラスを掛けるようになった。丁度この夏にはピッタリくるのだが、ずっと掛けているのに慣れるのに時間が掛かった。青色の薄いサングラスだが、それでもやはり景色が違って見える。真っ青な空が灰色がかって見え、百日紅のピンクが紫がかって見える。それでも、この日差しの中では、眩しさが和らいで都合がいい。

 サングラスを掛けていて気を遣うのは、人と出会うときである。サングラスというものは、人相を変えてしまうものであり、実際、サングラスを掛けていると、怖い印象を与えることがある。だから、人と出会うときに困る。人相が変わってしまうぐらいなのだから、見知った人に出会ったとしても、相手がこちらのことを分かってくれるだろうかと心配するのである。

 年配の人には特にそうかもしれないのだが、サングラスを掛けている人を胡散臭く見ることが多いのではないか。人前では、サングラスなど掛けるものではないと思っている人も多いのではないか。サングラスなど掛けやがって、何を気取っていやがるのだと、それこそ色眼鏡で見る。まあ、実際、サングラスを掛けている者の外の景色が変わるほどなのだから、逆に見られている方も、違って見えて当たり前かもしれない。

 目は口ほどにものを言う、とも言い、目というものが、その人の印象の多くを作っていることは確かだろう。優しい目をした人が、サングラスを掛けたりすると、大いに印象が変わって、サングラスを取った後の顔とのギャップに驚いたりする。そのギャップも人それぞれでもある。

 通常は、サングラスを取ると優しい印象になるのだが、昔のやくざ映画でサングラスを取った文太がもっと怖かったということもあるように、サングラスを外した方が怖いではないかというような人もいる。とにかく、目というものが、その人を現す大いなるものであることは確かだろう。時に人は、自分を隠したくてサングラスを掛ける。

 そんなことで、サングラスを人前で掛けることは失礼なこと、と言う常識的な意識は、一般的にありそうである。もちろん、面と向かってサングラスを掛けるなと言う人は誰もいないが、悪い印象を与えているかも知れない。だからと言うことでもないが、見知った人に出会うとき、なるべくサングラスを目から外して額に掛けたりする。帽子を被っているようなときは、完全に取り外したりもする。

 以前ならば、サングラスを掛けているだけで怪しいやつと思われたかもしれないが、さすがに現代はそこまでは思われないであろう。今では、ファッションとしても、女性の間でも日常的に使われるようになっている。日常的にサングラスを掛けていれば、徐々に周囲の人たちにも違和感が薄れていくだろうと希望的観測をしているのだが。

 そもそも、眼鏡が壊れたから、昔のサングラスを使うようになったのであり、何もファッションのためではないので、今さら人にどう見られようが気にならなくなっている鈍感さ、悟りの境地にもなっていて、人に気を遣うことなどしたくないのだが、それでも、見知った人に出会うとサングラスを外してしまう。

 それにしても暑い日が続く。今日もサングラスを掛けたまま墓参りに行ったのだが、ご先祖様は、誰か分かってくれただろうか。

  墓参り 冷えたビールに 生き返る

2016年   8月13日    崎谷英文


 

ポトラの日記21

 くそ暑い日が続くようになってきて、僕も少々食欲がなくなってきた。今朝は、一日半ぶりにさすがに腹が減って、相棒に食事を催促したのだが、半分ほどしか食べられなかった。食べた後は、家の裏の林の木陰で眠るしかない。何しろこの暑さ、直射日光を浴びていたら干物になりそうだ。猫の干物なんてぞっとしない。

 夏、蝉の声のうるさいのはいつものことなのだが、この夏は、特に耳に堪える。真っ昼間、こちとらがゆっくりと昼寝をしようとしているときに、頭上から蝉の声がする。奴らは、まるで申し合わせたように、一匹が鳴き始めると、一斉に合唱をやりだすのだから、堪ったものではない。この間などは、木の低いところにいるアブラゼミを脅かしてやったら、こちとらを馬鹿にするように小便をひっかけやがった。

 この暑い日、裏でうとうとしていたら、鼻の辺りがむずむずする。何だと思って目を開くと、小さなクワガタが鼻の上をのそのそと歩いているではないか。何も噛んだりはしないのだが、くすぐったくて仕方がない。手で追い払うと、ひっくり返って仰向けになって、足をばたばたして戻れなくなった。しばらく見ていたのだが、ひょいとひっくり返してやると、安心したように、また歩き出した。こいつも独りぼっちなのだろうか。

 そのクワガタを相棒が見つけて、嬉しそうに持って行った。後で聞くと、小さな10cm四方ほどの紙の箱の中に、スイカと一緒に入れていたのだが、一晩経ったら、いなくなっていたらしい。相棒は馬鹿で、クワガタやカブトムシが夜行性で、飛び立つことを知らなかったらしい。蓋をしていなければ、暗くなれば飛んでいくに決まっている。さぞかし残念がっていたのだが、その晩、朝いなくなっていたクワガタが、ちょこんと座布団の上にいたのだと言う。

 今度は相棒も考えて、その箱の上に、少し隙間ができるのだが、タッパーの蓋を置いたらしい。これぐらいの隙間なら、出ていくこともなかろうと思ったのだろう。ところがどっこい、次の日の朝、蓋はそのままで、やはりクワガタはいなくなってしまった。部屋の中にいるはずなのだから、きっと今晩また戻ってくるだろうと期待していたのだが、今度は戻ってこなかった。部屋の中をいくら捜してもいなかったらしい。

 僕はそろそろ六才ぐらいになると思うのだが、思い起こせば、この人生、いやこの猫生、いろいろなことがあった。どこで生まれたか思い出せないのは、漱石の吾輩は猫であると同じだが、僕には、確かに家族がいた。母親はダラで、兄弟は二人いた。ウトラとコトラである。僕たち四人は、小さい頃、とても仲が良かった。まだ一才にもならない頃は、何をするにもうれしくてたまらず、走り回っていたものだ。

 しかし、コトラは生まれてまだ一年もたたないうちに事故で死に、ウトラはいつの間にか何処かへ行ってしまって、去年の秋には、母のダラが自動車に跳ねられて死んだ。その替わりと言っては何だが、どこから来たのか分からない他所の野良が僕に近づいてきたりした。その他所の猫たちも、突然いなくなったり、事故で死んだりして、今はちょっと黄色っぽい野良が、時々僕の食べ物を狙ってくる。

 兄弟たちと喧嘩したこともあったが、今はただ懐かしいばかりで、夜中に唸りあった今はいなくなった他所の野良たちも、今は寂しく思い出す。野良猫の平均寿命は五・六才、などと、獣医が相棒に言ったことがあるようだが、そうなると僕も充分生きていることになる。家の中で生きている猫は、十五才にも二十才にも長生きするようだが、僕は羨ましいとは思わない。僕は何よりも自由なのだ。

 時に、敵いもしないどでかいアライグマにも遭遇したりして、怖いこともあるのだが、拘束のない自然の中で、僕は野生の心を失わずに生きていくことができて、むしろ楽しいのだ。馬鹿な相棒が落ち込んでいるのを慰めたりしながら、何とかこの暑さを乗り切ろう。

  病葉の すっと落ちたる 潔さ

2016年   8月7日    崎谷英文


 

優しさ

 施設で暮らす障害者を狙った凶悪な犯罪事件が起きた。死者十九人という戦後最悪な大量殺人事件である。戦後、1948年に帝銀事件があり十二人の死者が出たが、この事件はそれ以上であり、一つの事件としては、戦後最多の被害者であった。

 犯人は、障害者たちはこの世の役に立たず、社会のお荷物であり、安楽死した方がいいのだ、と言う。いわゆる確信犯である。確信犯とは、その犯罪が悪いこととは思っていない、むしろ正義に適っていると思い込んでいるもので、この犯人、植松聖は、全く悪いことをしたと思っていないようだ。犯人の逮捕された後のパトカーの中での笑みをテレビの映像で見て、ぞっとした。

 この弱い者、抵抗できない人たちを狙った事件に、人々は怒り、憤りを禁じ得ない。全く卑劣な犯罪であり、どんな理由、言い訳がなされようと、到底許されるものではない。

 しかし、この犯人のこの犯行の理由について、心を揺さぶられる者はいないだろうか、障害者なんていなくなればいい、と言う犯人の言動に、心を動かされる人はいないだろうか、心配する。

 犯人は、ヒットラーが降りてきた、などと言っているようだ。確かに、第二次大戦中、ヒットラーは障害者たちを安楽死させていったらしい。国家、民族を栄えさせるためには、障害者たちは、邪魔になると考えたのだ。ヒットラーは、ユダヤ人を差別し虐殺していったのだが、その同じ流れの中で、障害者たちも、また排除の対象としたのであろう。

 その頃、優生思想と言うものが、世界中で流行していたとも聞く。それは、端的に言えば、優秀な遺伝子のみを残して、劣等と思われる人たちの子孫は作らせない、と言うものであろうか。現に、いろいろな国において、断種を強制された人たちもいたようだ。

 第二次世界大戦を経て、そういった人種差別や優生思想というものは、一掃されたかのように思われた。しかし、今また、その思考に似た考え方が世に現れつつある。

 人の命の尊さは平等である。あらゆる人々の尊厳は、尊重されなければならない、と言うことは簡単である。しかし、そのことを、本当に人々は実感しているだろうか。

 障害者たちは、この世の役に立つことは何もなく、税金によって生きている社会の厄介者になっている、と言う犯人の言い分に、優しい人たちは反論する。弱い人たちを助けることは当たり前であり、弱い人たちの世話をすることは当然であり、人の道である。家族にとっては、どんな障害があろうと、かけがえのない家族であり生き続けてほしいと思っている。そんな障害者たちを、大切にしなければならず、ないがしろにしてはならない。

 全くその通りである。しかし、そういうことだけだろうか。もし、そういうことだけだったとしたら、例えば、その人の優しさ以上に、守らねばならない大事なことがあるとされたら、障害者たちは、真っ先に切り捨てられるのではないか。余裕がある限りで弱い人たち、障害者たちのいのち、生活を守り、面倒を見なければならないのであって、自分たちのいのち、生活が脅かされるならば、仕方がない、彼らは見捨てよう、となるのではないか。

 国家とか、民族とか、繁栄とか、そういったものが最も大切なものとして、過去の差別、排除も行われてきたのではないか。この犯人も、それが正しいとして、この事件を犯したのではないか。

 人のいのちに差はない。人は優しくなければ生きていけない。優しくなくなれば生きていく資格はない。人の優しさ以上に大切なものはない。あらゆる人は、自分自身の分身であり、鏡であり、光であり、影である。弱い人、苦しむ人、不自由な人を見過ごしては、人は生きてゆけない。そういう人たちを見殺しにすることは、自分自身を殺すことでもある。

 今、世界で、差別思想、優生思想が蔓延りそうな気配である。偉大なるアメリカ、偉大なる日本、偉大なる民族、偉大なる我が国などと、声高に叫ぶ輩が増えている。困ったことだ。

  独り来て 見知らぬ闇に 迷う夏

2016年   7月30日    崎谷英文


 

夏の草刈り

 梅雨は、ここ太市ではどうやら見事に明けたようで、暑い日が続く中、毎日のように草刈りに大汗を掻いている。幾つかの休耕田を順番に巡って、この夏の生い茂った雑草を刈り取っていく。五月の田植え前に草刈りして、約二か月、田んぼが中干しの時期に入り、その間に二度目の草刈りをしておくのが通例である。

 それにしても、世界のテロは収まるどころか、ますます拡散しているようである。これまで比較的安全と思われていたドイツで、たて続けにテロ事件が起こり、アフガニスタンでもテロ事件が起こった。

 一方では、ポケモンGOとかいうスマートフォンのゲームが世界的に大流行しそうな気配だとメディアが煽り立て、浮かれきった、お気楽な社会も映し出される。

 テロの世界とポケモンGOの世界、この両極端の世界のどちらが今の世界か。何とも奇妙である。

 この年齢になってくると、と言えば、年寄りの常套句のようであるが、本当に遠くに来たものだと実感する。時間的に、年代的に、生まれ育った時と比べ、今、懸隔した時を生きていることは、もちろん事実なのであるが、単なる時の隔たりだけでなく、今生きているこの場が、これまで生きてきた場と余りにかけ離れているようで、もはやこの世は、自分の住むところではなくなってきているのかも知れない、などと思ったりする。

 AI、人工知能というものが、この社会を新しくしていくだろうとか、IoT、あらゆる物のインターネット化が進んでいくだろうとか、正直に言って、わけのわからない世界になりつつある。もはや、SFの世界に入り込んでしまったかのようで、おとぎ話を現実化してしまいそうである。

 オリンピックでは、ロシアのドーピング問題が噴き出してきていて、ロシアの選手たちがリオ・オリンピックに参加できなくなりそうで、政治問題化しそうでもある。以前は、オリンピックは参加することに意義がある、などと言われていたのだが、今は、そうではないらしい。競技において、勝利することこそ意義があるとなった。オリンピックでどれだけメダルを取ることができるかを、国の威信をかけて争っている。

 2020年の東京オリンピックにしても、純粋なスポーツ競技を通じて、世界平和をもたらそうとするのではなく、国家の発揚と経済効果を狙ったものでしかないのではないか。選手たちも、国のためにメダルを取らなければならないのだ、というような気持にさせられている。

 文明は進むのだが、文明は進めばいいのか。文明が進むことによって、大切なものが失われていくのだとしたら、立ち止まって省みなければならないのではないか。文明は進んでも、生き辛い、殺伐とした、やるせない、切ない社会になってしまうのなら、本末転倒になるのではないか。もはや、文明の弊害は、文明で繕うのだ、という成長主義は破綻しているのではないか。

 AIとか、IoTとか、自動車の自動運転とか、ポケモンGOとか喧しいが、科学技術による進歩にも限界はある。人は、SFの世界を本当には実現できないだろうし、人は、おとぎ話の世界を生きていくことなどできない、と自分は思っているのだが、世の人は、そうでないのかも知れない。やはり、この世は、自分の生きる世界でなくなる、と言うことか。

 文明は進歩しても、人は入れ替わり立ち替わり、長生きするようになったとしても、たかだか百年のいのちしかない。過去の過ちを正しく伝えることができないでいると、再び人は同じ過ちを犯す。どうやら、今、その過ちを繰り返しそうな様相である。

 休耕田の草刈りに、畔の草刈りもある。草茫々の畔は、カメムシの住処となり、生育した稲を食い荒らすことにもなりかねず、自分の田んぼだけではなく、隣の田んぼにも影響を与えるので、また今日も大汗を掻く。

  空を見て 田を見て夏の 日は暮れぬ

2016年   7月24日    崎谷英文


 

梅雨の終わりに

 今年の梅雨は、梅雨らしい梅雨と言っていいのだろうか、雨がよく降り続き、降らないとしても、曇よりとした空模様が多く、からっと晴れる日は少ない。おかげで、田植えをして間もない田んぼに水を入れることが少なくなったのだが、日照時間が短く、苗の生長にいいのかどうか、心配する。蝉がやっと鳴き始めた。

 それにしても、世界では様々な事件が起きている。フランスでは、たびたびイスラム関係のテロが発生しているのだが、今度は、ニースで新手の大型トラックを使ったテロが起きた。トルコでは、イスタンブールの空港のテロに続いて、クーデター騒ぎがあった。バングラディッシュでは、外国人を狙うテロが起き、日本人数人が犠牲になった。

 イスラム国に関連したテロというものは、収まりそうにない。憎むべきテロであり、許されるものではなく、断固として戦う、と叫ぶだけでは、テロが収まるわけもなく、武力によって抑え込もうとしても、罪のない多くの民衆を犠牲にしてしまうことにもなり、難民を増大させるばかりになる。イラク、シリア周辺のイスラム国を封じ込めることも困難ではあるが、もはや、テロは世界中に拡散しているのではないか。

 テロを断じて許さず、と言ってみても、もはやテロは世界中で多発していて、どこの国でテロがまた起きるのか分からない。ニースのトラックによるテロなどは、イスラム国の呼びかけに応えるような一匹狼の仕業とも言われるが、そうなると、何故そんなテロが起きるのか、その根本原因を探り出していかなければならないだろう。

 今の中東の混乱の直接的な引き金は、イラク戦争であろう。当時のフセイン大統領が大量破壊兵器を持つということを理由にしたアメリカによるイラクへの侵略であったのだが、結局は、大量破壊兵器はなかった。アメリカのイラク戦争の大義は虚偽だったのである。しかし、アメリカは、悪かったと謝ることもなく、独裁フセイン政権を倒したことは良かったのだとうそぶくばかりである。

 つい最近も、イラク戦争に参加したイギリスが、数年に渡ってのイラク戦争の検証調査を行い、その判断の誤りであったことを示した。日本も、直接参加ではないが、後方支援と称してサマワに自衛隊を送ったりしたのだが、日本では、何ら検証調査は行われない。結局は、大国が小さな国を、理由の通じない大義で、亡ぼし牛耳ってしまったわけで、しかし、アメリカもイギリスも、そして日本も、決して謝ることはなく責任も取らない。

 さらに元を正せば、第一次世界大戦中のフサイン=マクマホン条約、サイクス=ピコ協定、バルフォア宣言などのイギリスを中心とした二重外交、二枚舌外交の秘密協定がある。アラブ人にアラブ人の国を作ると約束しながら、フランス、ロシアと第一次世界大戦後のトルコ領の分割を協定し、ユダヤ人にパレスチナでのユダヤ人の国家建設を約束したのである。その結果が、もちろん今のパレスチナ紛争である。

 結局は、産業革命からの大国による帝国主義が、中東、アフリカ、アジアを食い荒らし、第一次世界大戦、更には、第二次世界大戦を経ての後始末として、現在の世界が出来上がっているようなもので、民族自決などと言いながら、大国によって国境も定められてしまったりして、そんなことに対する根本的反省もないまま、今がある。

 帝国主義の原理は、今の政治、経済にも受け継がれているようで、強欲な資本主義は世界に蔓延し、グローバル化と言いながら、各国で徒党を組み敵を作り、各国に新しい国家主義が生まれつつある。ヨーロッパの各国、アメリカ、そして日本でも国家主義的政党指導者が勢いをつけている。昔に舞い戻るような危険を感じる。

 昨日は、よく晴れて、そろそろ梅雨も終わるのではないかと思っていたのだが、今朝はまた激しく雨が降ったりして、気を揉んでいる。

  青き山 時空を超えて 独り往く

2016年   7月17日    崎谷英文


 

故あって四国に渡る

 梅雨の晴れ間と言っていいだろう。昨日まで九州を中心に激しい雨が降っていて、姫路付近も雨が降ったり止んだり、時に短い間だっただろうが、軒打つ音を立てたりしていたのが、久しぶりに朝から晴れ上がって、山の緑も、二十日程前に植えた田んぼの苗も、青々と輝いていた。村の共同作業の草刈りを妻に任せてかわいそうだったが、その妻も汗だくになって帰ってきて見送ってくれる。

 鳶高く 山潤いて 見送られ

 岡山までは山陽自動車道で行く。山陽自動車道は、本当にトンネルの多い道で、連続するトンネルの合間に、辛うじて山の景色を垣間見ることができる。それでも、瀬戸大橋に近づくと視界は開け、鷲羽山の観覧車が迎えてくれる。瀬戸の海は左右に広がり、多くの島々が、今日は遠くまでくっきりと浮かび上がる。止まっているかのように見える大型船も、船尾の波しぶきが帆走していることを教えてくれる。

 緑濃き 瀬戸の島々 迎え船

 四国に入り、暫くすると松山道に入る。松山道は、以前は片道一車線で、対向車線の続く道だったのだが、今は片道二車線になり運転は楽である。バクダッド、バングラディッシュでテロが続いて起きているが、ここは別世界のように穏やかだ。岡林信康の山谷ブルースをCDで聞きながら、若き日の熱い血を思い出し、なおさら遠くに来たものだと実感する。

 海臨み 山を仰ぎて 夏の風

 松山市に入る。松山市は、姫路市と同じぐらいの人口で、道後温泉、俳句の地として有名である。種田山頭火は、晩年をこの地で過ごしたようで、その所縁の一草庵を訪ねる。山頭火は、此処を終の棲家としたようである。「分け入っても分け入っても青い山」と言う句が、この四国で作られたものではないか、ということをどこかで読んだことがあるのだが、さもありなんと翌日知らされることになる。

 山頭火の「おちついて死ねそうな草萌ゆる」と言う句があり、また「おちついて死ねそうな草枯るる」と言う句があり、丁度、そこで山頭火の研究会をやっていた女の人から、どちらがいいと思いますか、と尋ねられた。人それぞれだが、草萌ゆる、がいいか。

 草萌えて やがて枯れゆく 朝かな

 その日は、坊ちゃんの湯に入り、その夜はしこたま飲んで寝た。

 翌日南に向かう。四国は海に囲まれた小さな島だと思っていたのは、大間違いで、切り立った谷間の両側には、夏の山が覆いかかり、行けども行けども山の中で、海などどこにも見えない道を行く。四万十川は、逆S字型に四国の中央付近から海岸に近寄りながら、再び内に向かっているのだと知る。四万十川は、日本最後の清流といわれ、大きなダムはなく、沈下橋がいくつもある。

 沈下橋 日傘に隠れ 行く女

 沈下橋は、水面から2、3mの高さの橋で、大水の時にも、洪水を防ぐため橋脚でせき止められないように作られている。上の橋が流されても、そんなものは作り直す方が手っ取り早いのである。

 思えば、文明と言うものは、自然に逆らって、自然に壊されないようなものを作り出してきたのかも知れないが、自然の脅威は及びもつかず、強大なものが一度壊されると、取り返しがつかなくもなる。自然に逆らわず、藁の家にでも住むような謙虚な心持ちが必要かもしれない。

 

 大海に 放たれ行かむ 夏の雲

 漸く足摺岬に着く。太平洋はどこまでも広く、島はなく、水平線が緩やかに弧を描く。その昔、南の海の彼方にあるという浄土を目指して、帰ることのできない船に一人乗って行ったという補陀落渡海は、この岬からも行われたと言う。確かに、この大海原を眼前にすれば、強欲のうごめく浮世に別れを告げ、この海の見えない先に何があるのか知りたくもなる。

 その夜は、宇和島の民宿に泊まり、また痛飲した。

  岬昏く 夏の夕日に 海光る

2016年   7月9日    崎谷英文


 

闘わない遺伝子

 家の横の空き地の草刈りをしたのは、ほんの10日程前だったのだが、もう草が再び丈を伸ばし、草茫々の景となっている。草刈りをしても、時が経てば、また草は伸びてくるもので、たとえ土を掘り起こし草を根こそぎ剥ぎ取ったとしても、いつの間にか、草はまた生えてくる。雑草の種は、土の中に静かに潜み、あるいは遠くから風に運ばれて、時が来れば、ここぞとばかりに芽を出して生きていく。

 進化と言うものは、強いものが生き残っていく過程でもある。過酷な自然環境の中で、弱いものたちは、滅び去るか、強いものたちの隙間の中で生き残るしかない。生き物たちは、厳しい生存競争の中で、様々に進化していく。

 雑草たちも、人や牛や羊、草を食べる小さな動物たちを敵としながら、逞しく進化してきたのであろう。背の高いものもあれば、低いものもあり、地を這うように葉を伸ばすものもあり、限りある空間を住み分けて生きている。土の中では、それぞれの根が、押し合いへし合いして、自分たちの住処を競り合っているのだろう。今ある雑草たちは、長い闘いの中で生き残っている。

 野生の動物たちは、まさしく弱肉強食の世界に生きているわけで、草食動物は草を食み、肉食動物は草食動物を食べて生きている。野生の動物たちも、またそれぞれの住む世界を分け合っている。木の高いところにサルたちがいて、草原の草を食むシマウマたちがいて、水の中にカバやワニがいる。それぞれの動物たちは、長い年月をかけて進化し、自分たちの住処を確保していったのである。

 これまでに、どれだけの種の生き物が弱肉強食、自然淘汰の中で滅んでいったであろう。今も、あまたの植物、動物たちが生き残っているが、滅んでいった種のほうが遥かに多い。進化して強くなったものたちが、今生き残っている。強いものたちの隙間の中で生き残っているような弱く見えるものたちも、実は、強く生き残っているのではなかろうか。

 遺伝子は闘うなどとも言うが、野生の生き物たち、それは植物にしろ動物にしろ、闘いながら今生き残っているのであろう。草食動物と肉食動物などの異種同士の闘いはもちろんだが、同じ種でありながらも、闘って勝ったものたちが、生き残ってきたのだろう。

 人もまた、過酷な自然環境の中で、多くの他の生き物たちと闘ってきた。そして、人間同士もまた戦ってきた。有史以来、人は戦争をし続けている。今もまだ、戦いは終わらない。人の遺伝子にも、闘う遺伝子が残っている。人には、確かに闘争本能というものがあるようで、そんな闘争本能というものは、確かに、この世で生きていくために遺伝子が伝え継いできたものかも知れない。

 しかし、闘う遺伝子というものがあれば、闘わない遺伝子というものもあるのではないか。闘わない遺伝子、それは、共存し共生し共有する遺伝子である。人にはこころがある。こころは、他人のこころを感知する。他人のこころに共感する。他人が悲しめば自分も悲しくなり、他人が喜べば自分も嬉しくなる。そんなこころを人は持っていて、そのこころは、闘わない遺伝子を受け継ぐものと言ってはいけないだろうか。

 自分だけが勝って有頂天になり、自分だけが豊かになって威張ってみても、疚しく、うしろめたく感じるこころがあるはずだ。自分だけが生き残ってしまったとしたら、そのこころはなおさらであろう。人は共存、共生するこころを持っているはずである。共感するこころを持っているはずである。それを、闘わない遺伝子が伝えてくれているのである。

 そして、そんなこころのようなものは、人だけではなく、生きとし生けるもの、あらゆるものに宿っているのかも知れない。自然の作り出した生き物たちの住み分けも、また一つの共生のこころ、闘わない遺伝子の現れなのではなかろうか。

  座る人 待ちて蓮の 花咲けり

2016年   7月2日    崎谷英文


イギリスのEU離脱

 世界はグローバル化している。グローバル化するということは、地球全体が一つになるようなことを言うのであろうが、そのこと自体は、もしそうなれば素晴らしいことなのかも知れないが、元々狭い世界に住み分けてきた人々が、一つの大きなまとまりになることには、困難が付きまとう。

 本来、民族、人種、宗教、言語、文化、歴史などを同じくする同じ地域に住む人々が一つの国としてまとまったものが、国民国家であろう。国民国家は、国家主権を持つ。国家主権とは、国家の政策に関し、他国から干渉を受けることなく、その国家が自由な意思で決定することができるということだろう。国家主権は、国民主権ではない。王が君臨し、独裁の国であったとしても、国民主権はないが、国家主権は持つ。

 今回、イギリスがEUを離脱することになった。イギリスがEUに残留するか、離脱するかは、イギリスが決める。国民主権、民主主義の国であるなら、国民がその選択をする。そして、EU残留か離脱かが、国民投票で問われ、離脱が少差ながら、勝利したのである。

 EU、ヨーロッパ連合は、ヨーロッパの28か国が、平和のためでもあるが、特に経済的統合を目指したもので、通貨もユーロに統一して、物、サービス、資本の流通に国家としての壁を設けず、人の行き来もまた自由にしたものである。(但し、イギリスは、通貨はポンドのままである。)そのために、中東から一度EUに難民たちが入ってきたとき、彼らの入国を拒むことは困難になる。元々、東ヨーロッパからの移民も、イギリスに多い。

 国際条約と言うものは、一度交わすと、それを無視することはできず、一方的に国内の決定として、その条約に反することをしようとしても、許されない。一方的に、その条約を破棄することもできない。条約破棄、条約改定の交渉を相手国と行い、認められなければならない。たとえ、憲法に違反しているから無効だ、と主張しても、せいぜい、条約の停止はできても、条約として無効にするには、きちんと交渉し改定せねばならない。

 イギリスのEU離脱に関しては、EUの基本条約、リスボン条約によって、その離脱交渉がなされ、離脱協定が締結されることになる。2年はかかると言われている。

 国際条約と言うものは、世界との結びつきを強めるものなのだろうが、一面、それは、国家主権を損なうものともなる。一度、条約をきちんと批准をし、結んでしまうと、その拘束から逃れることは難しい。

 イギリス国民は、そのEUの条約において、国家主権が損なわれていると感じたのであろう。離脱派は、この国民投票に勝利した日、6月23日を独立記念日にすればいいと言うぐらいだから、EUの拘束を独立をも危うくしているものと見ていたのかも知れない。

 日本も以前、治外法権を認める条約、関税自主権のない条約という不平等条約の改定に苦労した。そんな条約も、一方的に破棄すればいいとはいかない。きちんと、相手国と交渉して改定しなければならなかったから、苦労したのである。

 グローバル化のこの時代、世界は進んで国際条約を結ぼうとしているようだ。特に、経済のグローバル化と称して、関税を低くし,無くしていくような条約が、多く結ばれ、また結ばれようとしている。それは、まるで、過去の不平等条約と言われた関税自主権のない条約を締結しているかのように見える。国家主権が、無くなる方向になっているのだ。

 今の経済のグローバル化は、世界全体を包み込むものではなく、戦前のブロック経済圏のような対立する経済圏を作り出しているような気がする。弱い国もその条約に巻き込み、、その主権を奪い、自国のために有利になるように結びついて、経済的利益を上げようとしているばかりのような気がする。その陰では、格差は広がり、搾取される人々が増えていくばかりのような気がする。

 イギリスのEU離脱は、グローバル化に対する単なる反動ではないだろう。今のグローバル化は、豊かな国、強い国による世界の管理化につながっている。世界国家というものが誕生しない限り、国民国家の国家主権を尊重し、国家の自由が保証されなければならないのではないか。

  汗を掻き 夢に目覚める 朝かな

2016年   6月25日    崎谷英文


 

田植の後

 もう10年程米作りをしているが、一向に上手に手際よくできなくて、己の無能、不器用、不甲斐なさを嘆くことしきりで、身体だけは疲れ切って、寄る年波、年々体力の衰えを覚えるばかりである。今年こそはと思いながら、毎年何か新しい問題が起こったり、へまをやったりして、苦労ばかりしている。

 何も金稼ぎでやっているわけではなく、趣味か道楽か修行のような米作りなのだから、失敗しようが、たとえまるっきり米の収穫がなかろうが、どうってことはないと言えばどうってこともないので、まあなるようになるさの気分でやっていくしかない。

 それでも、欲は出るもので、今年はもっと美味い米が作れたらなどと気持ちはたかぶるのだが、如何せん、ろくに米作りの勉強もしないでいい加減なのだから、我ながら呆れる。

 思えば、米作りを始めた頃は、見よう見まねで、周囲の人に教えてもらいながら、米の収穫も周囲の人と比べれば、半分ほどにしかならなかったのだが、それでも手間暇かけて、汗を流してできた米に、手前味噌でもあろうが、美味しいではないか、と涙を流したものだ。もう一度、初心に戻って、単純に気楽に米作りを楽しむことにしよう。周囲の人たちに、よく頑張っているね、とは表向き言われるが、多分笑われているだろう。

 その昔、田舎というものは、狭い地域の中で、自主自立、自給自足で、みんなが助け合って生きてきたのだろう。何よりも、米作りで食料を確保し、生計を立てていた人がほとんどだったのだから、水の管理というものが大事で、我田引水と言う言葉があるように、上手に水を分け合うことが必要とされ、自然に村人たちは、共同作業をしていったと思われ、村の助け合い、自治がなされなければならなかった。

 太市には、今八つの村があり、それぞれに自治会があり、自治総会が毎年あり、年何回か、溝堀り、道造りなどと称する共同作業がある。二つの村の自治会に所属しているので、忙しい。18年太市にいて、20数年太市を離れ、また太市に戻ってきたのだが、知り合いも多いが、知らない人も多い。元々住んでいた所の近くの人たちは、よく知っていて親しいのだが、駅前に移ってきてからは、そこの新参者で、知らない人も多い。

 見知った人が多いと安心もするが、また煩わしくもなる。見知った人が周囲に多くいて、こっちがあっちのことを知らなくても、こっちのことは知られていそうで、何となく見られているようで落ち着かない。都会では、直ぐ近くにいても、知らない人ばかりになっているのではないか。それは一面寂しいことのような気もするが、一面気楽なことかも知れない。

 以前、東京に行き、品川のホテルに泊まったことがあるのだが、あの朝の品川駅の人だかりにびっくりしたことがある。まるで、軍隊の行進のように十数列に並んで、人々が行進している。そして、彼ら、彼女らは、隣を行く人たちをほとんど知らないのだろう、みんな無言のまま、足音だけが響く。

 それでも、時々都会が懐かしく、恋しくなる。あのあまたの人々の中のただ一人にしか過ぎなくなって、自分のことなど誰も知らない大勢に囲まれて、奇妙にも心が休まる。田舎にいるときの様々な煩わしさから解放されるからであろうか。

 考えてみれば、生きていくということは、煩わしさを受け入れることなのだろう。社会の中で、たった一人で生きていくということは難しい。狭い世間に生きようが、ちょっと広い世間に生きようが、他人と関わらずに生きていくことなどできない。

 しかし、いつもいつも周囲に人がいて、その人たちと良好な関係を作ることに心を遣い続けることに嫌気が刺すこともあり、時に誰もいない処に行きたくなったりもする。そんな時、山の中に逃げ込むのもいいが、都会の雑踏に紛れ込むのもいいのである。

 都会の中の孤独、などと、人間関係の薄れていく現代社会を憂う言葉もあるが、時に人は孤独になりたくもなる。この世のしがらみの中で、孤独になることを恐れて生き続ける人が多いような気がするが、素直に孤独になればいいのである。心の焦り、煩わしさから解放されるだろう。

 土を弄っていると、煩わしさを忘れる。

  行く当ての なきまま橋を 渡る夏

2016年   6月19日    崎谷英文


 

代掻き

 最近忙しい。田んぼと畑で忙しいのである。都会の人たちには、解らない。

 田植えをするには、田んぼに水を入れなければならない。水を入れた後、代掻きをする。代掻きとは、田んぼの表面を耕しながら、平らに泥々にすることで、暫く置いてある程度固まった後、田植えをする。

 小さな田んぼは、先日田植えをし終わったのだが、いざ田植機を動かそうとしたとき、ガソリンがない。数日前に満タンにしていたはずなのに、空っぽ近くなっている。農機具屋さんを呼んでみてもらったら、いわゆるパッキンというものが劣化してガソリンが漏れていると言うことで、パッキンを取り換えてもらって、やっと田植えができた。機械に頼っていると便利で楽だが、機械もまた確実に老化し壊れてしまうことを実感した。

 大きな田んぼの代掻きをしたのだが、途中で、トラクターが止まった。また農機具屋さんを呼ぶ。何のことはない、使い方が悪かったためらしい。自分の機械音痴に腹が立つ。おかげで、今日、もう一度代掻きをしなければならなくなった。

 今、太市の村は、大勢の人が出てきて、代掻き、田植えで賑わっている。普段は、農業などしない若者、若者といっても40代、50代の息子たちが、田植えに関しては、おばあちゃんと一緒に作業をする。一緒に住んでいない子供たちも、田植えのために帰ってきたりして、孫になるのだろう小さな子供たちもやってきて、わいわいやっている。盆と正月だけでなく、田植えと稲刈りにも帰ってくる。

 田んぼに再び水を入れるのを待ちながら、テレビを見ている。NHKの政治討論会を見ているのだが、相変わらずの我田引水のように、自民党は都合のいい数字を持ち出してきて、国民に景気は良くなっているという幻想を植え付けようとしている。

 求人倍率が上がってきているということから、景気はいいのだと言うが、どうなのだろうか。人口減少に加え、団塊世代がリタイアしていくとき、若者への求人の増えるのは当たり前のことであって、政府の政策のおかげとは言えまい。何か職を得ようとしたら就職できると言うことだろうが、多くは低賃金の非正規労働者にならざるを得ないということではないか。

 金持ちが大儲けをして、その余りが貧乏人に零れていくことによって、大衆も潤っていくというような、トリクルダウンの理屈はおかしいのである。金持ちは、儲けるだけ儲けて、ごく一部が落ちてくるだけであって、飢餓で死ぬ人は少なくなってきただろうが、ぎりぎりの生活をしていく人が増えていくという、格差の拡大はますます広がっている。トリクルダウンという既得権者に都合のいい理屈は通用しない。

 そもそも、金持ちこそケチなのである。

 インフレ状態にして経済を活発化させようという日銀、政府の思惑も、その実態は円安に誘導し、輸出企業を儲けさせ、株価を上げて、物価が上がりながら、大衆の利益は追いつかず、生活は苦しくなっている。大体が、インフレ状態にすれば、人々は今買った方が得だということで、金が動き、経済が活発化するというのだが、今、人々の生活に必要なものは充分あるのであり、贅沢をしようとしない限り、今買わなければとは思わない。

 定常社会、成熟社会になっているのであり、今あるものを買い替えたりするような形でしか経済は動かない。

 昔、三種の神器、3C、またコンピューターやスマートフォンなどのイノベーションによる需要が経済を大きく動かしたのだが、今の時代、もはや文明、科学技術は、世界、社会を躍動させるものを生み出すことは難しいのではないか。この現代において、無理矢理需要を呼び起こそうとしても、それは騙しのような一時の流行でしかないであろう。

 何よりも、今の政権は、経済活性の幻想を振りまいて、票を得て多数を握り続けようとしているのであって、幻想が消え去らないうちにどさくさに紛れて、戦争をする憲法にしたいのであろう。

 田んぼに水が入らないので、代掻きは午後になりそうだ。

 代掻きをしたが、下手くそにやってしまった。自己嫌悪。

  切り取れば 闇か光か 蛍の灯

2016年   6月12日    崎谷英文


再び書写の山へ

 ホテルの部屋で目覚めたのは、朝の八時を過ぎた頃であった。いつもになく、寝過ごしたことになる。昨夜の酒と、寝るのが遅かったことのせいかとも思うが、近頃は、少々深酒をして夜中に寝たとしても、よくある年寄りの性質が身に付いているのか、きっちりと六時半には目覚めていたのが、今朝は何故か八時まで一度も目覚めることはなかったのである。ぐっすりと寝て、気分は爽快である。

 永き夢 見せて眠らす 夏の朝

 九時にバスが出発する予定なので、急いで朝食を食べにレストランへ行ったのだが、さすがに他には誰もいなかった。後でTさんにちょい悪おじさんですかと言われるような、ピンクのシャツに着替え、サングラスを掛けて下に降りていくと、きれいなお姉さんたちは、とっくにバスの中で待っている。空は、今日も薄曇りである。

 振り仰ぐ 汚れちまった 夏の空

 男三人、女性十人の吟行なのである。千葉、東京、神奈川、西は大分、久留米などから、この姫路にやってきているのである。昨日は、姫路城から好古園を巡り、優に一万歩は歩いたであろう。ぐっすり眠ったのは、その疲れが影響していたのであろうか。今日は、更に沢山歩くことになる。

 姫路城は、あの地震で壊れた熊本城と対照的に白さで有名で、改修されて白過ぎるなどと言う風評があったのだが、全く白い。しかし、慣れてくればどうってことはない。どうせ人と同じで、時がたてば色褪せるのである。

 山法師の 花より白し 天守閣

 姫路城は、変わらず広くて高かった。淑やかなお姉さんたちが、この急な階段などに苦労されないかと心配していたのだが、何のことはない、自分の方こそへとへとになり、置いてけぼりになりそうになったりして、お姉さんたちの強さを再確認したものだった。一人がはぐれてしまって城内放送をしてもらったのは、愛嬌か。

 好古園は姫路城の隣にあり、まあ言わば観光用に作られた庭園なのだが、十以上の庭があり、それぞれ趣向のある造りをしている。池があり、滝があり、鯉がいて、様々な木々や花々がある。木戸を入ると水音が優しく響く。

 せせらぎは 夏の光を 弾く音

 バスは、夢前川、菅生川に沿って北上し山に向かう。周囲の田んぼは、白く耕され、田植えのための水を待っている。そろそろ田植えの時期なのだが、遠くから来られている教養あるお姉さんたちは、この辺りは田植えが遅いのね、などと宣われる。書写山の麓に着く。ロープウェイからは、今日も瀬戸内海は見えない。この一か月で、二度目の書写山になる。

 山猿の 辿り着いたる 書写の山

 峰を行くバスもあることを告げるが、元気なお姉さんたちは、みんな歩き出す。今日は行きがけに鐘を撞く。この前来たときは、大門に仁王像はなかったと思ったのだが、奥に雨風に曝されないように立っているのを教えられ、全く自分の目の昏さに呆れる。今日は、奥の院に啄木鳥はいなかった。

 昼の十二時にチャーターしたバスに乗り、そうめんの里に行く。この辺り龍野は、醤油の街でもある。そうめんを食べて南下する。揖保川の水に小高い山が映っている。

 夏川や 山の映りて 山動く

 瀬戸内の海岸の通称七曲りの道を行くが、やはり空は曇り、雨さえ降ってきて、近くの島しか見えない。天気が良ければ、四国までも見えるのだろうが。ついさっき深山の中にいたはずなのに、もうここは、海である。

 走り梅雨 曲がりくねって 瀬戸の海

 道の駅で浜辺に下りて遊ぶ。瀬戸の海は、穏やかである。

 二日間、夜、句会をして三日目は、異国情緒の神戸、風見鶏の館などを巡って、きれいなお姉さんたちは、日常に戻っていった。

  蛍を 見ずに帰るや 街の人

2016年   6月5日    崎谷英文


ホタル

 戸を開けると、少し欠け始めた月の明かりが眩しく感じるのだが、それでも、夏の夜の庭には、何かが漂っている気配がして妖しい。門を閉じようとすると、その門に覆い被さるように繁った夾竹桃の、ちょうど目の前の枝に光が見える。ホタルである。つい先夜、駅前の家の近くの橋に行き、今年もホタルが現れ始めたことを確かめたばかりであった。確かに、数は少ないが、ホタルの短いいのちが始まっていた。

 しかし、ここは塾の処で、川は遠い。なのにホタルがいる。デジャブではないが、以前同じことがあったような気がする。やはり、この門の処に、ホタルがいたのである。いつの時だったか、二年前か、もっと前か、もしかして、同じような経験があったと錯覚しているだけなのか。その時も思った。この迷いホタルは、どうして、此処に来たのか。もしかして僕に何かを伝えに来たのか。しかし、その時と同じように判然としない。

 ホタルの止まっている夾竹桃の枝葉を揺らさないように、慎重にゆっくり、門を閉じる。ホタルは、一時、明滅を止めたかと見えたが、落ち着いたのか、再びゆっくりと明滅を繰り返す。周囲には、他にホタルはいない。ただ一匹だけが、この門の処にやってきている。これは、昔の記憶でも同じ、ただ一匹だった。ただ一匹が、何かを暗示させるように、思考を廻らせる。ホタルの顔は見えず、ただ、光だけが同じところで明滅する。

 車を出して帰り道、この近くの川にもホタルがいるか、遠回りして帰る。しかしそこにはホタルは見つけられなかった。門にいたホタルはこの川から来たのではないのか。降って湧いては、ホタルは生まれない。人の知れないところに、ホタルの宿、住処があるのか。子供の頃、家の庭には池があった。その頃のホタルが、今日になって目覚めたのかも知れないなどと想像したりして、想像する自分を冷笑する。

 子供の頃、この辺りには、たくさんのホタルがいた。その頃は、もっと小さな橋だったと思うのだが、橋の両側に無数のホタルが、そう無数だった、無数のホタルがいた。竹箒を軽く振ると、数匹のホタルがくっついてくる。それを虫籠に入れて、大事に持ち帰ったりしたものだ。じゃんけんで負けて蛍に生まれたの、と言う池田澄子氏の句があるが、ホタルは、ジャンケンに負けたのではないだろう、人こそジャンケンに負けたのだと思う。

 原始、人と自然とは一体であった。人と自然とは区別されるものではなく、人もまた、自然であった。山も川も野原も、イノシシもクマもキツネもタヌキも、そしてホタルも、人と同じであった。あらゆるものと人とは、対立するのではなく、融合する。山は山でありながら崇拝する神ともなれば、キツネやタヌキは、いつでも人になる。人が死ねば山に帰り、あるいは再び戻りもするが、同じ人になるとは限らない。イノシシににもなれば、クマにもなり、時にホタルとなることもあろう。

 人は進化して人になったのであろうが、同じく、あらゆる生き物も進化して今あるのであって、その元を辿っていくと、同じいのちにつながる。人となるか、畜生になるか、はたまたホタルになるか、ジャンケンで決まるわけではないだろうが、人だから尊いわけもなく、誰が偉いとも言えないのではないか。

 動かない植物も含めて、弱肉強食、ともにいのちを奪い合いながらも、長い時間、数十億年、数億年、数千万年をかけて、この大地と大海原にそれぞれの生きる場を得て、住み分け合って、しかし、分かれ、別れながらも、見えない糸につながれたまま、共に生きてきたのではないか。

 何時しか、人は傲慢になり、神に作られし人として、この世に君臨するようになった。しかし、まだ、人は神の子として、神に逆らうことはできなかった。ところが、さらに今や、神は死に、人こそ神として、抑制のきかない存在となってしまったのだ。

 あのホタルは何だったのか。何でもなかったのかも知れないが、何かだったのかも知れない。村の中を車を走らせて帰っていると、子猫が一匹、ヘッドライトに照らされて、目の前を横切っていった。目が光っていた。

  蛍は 何を語るや 迷い来て

2016年   5月26日    崎谷英文


夏野菜2

 トマト、キュウリ、ナス、ピーマン、オクラ、シシトウ、モロヘイヤなど、夏野菜を植えた。種から蒔いて育てるのが本当なのだろうが、そこまではしない怠け者である。野菜には、それぞれの育つ季節がある。先に並べた野菜たちは、いわゆる夏野菜であり、これからの暑い気候を自分たちの生きる季節として育っていく。

 ジャガイモは、今、薄紫の可愛い花を咲かせて、そろそろ掘られる時を待っている。タマネギも、一部は収穫し、残りもそろそろ収穫することになる。上手に作る人は、大きなジャガイモを育て、大きな丸いタマネギを育てるのだろうが、ろくに肥料もやらず、雑草が蔓延った中で、ジャガイモもタマネギも、わざと作ったように小さくなった。ジャガイモもタマネギも、寒さを乗り越えて育っていく。

 それぞれの野菜には、それぞれの生きる時があり、生きる場所がある。時を間違えて、種を蒔いたりしても、元気に大きくは育たない。

 そろそろ、田植えの準備もしなければならず、田んぼを耕し、畔の草刈りをする。間もなく、稲の苗が農協から届く。苗床と言う。まだ黄色い苗に、毎日水を遣り続け、緑を濃くするまでシートを被せたりして、背を高くし根がしっかりと着くまで世話をする。田んぼの水口を整え、水がしっかりと入るように準備しなければならない。自ら、去年の籾で苗床を作るのがいいのだが、やはり怠け者である。

 植物には胞子で増えるものと種子で増えるものがある。シダ類、コケ類は胞子で増える。(キノコは菌類である)野菜や稲などは種子で増える。種子で増えるものにも、裸子植物と被子植物がある。マツやスギやイチョウは裸子植物である。大木が多い。裸子植物にも花はあるが、色鮮やかな花ではない。(松かさは花である)雄花の花粉は、風に運ばれて雌花の剥き出しの胚珠に届けられるのを待つ。

 風は気まぐれだから、大量の花粉を作る必要がある。そのために、人は、花粉症に悩まされることになる。

 被子植物は、後に種子になる胚珠が、後に果実になる子房に包まれている。きれいな花を咲かせるのが多い。きれいな花とその奥にある蜜で、鳥や虫を誘い、花粉をめしべの柱頭に着けてもらう。受粉して胚珠が種子となり、子房が果実となる。赤く実った果実は、鳥に食べられ、固い種子は地に落ちて、その種は新しい住処を見つける。種子が風に運ばれていくタンポポのような花もある。

 被子植物にも、双子葉類と単子葉類がある。双子葉類は、文字通り子葉が二枚あり、葉には網目状の葉脈があり、茎には形成層(ここが育って太くなる)が円状にあって、内側に根から水分を吸い上げる道管があり、外側に光合成によって作られた養分を運ぶ師管があり、根は下にまっすぐ伸びた主根があり周囲を根毛が覆う。

 単子葉類は、葉は細長く平行脈が走っていて、茎には形成層がなく空洞になっていたりして、根は地上近くからひげ根が伸びている。

 夏野菜の多くは被子植物、双子葉類であり、稲は、単子葉類である。植物は動かない。しかし、植物はそれぞれの生きる場所を持つ。シダにはシダの、コケにはコケの生きる場所があり、生きる場に相応しく進化している。大木になる植物は、大木になることで自分たちの生きる場を得、だからこそ裸子植物が相応しい。被子植物は、やはり、生きるために胚珠を子房の中に納めた。決して、被子植物が裸子植物より偉いのではない。

 双子葉類は、茎が真っすぐ伸び枝葉を四方に繁らせていく、そのために形成層のあるしっかりした茎を必要とした。単子葉類は、地上付近から数本の茎葉を広げ、花が咲くころ一気に伸びていくため、丈夫な茎は必要としない。

 それぞれの植物には、それぞれの生きていく場所があり、それぞれの生き方があり、それぞれの進化を遂げてきたのである。決して、この種が、他の種より優れている、などと言うことはできない。

 タンポポなどは、踏みつけられても地を這うように息を潜め、時が来れば、しっかりと芽を出し花を咲かせるのである。雑草たちもまた、それぞれの生きる場で、逞しく生きている。

 以上、中学校の理科である。

  戯れる 二羽の小雀 風に揺れ

2016年   5月21日    崎谷英文


帝国主義

 その昔、蒸気機関の発明などにより、それまでの工業生産の様式が大きく変化した。これまでも、工場制手工業(マニファクチュア)と言う工場生産はあったのだが、それはあくまで手工業であり、それが機械による生産に変わったのである。それにより、大量生産が可能になった。

 資本家たちは、企業家と手を組み、農民から土地を奪い、農民を大量生産のための労働力として都会に送り出した。資本主義の成立である。資本家たちは、更なる利益を求め、国家の庇護を受け、海外に進出する。資本家たちは、国家の軍事力を背景にして、資源と労働力と市場を獲得するために、アジア、アフリカ、南アメリカへと進んでいく。

 資本主義は、本来、自由主義である。資本を活用するためには、自由な経済活動が必要であり保護されねばならない。平等な競争も、また必要となろう。しかし、資産家、企業家たちが自由を求めれば、それは、万人の自由を認めていくことにつながる。

 そうして、人々は権利意識に目覚め、また国民主権、民主主義にもつながっていく。

 しかし、また、資本は労働者を搾取することも事実である。本来、自由と平等の下、資本家と労働者は対等な関係において、その契約を結ぶことになるはずだが、その力関係は歴然としていて、労働者たちは搾取され、こき使われる羽目になる。

 国家は、資本家と結びつき、アジア、アフリカ、南アメリカに、啓蒙と称して文明を押し付け、その資源を独占しようとした。西欧諸国は、競って植民地獲得をしたのである。アメリカ、日本が続いた。帝国主義である。

 その帝国主義の行きつく先の、二度の世界大戦を経て、現代がある。今、世界は再び帝国主義的様相を呈している。以前と同じ、西欧、アメリカ、日本に加えロシア、大国中国が加わり、各国は、世界の草刈り場を求めて奔走している景がある。

 国家と資本が共同して、儲かる先を求めている。そのためには、戦争兵器さえ平気で売りつけるほどである。とにかく儲ければいいのである。

 帝国主義と言うのは、国家と資本とが結びついて、世界の中で支配権を広げようとすることではないか。以前のように、他国を植民地化することなどできないのだが、今は、開発援助と称した投資を通じて、他国から利益を得、他国と自国の経済をつなげていようとする。

 しかし、このグローバル化した現代において、もはや、国家としての経済的独立性も危うくなっている。何よりも、グローバル金融資本は国家を超えて世界を駆け巡り、巨大な金融資本は、もはや、国家をも支配しかねなくなっているのではないか。国家は、巨大金融資本に抗うことはできず、現代帝国主義も、この巨大資本が握っているのかもしれない。

 現代は、特に先進国において、経済発展、経済成長と言うものの望みは薄い。金持ちが大金を抱え、貧乏人との格差は広がるばかりだが、ここまで生産が過剰になり、人口が減っていく状態で、交通、流通インフラも整っている中で、今更何が不足しているというのか。少なくとも、生きていくためのものは十分である。これ以上何が欲しいのか。

 日銀が、異次元の金融緩和を行っているが、一向にその効果はない。当たり前のような気がする。国と国との間において、為替とかの変動によって儲けたり損をしたりするのだろうが、一方が儲ければ他方は損をするのであり、長続きするはずがない。一方が儲け続ければ、他方は損をし続けるのであって、結局は双方共、駄目になるのではないか。弱い国から利益を得ようとしているのならば、帝国主義の再来であろう。

 G7何とかと言う会議がしょっちゅう開かれているが、それは、先進国でまとまって帝国主義化している証かもしれない。それらの会議では、スローガンばかりで、ほとんど実効性は感じられない。東京都知事ではないが、旅費さえもったいない。

  夏の風 苛めたる身を 横たえる

2016年   5月15日    崎谷英文


雑草

 毎年のことであるが、筍の季節が終わると、草刈りの季節になる。我が家の周囲には、黄や青や白の色とりどりの雑草の花が咲き乱れているのだが、彼らをそろそろ刈り取らねばならない。放っておけば、雑草は瞬く間に丈高く蔓延っていく。そして、どんなにきれいに刈り取ったとしても、次の年には、また同じように逞しく生えてくる。雑草の力強さが欲しい。

 田んぼを耕す。六月になれば、田植えが始まる。それまでに、田んぼの土を何度か掘り返す。去年の稲の取入れから、三度目になる。田を耕せば鳥がやってくる。地中に隠れていた虫やミミズが彼らの餌になる。音を立ててゆっくりと進むトラクターに怖気づくこともなく、アオサギが目の前に立っている。彼のその目は、我々には到底識別できるはずもない小さな獲物を、刈り草の中から見つけ出す。

 文明は多分に物質的であり、文化は多分に精神的である。物質文明とは言っても、精神文明とは言わない。精神文化とは言っても、物質文化とは言わない。しかし、物質と精神とは切り離されたものではない。人の身体と心とが、密接な繋がりを持つように。文明というものは変化するが、それに従って文化も変化していく。

 文化というものは、例えば日本文化といえば、古代から現代までの繋がりのある生活様式、精神的なもの、言ってみれば日本的なもの、と言えようか。それに対して、文明というものは、物質的、技術的、経済的な、その時代の豊かさを表すように思われる。例えば、メソポタミア文明と言うように。

 しかし、文化という連綿と続く精神的繋がりも、また文明によって屈折していく。物質的豊かさ、技術的便利さ、経済的合理性、そういったものが、人々の精神文化を揺り動かしてきたのである。

 例えば、西洋の産業革命の時代、それは文明が大いに進歩した時なのだが、やはりその頃、人々の新しい世界観が生まれ、精神、生活様式も大いに変化した。日本でも、文明開化の時代、それは江戸から明治への移行の時であり、武士の時代が終わり、西洋文明を受け入れると共に、日本人の生活、文化が劇的に変化したと言えるだろう。

 戦後の高度成長時代、農業が機械化され、若者が憧れの都会に運ばれてゆき、田舎では三ちゃん農業となり、都会では、外国人にマッチ箱と言われるような団地に、核家族が新しい電気製品に囲まれて住み、父親は、毎朝満員電車で、痴漢に間違われないように両手を挙げて通勤する。電化製品、水道、ガス、電気が普及し、有閑マダムが街を闊歩する。

 男たちは、週末ともなると、居酒屋、バー、キャバレーで飲んだくれ、罪滅ぼしと日曜には、家族で外食する。交通、流通の発達は分業化を進め、自給自立の生活は過去の遺物となる。稼がねばならない、贅沢したい女性たちが、職場労働者へと駆り出され、ハワイ旅行が夢でなくなり、外食産業が大賑わいになり、ジャンクフードとグルメ巡りで、子供も大人もメタボになっていく。

 当然だった三世代家族は少なくなり、医学が発達して寿命が延び高齢者社会になったはいいが、みんな介護に追われ疲れ、少子化だというのに、保育する人、場所がなくますます少子化していく。コンピューター、インターネットが普及して便利になったと思っていたら、みんな考えなくなり、スマホで遊び、漢字も忘れ、馬鹿になり、言いたい放題をネットに書き込んで憂さを晴らす。

 文明が発達して、人々の生活はどんどん変化していく。人々のこころの持ちようも変わっていく。物質文明が、更なる生産をし続けなければならないのだとしたら、それは、人のこころを食い潰すことにならないか。あらゆること、あらゆるものが、豊かさと便利さと快楽によって評価されていく。

 しかし、どんなに文明が進歩しても、人間はこの薄っぺらな地球の表面にしがみ付いて生きるしかない。雑草と虫とミミズと鳥たちと、一緒に地球上に住み続けることに変わりはない。牛を使って田んぼを耕していた頃を思い浮かべるが、知る者は少ない。こんなことを言うことこそ、過去の遺物か。

  筍の 山に獣の 穴二つ

2016年   5月8日    崎谷英文


見ざる、聞かざる、言わざる

 大津茂川の岸辺一面に咲いていた菜の花が色褪せて、土手の桜並木もすっかり葉桜となって、春は終わろうとしている。もう暫くすると、暦の上では夏になる。柿の若葉が瑞々しい。この季節、新樹の葉は、透き通るような黄緑色をして清々しい。つつじの花が群れ咲いている。つつじの花弁は薄く、いかにもひ弱そうに見える。ミツバチたちが寄り集まっている。

 今年は、申年である。ふと気が付いたのだが、申年は決まってうるう年である。四年ごとのうるう年は、ね(子)、たつ(辰)、さる(申)年になる。とすれば、オリンピックの年も、子、辰、申年になる。

 すったもんだして、いろいろ問題のあった2020年の東京オリンピックのエンブレムが決まった。藍色の単色で、華やかさに欠けるという声もあるが、いくつかの図形を集めた120度ごとの回転対称になっていて、これなら似たものはないであろう。デザインというものは、今では世界中のもので似たものがないかと調査しなければならず、大変である。猿真似のデザインでは困る。

 それにしても、オリンピックというものが、純粋のスポーツの競技から離れていくようでならない。オリンピックを開催して、どれだけ儲かるのかと計算ばかりして、商業主義に陥っている。競技自体も、いかに華々しく見せるかということに気を取られ過ぎていないか。まるで、プロレスラーの入場のように、水泳選手の入場がコールされる。猿芝居のようである。

 猿は、さすがに、この太市にはいなさそうだ。しかし、少し北のほうへ行くといるかもしれない。この近くに、野生動物はいろいろいるのだろうが、実際に、彼らを目で見ることは少ない。しかし、いたであろう痕跡が残る。キツネやタヌキは実際に見ることは少ないが、確かにいるようだ。今も、時々我が家にはアライグマが来る。それでも、猿の痕跡はないようだ。

 猿というものは、あまり良いものとしては表現されていないようだ。猿知恵、猿真似、猿芝居など、小賢しくて、少しずるいというようなイメージであろうか。実際の猿がどうなのかは知らない。

 今の世の中、猿芝居が多くないか。アメリカの大統領選挙の報道を見ていても、ゴリラか猿のような男が胸をたたいて大威張りをして人気を得ているようで、面白いが政治は見世物ではあるまい。そろそろ幕を下ろしたほうが良さそうだ。安保法制についての安倍晋三の絵を使った説明も、猿知恵の猿芝居そのものに見える。人々が、猿芝居に踊らされるのは、日本もアメリカも同じかも知れない。

 見ざる、聞かざる、言わざる、という言葉がある。日光東照宮の左甚五郎の彫刻でも有名である。見ざる、聞かざる、言わざるというのは、悪いことを見ない、悪いことを聞かない、悪いことを言わない、ということらしい。悪いことに近づかない、悪いことに触れると悪いことに誘惑される、ということであろうか。教育の仕方でもあり、人の生き方でもあろう。

 しかし、現代では、見ざる、聞かざる、言わざるでは困る。これだけメディアが発達し、あまたの情報が飛び交っているのである。目を覆い、耳を塞ぎ、口を閉じても、溢れるばかりの情報が入ってくる。テレビをつければ、コマーシャルの番組ではないかと思われるほどにコマーシャルが続き、これ買え、さあ買えと誘惑してくる。相変わらずの強欲の世界である。

 この溢れるほどの情報を、人々は把握し、処理できるのか。溢れるほどに無視することにもなろう。人の能力はたかが知れている。猿より毛が三本多いだけだろう。

 しかし、政治の世界では、それでは困る。国民主権、民主主義であれば、国政に関する情報は、あまねく国民に伝えられなくてはならない。しかし、どうやら今の政府は、情報を隠したがっているようだ。見ざる前に、見せないのである。さらには、メディアを恫喝して、言わせないようにもしているようだ。

 猿知恵の猿真似の猿芝居をする政治家たちの本心を見抜き、真実に耳を傾け、言うべきことを言わねばならない。

  春雨や 山を映して 近うなる

2016年   5月1日    崎谷英文


朝霧

 朝霧が深い。春の朝、時に霧がかかるのだが、今日は、特別に深く感じる。トラックのフロントガラスの朝露をワイパーで払って走らせると、前方十数メートル先が、白いスクリーンのようになる。深い森の闇の中に取り残されたように錯覚し、これも面白いと思っていると、突然前方から対向車が現れてびっくりする。

 俳句では、霧は秋であり、春は霞みと決まっているようだが、誰が決めたのか。しかし、霞か雲か、というぐらいで、春の霞は、山にうっすらとかかるようなものを言うのであろう。天気予報では、春でも秋でも霧、濃霧である。太市の里は、小さな盆地であり、霧はかかりやすいと思われる。視界が十数メートルにしかならないようなものは、霞とは言い難い。今は、ひんやりとして涼しい。

 今週は、痛いことが多かった。筍が、今年は例年よりとても早く出てきて、もう出終わるのではないかと、皆が心配している。そんな中、筍を掘りに行った。筍を掘るということ自体、結構な全身の重労働で、無理をすると決まって後から身体中が痛くなる。丁寧に形よく掘ろうとすればするほど、なおさらに身体を使う。それでも、いくつか掘って袋に入れた筍を、坂の小道を引きずるように降りていた時、強かに額を打ち付けた。

 直径十センチほどの枯れ木が、その坂道の中途に真横に倒れかかり、丁度目の上の辺りの高さになっていたのだが、それは承知していたはずなのに、筍を引っ張りおろすのに気を取られ、右目の上の頭をぶつけた。痛かった。一瞬くらっと来たのだが、たいしたことはなさそうだ。しかし、久しぶりにたん瘤を造る羽目になった。

 太市で、筍祭りというものを毎年するようになっているのだが、村の地区の班長ということで、少し手伝わなければならなかった。交通整理などして、まあ盛況に終了し、テントを畳んだ。運動会に使うようなテントで、数人で脚を畳んで、下に落とすとき、左手首をテントの鉄棒で、強かに打った。痛かった。青痣が今も残る。この痣は大きい。虐待されていることを隠すように、袖を伸ばす。

 寄る年波は、筋力を衰えさせていて、年毎に力仕事が面倒になってくるのだが、この太市も世間以上に高齢化が進みながら、英太よりも年上で元気な人が大勢いて、彼らが筍掘りも田んぼ仕事も頑張っているのを目の当たりにすると、怠けてはいられない。しかし、これからますます、高齢化していくことを思うと、筍山や田んぼはどうなることやらと心配になる。

 しかし、以前何かで読んだことがあるが、概して田舎の人たちは元気で長寿が多いらしい。それは、田舎の人たちは、常日頃、肉体労働をしているからということらしい。確かに、太市でも高齢の人たちがせっせと毎日のように、畑や田んぼに入って身体を動かしている。

 都会の人たちは、ジムに通ったり、プールに行ったり、時々ゴルフをしたりしているのだろうが、田舎の人たちは、そんなことはしなくても、日常体を鍛えているという訳である。それに、農業というものは、存外頭を使うことでもある。田舎の人のほうが、痴呆症になる人は少ないのではないか。

 この熊本地震では、いまだ多くの人が避難所に集まっているが、どこの地区か忘れたが、避難所に集まりながら、みんなで食料を持ち合って、自炊、自給をしているところがあるらしい。田舎なら、米と野菜はあるであろうし、鶏を飼っている人もいよう。都会では、水道、ガス、電気がなければ生活は困難になるのだろうが、本来、人は、そんなものがなくても生きてきたはずで、井戸水、川の水を使い、薪を用いて生きていけるはずだ。

 そういったたくましさというものが、近年なくなっている。それが文明生活ということなのだろう。自然の中に放り出されて生きていけないというのは、何か寂しい。

 小一時間も経たないうちに、霧は晴れた。しかし、空はどんよりとした曇り空だった。

  竹林に 春の光は 風となる

2016年   4月25日    崎谷英文


熊本地震

 熊本で大地震が起きた。人間の浅知恵をあざ笑うかのように、東日本大地震から5年後、今度は九州で、震度7を記録する大地震が起きた。気象庁は、この後ある程度の余震があるだろうと予測したのだが、その予測を裏切るように、一日経って、先の地震のマグニチュードを超える大きな地震が起きた。

 その後、気象庁は、これこそが本震とし、先の地震を前震とした。つまり、解ってはいなかったということであろう。もし、今後さらに大きな地震が来れば、それが本震となるのであろう。

 その後も大きな地震が続き、その震源の位置は北東にずれて行ったり、南西にずれて行ったりして、人間の予測能力を超えたものとなっている。気象庁自体、これまでにない連続地震のパターンであることを認め、これからどうなるかと言う確かな予測は難しいとする。

 断層は、大地の避けた跡であり、過去の地震によりできたものと考えられている。活断層は、活動した記録、痕跡のある断層である。中学の理科でも習うが、断層には、正断層、逆断層、横ずれ断層がある。

 熊本のその付近には、布田川断層帯と日奈久断層帯とがあり、九州地方には南北に引っ張る力が働いていて、それらの断層帯で、横ずれ断層が起こりやすいのだと言う。確かに、テレビで映し出される畑では、2メートル程の横ずれの亀裂が見える。大地が裂ける。

 今回の地震は、深さ10キロメートル程で浅く、マグニチュードは7・3で、東日本の大地震の時の9・0よりかなり小さいのだが、浅いからこそ震度は大きくなる。将棋の駒を使った山崩しと言う遊びがあるが、一つずれると他のところがずれるというふうにして、地震は連鎖する。

 科学の進歩は著しく、地球内部のことについても、多くのことの解明が進んでいる。しかし、ウェゲナーの大陸移動説が認められるようになったのは、僅か50年ほど前であり、プレート・テクトニクス理論が認められたのは、もっと新しい。

 地球の表面は、プレートと呼ばれる10数枚の固い岩盤が組み合わされている。海嶺(海底山脈)のところで、地球内部からマグマが噴き出し、そこでプレートは左右に引き裂かれて、動いていく。そのプレートは、反対側の端で、別のプレートの下に沈み込んでいく。

 日本列島は、環太平洋造山帯に位置し、日本列島の下では、太平洋プレートがユーラシアプレートの下に沈み込んでいる。太平洋プレートは、ゆっくり動いている。ハワイと日本は1年で、約8センチメートル近づいていると言う。太平洋プレートがユーラシアプレートの下に滑り込んで押し下げ、その反動が大きな地震になる。東日本大地震は、そのようにして起きた。海の底で起きると、津波も起こる。

 日本列島の南には、もう一つフィリピンプレートがあり、三つのプレートの関わり合いにおいて、南海トラフの大地震が警戒されている。

 日本列島は、地震も多く、火山も多い。プレートとプレートの重なり合うところでは摩擦により岩盤が溶けマグマが生じ、マグマ溜りとなって、それが火山の元になる。阿蘇の噴火と今回の地震は、関係がないのか、プレートの動きと今回の地震は関係がないのか。本当のところは解っていないのではないか。

 文明というものは、便利で豊かな生活を作り出したのであろうが、今、それに頼り過ぎているのではないか。所謂、ライフラインと言われるような水道、電気、ガスというもののインフラが破壊されるとき、人々の生活は急激に困難になる。たとえ住宅自体が耐震構造建築で破壊は免れたとしても、インフラによる外部からの供給が途絶えると、たちまち生活は困難になる。交通、流通が遮断されるとなおさらであろう。

 天と地の異変を、確実に予測などできないのが実状であろう。人間は、偉そうに立派なものを造っていくのだが、結局は、造り出しては壊されていき、また造り直すことを繰り返している。

  地の震う 崩れし山に 春の月

2016年   4月18日    崎谷英文


ポトラの日記20

 吾輩は猫である。名前をポトラと言う。どこで生まれたか、およその見当はついている。相棒の裏の離れの縁の下の隅っこのほうだろう。人間と同じように、もちろん記憶として生まれた時のことを覚えているはずもないのだが、兄弟三人で、この辺りを嬉しく走り回っていたことは覚えていて、何しろ、子供の頃の記憶といえば、この辺りしか知らないのだから、きっとこの辺りで生まれたのであろう。

 とは言え、誕生日などというものも分からないので、ハッピーバースデイの祝いなどしてもらったことはない。それでも、確か生まれたのは5年前で、僕は5才になるはずである。昔、相棒が聞いたことによると、人間の家で飼われている猫なら、15才ほども生きるが、野良猫なら5年ほどの平均寿命だということなのだ。僕のような半野良はどうなのだろうか。これまでに家族を亡くし、多くの知猫の死を見ている。

 相棒が、僕の子供の頃、つまり僕が子猫だった頃の写真を見せてくれるのだが、これがまた、自分で言うのも何なのだが、とてもかわいい。いや、今だって頗るかわいいと思っているのだが、小さい頃は、また格別である。人間もそうなのかと思って、表の通りを若い母親が乳母車を押しているその中を覗いてみたことがあるのだが、やはりかわいいではないか。猫も人間も、子供はかわいいのである。

 人間というものは、成長するにつれて、憎たらしく残忍になっていくものなのか。僕ら猫も、成長するにつれて、幾分生きる術として冷徹な心情を持つようにはなるのだが、人間ほど冷酷になったりはしない。人間というものは、少しは賢いらしいが、その小賢しさが、人を殺め、人を傷つけることに、適当な理由をつけて正当化して、自分こそはとばかり、他人を蹴落として生きることを良しとしている。

 人間には、僕ら猫の持ち合わせていない、猫には理解できない虚栄心というものがあるらしい。それは良く言えば、自己保身のための自尊心の表れなのであろうが、偉そうにしたり、威張り散らしたりしないと心が落ち着かないものらしい。僕ら猫も、元々は野生であり、生存競争の中で生きてはきたのだが、人間のような厄介な虚栄心などというものは持っていない。猫に小判などと言うが、むしろ猫は、小判などに目は眩まないのだ。

 みんながみんな、威張り腐って生きていくことはできないだろう。威張るためには、威張る相手が要るのであり、威張られるほうは堪ったものではない。しかし、威張られるほうも、心得たもので、自分も威張るほうになろうとして、威張る相手を探すのである。時に威張る相手がいないと、僕ら猫に八つ当たりする輩がいるので困ったものである。

 威張り、偉そうにしている人間たちは、力でもって相手を抑えつけようとするばかりでなく、言葉巧みに相手を手懐けようともするらしい。醜い邪心、野心を隠しながら、もっともらしい弁舌を弄して、相手を抱き込むのである。時に、猫なで声とか、猫を被ったりするとか言うが、僕らは人間のような裏の疚しい企みなど持ったりしない。その言い方は、猫を馬鹿にしている。

 その点では、僕の相棒は、実際偉くもなく能力もないせいかもしれないが、おとなしいものだ。奥さんに偉そうにされても、僕を蹴飛ばしたりはしない。逆に、僕に猫なで声で近寄ってきたりする。そんな相棒を、少しはかわいそうになり、僕は暫く相手をしてやるのである。どうやら、相棒は、夜の塾というもので、いたいけな子供たちに偉そうにして憂さを晴らしているようだ。

 その上、人間は、恨みとか怨念とか言う、厄介な心情も持ち合わせているらしい。恨みを晴らし、怨念を相手に思い知らせないと、心から満足できない輩が多くいるようだ。そんな連中が、時に事件を起こしたりする。恨みの連鎖、怨念の増幅が、人間世界の戦争の歴史の一因でもあろう。僕ら猫には、そんな恨みや怨念の心情はない。猫を殺せば七代祟る、などと言うのは、無闇な殺生を戒めるもので、本当ではない。

 戦争法案、憲法改正しての再軍備の裏にも、太平洋戦争の罪と悲惨さを忘れ、アメリカに負けたという恨みをいつか晴らすのだという、国粋主義者たちの怨念が隠れているのではないか。

 猫も人間も、生まれたばかりの無垢のかわいらしい姿を思い出そう。

  昼寝する 猫を包みて 花吹雪

2016年   4月10日    崎谷英文


書写の山

 故あって書写山に登る。登ると言っても、麓からロープウェイで山の峰、入山道まで運んでもらう。たかだか370メートルほどの山であり、下から登山道を行ってもいいのだが、1時間ほどかかるらしい。若い頃、ロープウェイを使わずに登ったことがあるが、さすがにこの年になると、覚悟しないと登れない。

 僅か5分足らずで、山頂に到着する。ロープウェイの籠の後ろから、姫路の街が一望できる。みるみる家が小さくなって、晴れた日には瀬戸内海が見渡せ、淡路島も見えるらしいが、その日は生憎曇りがちで、遠くは霞んで見える。姫路が一望できると言っても、姫路城は丁度小高い丘のような山の陰に隠れて見えない。秋には、鷹の渡りが見られると言う。

 桜の花が開き始めた頃で、左右の山の所々のぽつりぽつりとした彩りが、春を教える。ウイークデイの朝、乗り合わせた人は10人にも満たない。小さな子供を連れた家族、二・三人連れの老人、一人旅らしい若者に外国の若い女性。

 ロープウエイを降り、入山道に入ると左手に鐘突き堂がある。昔は、歩くのが辛い人のために馬車があったのだが、今はマイクロバスになっている。山の峰を歩いていく。結構な起伏で、上り下りの坂道が険しい。10分程で仁王門に着く。子供の頃の薄っすらとした記憶では、左右に仁王像がいたのだが、今はない。ボロボロだったので、取り壊されたのであろう。門だけが残る。

 仁王門までの道の所々に、寄進されたのであろう、いくつかの観音像が立っている。観音像にもいろいろあり、千手観音、十一面観音、如意輪観音、馬頭観音など、様々である。本来、観世音菩薩と言い、世音、衆生の声を掬い取る菩薩であり、無限に変化身して、救うと言われ、三十三変化身とも呼ばれる。この書写山は、西国三十三か所札所の二十七番札所でもある。信じる者こそ救われるのか、ひと時の慰めか、人の世の苦しみは続く。

 仁王門から寿量院、円教寺会館等を横目で睨みながら過ぎ、魔尼殿に着く。手前に、弁慶のお手玉石がある。とても人が持てるような石ではないのだが、怪力の弁慶は、それをお手玉として遊んでいた、と言う伝説である。弁慶は、鬼若丸と名乗っていた若い頃、この書写山で修行をしていた。義経記には、その頃の弁慶の所業が様々描かれている。弁慶の鏡井戸というものもある。伝説も、信じれば楽しい。

 清水寺仕様の舞台造りの魔尼殿をさっと見て廻った後、大講堂、食堂、常行堂の三つの堂の並ぶ敷地に入る。様々な仏像が安置されている。ここは、映画やドラマのロケ地によく使われる。

 書写山円教寺は、平安中期、性空上人の開山とされる。性空上人は、比叡山に学び、その後、966年、37歳の時、書写山に入山した。時の花山法皇が上人に帰依し、その庇護、援助により、西の比叡山と言われるほどに隆盛をなした。

 歌人で有名な和泉式部は、上人の徳を慕って書写を訪れたが、上人は栄華の人との交わりを避け、居留守を使った。和泉式部は、その無念を「暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月」と詠んだ。それを聞いた上人は、一行を呼び戻し、熱心に法を説いたと言う。これも伝説である。

 三つの堂を後にして、奥の院に進む。そこにもいくつかの仏像が安置されているが、山の静けさはいや増す。院を出ようとすると、コンコン・コンコンと音がする。どこかで工事をしているのか、木を切っているのかと訝しく思って、その案内所の若い僧に聞くと、啄木鳥だと言う。赤い衣を纏った親切な若い僧は、指さして、啄木鳥を示してくれる。目を凝らしてみると、すぐ近くの木の朽ちた枝の下で、啄木鳥が懸命に頭を動かしている。

 啄木鳥というもの、どこかで音で聞いたことはあるが、実際にその姿を見るのは初めてだっただろう。虫をおびき出すために、啄木鳥は木をつつく。その木は確かに、虫に喰われているのか、木の皮が剥げている。

 その若い僧に、良いものを見せていただきました、と合掌して別れた。

  啄木鳥の 生きる姿や 書写の山

2016年   4月3日    崎谷英文


春のある日

 年を取ってくると、精神というかこころというか、そういったものも落ち着いてくるのではないかなどと、若い頃は思っていたものだが、いざ年を取ってみても一向にこころが沈着冷静になりそうな気配はなく、ますます、他愛もないことに焦り、不安になり、邪念が行き交い、苦悶する日々が続く。

 俗世の欲望など、もうとっくに捨て去ったつもりになっていたものだが、華やかな生活を垣間見せつけられると、不覚にもこころが揺れる。

 昔から、修道僧とか修行僧とか、俗世を離れ、神の世界、仏の境地に辿り着こうとする人々は数多いたであろうが、一体そのうち、本当に神を見たり、悟りに至ったりした者は、どれだけいたであろうか。

 古今、人々は、この世の空しさを覚りながら、自覚せずともその空しさを仄かに感じ取りながら、ただ、現世の生業にかまけるばかりで、常日、死を思いながら生きていくことなどないのが、凡人の当たり前の生き方だったであろう。

 年経るにつれ、親や親族、近しい人たちの死に接することにより、やはり、人は死すべきものと改めて思わされても、自分自身の身にそれをまともに当て嵌めて改心するなどというのは、余程の信心者でなければめったにない。メメント・モリ(死を思え)などと言われても、どうやら人は、現実としての己の滅亡を想像しながら生きていく訳ではなさそうで、また、そうであるからこそ、平気で生きている、ということなのだろう。

 人は生まれ死に、代替わりしていくのだが、人の歴史というものは、その人自身のみのものではなさそうだ。親がいて、祖父、祖母がいれば、子や孫たちもいるかも知れない。自分一代のいのち、歴史を生きているのではない。先祖のいのち、先祖のこころは、思わずとも、自身の身体に潜んでいて、その人を形作っているのやも知れず、記録も記憶もない遠い過去を内に秘めながら、人は生きているのやも知れぬ。

 記憶の中にある父や母というものは、もちろん生きていく礎として、善くも悪くもその人を物語るのだが、見たこともないような、あるいは、ほとんど会ったこともないような人でも、父、母を古く遡れば縁のあった人だと知れば、訳もなく懐かしくなるのは、どういうこころのいたずらか。

 その昔、ルーツ探しが流行したことがあるが、今また、テレビで誰それのヒストリアなどという番組が流れている。やはり、人は、今の今のみを生きているのではなさそうだ。

 よく、過去のことなど関係ない、今と今からこそが大事なのだと言われるが、それは一面全くその通りでもあろうが、今の自分は、過去からの蓄積のある自分であって、言ってみれば、過去をひっくるめた自分なのであって、過去など関係ないなどというのは、見当違いであろう。

 過去のことをくよくよ悩んで恥じ入って、過去の罪咎を感じて生きていくのはよくない、過去はきっぱりと忘れ去って生きるのだ、という言説はよくあるが、幾らそう言われても、こころ優しく、純情であればあるほど、そんな心境になれるわけがない。過去を忘れろとは、人でなしになることでもあるまいか。人は過去を背負って生きているのであり、生まれ変われるわけもなく、幾ら両腕を回しても変身などできるはずもない。

 とは言え、個人の過去を他人からとやかく言われる筋合いもなく、前科などがあったとしても、それだけでは社会の他人たちには関係がない。この世では、悪いことをして捕まらなかった極悪人が数多いて、そんな極悪人にこそ、過去の罪悪は纏わりつくのであって、刑罰を受けた小悪人は、自分自身その罪を背負うのは仕方がないにしても、社会的にどうこう言われる筋はない。

 過去の過ちは、その人を苦しめるが、苦しむからこそ、その人にとっての道しるべになる。どうやら現代は、過ちを過ちと認めないでいようとする風潮で、そのことは、もうとっくの昔の、実はそんな昔ではない、太平洋戦争の責任を本当の責任者が取ることもなく戦後が進んできたことからの延長であるやも知れず、そうなると、恥や罪はどこへ行ったのやら、何の反省もなく、同じことを繰り返すことになる。

 自分自身の一代の歴史だけでなく、ずっと昔の先代の歴史、そしてその罪も、人は背負って生きてゆく。そうでないと、過ちは繰り返される。

  種を蒔き 爪を洗ひて 日の暮れぬ

2016年   3月27日    崎谷英文


平和と安全

 先日、テレビのニュース報道で、ヒットラーがどのようにして、あの独裁政権を形作っていったのかに関しての放映があり、偶々見ていた。

 ドイツは、第一次世界大戦で敗北し、戦勝国に対する多額の賠償金債務を負いながら、当時、最も民主的で、平等で、社会権を大幅に取り入れたワイマール憲法を制定した。その憲法においては、基本的人権の尊重、国民主権が規定され、国会による民主的チェック、民主的抑制機能というものが、十全に保たれるであろうと思われた。法律というものは、国会の多数による承認がなければ制定され得ないと思われていた。

 しかし、ドイツナチス、つまりヒットラーは、政権を取るや、その憲法の国家緊急権条項を利用した。国家の非常時、緊急時において、議会を通さずに、行政府が単独で法律を定めることができるという条項である。

 世界恐慌という経済的困難が幾らか和らいだ頃、1933年1月、ヒットラーは首相になり、その2月の自ら仕組んだ国会議事堂放火事件を契機として、その年の3月に、以後4年間、政府に立法権を与えるという全権委任法を成立させた。つまり、今が国家の緊急状態だとして、憲法を改正せずに、民主的手続きを経ない法律の制定を可能とする法律を制定したのである。そうして、まさしく、人権を制限し、全体主義になっていく。

 しかし、その全権委任法を成立させるためには、それは国会の承認を得なければならず、それは、ナチス・ヒットラーが政権を握っていたからこそできたのである。では、ドイツ国民に、総選挙でナチス・ヒットラーに投票させた要因は何か。

 ヒットラーの側近で、宣伝を担っていたらしいゲッペルスの言うことによれば、平和と安全のため、と宣伝すれば、国民は付いてくる。危機状態を演出すれば、国民は不安になり、恐れ、政府に賛同し従うのだ、と言う。ヒットラー自身、ドイツ国民の平和と安全のため、と言う演説をしている姿が映し出される。

 1933年、ナチス・ヒットラーは、徴兵制を復活させ、再軍備を宣言する。共産主義を敵とし、ゲルマン民族の優越性を強調し、ユダヤ人を排斥し、大量虐殺していく。1939年9月、ドイツは、ポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まる。

 平和と安全のため、と言うスローガンは、悩ましい。誰も、平和と安全のため、というその目的自体を否定することはできないだろう。しかし、平和と安全のためと言いながら戦争をすることは、明らかに自己矛盾であろう。しかし、人類は、全くそのことを繰り返し行ってきているのである。

 安全が脅かされている、平和を守るのだ、と言いながら、戦争の準備をする。平和、安全を大義名分にする時、それは緊急状態に似たような状況になり、安全のために秘密にするとして、国民は情報から遠ざけられ、戦略は国民には共有されず、国民は政治から切り離されていく。ただ、政府を信じろと強要される。国家、国民を守るのだ、そのためには、国民は、一致団結しなければならないとして、自由な発言は封じられる。

 そうやって、全体主義体制が出来上がっていく。嘗て日本が辿って来た道である。

 今、国民のいのちと生活を守るのだと言って、戦争のできる国、戦争をする国にしようとし、既成事実を積み重ねようとしているのが、安倍政権である。国民のいのちと生活を守る、何と聞こえのいい言葉だろう。こんな言葉に、大衆は騙されていく。敵を作り、国民を不安にさせ、恐怖心を抱かせ、いのちと生活を守るのだから、言うことを聞きなさい、と国民を脅しているのである。

 そして、安倍政権が目論む憲法改正で、真っ先にやろうとしていることが、国家緊急権の制定らしい。これこそ、平和と安全のためと言う名目で、いざと言うとき大事なことだから、と言って、憲法に盛り込もうとしているらしい。ひとたび、緊急事態と宣言すれば、政府が勝手に法律を作ることのできる権限を得て、人権も制約できることになる。どう考えても、戦争への備えであり、戦争への道造りであろう。

 国民は、平和と安全のため、いのちと生活を守るため、と言う言葉に惑わされてはいけない。知らず知らず、恐ろしいところに連れて行かれる。

  春の風 帰らぬ春を 呼び覚ます

2016年   3月19日    崎谷英文


花粉症

 ひととき、四月・五月のような陽気だったのが、久しぶりに雨になり、その雨雲が寒気を呼び戻したのか、冬に逆戻りしたように気温が下がった。一度しまっておこうとしたコートを再び着る破目になる。全く持って、自然というものは、人間たちをもてあそぶように、気ままなものである。

 若い頃には、花粉症などというものには無縁だったのだが、ここ数年前ぐらいから、春と秋に、鼻がぐしゅぐしゅし、喉がむず痒く、眼がしょぼしょぼするようになり、もしかしたら、花粉症ではないのかと疑うようになった。

 どうやら、春の花粉症らしきものは、時季的に見て、ヒノキ花粉のせいだと思われる。ヒノキの花粉は、スギ花粉の終わる四月頃から飛び始めるらしいのだが、用心のため、今はスギ花粉の最盛期でもあり、スギ花粉でもアレルギーが出たら困るので、外へ出る時は、マスクを付けるようにした。受験のシーズンでもあり、風邪、インフルエンザ対策にもなる。秋の花粉症らしきものの原因は、ブタクサか何か、秋の草だろう。

 花粉症というのは、アレルギー症状の一つだと言われる。ある特定の外からの異物、つまり自分自身の身体の一部でないものに対して、過剰に反応したものだと言う。人の身体は、人でなくても他の動物たちでもそうであろうが、とても精巧、緻密な仕組みでできていて、外から侵入してくる害となるものを、敵と看做して排除しようとする。これを免疫反応と言う。

 他にも、害となるものを食べた時、下痢をするのも、その異物を早く体外に排出しようとする防衛反応だと考えられる。だから、無理に下痢を止めることもない。普通の食べ物にアレルギー反応を示すのが、食物アレルギーであり、可哀そうだが、少なからぬ人が、何らかの食物アレルギーを持っているように思う。

 花粉症というものも、大して害のない花粉を、敵と看做して侵入を拒もうとして、鼻、喉、眼の粘膜が過剰に反応して起きる。花粉症にならない人は、その花粉を敵とせず、寛容に受け入れることのできる人と言うことになる。わざと敵を作って、防御しようとすることはよろしくない。今の社会状況に似ている。

 もちろん、余りに多く花粉が入ってくることになれば、これは駄目だと拒絶反応をするのだろうが、そのことが度重なると、少量の花粉に対しても反応してくるのではないか。若い頃は、大丈夫だったのが、年を取ってから花粉症になったりする。

 なんとなく、少数の移民、難民ならば受け入れるが、余りの多数になれば、もうやってられないと拒否しようとする、今のヨーロッパの状況に似ている。

 もちろん、難民と言えど、同じ人であり、決して異物ではないのだから、同居するのに支障はないはずなのだが、国家、国民の単位で見ると、やはり、異物と看做されてしまうようで、そうなると、アレルギー対策の薬が必要となる。日本は、このアレルギー症状が酷過ぎるようだ。

 このアレルギー反応、免疫反応は、外からの異物に対しての反応なのだが、その仕組みが狂うと、自分自身の身体の一部でありながら、それを異物と認識し攻撃したりする。これが自己免疫疾患、自己免疫不全というものらしい。この自己免疫不全の病気が、今、とても多いように思う。多くの病気が、この自己免疫と関連しているのではないか。潰瘍性大腸炎、膠原病、リュウマチ、円形脱毛症も、この自己免疫不全と言われる。

 この自己免疫不全というものも、アレルギーと同じで、免疫の過剰反応の一種であろう。アレルギーが、外からの異物への過剰反応であるのに対し、自己免疫不全は、異物ではない自己に対して過剰に反応する。アレルギーは量的に、自己免疫不全は質的に、過剰に反応する。

 人の世も、いろいろな人が集まって、一つの社会を形作っているのであり、誰をも異物と看做してはいけないのではないか。一部の人を虐げたり、苦しめたりするのは、自己免疫不全である。

 また、一部の人だけに利益が集中することは、全体を損ない、社会をおかしくする。人の身体でも、例えば、甲状腺機能亢進症とかは、一部の機能が活発になることによる病気である。

 いずれにしても、年老いていくと、免疫機能は衰える。

  玉葱の 葉に寄り添うて 蓮華咲く

2016年   3月11日    崎谷英文


ポトラの日記19

 今日は、二十四節気の内の啓蟄である。啓蟄とは、冬籠りしていた虫たちが地中から這い出る日と言われる。確かに、昨日辺りからめっきり春めいてきていて暖かい。庭先の白梅も、すっかり満開になったようで、土手の桃の花も咲き誇っている。蓮根畑の片隅に作られたメダカ用の小さな池にも、今まで、底深く隠れていたメダカが、ちらほら春の光の中で泳ぎだしている。

 相棒は、三月に入ってやっとジャガイモの種芋を植えた。畑の土を耕すと、小さなミミズがくねくねと転がり出る。相棒は、ジャガイモを植えて余ったところに、ついでのようにキャベツなどの苗を植えている。ハクセキレイやヒヨドリ、ジョウビタキなども心なしか、楽しそうに飛び回っているように感じる。

 猫は犬よりいい加減で、人間にきちんと寄り添わない気ままな生き物のように言われる。僕たち猫に関しては、余り良い諺もない。猫に小判、猫ばばとか猫を馬鹿にしているではないか。猫の額などと、僕らの容貌さえ笑い話の種にして、人間は本当に傲慢な生き物だ。忠犬ハチ公と褒めたたえはするが、忠猫タマはいない。

 人間が猫をどう思おうがいいのだが、僕たち猫は、実は自由なのだ。気ままに見えるのは、自由な証拠で、犬のように人間に飼い馴らされたりしないのだ。駅長のタマにしても、結構自由に生きている。部屋の中で、外に出られないように飼われている猫たちは、そんな自由を知らずに生きているのであって、可哀そうなのだ。本来の猫、野良や半野良は、自由なのだ。

 犬にしても、小さな犬は家の中で飼われ、大きな犬は外の犬小屋で飼われているのであろうが、どちらにしても、外へ出る時は、鎖につながれていくしかない。元々オオカミだった犬たちには、もはや野生の自由はなくなっている。

 僕は、昼間は、割と相棒の家の縁側とか、畑の草の上とかで寝そべっていることが多いのだが、しばしば自由の虫が蠢く。特に、こんなに春めいてくると、ぶらっと何所かに行きたくなるではないか。川の土手を歩いて、人間たちの気付かないような春の草の息吹きを感じ取りながら、ゆっくりと流れる温んできた川の水を横目に、のんびりと歩くのは気持ちがいい。おっ、小さな虫。やはり、啓蟄だ。

 この間、村の中に入っていく橋に通りかかった時、電柱の上に監視カメラが据え付けられているのが見えた。思わず、身を隠そうとしたが、僕の敵がそのカメラを見ることもなかろうと思い直した。人間たちは、こんなにも監視し合っているのかと可哀そうになった。こんな太市にも監視カメラがあるとは、人間社会は住みにくい。人間たちは、気持ち悪くないのだろうか。

 街の中では、至る所に監視カメラがあり、コンビニやスーパーの中では、当たり前のようにカメラがある。犯罪の防止、捜査に役立つと言うことだろうが、常に見られているということは、気分が悪くはないのだろうか。人間の相互不審、相互不信を助長しているのではなかろうか。

 悪いことをしていなければ、見られようがいいではないか、堂々としていればいいなどと言われるが、誰も見ていないと思って尻を掻いたりするとカメラが見ていたと言うのは、気分が悪い。人を見たら泥棒と思えの典型で、心の休まることのない住みにくい世の中にしてしまっているのではないか。

 どうやら、人間の社会は、どうしようもない監視社会になっているようだ。人間たちは、見られているという社会の中で、お互いに監視し合い、行動は委縮する。権力者たちは、監視しているぞと見せて、人々を管理し、操作し、操縦しようとし、実際監視しているのである。もうすでに、カードデータやパソコンの検索データなどは、いろいろな所にばら撒かれ、ビッグデータとして、広告、宣伝、勧誘、大衆操作に使われている。

 マイナンバー制度となると、人は名前ではなく、番号で呼ばれることになって、番号で監視され、管理されてしまうということだろう。

 僕は、人間でなくて良かった。僕は、ポトラで、番号で呼ばれることはない。

  啓蟄や 青葉を残し 花落つる

2016年   3月5日    崎谷英文


白い象

 この間、姫路駅の今ならフードコートとでも言うのであろうか、それは、昔高校時代からもあった、たこ焼き(明石焼き)、イカ焼き、アイスクリームなどを売っていて、そこで食べることもできる場所だったが、姫路駅が大規模に改築され様変わりして、所を変えて同じような場所があり、そこで吉田とたこ焼きを食べながらビールを飲んでいた。昼過ぎだったが、もう充分アルコールの入った後だった。

 昔の姫路駅には、駅ビルという建物が立っていて、二階か三階に、文化ホールという映画館があった。最新の映画を上映しているのではなく、昔の名作映画、短編映画などをよく上映していた。普段は、自転車で学校に行っていたのだが、雨が降ったりして面倒な時には、姫新線を使って姫路駅から学校へというコースを取っていた。その帰りに、一時間、二時間、時間があればその文化ホールに入っていたものだ。

 当時、映画を見る料金が幾らだったのかは忘れてしまったのだが、文化ホールは、外の大きな映画館に比べて、相当安い料金だったような気がする。高校生の小遣いで見ることができたのだろう。定期試験の時などは、学校も早く終わり、不良仲間とも別れた後、その文化会館によく行っていたような気がする。もう忘れてしまったが、かなりの数の名作を見た気がする。「禁じられた遊び」も、そこで見たのではなかっただろうか。

 その駅ビルのやはり、二階か三階に食堂があり、そこのオムライスが好物だった。小学生、中学生の頃、母や祖母に連れられて姫路に行った時には、その食堂でオムライスをお替りして食べたこともある。しかし、高校生になってからは、専らその一階か地階にあっ たのだろう、そのたこ焼きやイカ焼きを売っている場所でよく食べるようになった。明石焼きなのだが、ソースを塗って出汁に浸けて食べる。当時は、今よりずっと安かっただろう。

 夜の仕事もあるので、そろそろ姫新線に乗って帰ろうとした時、眼鏡がない。眼鏡は、半伊達のようなもので、自動車を運転する時とかに必要になるが、常には、頭の上にひょいと上げておく。その眼鏡が頭の上にない。何処かに置き忘れたのかと慌てたのだが、吉田が教えてくれた。それは、鼻の上にひっかかっていた。まるでよくある笑い話だが、それ以上に、情けなく思ったことだ。

 本当に、年は取りたくないものだと思うのだが、幾ら年は取るまいと思っても、アインシュタインの相対性理論を利用して、浦島太郎のように時間を遅らせない限り、こればかりは、非情にも止めることはできない。

 年を取るということは、生きている証拠かも知れないが、頭も身体も老いてゆくばかりで、老化を緩慢にすることはできても、決して若返ることはできない。ライザップなどと言う筋肉質の体に変身していくコマーシャルが流行っているが、そんなものは見た目の変化であり、頭も身体も、その内側では確実に老化している。一年ぶりに会う税理士さんに、何か変わったことがありましたか、と問われ、「年を取りました」と言うしかない。

 少し前、東京の叔父の葬儀で、久しぶりに従兄弟たちとも会ったのだが、みんな年相応に老いている。子供の頃の面影は残っているが、だからこそか、老いは隠せない。他人の事など言えたものではなく、自分自身、従兄弟たちには、老けたと思わせたであろう。「変わらないわね。」「とも子さんも変わらないですね。」などと言いながら、お互い、変わったな、と思っている。

 昨夜のテレビで、東京の井の頭動物園の69才の象の花子のことを放映していた。白い象である。ドキュメント72時間と言う番組で、人の集まりそうなある場所の72時間を追い、やってくる人たちの話を聞くと言う番組である。世の中、千差万別、通常のお笑い芸人の出てくるような、選ばれた人が演じるようなものではなく、老若男女、様々な事情を抱えた人たちの素顔が垣間見えて面白い。

 象の寿命は50才位だそうで、花子はかなりの長寿で、今の人間社会の超高齢者である。戦後すぐに其処にやって来たそうだが、動物園に行く度に、面白いのだが、反面気分はすっきりしない。人間の都合で、無理矢理、故郷、家族から引き離されて、こんな狭い所に閉じ込められているのである。花子は、故郷を思い出すのであろうか。

 しかし、人間も同じようなものか。故郷、家族とも徐々に疎遠になりながら、やはり、この世のしがらみに拘束されて年老いていくことは、花子と同じかもしれない。

  石橋を 渡るに揺るる 氷波

2016年   2月28日    崎谷英文


仮面

 本当の自分というものは何処にあるのだろうか。アイデンティティーということがよく言われる。アイデンティティー(identity)は、日本語に訳せば、主体性とか自己同一性とかになり、大辞泉(小学館)によれば、自己が環境や時間の変化に関わらず連続する同一のものであること、という説明がなされている。また、単に、本人に間違いないこと、身分証明という意味でも使われると記されている。

 今年の大学入試センター試験の国語の第一問に「キャラ化する/される子どもたち」(土井隆義)の文章が取り上げられている。キャラとはキャラクター(character)の略語で、キャラクターとは、性格とか人格とか、その人の持ち味、というような意味で、日本では、若い人たちが、それを縮めてキャラという言葉をよく使う。ゆるキャラなどと言って、ぬいぐるみのマスコットに対しても、今、よく使われる。

 その本では、着せ替え人形のリカちゃんなどの例を出し、今、リカちゃんは本来のリカ、ちゃんの物語の中のアイデンティティーを越え、他の物語の中で別のキャラを演じるようになっているという。そして、若者たちも、自分自身のキャラを自在に変化させ、その場面、その対人関係において、別のキャラを平気で演じているという。彼らには、アイデンティティーと演じるキャラとの間での葛藤というものは希薄に見える。

 その場その場で空気を読み、馴れ合いとまでは行かなくとも、臨機応変、その場の相応しいキャラを演じる。それは、リカちゃんが本来の物語を離れた別の物語の中で、リカちゃんなりのキャラを演じるように。そこでは、本心を隠し、自己主張を控え、和やかであるように、分かりやすいキャラを演じる。しかし、演じる者は、演じているということは意識していないのかも知れない。

 思うに、日本人というものには、アイデンティティーの確立というようなものは、ずっと無縁だったかも知れない。

 狭い世間の中で、与えられた価値観を疑うこともなく、その歴史的価値観に寄り添い、穏やかに暮らすことが一番であり、主体性というものは重要視されず、周囲についていくということが、好ましい生き方だとされてきたのではなかろうか。そして、大きな変化が起きる時でさえ、自己主張はせずに、大きな声、権威、大勢に付き従って生きていくことを選んできたのではなかろうか。

 しかし、自由とか、個人の尊厳とか、民主主義というものが浸透してくると、アイデンティティーというものが重要となる。自らの主体性において自由に考え、自分自身の生き方を求めていくということが大切なこととなる。社会環境、周囲の求めるようなキャラでない、自分自身のアイデンティティーに則った、自分自身の内部からほとばしるキャラというものが、人として生きるための重要な要素となる。

 今は、以前のようなあからさまな価値観の強制というものは難しくなっていて、むしろ価値観というものが多様化し、何が正しいのかということはそう簡単には見つけることができなくなっているのかも知れない。

 そうなると、ますます自分自身で考え自分自身で判断するということが必要なこととなるのだが、また考えるということが厄介なことで、本性怠け者の人間は、考えなくていいのなら考えることは止めようということになる。あるいは、考えることが面倒臭くなって、ただその場の雰囲気の中で、大勢に順じていく。

 考えることをしなくなった大衆、つまりアイデンティティーを持たない大衆を操作することなど、為政者にとってた易いこととなる。

 為政者たちは、もっともらしい言説を振りまき、それは仮面を被って本心を隠しているものなのだが、人々はその仮面に騙されてしまう。そうして、仮面の綻びが出てくると、その下の別の仮面を見せて繕っていく。それは、中国の技芸だっただろうか、顔を振ると新しい仮面、くるっと回ると新しい仮面になっていく、まるでそんな曲芸のようなもので、その下に隠された素顔の本心は決して見せない。

 建前と本音というものに近いかも知れない。本音を隠して、建前の美辞麗句で押し通すことにより、大衆を操っていく。戦争をしたいのに、戦争をしないためと言い張り、経済格差など気にも留めていないのに、強欲になればみんな良くなると言い張る。

 キャラを演じることに長けるのではなく、アイデンティティーを持って仮面の下をよく見なければならない。

  そろそろの 謀反の予感 春一番

2016年   2月21日    崎谷英文


夜の闇

 仕事を終え、部屋の電灯を消し土間の電灯を消すと、真っ暗闇になった。昔、何処かの寺で、闇の洞窟を地獄の世界として通行料を取って入らせるところがあったが、その時と同じ全く周囲が闇となり、自分の手さえ見えなくなった。電灯のスイッチを探るのだが、方向を間違えて壁にぶつかる。暫くすれば闇に慣れ、微かな光を捕らえることができるはずだと待つが一向に闇は消えない。身体をぶつけながら、漸くスイッチに辿り着く。

 外に出ると、見事な星灯りである。しかし、この星の灯りは、見上げれば煌めくように見えるのだが、光の量としては僅かであり、隙間だらけの古い家の中にさえ届かない。春節の過ぎた頃であり、月の光はない。春節は、旧暦の一月一日であり、月の満ち欠けで言えば新月に当たる。上弦の月ぐらいでも月があれば、木の影を作るほどにも明るいのだが、二日月、三日月では、夜遅くには月は沈みきって、星ばかりの空になる。

 オリオン座の三ツ星が真南の中空に光る。その三つ星を囲むように、四つの星がある。左上の赤い星、ベテルギウス、右下に青い星、リゲルがある。オリオン座の少し上の離れた左側に、こいぬ座の黄色い星、プロキオン、左下におおいぬ座の夜空で最も明るいと言われる青白いシリウスがある。ベテルギウス、プロキオン、シリウスで冬の大三角ができる。昼の間は、太陽系に閉じ込められるが、夜は広大無辺の宇宙を垣間見ることができる。

 しかし、本当は、もっともっと宇宙は大きい。目に見える範囲などたかが知れていて、その何億倍もの広さの宇宙が、視界の外に拡がっている。百三十七億年程前に宇宙が誕生したと言われるが、誰も証明はできない。重力波というものが初めて観測されたということで、宇宙の成り立ち、宇宙の有り様の解明が進むのではないかと言われるが、確かに宇宙の真相に幾らか近づくであろうが、その全貌を知ることは無理であろう。

 宇宙はあまりに大きく、人の能力はあまりに小さい。

 それは、仏になろうとして修行しながら、決して仏に成れないであろう人の姿でもある。仏に少しは近づいたと思ったとたん、更なる苦悶が待ち受けていて、何度も己の愚かさを自覚していく姿である。しかし、そうやって無限の修行を続けることが宿命となっているのが人かも知れず、科学的真実というものの追求も、何度も無知を自覚しながらの、また限りなく続くだけなのだろう。

 夜空を見上げれば、人の小ささがよく解かる。

 人の世は進歩したのだろうが、それがこの世のあるべき姿に近づいているのかどうか。甚だ疑わしい。生活としては、物質的に豊かに、便利になってきたのだろうが、良い社会、善い社会になってきているのだろうか。人々のこころは荒んでいないか。強欲の論理が世界を支配し、強欲の制度、強欲の組織が、この世に張り巡らされ、今や、人は生まれついた限り、その強欲の世界に放り出されるしかなくなっている。

 人類の始まりが、新しく八百万年前のゴリラの化石が見つかったということで、百万年程遡るかも知れないという報道があったが、その猿人からの歴史にしても、たかだか七百万年、八百万年であり、現生人類に至っては、ほんの十万年にも満たない歴史しか持たない。そんな現生人類、クロマニヨン人が何万年もかけて、アフリカから世界に拡がり、未開の地を開拓し、時に人間同士殺し合いをしながらも、何とか現代に至るのである。

 この宇宙の、この世の長い歴史の中のほんの僅かな歴史しか持たないちっぽけな人間が現代に生きているのである。僅か百年足らずの個々の人生、いのちを繋ぎ合って現代がある。人は生まれ変わるたびに強欲になっていくかのように、現代は、金銭欲、権力欲、自己顕示欲が大手を振るう。

 日本は、あの悲惨な戦争を経て、二度と戦争をしないと誓ったはずが、戦争をしたくてたまらない、巧言令色少なし仁の典型のような総理大臣が、権力欲、支配欲、名誉欲に憑りつかれた無能な政治家たちを取り込み、強欲な大衆には一時の幻の経済成長を喧伝することで操作しようとし、敵を作り愛国心を煽り、メディアを脅迫し委縮させ、戦争をする憲法に変えようとしている。

 そろそろ気が付かねば。現代人は、本当の闇を知らない。

  取り返しの つかぬ反省 冬の闇

2016年   2月13日    崎谷英文


寒い朝

 節分も過ぎ、暦の上では春がやって来たのだが、風はまだ冷たく、朝のトラックのフロントガラスには、霜が一面に下りている。

 今朝は、今までになく目覚めが遅かった。いつもならば、ふと目を覚まし、呆けたような頭を徐々に覚醒させるように、暫く意識をこの世に取り戻す作業をするのだが、今朝はどんな夢だったか思い出せないのだが、その遠い夢から一気に覚醒するように目を覚ました。枕元の時計を見ると、7時を過ぎていて、いつもより30分以上寝過ごしたことになる。

 その前々日は、東京の伯父の通夜に参じていて、よく歩いたこともあるのだが、身体的にも精神的にも疲れていたのが、解放されたせいかもしれない。久しぶりに人の遺体というものを見た。老衰で亡くなった98才の伯父の顔は、昔日の面影のないしゃれこうべに薄い皮を張ったようなまるっきり生気のない、それは最後まで生ききったという一塊の骸であった。生あるものは必ず死す、というこの世の無常を否が応でも感じさせる。

 年を取るということは、死に近づくことであるが、それよりも先ず、親しい人と別れることが多くなるということでもある。子供の頃、おじ、おばたちと伴に従兄弟たちが太市に集まって来て、遊んだことを思い出す。まだ若かった伯父の溌剌とした笑顔を思い出す。おじ、おばたちで健在なのは二人だけとなった。

 この世は、ますます高齢社会になっていく。保健、医療が発達し、人々が長寿になることは悪くないのだが、その為に介護の問題が大きくなる。伯父は、一人で長く暮らし、自ら健康に留意し、二年程の入院の後亡くなった。しかし、長生きしても、自分自身は死ぬまで元気でいて子供たちに迷惑を掛けないぞと頑張ろうとしても、誰もがそう上手くいく訳もなく、多くは子供たちに長く介護をされながらいのちを全うするしかない。

 もし、この世が人に優しい社会であるのなら、高齢者たちにこそ優しくなければならないだろう。今は、人々はもちろん長寿を願いながら、老後は大丈夫だろうかということを、若いうちから心配するような社会になっている。このことが、人々の生き方に伸びやかさを失わさせ、自由に生きることを躊躇わせているのではないか。老後の心配をする必要のない社会でこそ、人々は、自由に優しく生きることができるのではないか。

 今は、金持ちでなければ、老後が大変になる、子供たちに迷惑がかかる、だから金を貯めこんでおかなければ、という人が多いのではなかろうか。現に、裕福な老人たちは、高い金を払って豪華な施設に入ることができ、貧しい老人たちは、あるいは一人で狭い部屋で質素な食事で暮らし、あるいは子供たちに疎まれながら世話を受け、あるいは強欲な業者になけなしの金を取られて小さな部屋に閉じ込められていたりする。

 経済発展などと言う前に、大切なことは、老後を保証することであろう。若いうちから老後を心配するような世の中は間違っている。安心して老いることができ、安心して親の介護ができる世の中でなければならない。そうならなければ、人々は決して溌剌として生きることはできないだろう。老後を心配して、ますます金の亡者になるばかりであろう。

 もう一つ大切なことは、子供を産み育てることが安心してできることだろう。日本では、子供の貧困率が16%にもなっている。子供食堂などというものも生まれているが、そんなものができなければならないような社会がおかしい。親がどんな人であろうが、全く子供には責任はない。あらゆる子供たちが、充分に食べていくことができ、何の心配もなく教育を受けられる世の中でなければならないであろう。

 子供と老人、彼らが平等に不自由なく豊かに暮らせる社会にならなければならない。

 自由主義というものも、人の生活、人のいのちを奪う自由はない。豊かなる者が、己の才覚で豊かになったとしても、そのことが、貧しい人たちを生じさせているとしたら、その豊かさは、彼らのものではない。偏った豊かさというものは、常にうさん臭い。

 ポトラが、朝の挨拶にやって来た。ポトラも、親兄弟を亡くし、一人ぼっちで寂しいことだろう。

  名ばかりの 春を憂いて 石地蔵

2016年   2月7日    崎谷英文


冬鋤き

 今週は何かと忙しかった。月曜日は、太市こども園へ行って、子供たちと給食を一緒に食べた。太市のこども園は、保育園と幼稚園が一緒になったもので、6才児は30人近くいたが、その3分の2が太市以外からの子供たちだと言う。子供たちが米作りをしたのを少し手伝ったということで招待された。

 今年小学校に入る6才児が中心になって、もちろんほとんど大人たちが世話をして、田植え、稲刈り、天日干しをしたのだが、この田舎でさえ、子供たちは米作りというものに接する機会はあまりないらしく、自分たちの田んぼということでいろいろ関心を持って、米作りを楽しんだようだ。

 タガメやアメンボがいて、カタツムリやオタマジャクシやカエルがいて、トカゲがいて、子供たちは、そのことを絵に描いて報告してくれた。虫というものを毛嫌いする子供が最近は多いのではないかと思うのだが、その小さな虫や生き物たちがいてこそ、米作りができるのだということまで理解できなくとも、その小さな生き物たちに親しみを少しは持ってくれたのではないだろうか。

 昼食は、その田んぼで作られたもち米を使ったおはぎが二つ、野菜たくさんのスープにサラダだった。大人にはもちろん少ないのだが、体重が20㎏もない子供たちには充分である。子供たちと食べる昼食は美味しかった。

 食べるものは、田んぼと畑と牧場と海で自然の恵みとして作られるのであって、決して工場では作られないのだということが、少しは子供たちにも理解できただろうか。

 水曜日は、大きな田んぼに牛糞を撒く。田んぼを鋤くことを後回し後回しにしてきたのを、さすがにこれ以上遅らせることもできないので、金曜日辺りから雨が降るということだったので、その日は牛糞を撒いて、次の日に田んぼを鋤くことにしたのだ。

 本当は、稲刈りが終われば、なるべく早く秋に一度鋤き、さらに冬にも鋤くというのが、農協の推薦する米作りのやり方なのだが、一昨年は12月に一度だけ鋤いたのだが、今年はそれも1月に先延ばしにしていたのだ。熱心な人は、きちんとこの時期に二回目の田起こしをしていたりする。田んぼを鋤くとは、トラクターで土を掘り起こしていくことで、土の中の風通しを良くし、土の中の自然の循環を促すことになる。

 重い牛糞を30袋程田んぼに撒いたのだが、久しぶりの力仕事で、大いに筋肉を使い、大いに歩いて疲れた。こういうことも便利な機械を使ってやれば容易くできるのだろうが、自分の身体を使ってこそ充実感がある。ほとんど機械に乗ったままで、ボタンを押すだけで仕事をしたとしても、それではやりがいがない。自ら身体を使ってこそ達成感が生まれる。

 近頃、AIとか言って、人工知能の活用が喧伝されるが、これは人間を馬鹿にする恐れがある。自らの身体を使わず、頭も使わず、機械任せで生産し、生活をすることは、人の身体技能の能力を低下させ、考える必要を無くさせ、人は身体も頭も馬鹿になる。つまりは、ひ弱な人間になるということだ。

 木曜日、さあトラクターで田んぼを鋤こうとしたら、エンジンが掛からない。農機具屋に電話して、バッテリーを取り換えてもらい、タイヤの空気も減っているとかでプレッサーで入れてもらう。これも長い間怠けていて、トラクターの整備もしていなかった報いだろう。昼前には終わる予定だったのだが、午後の2時までかかって、やっと田んぼを鋤き終わった。

 金曜日、朝からずっと雨で、田んぼを鋤いていたことに安堵していたら、東京の98才の義伯父が亡くなったと、従兄弟から電話が入る。二年程病院に入っていたそうだが、老衰だったらしい。兄に連絡して、供花の手続きをして、さて東京に行こうかと思案する。

 今週は、小さな子供から大老人まで縁のある日々だった。甘利大臣が辞任し、日銀が金利を、訳の分からないマイナスにするなどと言ったりして、この世は相変わらずの強欲の世界で情けなくなる。

 日曜日は、朝から村の寄り合いがある。

  口を閉じ 眼を閉じ想う 遠き冬

2016年   1月30日    崎谷英文


ジョウビタキ

 我が家には、毎年冬になると、ジョウビタキがやってくる。銀色に光る頭に、腹はオレンジ色で尾が小さく伸び、羽は黒っぽく真ん中に白い斑点がある。日本でよく見られる冬鳥である。縄張りを持ち、ここでは決して空高く飛んだりしないで、我が家の雑木林の枝々にちょこちょこと移り跳んで尾を振っている。人をあまり警戒しないようで、窓際までやってくることもある。

 ジョウビタキが、何処からやってきて何処へ帰るのかは知らない。彼らには、国籍というものはない。不思議なものである。毎年、冬になって我が家を訪れ、春には何処か遠くへ飛び立ちながら、よくぞまた、次の冬には我が家に舞い戻ってくるものだ。人間がようやっと開発した羅針盤やレーダーのようなものを、彼らは、先天的に持っている。彼らにとっては、彼の土地も此の土地も故郷なのだろうか。

 ウナギも、最近分かったことらしいが、南太平洋の海溝の中で生まれながら、遠く日本までその道を忘れずにやってくると言う。ジョウビタキやウナギ、彼らこそ、先天的なグローバルな存在である。

 鳥のように人は飛べず、ウナギのように自由に海を泳ぐことのできない人間は、本源的には、狭い行動範囲の中で生きてきた。留鳥であるスズメやカラスのように、人は長い間、その生まれた土地で、自給自足で生きてきた。

 遥かなる昔に、人は生きる土地を求めて、生まれたアフリカの地から、世界中に数万年をかけて移り住むようになったのだが、その遥か昔のアフリカの故郷は、人の記憶に残っていない。

 しかし、人は、知っていることを知らないこともある。

 知っていることを知っていることは、当然のこととして、ただ知っていると言ってもよい。知らないことを知っているということも、人にはよくあることで、知らないことを知っているからこそ、知ろうとして科学というものは進歩してきたのであろう。

 知らないことを知らないこともある。知っているつもりであるが、実は間違って知っていて本当のことは知らない時、それは、知らないことを知らないことになる。科学によって、知ったつもりになっていても、実は誤って知っていることもよくある。知らないことを知らなかったことになる。

 今の世の人々は、多く、この知らないことを知らない。様々な言説が飛び交う中で、自分でよく考えることもせずに、受け売りの知識をさも真実の如く、さも知ったかのように思い込んでいたり、ただの知ったかぶりだったりして、本当のことは知っていないのである。この知らないことを知らない時、事件は起き、事故は起き、人災が起こる。

 しかし、人は知っていることを知らないこともある。ジョウビタキは、毎年冬に我が家にやってくるが、ジョウビタキが、我が家を知っていることを知っているのかは疑わしく、我が家を知っていることを知らないで、我が家にやってくるのではないか。知っているのを知らないで、知っていることに導かれて我が家にやってくる。

 人もまた、生まれ生きてきた中での経験による知識の蓄積だけが、知っていることではなさそうだ。自ら経験していなくとも、近くは父母の見た景色が、遠くはアフリカの故郷を旅立つ景色が、自らの全身の中に意識として経験としてではなく、無意識の中に秘め潜み込まれて、人は生きているのではないか。人は無意識の中に、多くのことを知っているのだが、その知っていることを知らないで生きている。

 その知っていることを知らないで、ただ知っている知っていることに拘って生きる時、人は、本当の自分を見失う。その時、世の中に不条理が生まれる。知らない知っていることが、人々のこころを乱し、決して平穏ではいられなくなる。知っていることを知らなかったことに、気が付くことができるかどうか。

 今日も、ジョウビタキが、朝早くから寒さをものともせず、枝から枝へ跳び舞っている。

  大寒や 虹のかかりし 月高く

2016年   1月24日    崎谷英文


 暖冬だと思われていたのに、急に寒さが厳しくなり、朝の空気の冷たさが身体に堪える。この寒さこそ、通常の冬なのかも知れないが、地球温暖化で暖かさに慣らされつつあるのか、それとも年のせいか、急に冷え込んでくると身体も心も動きが鈍る。

 つい先頃までは、大きくなりそうに思っていたホウレン草や春菊の苗も、この寒さの中、小さいままとうが立ったように一部が黄色くなってしまい、可哀そうだが、大きくならないかも知れない。しかし、もしかして春を待って、大きく育ってくれるかも知れない。微かな期待を持つことにする。

 玉葱の苗も、去年の10月頃に100本以上植えているのだが、ろくに草取りもせずに放置していると、冬とは言えさすがに雑草が蔓延って、緑の中に玉葱の茎が伸びているという風情で笑われている。それにしても、この厳寒に生きる雑草は逞しい。人参も、種を蒔いていたのが、少しは大きくはなっているのだが、この寒さの中、じっと耐えているようである。

 英太が子供の頃、野菜は季節によって食べる物が決まっていた。夏は、茄子とか胡瓜とかばかりであったような気がする。茄子は大量に煮ておいて、毎日食べていたのではないか。冬は、今度は大根か白菜で、またやはり大量に煮ておいて、毎日のように食べていたと思う。また、茄子、胡瓜、大根、白菜は、それぞれの家で漬物としていた。昔は、野菜の種類も、今ほどバラエティではなかったのだろう。

 しかし、今は、野菜に季節はなさそうだ。冬に、茄子も胡瓜もトマトもあり、夏に大根や白菜がある。野菜というものに季節感がなくなっている。旬のもの、という感覚がなくなってきているようだ。需要があるというのも解かるが、冬にトマトはなくていいし、夏に大根はなくてもいい。食の豊かさ、贅沢さというものが、無駄にエネルギーを消費することにもなろう。

 今でこそ、英太は、遊びのように、いろいろな野菜を作ってみたりするのだが、ほとんど露地野菜で、季節のものしか作れない。若い頃は、田んぼにも畑にもほとんど興味がなかった。父が死んで、暫くの間、毎週のように一人になった母の元へ帰っていたことがあったのだが、その時、何の料理かは忘れてしまったが、葱が足りないことがあり、その時、母が、表の畑の葱をとってきて、と言ったのである。

 もしかすると、その時、この田舎の良さに気が付いたのかも知れない。その頃、英太はもう都会人であったのだろう。さすがに、米は、太市の田んぼの米をずっと食べていたのだが、野菜などは、買って食べるものだ、ということが、当たり前になっていた。欲しい野菜は、店で買うものだった。もちろん野菜が、どこで、どのようにして作られるかは知ってはいたが、野菜は、誰かが作ったものを買って食べるものだということが、生活の中に沁みついていた。

 英太は、母の、畑の葱をとってきて、という言葉で、何かに気が付いたのだ。

 多分その頃、母自身は、畑を自分で耕したりすることは、あまりなかったと思う。父が生きていた頃からのお手伝いさんのように世話をしてくれていた井原さん、この人は、今も太子町で元気にいる、その井原さんが、畑の世話をしてくれていて、母は、その手助け程度しかしていなかったと思う。それでも、昔ながらの野菜は、この田舎にはずっとあった。日々それを採って、この田舎の人たちは生きているのだ、と改めて感じた。

 母は、連れ子として、その母の再婚した家で育ったのだが、その頃のことについて、母からほとんど聞いたことがない。母は、昭和三年生まれで、母がもの心ついた頃には、日本の大陸進出が始まっていて、戦争の渦に巻き込まれていただろう。ひたすら、神国日本を信じ込まされ、ほとんどすべての子供たちは、戦争への昂揚感に突き動かされていたのではないか。一億総活躍にも似た、一億総火の玉がスローガンだった。

 今、日本は、その太平洋戦争前の様相を呈している。

 しかし、戦争が終わり、気付いたのである。何ということをしてきたのかと。

  蹲の 水の器の 枯葉かな

2016年   1月17日    崎谷英文


黄水仙

 朝の空気が、漸く冬らしく冷たくなり、山の上半ばが朝日に煌めき、その下の黒い山肌とくっきりと線を挟んで対照をなしているのは、いつ見ても綺麗だと思う。ゆっくりと、冬の朝日は昇るにつれて、西の山肌を下へ下へと輝かしていく。一日の朝は、あらゆるものの誕生の象徴であり、夜の訪れは、その生まれ出でたるものの終焉を意味する。長い死の闇を経て、再び生まれ出ずる朝は、昨日の再来か、それとも新しいいのちか。

 一年もまた、いのちの誕生と死を象徴するものだろう。春に生まれて、冬に死に、再び春を迎えるものは、昨日のいのちなのか、それとも命を受け継いだいのちなのか。いのちの再生を繰り返しながら、ゆっくりと身を削り、心を摩耗させて、やがていのちは潰えていく。小さないのちもあれば、大きないのちもあるが、あらゆるいのちは同等であり、そこに貴賎はない。一日のいのちと一年のいのちが同等であるように、あらゆるもののいのちは等価である。

 門の前の雑草の生い茂る一画に、水仙の一群れがある。数年前から気付いてはいたのだが、そのいのちの種が何処に潜んでいたのか全く分からないのだが、毎冬、逞しく芽生え、葉を伸ばし、白く黄色い花を咲かせる。この冬も、抱き合うように咲いている。何を好き好んで、この厳寒の季節を選んでいのちを咲き開かせるのか、と思うが、彼らもまた、この自然の中で、他のあらゆるいのちと、いのちを分け合っているのだろう。

 1995年1月17日、午前5時46分52秒だったと言う。親子三人で、まだ目覚めぬ蒲団の中に寄り添っていた時、大きな揺れが襲ってきた。さすがに妻も子供も目を覚ましおろおろするのを、タンスを片手で支えながら、二人の上に身を被せた。どれほどの時が続いたであろうか。ようやっと揺れが収まり、居間のテレビをつけると、大地震のテロップが流れている。初期微動の長さから考えて、この姫路付近が震源ではない。

 後に、阪神・淡路大震災と呼ばれるようになった直下型大地震であった。暫くして、テレビでは、高速道路が倒れ崩れ、折れた橋にかろうじて留まった自動車が映し出され、あちらこちらに火の手が上がっていくのが見える。

 その時、母は姫路の病院にいた。喉頭癌を患い、手術をしたのが一年前ほどで、一時太市に戻っていたのだが、再び入院していた。その日、母の病院に行くと、母は、こちらも揺れたよ、大丈夫だったか、と声の出ない口で言う。その時から新幹線も不通になり、漸く神戸を新幹線が走りだすようになって直ぐ、母は四月九日早朝に亡くなった。六十七才であった。桜の花が真っ盛りであった。

 母は、静岡県磐田市の生まれで、幼い時両親が離婚し、母に連れられて再婚した家で育った。父親の違う妹が今も静岡にいる。母は伯父を頼って東京に出て、看護婦になり、そこで父と知り合った。何処の馬の骨かも分からないような娘を、祖父は嫁と認めず、父と母は、秋田の診療所に駆け落ちするように職を求めて、そこで英太の兄は生まれた。母は、十九才、昭和二十二年のことであった。

 その後、祖父は父と母の結婚を認め、父と母は太市に帰って来て、そこで英太の姉が生まれ、次いで英太が生まれた。優しい母であった。周囲からはやんちゃで馬鹿のように思われていた英太で、悪いことをして蔵に閉じ込められたりしたこともあったが、甘えん坊の英太が赤ん坊のように乳房を求めると、いつも笑って抱きしめてくれた。

 小学校の一年生の頃だっただろうか。母が久しぶりに静岡に行く時、英太を置いていくのが可哀そうだったのだろう、英太を連れて行ったのだが、磐田の親戚の家に自転車の後ろに載せられて行く時、しっかりと持っていなさいよ、と言われていた母の上着を、自転車が走っているうちに失くしてしまった。しかし、母は苦笑いをして英太を叱ることはなかった。

 母は、招かれざる喜ばれざるよそ者として、この太市で苦労したのだと思う。そのことに気付いたのは、祖母、祖父が亡くなった後だった。

 罪は、告白し懺悔すれば許される、と言うのは嘘である。神や仏が罪を許すなどと言うことは幻想で、罪は、その人が一生背負って生きるものであろう。一度犯した人類の罪が消えることのないのと同じように。

  分け合いし いのちを生きる 黄水仙

2016年   1月10日    崎谷英文


仙人の戯言

 自由は実は、苦しいのである。
自分自身で判断し、自分自身で責任を持つ
これは実に大変なことである。
勉強するのは、この考えること、判断すること
責任をもつことの前提としてある。