ひととき、四月・五月のような陽気だったのが、久しぶりに雨になり、その雨雲が寒気を呼び戻したのか、冬に逆戻りしたように気温が下がった。一度しまっておこうとしたコートを再び着る破目になる。全く持って、自然というものは、人間たちをもてあそぶように、気ままなものである。
若い頃には、花粉症などというものには無縁だったのだが、ここ数年前ぐらいから、春と秋に、鼻がぐしゅぐしゅし、喉がむず痒く、眼がしょぼしょぼするようになり、もしかしたら、花粉症ではないのかと疑うようになった。
どうやら、春の花粉症らしきものは、時季的に見て、ヒノキ花粉のせいだと思われる。ヒノキの花粉は、スギ花粉の終わる四月頃から飛び始めるらしいのだが、用心のため、今はスギ花粉の最盛期でもあり、スギ花粉でもアレルギーが出たら困るので、外へ出る時は、マスクを付けるようにした。受験のシーズンでもあり、風邪、インフルエンザ対策にもなる。秋の花粉症らしきものの原因は、ブタクサか何か、秋の草だろう。
花粉症というのは、アレルギー症状の一つだと言われる。ある特定の外からの異物、つまり自分自身の身体の一部でないものに対して、過剰に反応したものだと言う。人の身体は、人でなくても他の動物たちでもそうであろうが、とても精巧、緻密な仕組みでできていて、外から侵入してくる害となるものを、敵と看做して排除しようとする。これを免疫反応と言う。
他にも、害となるものを食べた時、下痢をするのも、その異物を早く体外に排出しようとする防衛反応だと考えられる。だから、無理に下痢を止めることもない。普通の食べ物にアレルギー反応を示すのが、食物アレルギーであり、可哀そうだが、少なからぬ人が、何らかの食物アレルギーを持っているように思う。
花粉症というものも、大して害のない花粉を、敵と看做して侵入を拒もうとして、鼻、喉、眼の粘膜が過剰に反応して起きる。花粉症にならない人は、その花粉を敵とせず、寛容に受け入れることのできる人と言うことになる。わざと敵を作って、防御しようとすることはよろしくない。今の社会状況に似ている。
もちろん、余りに多く花粉が入ってくることになれば、これは駄目だと拒絶反応をするのだろうが、そのことが度重なると、少量の花粉に対しても反応してくるのではないか。若い頃は、大丈夫だったのが、年を取ってから花粉症になったりする。
なんとなく、少数の移民、難民ならば受け入れるが、余りの多数になれば、もうやってられないと拒否しようとする、今のヨーロッパの状況に似ている。
もちろん、難民と言えど、同じ人であり、決して異物ではないのだから、同居するのに支障はないはずなのだが、国家、国民の単位で見ると、やはり、異物と看做されてしまうようで、そうなると、アレルギー対策の薬が必要となる。日本は、このアレルギー症状が酷過ぎるようだ。
このアレルギー反応、免疫反応は、外からの異物に対しての反応なのだが、その仕組みが狂うと、自分自身の身体の一部でありながら、それを異物と認識し攻撃したりする。これが自己免疫疾患、自己免疫不全というものらしい。この自己免疫不全の病気が、今、とても多いように思う。多くの病気が、この自己免疫と関連しているのではないか。潰瘍性大腸炎、膠原病、リュウマチ、円形脱毛症も、この自己免疫不全と言われる。
この自己免疫不全というものも、アレルギーと同じで、免疫の過剰反応の一種であろう。アレルギーが、外からの異物への過剰反応であるのに対し、自己免疫不全は、異物ではない自己に対して過剰に反応する。アレルギーは量的に、自己免疫不全は質的に、過剰に反応する。
人の世も、いろいろな人が集まって、一つの社会を形作っているのであり、誰をも異物と看做してはいけないのではないか。一部の人を虐げたり、苦しめたりするのは、自己免疫不全である。
また、一部の人だけに利益が集中することは、全体を損ない、社会をおかしくする。人の身体でも、例えば、甲状腺機能亢進症とかは、一部の機能が活発になることによる病気である。
いずれにしても、年老いていくと、免疫機能は衰える。
玉葱の 葉に寄り添うて 蓮華咲く
2016年 3月11日 崎谷英文
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