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仙人の戯言 2017

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去年今年

 去年今年、俳句の季語として、年の変わり目にあたる時を指す。十二月三十日は小晦日(つごもり)、十二月三十一日は大晦日(大つごもり)、人は、いや人でなくとも、あらゆる生き物は、この一年というサイクルの中で生きている。赤道直下、北極、南極でも、季節変化は幾らか乏しいものの、やはり一年という周期で動いていよう。中緯度地域では、まさに、季節変化と共に、一年が一周期である。

 何度も言うようだが、本当に、年を取ると時の過ぎるのは早い。あっ、という間にこの一年が過ぎてゆく。生まれてこの方、それぞれの一年一年は、同じ一年ではないのだろうが、年を取ると、似たような年の繰り返しになる。一体、自分はこの六十五年間を、どうして暮らしてきたのだろうか。生まれついたのが、つい昨日のようにも、また遥か遠くの気の遠くなるような昔にも感じる。

 溜まり溜まった本の山が、月日の蓄積を証拠として残しているばかりで、自分は、何をして生きてきたのだろうか。若い頃、本当に全てが新鮮だった。見るもの、聞くもの、出会う人、全てが自分にとって新しく、眩しくて、自分が何も知らないことを教えてくれた。いつの日か、この世の全てを知ってやろうと思った。しかし、それは、親の教えてくれることばかりではなく、学校で教えてくれることばかりではなかった。

 この小さな太市という田舎で、その頃は、村全体が遊び場だった。上級生も下級生も一緒になって、メンコやコマ回しや凧揚げをして、とんども子供たちだけで作り、そのとんどの竹の塔に二階を作り、悪さばかり企んでいた。小さな自由であるが、それでも自由だと思っていた。いや、自由ではなかったかも知れない、村のしきたりがあり、子供たちにもしきたりがあった。しかし、それは当たり前のこととして、疑わなかった。

 いろいろな人の伝記を読んだ記憶がある。この世には、素晴らしく努力をして、何事かを成し遂げた人々がいる。この世は、この田舎の世界だけではない。太市の外に別の世界がある。テレビが我が家にも入って来て、ますます外の世界が近くなっていく。力道山のプロレスを見、てなもんや三度笠を見、東京オリンピックを見、ケネディー大統領の暗殺場面を見、ガガーリンの見た地球は青かった。世界の外に宇宙がある。

 人が死んでいく、ということを知ったのはいつの頃だったろうか。小学生の中頃だったような気がする。その時、死への気の遠くなるような恐怖を覚え、身震いしたことだろう。中学三年生の時、祖母が亡くなり、高校一年生の時に祖父が亡くなった。優しく働き者の祖母であり、頑固で威張っていた祖父であった。二人ともこの家で亡くなり、この家で葬儀をした。村の人総出で送ってくれた。祖父は、この村の最後の土葬であった。

 自由というものと平等というものがある。共に、近代の人間社会の基礎となるものである。自由、そして平等は、共にこの世に生きる全ての人々に、遍く行き渡るのが、あるべき姿なのであろう。しかし、自由と平等は、互いに相反するベクトルを持つ。自由を突き詰めていけば、不平等になり、平等を突き詰めていけば、自由が損なわれる。

 自由を渇望しながら、この世の不平等を知ったのは、いつの頃だったろうか。平等の過ぎる社会の窮屈さを知ったのはいつの頃だったろうか。しかし、自由と平等は成り立たないとしてはならず、自由か平等かではなく、やはり自由も平等もで、人の生きる社会は創られていく。

 凡人にとって、食欲と性欲、それは隠しようもない本能ではあるが、その煩悩の中で生きていくだけでは、生きていく値打ちもなさそうだと知ったのは、いつの頃だったろうか。

 この世に生きる全ての人々と、そして、生きとし生けるこの世のあらゆるものと、自分は繋がっているに違いないと知ったのは、いつの頃だったろうか。

 蕎麦を食い、酒を呑みながら、短い一年が終わろうとしている。

 去年今年 夢見る時は 過ぎにけり

2017年     12月31日     崎谷英文


もう一年が経つ

 もう一年が経つ、今年も暮れてゆくのだが、本当に月日の過ぎるのが早く感じる。年を取ると、時の過ぎるのが早くなる。

 この世に生まれて、初めて、人は人生を始める。生まれ出ことにより初めて、その人の人生としての経験、体験が始まる。幼い内、若い内は、あらゆる、ほとんどのことがその人の初めての経験として、刺激のある新鮮なものとして、それらの経験は、こころに、身体に強く刻まれる。

 しかし、年を経るにつれて、経験することに新鮮さが失われる。同じようなこれまでの経験の繰り返しのようになって、真新しさが薄れていく。少々新しいことに出くわしても、何時か何処かで見た景色だったりして、その経験、体験は、一時の驚きに留まってしまう。

 赤ん坊にとっての経験、体験は、全てが新しく、全てが新鮮で、そのことが記憶されていようがいまいが、赤ん坊は、流れる湯水のごとく、自然にその経験から多くのことを学び、それは、そのこころ、身体に深く刻み込まれる。

 親や家族、また周辺、地域の人々の愛情深く、優しい目で育まれた子供は、その経験から、愛情とか優しさとかというものの有難く大切なことを自然に学び取り、身に付けていく。周囲の優しい目で育てられた子供たちは、その後の人生においても、その愛情、優しさというものを大切にし、他の人にも愛情と優しさを持って接するようになる。

 小さい頃の経験は、例えば五才の年齢ならば、その一日の経験は五年の内の一日、五年分の一日なのだが、年を経て、例えば六十才になっているとしたら、その一日は六十年分の一日に過ぎず、その濃淡は明らかである。若い頃の経験は、濃く、年老いての経験は淡い。若い頃の印象的なことは強くこころに残る。昔のことはよく覚えているが、つい最近のことが思い出せない、ということにもなる。

 若い頃の経験、記憶というものが、濃く、こころに強く刻まれるものだとしたら、その経験、記憶というものは、たとえ年を経て六十才になったとしても、それが十五才の経験だったとすれば、六十年分の一ではなく、それはやはり、十五年分の一としてこころに残り続けるのではなかろうか。

 学童期からの学習においても、その若いときに教育を受けてこそ、貪欲に吸収されて身に付き、その後も忘れないで、生きていく基礎として残り続ける。年を取って、新しいことに挑戦することは、とても素晴らしいことなのではあるが、やはり若くはなく、吸収力が落ちているのだから、本当に身に付けるには、相当の勇気と覚悟が必要となろう。

 歴史の教訓というものにも、似通ったことが言えるのではないか。有史以来、人は戦争をし続けている。しかし、悲惨な戦争を経験するたびに、人はもう戦争は止めようと学習し、決意していたと思う。しかし、時が経てば、忘れる。悲惨な戦争体験をしてきた人たちが、少なくなり、世代が交代していくにつれて、その教訓は薄れていく。

 太平洋戦争、特攻隊、空襲、原子爆弾という悲惨な経験をしてきた日本、しかし、今、その戦争からの教訓が忘れ去られようとしている。

 日本国憲法の前文、日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を深く支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

 今、日本は、その決意を忘れ、再び軍国化しようとしている。もしそれが、日本国民の多くの人の望むことだとしたら、やはり、歴史は繰り返されることになるだろう。きっとそれは、太平洋戦争の悲惨な経験を世代に繋ぐことができなかったためであろう。殺し合うことの悲惨さは教えられず、如何に儲ければいいかと教えられてきたためである。

 トランプ大統領は、エルサレムの歴史を知っているのだろうか。もし、本当にエルサレムの歴史を知っているならば、世界を敵にして、強権的、独裁的な判断、所業はできないはずだ。トランプは権力主義の、商売人に過ぎないのかも知れない。

 塾の庭に、野良の黒猫が時々やってくる。まだ、一才にもなっていないだろう。母猫とじゃれ合っている。

 隙間風 明日は問はず 寝ぬばかり

2017年     12月25日     崎谷英文


初雪が降った

 初雪が降った。このところ寒い朝が続いていて、その日の朝も冷たい風を受けながらポトラに食事を遣っていると、妻が「今朝は、外は0℃よ。」と言ってくる。昨日の朝は-2℃だったのだから、今朝は、まだ暖かいと言うことだろう。

 しかし、ふと目の前を見ると、庭の石のテーブルに雪が積もっている。1cmの厚みもないが、テーブルの上は、白い四角形が光っている。初雪が降ったのだ。木の枝葉にも、所々雪が残っている。今は降っていない。

 太市は、多分姫路の街中よりも、2・3℃、最低気温が低いのではなかろうか。実際、天気予報で発表される姫路の最低気温より、この家の外の朝の空気は冷たい。太市の里は、小さな盆地だが、盆地の朝晩の冷え込みは平地より厳しい。小さな盆地でも、冷たい空気は底に溜まる。

 寒いからと言って、雪が降るとは限らない。このところ、寒さが続きながら、ずっと乾燥注意報も続いていて、空気は乾き、初霜以来、霜も降りていない。湿度が低いと霜も降らないが、雪も、雨雲がやってくるような湿度の高い状況で、初めて降る。空気が乾燥している時は、幾ら寒波がやって来ても、ただ冷たい風が吹くばかりである。

 畑の土もからからに乾いていたりするのだが、この寒い日にこの冬を耐えている野菜に、どれだけの水を遣ればいいのか分からない。今朝は雪に打たれ、ぐったりと萎れたようになっているが、やがて太陽の光を受けてしっかりと葉を持ち上げるだろう。野菜たちのこの寒さに耐え忍ぶ生命力を信じて、適当に水を撒く。

 この冷たい風の吹く中、所々に花が咲いている。寒椿が咲き、冬の野菊がぽつりと咲き、水仙はまだ蕾だが、しっかりと咲く準備をしているようだ。彼らは、この寒い中にわざわざ咲く。春になるまでに散っていくのだろうが、何を好んでこの寒さの中に花を咲かせるのか。

 それらの花は、散った後、また冬が来るまでじっと待っているのだろう。他の花々が、春が来て、夏が来て一斉に咲く頃、彼らはただじっと枝葉を茂らせながら、時を待つ。春咲く花も、冬の間、死んだふりをするように待っている。植物の特徴であろう。まるで生きていないように静かに時を待つ。そんな時間が、植物には必要なのだ。

 人も動物も、何事もせずにじっと待つことは難しい。人ならば、何もせずに生きていくというのは耐え難い時間となろう。何事もせずに生き続けていくのは難しい。逆に言えば、何かをせずには生きられないのが人でもあろうか。

 もちろん、椿も野菊も水仙も、散ってから咲くまで何もしていないように見えるが、木の中、土の中で黙々と咲く時の準備をしながら生きているのだろう。人の目には見えないが、彼らはじっと静かに力を蓄えながら時を待っている。熊も、冬の間同じように活動できないから、じっと力を蓄えて冬眠して春を待つ。

 植物も動物も生き方はそれぞれである。それぞれの生きる場、生きる時を見つけて、他の生きている物たちとの競争と共存を繰り返しながら、自分たちの生きる隙間に、生きていく術を身につけ生きていく。

 動物は、食べることによりいのちを永らえ、性の交わりにおいて子孫を残し、種を保存する。植物もまた、太陽と水と地の養分を得ていのちを保ち、受粉、受精によって種を保つ。基本的な生き方は似たようなものである。

 人もまた、食欲と性欲とを携えて、そこに本野的な喜びを感じて生きている。ただ人が他の生き物と異なるのは、そのいのちの保存、子孫を残す、種の保存のみではない、その本能的なものと関わりながら、あるいはその本能的なものを乗り越えたところにも喜びを感じるところにある。それを、文化と言ってもいい。

 他の生き物に文化はない、とは言わないが、人こそ最も文化的であろう。だからこそ、何もせずには生き難い。座禅をし続けることは、修行である。

 初雪や 野良の歩みし 跡ならむ

2017年     12月15日     崎谷英文


辛し焼きを食べた

 辛し焼きを食べた、久しぶりに東京の東十条駅近くの「とん八」という店に寄り、辛し焼きを食べた。辛し焼きと言っても、知らない人にはどんなものか分からないだろう。お好み焼きの類ではない。

 辛し焼きというのは、どういった手順で作るのか、詳しくは知らないが、豚肉、豆腐が、ネギ、ニンニク、トウガラシなどのたっぷり入ったスープの中に入っているもので、とにかく強烈な刺激の強い、しかし、好きな人にとっては一度食べたら病みつきになる一品料理である。一品料理と言っても、ご飯は欠かせない。

 友人と昼の十二時に店の前で待ち合わせていたのだが、店は十一時半の開店で、もう満員らしく、男女二人が店の前で空くのを待っている。店はカウンターだけで、十人も座れば一杯になるだろうか。友人たち三人で待っていると、後ろにまた数人が並んでくる。辛し焼きファンは多い。

 メニューには、メイン料理としては他に南蛮焼きがあるぐらいなのだが、ほとんどの人は辛し焼きを食べるのではなかろうか。とにかくインパクトの強い食べ物で、好きな人は癖になる。

 昨日は、日展を見て、その後しこたま飲んだので、今日は南蛮焼きにしようかなとも思っていたのだが、店に入って、やはり、ここは辛し焼きに限ると思い直した。漬け物を食べながら、三人でビールを二本飲んだ頃、辛し焼きが出てくる。量もたっぷりあり、ライスは小にしておく。強烈な味なのだが、やはり旨い。

 若くて元気な人なら、そのニンニクとトウガラシのたっぷり入ったスープも全て食べ切ってしまうのかも知れないが、さすがに寄る年波、多めにスープを残してしまったが、それでも旨かった。東京に来たら、また食べたくなるだろう。

 もうこの店は、五十年以上前からあるらしい。僕も学生時代に来たのが始まりである。その頃は、今のマスターの親、いやその親の時代だったろうか。今は若い女の人が二人手伝っているが、二・三年前に来た時は、今のマスターのお母さんが居られたのだが、尋ねると、今も二階にいると言う。

 店も改装されて、きれいになっているが、場所も広さも昔と変わらない。昔の店が代々受け継がれ、残っているということに何となく感動する。少し元気なった気がして、店を出た。

 食べ物の記憶は懐かしい。高級料理などほとんど食べたこともないのだが、その数少ない高級料理より、通いなれた定食屋の味、飲み屋の味が懐かしい。

 食欲は、生き物たちの自然の欲望だろう。食欲があることにより食べることができ、食べることによりいのちを永らえる。食欲は、性欲と共に野生の欲望である。睡眠欲と合わせて、三大欲と言う人もある。性欲は、いのちを繋ぐ、子孫を残し、種を保存することに繋がる。食欲は、正しくその生きているいのちを保つためにある。食欲がなくなれば、生きていく喜びも半減しよう。

 古来、ずっと人々は、この性欲と食欲を満たすために闘ってきたとも言える。物欲や権力欲もあるが、そういったものも、結局は本能とも言える食欲、性欲を満足するための手段でもあるだろうし、あるいは、食欲と性欲の満たされた上での強欲でしかないのではなかろうか。今も、食欲と性欲のために事件が起こる。足るを知らない人間の強欲は限りなく、人は今も戦争を続ける。

 おふくろの味とか言うが、子供の頃から食べてきたものは、その人の味覚を作る。年を経ても、昔の味は懐かしい。高級素材、高級料理もいいが、安くても食べ慣れてきたものは懐かしい。

 学生時代に食べた強烈な味もまた懐かしい。辛し焼きもそんな食べ物だろう。最近は、出来合いの料理を買う人も多く、チェーン店の食べ物屋ばかりで、今の子供たちは、本当に懐かしい味と言うものが残るのだろうか。マクドナルドの味が懐かしくなるのだろうか。

 木洩れ日や 孤独なままに 熊穴に

2017年     12月10日     崎谷英文


ポトラの日記26

 今日は朝から冷たい雨が降っている。近頃、ぐっと寒さが増してきているのだが、夜から朝にかけて空が曇っていたり、雨が降っていたりすると、逆に朝の冷え込みは緩やかになる。だから、朝の寒さは昨日よりましなのだが、そのままどんよりと曇ったままだったり、雨が降り続いていたりすると、日射しのないまま、昼頃になっても気温は上がらない。こんな日は、雨の当たらない、風の通らない居場所が必要になる。

 その前に、朝の食事である。相棒が起きる頃、窓の外で待つ。どうやら相棒が起きてきたようだ。いつものように、おはようの挨拶の一鳴きを聞かせる。すると相棒が、まだ障子も開いてない部屋の中から、嬉しそうにおはようと応える。昨晩は、相棒の帰りが遅く、僕の夕食も遅かったので、そんなに腹は減っていないのだが、やはり食える時に食っておけという、僕の野生の本能が囁く。

 相棒が障子を開けて僕を見て、またおはようと言う。こっちも一声応えてやる。障子をしまい、硝子戸を開けて僕の食事の皿を出してくる。まだ何も入ってはいない。相棒は、新しい僕の食事用の袋を取り出して、その皿の中に入れる。昨晩と同じ食べ物のようだ。しかし、僕はその味を割と気に入っていて、匂いを嗅ぐと、俄かに腹が減ってきた。

 それでも、皿の中の食べ物の八分程を食べて、残す。同じものばかりだと飽きる。こんな時、少し残してニャーと一鳴きすると、相棒は別の食べ物を出してくる。何だ、残っているじゃないか、と言いながら、鳥のささみのような切り身を、笑って僕に差し出すのだ。僕がその切り身を食べ終えた頃、丁度相棒が玄関から出てくる。走っていったら喜ぶのだが、今朝は疲れているので止めておく。

 さて、どこで朝寝をするか、と考えて、どうやらこの雨は続きそうなので、家の裏の廂の下、薪の上のシーツの上で休むことにした。数日前は、本当に小春日和で、南の縁側でぐっすり眠れたのだが、今日は寒そうで、ゆっくり眠れるか、分からない。散歩にも行けなさそうだ。

 以前、夜遅く、アライグマが何所かから僕の食事を狙ってやって来ていたのだが、今はもう見かけなくなった。ずっと以前は、親子三人連れらしいアライグマもやって来ていたのだが、その家族は今どうしているのだろう。相棒が一か月ほど前、道でアライグマが一匹、車に轢かれ死んでいたのを見たというが、此処にやって来ていたアライグマだったのだろうか。

 野生の生き物たちは、それこそ生存競争の中で生きていて、その闘いに負ければ潔く退くのが宿命だ。しかし、人間の作り出した凶器にも警戒しなければならないとしたら、可哀そうだ。そのアライグマは、人間の勝手な欲望によって日本に連れてこられて、養いきれずに放り出され、何とか日本で生き残ってきたアライグマの子孫だろうが、本当に可哀そうだ。南米の大地を夢見ながら死んでいったのだろうか。

 人間という生き物は、偉そうにしているが、勝手なものだ。自由だ、平等だ、正義だなどとほざいているが、全くエゴイズムの塊で、自分の欲望を満たし、己の地位を守ることばかりに執着している。野生の生き物ではないとしても、もっと潔く生きられないのか。僕らよりも複雑な言葉を操って、論理的に語ろうとするのだが、自分を守ろうとして、その言葉で使えそうな屁理屈は何でも使う。

 例えば、金額と価格は違うという財務省官僚の言い分には驚いた。金額というには、何かの金額であって、録音テープに入っていた金額というのは、まさしく土地の売却価格のことであろう。屁理屈もいい加減にしろと言いたくなる。人間は賢いのだとしても、そんな屁理屈を認めるようなら、野生のアライグマにも劣る。亡ぶね。

 夜遅く、相棒が帰ってきた。さあ、これから夕食だ。

 冬の雨 異国に眠る アライグマ

2017年     11月30日     崎谷英文


初霜が降りた

 初霜が降りた、十日程前、毎朝早くトラックに乗って新聞を買いに行くのだが、玄関の扉を開けると、目の前の畑と野原が真っ白になっている。雪かと見紛うほどなのだが、もちろん雪ではない。霜が降りたのだ。まだ十一月中旬というのに、初霜が降りたのだ。やはり、今年は、寒さが早くやって来ているようだ。

 トラックのフロントガラスにも、真っ白に霜が掛かり、前が見えない。ワイパーを回しても、凍り付いた霜は剥がれない。霜取りの道具、そんなものがあるのだが、それを使って霜を削り取る。

 十月は忙しかったが、この十一月も忙しい。いろいろ雑用も多かったのだが、浮世の義理のようなことも多かった。

 姫中、姫路西高のOBの同窓会、白城会というのだが、その総会には出なかったのだが、その総会の後の懇親会に出席した。そのような会に出るのは二回目だが、出席している人は、理事の人が多いのだろうが、その他の出席者たちも、前と同じような人ばかりで変わり映えはしない。白城会の会費、二千円らしいが、それもほとんど払っていない僕が出席しているのは場違いなことだ。懇親会の会費は、別途六千円である。

 隣の同級生が、この人は誰それだとか、あの人は何々している人だとか教えてくれるが、ほとんど興味はないのだが、そうか、へえーなどと相槌を打って聞いているふりをする。大体が、いつもジーパンばかりで、背広などほとんど来たことのない僕が、わざわざ背広を着て革靴を履いていることがおかしい。何十年前の背広だろうか。少し穴が開いている。

 この総会の懇親会に出るのは初めてで、いつもはどうなのかよく知らないのだが、今回は、西高の48回生のプロのアルトサックス奏者、佐藤恭子さんのジャズ演奏があった。酒と薔薇の日々、ムーンリバーなど、年寄りのOBが多いこともあるのだろう、昔のスタンダードナンバーのジャズの幾つかの演奏があり、僕も年寄りになるのだろう、懐かしく、なかなか楽しめた。

 こういう会に出て、いつも思うのだが、年寄りの話は長くなりがちだ。理事長の挨拶、市長も来ていたのだが、市長の挨拶、彼らは自慢話ではないのだろうが、これも言っておかなければとばかり、次々と話が長引く。ジャズ演奏ともろもろの挨拶で、一時間以上も、テーブルに置かれた料理を前に、おあずけを言い使った犬のように待たされて、漸く熱燗としてテーブルにあったお猪口で冷たい乾杯をする。

 僕は、与えられた席からほとんど動かずに、いろいろ持ってきてくれる酒を飲み、料理を食べていたのだが、思いがけない人との再会もあった。牛尾さんという、一年先輩の石の彫刻家、それはもう三十五年以上も前になるであろう、彼が銀座で個展を開いたときに会って以来であった。大きな石を使ってオブジェを作る有名人である。今も元気そうで、今も大きな石を使って彫刻を作っているらしい。

 その懇親会の翌日、朝早く、我が家の檀那寺、西楽寺の門徒総代から電話があった。前の前の住職の奥さんで、今の住職の祖母にあたる人なのだが、住職の奥さんは寺を守るということで、坊守と言われるのだが、その坊守が亡くなったという知らせであった。門徒葬をするので、その日の午後に、打ち合わせをするから寺に来てくれという連絡であった。僕は、ずっと断ってきたつもりだったのだが、何時の間にか門徒の役員にされていたらしい。

 十五日、十六日と西楽寺で通夜、葬儀が行われ、その準備や受付で忙しかった。さすがに寺の坊守の通夜、葬儀で、十以上の寺の坊さんが読経している。しかし、僕はほとんどずっと受付にいて、ただ読経の合唱が聞こえるばかりで、中の様子はほとんど分からなかった。

 十六日は、夕刻から太市駅周辺の活性化協議会があり、それも理由にして、葬儀の後の飲食は辞退したのだが、夜、立派な弁当と缶ビールが届けられていた。

 数日前から、湯たんぽを布団の中に入れている。これでトラックの霜は落とせる。寒い。

 玉葱の 苗はゆるりと 背を伸ばす

2017年     11月26日     崎谷英文


山が色付いてきた

 山が色付いてきた、雨と台風の続いた十月から十一月になって、急激に寒くなり、突然のように秋が深まり、山が色付いてきた。山の所々に、黄や赤の斑紋が見え始めたと思っていたのだが、二・三日前から、その色はますます濃く広がり、山は黄と赤と緑の綺麗な模様を描き出していく。昨日見た山と比べ、今日は一段とその模様の濃くなっていくのが判る。

 黄葉、紅葉は寒さを感知し、あるいは朝晩の寒さと昼の暖かさの寒暖差の中で、その色を濃くする。日照時間とも関係する。

 中学校の理科でも習うのだが、緑の葉には葉緑体があり、それが葉を緑に見せる。葉緑体には、クロロフィルという光合成色素があり、そこでは光合成をおこなうために光が吸収される。光合成には、光と温度が必要で、気温が低くなり、日照時間が短くなると、光合成の効率は悪くなる。

 葉緑体+二酸化炭素→でんぷん+酸素、という光合成の働きには、それぞれの樹木に合った充分な光と温度が必要になる。

 気温が低くなり、日照時間も短くなると、緑の葉が作り出す養分が葉の消費する養分よりも少なくなり、植物の生存にとって不利となる。そのために、落葉樹は秋になると落葉の準備を始める。緑の葉では、クロロフィルの分解と再生産が常時行われているのだが、秋になると、専ら分解のみが行われ、再生産は抑制される。そうなるとクロロフィルの緑は薄くなり、その他の葉に含まれていた色素の色が見えてくる。

 黄葉は、葉の中に含まれていたカロチノイドによって、黄色に見えると言うことらしい。

 紅葉は、クロロフィルが再生産されなくなる頃、葉の根元と枝の間にコルク状の離層という物質が作られ、葉と枝との間の物質交換ができなくなって、葉で作られたブドウ糖が葉に蓄積され、それに日光、紫外線が当たり、そのブドウ糖が分解され、新しい色素、アントシアニンが作られ、赤く見えるようになるということらしい。

 山の紅葉も、初めは緑と赤の混じった茶色っぽいものが、時を経て赤が勝ってゆき、赤色が濃くなっていく。調べたところ、アントシアニンは、葉の表面、上の方にあるさく状組織で形成され始め、裏面、下の方にある海綿状組織にはしばらくの間、クロロフィルが残るということらしい。表面のアントシアニンが、まだクロロフィルの残る光合成の機能を有している海綿状組織を、有害な紫外線から守っているという紅葉メリット説がある。

 樹木というものも、それぞれ自分たちの生き方を持っている。常緑樹は、それはマツヤスギのような針葉樹が多いのだが、そうでなくとも、この秋から冬にかけての低温や短い日照時間でも、光合成を効率よく働かせる機能を持っているのだろう。それぞれの樹木は、長い間の生長、進化の過程において、それぞれの生き方を身につけていったのだろう。

 モミジやカエデなどの紅葉する樹木も、長い間の進化の過程で紅葉メリット説の言うような機能を身につけたのだろう。

 動物たちも同じである。それぞれの動物は、進化の過程で、それぞれ様々な生き方を身につけていった。草食動物は草食動物なりの、肉食動物は肉食動物なりの、それぞれの生き場所を見つけ、生き延びてきたのである。植物たちも動物たちも、競争相手と切磋琢磨しながら、自分たちの生き場所を見つけ、そこでの生き方を身につけ住み分けている。

 いくら科学が発達しても、一本のモミジ、一匹のアリさえ、研究室の中で作り出すことは難しい。自然の中で生きているいのちは、それだけで素晴らしい奇跡のような存在であり、いくら文明が発達しようが、人もまた、その自然の中のいのちと共存し、住み分け、相互に助け合っていることを忘れてはなるまい。

 庭のモミジも、今鮮やかに赤い。

 浮世にも 変わらず山は 秋の景

2017年     11月19日     崎谷英文


タマネギを植えた

 タマネギを植えた、三百本程も植えた。十月は、田んぼのことでいろいろ忙しく、畑にまであまり手が回らなかったのだが、稲刈り、天日干し、脱穀、籾摺りが、漸く終わり、草茫々だった畑の草刈りをし、小さな耕運機で耕す。夏から秋にかけて、丈高く草は伸び、草刈り機で刈っても、茎が長いまま残る。ガンジキ(熊手)で寄せ集めて、きれいになったところを耕す。

 耕すと言っても、同じ所を何度も往復して、土の塊が細かくなるまで耕すのが本当らしいが、米作りも適当だが、野菜作りも適当で、いい加減なところで終わる。牛糞、あるいは鶏糞の肥料をまた、適当に撒く。その上に有機石灰、僕の使っているのは蛎殻石灰なのだが、それを、肥料の数十分の一程撒く。石灰の量は多くないのだが、少し撒くだけで、その白さが目立つ。

 野菜には、それぞれ酸性を好むもの、アルカリ性を好むもの、またその中間を好むものなど、いろいろなのだが、土壌というものは酸性化するのが普通らしく、通常の野菜は、少しアルカリ性の方が育ちやすいらしく、石灰を撒くのは、野菜作りの常とう手段である。以前そんなことも知らなくて、成長しないなあ、と寝惚けたことを言っていたこともあるが、流石に今は、石灰を撒くようにしている。

 肥料と石灰を撒いて、また耕す。いわゆる肥料を土の中に鋤き込むということである。畑を何度か往復して、畑の土は、見た目にも畑の土らしくなる。

 他の野菜ならば、苗から植える時、株間は二十cmほどは離して植えるのが普通だと思うのだが、タマネギの場合は、十cmほどの間隔で植えるのが良いとされている。野菜作りの名人のような隣の人から、教えて貰った。つまり、かなり密集させて植える。二・三cmほどの深さに根を持っていき、タマネギの苗の葉はまだ元気がなく、倒れたまま植えていく。大した力仕事でもないのだが、腰を落として一つ一つ植えていくと、流石に足腰が疲れる。

 まだまだ若いつもりでいたのだが、寄る年波は、身体を何時までも頑健には保ってくれない。年毎に、これまで楽にできたことが苦痛になって、やる気さえなくさせる。気力を振り絞って元気を出そうとしても、その気力さえ萎んでくる。まじめな人は、そこで落ち込んで、苛々したり、病気になったりするのかも知れない。しかし、いい加減に生きている僕は、どうせなるようにしかならないという性分が身に付いていて、落ち込みはしない。

 それにしても、九人もの若者を、それも二・三か月の内に殺害するという事件は何だ。死にたいなどとツイッターなどで呟いている若い女の子たちを上手く言いくるめて、金が目当てなのか、次々と殺していったと言う。犯人は、その女の子たちで、本気で死にたいと思っている子はいなかったなどとも言っている。どうして、その犯人は、かくも平然と九人もの人を殺すことができたのだろう。

 人は通常、他人と対峙する時、相手の立場、相手の心情、相手の言い分などというものを斟酌するものだと思うのだが、この犯人には、そういった共感能力が全くないように見える。悪いことをしないということは、相手の立場に自分が立ってみて、自分が苦痛だと感じるようなことは、当然相手にもしない、ということだと思うのだが、この犯人には、そういった共存意識は見えない。

 サイコパスという人たちがいるという説がある。サイコパスと言われる人は、共感能力がなく、平然と極悪犯罪を遂行できるらしい。日常は、社会生活としては通常の人たちと暮らしているのだが、それは、ただずる賢くて、上手に共存するふりをしているだけなのだと言う。この犯人も、そういった類の者かも知れないが、もしかすると、人間という生き物は、僕は信じたくないのだが、そういったこころの闇を奥深く持っているのかも知れない。

 平然とアメリカファーストを叫ぶトランプ大統領は、果たして共感する能力を持っているのだろうか。自分のためだけを考えればいいと言う風潮が蔓延していないか。

 根っからの 怠け者なり 秋の雨

2017年     11月13日     崎谷英文


また冬が来た

 また冬が来た、暦の上では冬が来た。立冬である。雨続きの上に台風が二度やって来る散々な天気の十月だったが、十一月直前から、これまでの空を取り戻すように晴天が続いた。十一月三日に天日干しをしていたヒノヒカリの脱穀、籾摺りが漸くできた。普通なら、二週間も天日干しをすれば充分乾くのだが、流石にこの雨続きと台風で、約三週間干したことになった。やはり自然には、逆らえない。

 この十月の雨続きの為に、まだ刈り取られていない田んぼが幾つかある。農協などの稲の品種の案内によると、やはり、通常は刈り取りが遅くなると良くないとされている。放っておくと、立ったまま稲穂に芽が生えることもあると聞く。

 ずっと以前、米作りを始めた頃、その時は小さな田んぼだけだったのだが、時期は今年よりも前のことだが、同じように台風が来て、天日干しの稲木が倒れたことがある。当時は呑気なもので、忙しかったせいもあったのだろうが、三・四日稲穂が水に浸かったままだったことがある。今でも米作りの素人のようなものだが、当時は全くもって無知で、そうなってもまた干せば構わないだろうと思っていた。

 しかし、その時、もう既に穂が発芽していたのである。さすがに、まあこれでは美味しい米などにはならないだろう、と覚悟を決めていたのだが、いざ脱穀、籾摺りをした米は、何とも美味いのであった。世間では、美味しくするためか、健康のためかは解らないが、わざと米を発芽させて販売していることがあるのは知っていたが、その発芽米が、自然に生まれたのである。

 しかし、その発芽米は、全く偶然の賜物で、ただ、運が良かっただけであろう。偶然の賜物をまた期待するわけにはいかない。今年は、一度稲木が倒れたのだが、数時間で立て直したので稲穂が発芽することはなかった。苦労したが、やっと今年の米作りが終了した。

 稲刈りの終わった田んぼは、数週間で穭田(ひつぢだ)になる。穭というのは、稲を刈り取った後の切り株から出てくる青い芽である。コシヒカリの早稲を作っていた田んぼはでは、しっかりと一面が穭に覆われていて、キヌムスメなどの十月初旬に刈り取られた田んぼでも、ゆっくりと青い芽が育っている。ヒノヒカリなどの田んぼでは、まだ稲の切り株ばかりである。今頃は、田んぼの青さで稲の品種が解る。

 ジョウビタキが今年もやって来た。毎年、冬になるとやってくる鳥である。今日は立冬であるが、一週間前ぐらいだっただろうか、庭で、ジョウビタキが二羽戯れていた。黒っぽい羽で、その真ん中に白い斑点があり、お腹はオレンジ色をしている二羽のジョウビタキが遊んでいる。確か去年までは、一羽しか来ていなかったと思うのだが、今年は、番の二羽であろうか、少し色付きかけた紅葉の枝を飛び交って、追いかけっこをしているように見える。

 それにしても、トランプ大統領来日の大騒ぎは何としたものか。大掛かりな派手な演出は、メディアも報道せねばならないのだろうが、全く田舎芝居を見ているようで情けない。人は権威に靡くものかもしれないが、日本人は、特にその権威主義が強いようだ。今朝のテレビを見ていると、次に訪問する韓国では、トランプ大統領の訪韓に対しての抗議運動が起こっているようだが、日本で抗議運動というものはあったのだろうか。

 そもそもトランプ大統領は、世界の鼻つまみ者なのではなかろうか。北朝鮮を利用して、日本に武器の購入を押し付け、安倍晋三は、唯々諾々と従う。日本はますます軍国化していく。北朝鮮との緊張が増すばかりなのに、安倍にしてみれば、渡りに船の武器購入であろう。

 天気は良くなり、日射しの強い日中は、まだ暖かくも感じるが、朝晩の冷え込みは徐々に強くなり、確実に冬はひたひたと押し寄せているようだ。

 空高し 如意棒腰に 孫悟空

2017年     11月7日     崎谷英文


稲木が倒れた

 稲木が倒れた、苦労して稲刈りをし、天日干しにしていた稲木が、ほとんど倒れた。この雨続きの中、季節外れの台風がやって来て、雨はますます強くなってきていたのだが、さほど風は強くなく、大したことはなかろうと思っていた。しかし、日曜日の夜、瞬間最大風速が大きかったのだろう、次の日、まさかと思って田んぼに見に行くと、ほとんどの 稲木が倒れていた。

 自然を侮ってはいけない、と改めて知らされた。日本各地でも、この台風による風水害が多くあったと報じられた。しかし、被害を受けたのは、多く文明ではなかっただろうか。人の作ったものは、必ず壊れる。人工物が壊れると、それは決して自己再生しない。しかし、自然は自己再生する。人が余程酷いことをしない限り、自然は、時間が掛かるかも知れないが、何時か必ず自己再生する。人の作ったものは、必ず壊れ、自己再生しない。

 とは言え、この苦労した稲木の人の工作物は再生させねばならない。宮野、苅谷、吉田らの友人たちに連絡して、稲木を立て直し、稲束を掛け直した。この風雨、台風のおかげでえらい目にあった。何とか、大きな田んぼも小さな田んぼも、元のようになった。友人たちに大いに感謝しなければならない。自分一人なら、到底一日で済む作業ではない。天日干しは機械ではできない。機械にできないことは、人の力に頼るしかない。

 その後、台風一過の通り、数日好天が続いた。どうやら、週末には脱穀、籾摺りができそうな気配であった。しかし、とんでもないことに、また台風がやってくる、と言う。そこで急遽、金曜日に、小さな田んぼの脱穀、籾摺りをすることにした。あの草だらけの小さな田んぼは日当たりが良くなく、乾き具合も少し足りなかったのだが、何とか済ませた。大きな田んぼの稲籾の方が良く乾いていたのだが、そこを作業するには準備と人手がいる。

 人は自然の中で、自然に生きていたはずだが、今や、人は、自然の中で自然に生きて行くことはできなくなったようだ。機械文明に囲まれて、自然を克服したかのように生きている。しかし、自然は泰然自若、あざ笑うように人々を翻弄する。科学は、大きなものも小さなものも作り、あらゆるものを分析するのだが、自然は常にその上を行く。人はやはり、この大きな自然の流れの中で生きて行くしかない。

 その昔、人が言葉を知らなかった頃、人は自然の声が聞こえたのではないか。言葉ではない声が、自然の呻きや唸りや喜びや悲しみや怒りの声が、聞こえていたのではないか。それは理屈ではない、光であり、風であり、匂いであり、肌触りである。さらには、形容し難い、何処からともなく漂うものを、人は感じ取っていたのではないか。人が言葉を操るようになって、理屈を用いるようになって、人は自然の声が聞こえなくなっていく。

 人は言葉を覚え、賢くなって、文明を謳歌する。言葉は、人と人とのコムニケーションを盛んにし、人と人との繋がりを広く、強くしていくのだが、人は言葉で人を操ることも覚える。言葉を覚えることによって、自然の声が聞こえなくなったのだが、言葉を操ることによって、人の声も聞こえなくなったようだ。強欲の為に言葉を駆使し、純情で愚かなる大衆は、脅され騙され、強そうな者に付き従う。欲深き者は、大衆をあざ笑う。

 何はともあれ、稲木を立て直し、小さな田んぼの脱穀、籾摺りは済んだのだが、予報通り、台風がやって来て、今日、土曜日、朝から雨が降り続く。天気が良ければ、今日明日にも大きな田んぼの脱穀、籾摺りができたのだが、それも叶わない。この雨で、また数日作業が遅れる。しかし、今日の雨、台風は、この前のより小型であり、再び稲木が倒れることはないだろう。近いうちに、作業ができそうだ。

 しかし、また、姫路に強風注意報が出ている、少し心配する。

 流転経て 後は輪廻か 秋深し

2017年     10月28日     崎谷英文


雨が続き、台風も来た

 雨が続き、台風も来た、十月に入ってから雨が降り続き、おまけに季節外れの大型の台風さえやって来た。秋雨前線が本州を跨ぐように居座り、空はどんよりとして、雨が降ったり止んだり、久しく秋晴れの青空を見ることがない。地球温暖化と言われて、近年は夏の暑さが長く残っていたことが多かったのだが、今年は、この十月、裏切るように冬の始まりを思わせるように風が冷たい。

 この辺りでは、丁度稲刈りの時季にあたり、米を作っている多くの人が往生している。キヌムスメは、十月の初めが刈り時で、キヌムスメを作っている人は、何とかこの7日、8日、9日の連休の雨の合間に刈り取っただろう。しかし、ヒノヒカリは十月中頃からが刈り時にあたり、多くの人が、この雨続きの為に刈り取ることができない。本来なら、穭(ひつぢ)稲の切り株からの青い芽で田んぼが覆われている頃である。

 小さな田んぼで、キヌムスメも二畝程作っているので、八日にバインダーで刈り、稲木に掛けたのだが、その時からずっと雨が降り続き、稲束は茶色く湿ったままに、一向に乾く気配はなく、脱穀、籾摺りは、ずっと遅れそうだ。普通に天気が良ければ、二週間で脱穀、籾摺りができるようになるのだが、早くとも一週間は遅れそうだ。

 大きな田んぼのヒノヒカリは、何時刈ろうと思っていたのだが、今年は稲の成熟が早そうだったので、十四日、十五日に刈ることにした。小雨の降る中、十四日に三分の一程を刈り、稲木に干した。天日干しにする場合は、少々雨が降っていても、刈り取ることさえできれば、どうせ干すのだから大丈夫なのだが、コンバインで脱穀までやってしまうのには、雨に濡れた籾は機械に詰まりやすくなり難しい。

 十五日に残りを刈ろうとしたのだが、結局五分の一程が残った。バインダーが調子悪くなったこともあるが、田んぼの地面の低い所に水が溜まったままになっていて、バインダーのタイヤが嵌まり込みそうになり、途中で止めた。友人も手伝ってくれて、子供会の親も手伝ってくれて、できれば全部やってしまいたかったのだが仕方がない。

 どろどろの所だけが残り、手刈りを試みた。昔はバインダーなどなかったのだから、手刈りのできないはずはない。しかし、手刈りをやってはみたが、大変だ。きっと昔の人は、家族総出で、人海戦術で手刈りをしたのだろう。手刈りをやってみたものの、残りを一挙にやることはできない。何日かに分けて、やっと昨日の朝、全部刈り取った。昔の人は、刈り取っては、手際よく藁で結ぶという技術があったのだろうが、僕にはない。紐で束にするのに手間取った。

 やはり、自然の力というものは、人の力を凌駕する。いくら文明が発達しようが、天からも地からもやってくる強大な自然の力に、人の力は及ばない。自然を征服するのだ、とか言うのは、やはり、戯言だろう。自然の怒りのような脅威は、ある程度は予測できるとしても、その脅威自体を排除することはできない。やはり、自然を侮ってはいけないのであり、自然に敬意を払い、謙虚に自然と共に生きて行くことを忘れてはならない。

 自然の脅威は、自然の営みであり、それは何処までも自ずから然りなのだが、人の営みは、何とも醜い。嘘を言い、騙し、脅し、一時の言い逃れで逃げようとし、ただただ大儲けしようとし、宣伝し、演出し、人々を操ろうとする。人々は、もっともらしい聞こえのいい、裏に潜む邪悪な思惑の隠された言説に惑わされ、長い物に巻かれろ、寄らば大樹の陰、とばかり、権威に縋りつく。平和も自由も平等もあったものではない。亡ぶね。

 雨が降り続く。大型台風もやって来た。衆議院選挙の日である。昨日、期日前投票に行っておいて良かった。何事もなく、台風一過の秋晴れが待ち遠しい。

 秋霖や 袖振る君は 傘の中

2017年     10月22日     崎谷英文


セイタカアワダチソウが咲いている

 セイタカアワダチソウが咲いている、実家、塾の裏の空き地に、黄色いセイタカアワダチソウが一面に咲いている。この時期、至る所にこの花が咲いている。元々、日本にこの草花はなかった。セイタカアワダチソウは、アメリカ原産の外来種である。僕の小さい頃にはなかったと思う。割と最近、最近と言っても、数十年前位から、太市にも広がって来たのではないか。

 このセイタカアワダチソウは、生命力が強い。休耕田に生えだすと、一面がセイタカアワダチソウの花野になってしまう程で、他の野草、野花を蹴散らして、我が物顔で領地を占有する。外来種というものは、概して強く、少しだけ日本に入ってきたものが、時を経て、素早く、あるいはゆっくりと、まるで元から日本にいたように偉そうにする。しかし、野花としてのその花は、背が高く鮮やかな黄色で綺麗でもある。

 セイタカアワダチソウとブタクサとの違いが判然としないことがある。ブタクサとセイタカアワダチソウは、共に黄色い、似たような花を咲かせる。花の色具合や葉を比べれば判るらしいが、育つ時期も異なる。ブタクサはもう少し早く、夏頃から咲いているらしいが、セイタカアワダチソウは、九月頃から咲き始める。今この時期に蔓延っているのは、確かにセイタカアワダチソウだろう。

 セイタカアワダチソウは、濡れ衣を着せられていたらしい。秋の花のアレルギーのアレルゲンとして、セイタカアワダチソウが槍玉に挙げられていたことがあるらしいが、悪さをしていたのはブタクサだったということである。もちろん、どんな花粉でも、人の体質によってアレルゲンと成り得るのであって、セイタカアワダチソウの花粉で、鼻をグシュグシュする人もいるかも知れないが、多くは、ブタクサの花粉アレルギーらしい。

 セイタカアワダチソウは、外来種で、そんなことも、セイタカアワダチソウが敵視された理由かもしれない。しかし、セイタカアワダチソウはそんなに悪くない。ただ、日本の野の在来種の住処を奪ってしまうとしたら、問題でもある。しかし、日本に入ってきたものは仕方がなく、日本の在来種と上手く住み分けするように、共存するようにしてやらねばならないだろう。

 外来種と言えば、ジャンボタニシというのが、初めて僕の田んぼに入り込んできた。去年まではいなかったのだが、今年は僅かであるが、侵入してきた。正式名、スクミリンゴガイと言う大型巻貝で、タニシではない。1981年に、食用として輸入されたのが、野生化したものらしい。稲の小さな苗を食べたりするらしいので、来年は少し注意しなければなるまい。草や葉に付くどぎついピンク色の卵の塊が特徴で、見つけたら水の中に放り込む。卵は、水の中では成育しないのだという。

 日本国憲法というものも、それが外来だからと言って、その廃止、改正を目論む輩がいる。しかし、日本国憲法は、多くの日本人関係者、日本政府も、その制定議論の中に入っていたのであり、単なる押し付け憲法ではない。百歩、千歩譲って、連合国総司令部、GHQ産の日本国憲法だとしても、それを改正するべきか否かは、その日本国憲法の内容による。

 外来種だからと言うだけで、悪いことはない。その憲法が、内容的に相応しいものであるなら、改正する必要はない。どんな新しく良いことも、ほとんど外からもたらされる。それを取り入れてこその文化、文明であろう。ただただ自主憲法だ、と言うなら、まるまる新しくせねばなるまい。しかし、そこまで言う輩は少ない。

 今の憲法のどこがどう不具合なのか、教育無償化とかいうのは、憲法改正の必要はなく法律でできる、参議院の合区解消も手前味噌であり、緊急事態法は危ない道であり、つまるところ、保守派、国家主義者たちは、憲法違反の法律に合わせるように憲法を改正しようとしているのに他ならない。日本国民は、日本国憲法の平和主義、戦争放棄が崩れていくことを望んでいるのだろうか。

 今、再び、聞こえのいい幼児教育無償を言い、北朝鮮の脅威を喧伝し、見かけの経済成長を自慢し、安倍晋三、その取り巻きが政権を維持したとしたら、ほとんど間違いなく、森友、加計問題はうやむやにされ、またどさくさに紛れて、戦争への道の憲法改正がなされてしまうだろう。亡ぶね。

 草陰を ゆるりと流る 落し水

2017年     10月13日     崎谷英文


カボチャが生った

 カボチャが生った、生ったと言っても、勝手にできたカボチャである。我が家では残飯を畑に埋めて肥料にしているのだが、その中からカボチャが生った。一つや二つではない、十程も生っているだろうか、夏野菜が終わり、今は大した野菜はできていないのだが、大きいもの小さいもの、色の濃いもの薄いもの、いろいろだが、カボチャが沢山出来た。その中の美味しく食べられそうなものを、いただくことにした。

 カボチャというのは、本当に元気のいい野菜で、料理した残りの種から芽が出たのだ。畑の土の中に入れ混ぜ、黒いシートを被せていたのだが、そのシートの端から元気よく芽を伸ばし、四方八方に広がって行く。一つの種から何本も茎が地を這って広がる。近くの木や苗にもお構いなしに覆い被さっていく。連作でも大丈夫なように接木苗というのがあるが、それにはカボチャの茎や根が使われるという。カボチャは、元気なのである。

 そろそろ稲刈りが始まる。早稲であるキヌヒカリやコシヒカリは、もうとっくに刈り取られているだろう。キヌムスメはそろそろ、ヒノヒカリはもう少し先になる。米作りというのはしんどい。今はトラクター、田植え機、コンバインなどがあり、昔に比べればずっと楽になっているが、それでもしんどい。昔はもっと大変だった。この辺りでは、牛が田んぼを鋤いていて、農家には牛がいた。手で田植えをし、手で稲を刈っていた。

 思えば、本当に機械化というものは凄い。現代社会というものは、機械文明なしには成り立たない。電気、ガス、水道というインフラというものも、現代社会には欠かせない当たり前のものになっている。僕の小さい頃は、さすがに電気は来ていたが、ガスという便利なものはなく、下水道はもちろん、上水道もなかった。薪と炭で火をおこし、煮炊きし暖を取り、井戸水を使っていた。

 しかし、現代文明は、人間をひ弱くしていないだろうか。人の力、自分自身の身体の力、創意工夫の力、そういったものを損なっていないだろうか。何でもかんでも、便利になり、楽になるということを、求め過ぎてはいないだろうか。

 まあ、こんなことを言っても詮無いことだろう。しかし、忘れてはけないことは、この機械文明に頼り過ぎていないか、ということである。人は本来、野生であったことを忘れてはいけないのではないか。機械文明に頼ってばかりいると、人間が本来持っているはずの野生の力、自然の中で生きる能力、というものが削り取られてしまうのではないか。

 それにしても、今の日本の政治状況はどうなっているのだろう。陰謀と策略の渦巻く、騙し合い、化かし合いで、信念も正義もあったものではない。権力欲に取りつかれた亡者たちの権謀術策、手練手管の政治闘争に過ぎないのだとしたら、こんな馬鹿げた話はなかろう。民主主義を利用して大衆をだまくらかし、ただ権力を保守しよう、権力を握ろうとしているのだとしたら、そんな国民を愚弄した話はなかろう。

 そうは思いたくない、彼らは彼らなりに、国民のために良かれ、と思ってはいるのだろう。しかし、初め、安倍政治を許さない、として大同団結するのかと思い、ならば先ずはそれからと思っていたのだが、とんでもない方向に走っていくようだ。小池百合子は、元々、ずっと右寄りの権力主義者、国家主義者であり、その本性は変わらない。民進党も騙されたようだ。保守としての政権の受け皿作りのために、民進党は分断された。

 源平合戦や応仁の乱や戦国時代の血生臭い離合集散を思い出す。権力を握ることばかりに執着する、自己保身にばかり執着する。メディア、特にテレビに出てくるような評論家たちは、まるでゲームを見ているように、この離合集散、戦略、戦術をおもしろおかしく語るばかりだ。ゲームとして見ていればおもしろいのだが、これはゲームではない。何が正しく、どうあるべきなのか、きちんと論じなくてどうする。情けない。

 便利になり、楽になった生活に埋没し、人々は、まともに考えることができなくなったようだ。亡びるね。

 秋時雨 暮行くままに 山は消え

2017年     10月7日     崎谷英文


目に光が走った

 目に光が走った、と言ってもどういうことなのか解り辛いだろう。左目の左上に、斜めにリボンより細い光の線が、一本走ったのである。

 数日前であろうか、以前から時々、目の前を黒い影、蚊が飛ぶような症状、飛蚊症が現れていたのだが、その蚊が、塊りになったり、網の目のようになったり、右に左に大きく飛んだり、いつもの症状より酷くなっていて、ますます、衰えたかと無常を感じていた。加齢による老化が進んできているのだろうが、目の疲れもあるかも知れないので、一番安い目薬を買ってきたりしたのだが、そう簡単に治るものではない。

 黒い蚊が飛び交っていても、別に視線を遮るものではなく、本は読める。本を読みながらうとうとして、はっと目が覚めて顔を上げると、光が走った。それは、一瞬であるが、この部屋の中に雷光が見えたように感じた。

 ああ、やっと僕に神、仏の光が差してきたのか、などとは思わなかった。こんなことは初めてで、何か、おかしい。飛蚊症の影でもなく、閃輝暗点のギザギザの光でもなく、明らかに黄色い、走る光の線である。頭を動かすと光る。痛みのようなものは、全くない。

      

 五感と言うものは不思議だ。目に映るものが目に見えるものだと思っていたのだが、目に映らないものが見えるということもある。閃輝暗点の光も、この光の線も、外から目に映るものではない。つまり、目の中か脳の中で見ている。幻覚というものは、まさしく、脳の中で、現実に外から目に入ってきたものではないものを見ている。

 耳鳴りもしているのだが、それも外からの音ではない。耳の中で、あるいは、脳の中で作られた音になろう。幻聴というものは、脳の中で作られたものとなろう。

 幻覚も幻聴も厄介なものなのだ。感覚というものは、感覚器官、眼、耳、鼻、舌、身体で感じとらえられるものであるが、結局は、それを脳が感じていることになる。通常は、感覚器官でとらえられていないものが感じられるということは無い。しかし、時に人は、脳の中で、精神の中で、様々に感じる。現実世界の、夢、幻の証でもあろうか。

 この走る光は何なのか、インターネットで調べると直ぐに分かった。光視症というものらしい。飛蚊症の仲間のようなものらしい。飛蚊症というのは、眼の中の硝子体、それはゼリー状になっていて、眼のレンズを通ってきた光が、その硝子体を通過して、網膜に像を作るのであるが、その硝子体が、加齢による老化のために濁ることによって起こる症状らしい。

 光視症というのは、やはり加齢による老化により、その硝子体が融解し、硝子体と網膜との間に隙間ができ剥離することによって起こる症状らしい。この剥離を、後部硝子体剥離という。この硝子体と網膜との剥がれ始めに、くっついたり離れたりすることによって、光が走るらしい。重大な病が裏になければ、剥がれきることによって、光は消えるということらしい。僕の目の走る光も、三日後には無くなった。しかし、まだ、飛蚊症の症状は続いている。

 前にも少し言ったが、このような光を、昔の人は、神の啓示とか仏の来光とか思ったりしたのではあるまいか。丁度もっともらしいことを考えている時、このような光視症の現象に出合えば、神の御意向、仏の御意志と都合よく思ったりする。僕も、遂に神、仏に近づいたか。馬鹿々々しい。

 しかし、今回の衆議院の解散劇は、馬鹿々々しくて面白い。しかし、危うい。安倍内閣が終わることは良いのだが、その後がどうなるのか。とにかく今は、安倍政権、自公政権が倒れることが第一かも知れないが、それが上手くいったとしても、その後にどちらに向かうのか。

 まさに笑ってしまうほど、キツネとタヌキ、ハイエナもネズミもいる政治家たちの、権謀術策、表の顔と裏の顔、語る言葉と黒い腹、胡散臭い輩ばかり。民主主義は、それほど悪くない制度なのだが、一つ間違えば、とんでもないことになることは歴史が証明している。

 幻覚の光を、後光などと思い違いしないように、しっかりと目を開けておかねばならない。

 帰らねば 秋の日暮れの 田んぼ道

2017年     9月29日     崎谷英文


彼岸花が咲いている

 彼岸花が咲いている、彼岸花は、実に律儀に、彼岸の入りの頃、田んぼの畦道や川の土手に咲き始める。彼岸の中日は、秋分の日、秋分の日は、太陽が真東から上り真西に沈む、昼と夜の時間が丁度同じになる。(もちろん、少しのずれはある。)

 彼岸とは、あちらの世界、あの世であり、こちらの世界、この世は此岸である。この生死の境に川が流れ、此岸から彼岸へ行くことが、生死を超えた悟りの境地に至ることになる。人はいずれ死ぬ。この世にいながら、あの世を見つめるのがお彼岸である。人の世の空しさ、この世の無常を見つめるのがお彼岸である。彼岸とは、あの世であるが、仏の世界でもある。

 昔の人は、今と比べずっと死を身近に感じていたであろう。寿命は短く、若い内から、数多くの親類縁者の死と出合うことになる。いずれ死ぬことは、身につまされて感じながら生きていた。死を身近に感じながら、何時終えるとも知らぬいのちを、精一杯に生きていた。しかし、死を意識しながら生きることは難しく、人は通常、死を意識せずに生きている。欲望のままに、此岸を生き続ける、彼岸を見つめることもなく。

 生死を超えたところに真実があり、実体があるとしたら、この世、此岸はバーチャル、仮想ではないのか。五感で感じるものは、実体のように見えて、実は仮想現実でしかないのではないか。猫の五感と人の五感とは異なる。ポトラの見ているもの、聞いているもの、嗅いでいるもの、触れているもの、味わっているもの、その感覚は、人とは異なっているのではないか。

 だとしたら、この世に実体があるとしても、猫の実体と人の実体は違う。だとしたら、そんな実体、現実は、仮想ではないのか。見えているもの、聞こえるもの、匂うもの、触れるもの、味わうもの、それらが現実だとしても、人と猫は、同じものを見ても、聞いても、嗅いでも、触れても、味わっても、同じようには感じない。だとしたら、そんな五感で感じるものは、実体ではあり得まい。

 だとしたら、生きていること自体、仮想であり、幻であるのかも知れなくて、川を越えて彼岸に行ってこそ、何かが解るのかも知れない。どんなに人が賢くなったとしても、生死を超えた世界に、人は無知蒙昧であることに変わりはなさそうだ。だからこそ、信じるものこそ救われる宗教がある。お彼岸には、墓参りでもしようかと思ったりする。

 「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり」は、信長の好んだ舞いの歌の一節であるが、今、人の寿命は八十を越えた。百才を生きる人も多い。長生きになって良かったのだろうが、その分、生き方が難しい。介護する方も大変だろうが、介護される方も大変だろう。若者たちは、若い内から老後の心配をして生きて行く。

 いのちは長くなっても、心身の衰えがなくなる訳ではない。精神が衰えれば、ボケ、認知症、徘徊、身体が悪くなれば、車椅子、寝たきりとなって、老後の生き方は難しい。PPK、ぴんぴんころりを願う人が増えてくる。元気であったとしても、定年になり、仕事がなくなると、することがなくて困ってしまう人も多そうだ。

 源平の戦い、壇の浦で、碇を担いで海に入水、自害したとされる、平清盛の四男、平知盛は、入水の間際、「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん。」と言ったとか言わなかったとか言われるが、知盛の時代の狭い世界では、三十四才の知盛も、ほとんど見た、と言えたかもしれないが、今のこのグローバル時代、世界中を見ることなど、到底不可能だ。欲深き人が、この世の人生に満足することは難しい。

 この世、此岸を生きることは、ただそれだけで大変なのだ。かといって、目を凝らしてみても、彼岸に何があるか分からなければ、そう易々と此岸を離れることも難しかろう。

 昨夜、遅く帰ったら、トンボが一緒に付いてきた。今朝、ポトラとガラス越しに戯れていた。窓から、そっと出してやった。元気に飛んでいった。

 夢語る 愚痴もこぼして 秋の暮

2017年     9月23日     崎谷英文


百日紅の花が咲いている

 百日紅の花が咲いている、百日紅、さるすべりの花がジャングルのようだった庭を、きれいさっぱり、主だった木以外は切り取り、下草も刈り取った後、残った百日紅の木が新しい枝を出し、その葉の先に桃色の花を咲かせている。百日紅というぐらいで、普通は六月頃から咲き始め九月頃まで咲いているので、今咲いているのは当然のように思われるが、この百日紅は、この九月に咲いたのである。

 僅か二か月前に、その百日紅の木の枝もほとんど切り取っていしまっていて、今年はもう咲かないだろうな、と諦めていたのだが、今頃になって咲いた。木の肌は、猿が滑るぐらいにすべすべである。

 庭の木を切るまでは、五m程の木の下の方は周囲の木の枝葉に囲まれて、上の方一m程しか見えなくて、それでも、毎年、その先に少しの花を咲かせていたのだが、さすがに枝葉を切り落とし過ぎたのか、今まで咲く気配がなかったのだ。それが、日当たりが良くなったこともあるのだろう、木の中程からゆっくりと枝葉が濃くなり、いつの間にか咲いた。ずっと遅れて、さていつまで咲いていてくれるだろう。

 自然の力は凄いと思った。ジャングルのようになっていた庭、その庭が、まるでもじゃもじゃ髪の頭を丸刈りにしたようになっていたのだが、残った木々の残った枝から、ゆっくりと緑が濃くなってくる。百日紅の木も、これまで隠れていた中ほどの所から枝葉が伸びて花が咲いた。

 門のところにあった、門を覆い隠すまでにも蔓延っていた夾竹桃も、そのほとんど根元から切り取っていたのだが、いつの間にかその根元から沢山の枝葉を伸ばしている。切り取ったはずの蔦のつるも、いつの間にか壁を這いあがってきている。自然の中で生きる生き物たちの生命力の凄さに驚かされる。

 この庭に生きてきた木々や草は、生存競争をしながら、庭いっぱいに、そのいのちを拡げこの庭をジャングルのようにしていた。生存競争をしながらも、それぞれの生きる場を見つけ、生きていた。丸坊主にされた庭でも、また彼らは懸命に生きようとしている。

 彼らは、ただ生存競争をしているだけではない。彼らは、また助け合って生きている。高い木の枝葉に残る雨水がゆっくりと落ち、下草を適度に潤し、下草は虫たちに喰われながら、枝葉と共に土に還っていく。土に還った枝葉や草は、土の中の微生物に分解され、その作られた栄養分を、木々や草が懸命に吸い上げていく。日照りの土の渇きを、下草がとどめてくれる。植物たちは、それぞれの生きる場を心得ている。

 人は人同士、生存競争をしながら生きてきたのであろう。人は古来よりずっと、戦争をし続けている。知恵のある賢い人のはずなのだが、また人は、欲深く、誇り高く、見栄っ張りなのである。野生の生き物たちの持たない厄介なものを抱えている。

 北朝鮮から、ミサイルが飛んできた。けしからん、懲らしめなければならない、と言う前に、何故北朝鮮は、そんなことをするのか、そこの所をじっくりと考えねばなるまい。

 朝鮮半島の分断の原因を辿れば、太平洋戦争後、北をソ連が、南をアメリカが占領し、その後、北に朝鮮民主主義人民共和国が、南に大韓民国が生まれたことに行きつく。その後、朝鮮戦争が勃発し、1953年に休戦調停が締結された。休戦であって、まだ平和終結はされていないのであり、まだ北と南との戦争は続いている。しかし、更に辿れば、日本の起こした太平洋戦争、更には、日本の朝鮮半島侵略、韓国併合に行きつく。

 北朝鮮にしてみれば、アメリカは敵であり、日本も敵なのだ。だからと言って、北朝鮮のやっていることが許される訳はない。今の北朝鮮は、太平洋戦争中の日本の全体主義を彷彿とさせ、不気味である。

 しかし、歴史を振り返り、大騒ぎすることもなく、しかし、浮かれ切ることもなく、日本の過去を思い出し、冷静に対応せねばなるまい。

 夜、家の中にアゲハチョウが舞っていた。翌朝、窓を開けて、そっと出してやった。元気に飛んでいった。

 山望む 猫の哲学 秋夕焼

2017年     9月17日     崎谷英文


赤トンボの大群

 赤トンボの大群、大群と言えば言い過ぎかも知れないが、朝の九時前、玄関の扉を開けると目の前に赤トンボが群れ飛んでいる。大群だと思った。数十匹は飛んでいただろう。三日前に草刈りをした野原のような所に、三日程しとしとと秋の雨が降った後、久しぶりに晴れ間の見える朝、二・三メートルの高さで赤トンボが群れ飛んでいる。

 赤トンボは器用に飛ぶ。それこそ、オスプレイのように垂直に上がったと思ったら、そこに暫し留まり、すっと前に進む。四枚の羽根は常に細かく動いている。蝶のようにひらひらと舞うのではない。蝶のように触れ合うように飛ぶことはない。夏はナツアカネ、秋はアキアカネなどと言ったりするが、同じように見える。

 八月の初め頃から、田んぼの上には赤トンボが群れていた。その赤トンボが少なくなっているらしい。赤トンボは、小さな虫を捕食して生きている。赤トンボは肉食なのである。蝶のように、花の蜜を吸ったりしない。小さな虫を食べるのだから、小さな虫がいない所には、赤トンボはいない。しばらく雨が降った後の天気の良い朝、小さな虫が前の野原に沢山生まれ出たのであろう。だから、そこに赤トンボの大群がいた。

 僕の田んぼは、農薬を一切使わないから、雑草がたくさん生える。雑草が生えると小さな虫が生まれていく。その虫を狙って赤トンボは集まって来る。しかし、今普通の田んぼは、農薬を沢山使う。農薬を使うと、雑草が生えなくて、田んぼの管理はずっと楽になる。しかし、雑草が生えないと、小さな虫は生まれてこない。だから普通の田んぼの上には、赤トンボの群れは飛ばない。

 それに、農薬を使うと、小さな虫の卵、成虫たちも殺してしまうのではなかろうか。今は、ヘリコプターを使って農薬を田んぼに撒くことがある。僕の大きな田んぼの隣でも、ヘリコプターを使って農薬を撒いたらしい。ヘリコプターは低く低く飛び、農薬を稲の上から撒いていくのだが、いくら低く撒いたとしても、いくらかは拡散する。僕の田んぼの隣の田んぼ近くには、赤トンボはあまり飛んでいない。反対側に寄り集まるように群れている。

 今、僕の作っている小さな田んぼは、雑草だらけである。除草機などを使って除草はいくらかしたのだが、後であまりに黄色い花の咲く雑草が増え、諦めた。もう適当にしておくことにした。そのまま雑草が増え続ければ、米の穫れる量は著しく減るかも知れない。それも仕方がない。この田んぼで、どれだけ米が穫れるか、実験をやっているような気分だ。赤トンボが飛んでいる。

 一週前は、まだ昼の暑さが厳しかったのだが、すっかり秋になったようだ。季節は確実に移り変わる。この前最後の、ツクツクボウシを聞いたような気がする、もう聞こえない。夜、戸を開けると秋の虫が喧しいほどである。一つ一つの虫の声は小さいのだろうが、たくさんの虫が鳴いているのだろう、種類もいろいろいるようで、年を取って高い音が聞こえ難くなっている耳にも、高く響く。

 本当に近頃、耳の聞こえが悪くなった気がしている。聞こえ難いというか、聞き取りが悪くなっているように感じる。声は聞こえるのだが、何を言っているのか聞き分けられず、間違えて聞き取ったりする。そのため、テレビの音を大きくしたりするのだが、それでも聞き間違えたりする。どうやら、音の大きさよりも、音や声を聞き分ける力が減退しているようだ。年を取るということは、厄介なことなのだ。

 しかし、聞こえ難くなる、また見え難くなる、ということは、ゆっくりと俗世から逃れることかも知れない。見たくもない、聞きたくまもないことが、知覚できなくなるということは、寧ろ喜ばしい。碌でもない人の世には、耳を塞ぎ、目を閉じて、ついでに口も噤んで、妄想の世界に浸るのもいいかも知れない。

 自然の音を聞き、自然の景色を見ているだけで、人は充分生きていける。

  露草の 点々とした 畦の道

2017年     9月8日     崎谷英文


まだまだ暑い

 まだまだ暑い、此処太市では、ようやっと今朝などは、少し肌寒いほどになっていたのだが、昼近くなるとやはりまだまだ暑い。空を見ても、まだ秋の気配ではない。

 それでも、頻度の少なくなった蝉の声、ツクツクボウシの声に交じって、夕景の中に秋の虫の声が聞こえてきた。コオロギの声だろう。コロコロと鳴く。蝉とコオロギが、時に輪唱し、時に合唱する。気の早いコオロギなのかもしれないが、少し早すぎたと戸惑っているのではなかろうか。

 友人の柴田、彼は筑波大学の彫刻の先生なのだが、毎年夏に、大学生、大学院生たちを連れて、日本の各地に名所を巡り、古い建物、古い彫刻などの見学旅行をしている。彼は、僕の高校時代からの友人で、東京でもずっと彼の彫刻を見続けていた。彼も僕も、北と西で所は違うが、姫路の街中とは正反対の田んぼの中の田舎育ちであることで共通する。その学生たちを連れての旅が最後になるのだが、彼はその旅に、姫路を選んだ。

 その日の前夜から既に宴会であった。姫新線の太市駅の隣の駅の余部駅の居酒屋で、学生たち十二人、五十才の准教授の大原さん、柴田、そして僕、それにもう一人、柴田と僕よりもずっと山奥の出身で、やはり高校時代からの友人、松末が加わって総勢十六人の宴会であった。学生たちは、三年生、四年生、修士課程、博士課程など様々だが、女の子の方が多い。彼女たちがまたよく飲むのである。大いに飲んだ。

 大いに飲んだ翌日、朝九時、彼らの泊まっていたホテルの前から、昨夜と同じメンバーでマイクロバスに乗る。先ずは、加古川にある刀田山鶴林寺に行く。そこは、聖徳太子の建立に起源を持つとされる古い寺である。仁王門、三重塔、太子堂、本堂、その他多くの建物があり、播磨路の古刹と言われたりする。名高い寺なのだが、近くに居ながら訪れるのは、僕にとっては初めてだった。

 彫刻家、その卵たちの目当ては、白鳳時代に作られたと言われる重要文化財の観音像である。一メートル程の立像であるが、腰をひねり、背を少し反らした流れるような立ち姿は、美しい。白鳳時代の様式を持つという。別名、あいたたの観音さま、その昔、盗人がこの観音像を盗み出し、溶かして一儲けを企んだが、「あいたた」という観音様のお声に驚き、像を返し改心した、という伝説が残っているそうだ。

 その後、明石の街で、明石焼きの昼食を摂る。姫路駅で食べるたこ焼きと比べ、やはり本場を思わせる。数も一人前、十五個にもなる。いろいろ食べ方もあるようだ。味わい深い。ここに来るのは何年ぶりであろうか。その後、明石大橋の下に入り、下から雄大な明石海峡大橋を見る。明石海峡を、旅客船と貨物船がゆっくりと走っている。ほとんど釣っていない釣り人が、小アジを二匹漸く釣り上げたようだ。

 その後、小野の極楽山浄土寺に向かう。午後四時、浄土寺に着く。国宝浄土堂に入る。まだ外は明るいのに、中は暗い。しかし、入った瞬間、圧倒される。その浄土寺の真ん中に、ただそれだけがあるように、聳え立つ、まさしく聳え立つ阿弥陀三尊像の立像。堂いっぱいに、後光の束が天井にぶつかりそうに立っている。阿弥陀如来に、観音菩薩、勢至菩薩。

 目が慣れるにつれ、その暗い金色が見えてくる。ここではじっと待つのである。五分、十分、十五分、阿弥陀三尊がゆっくりと光り出す。所々が光を帯びる。直射の光ではない。背面の堂の開かれた間から、夕日が射し、床に折れ、天井に跳ね、前面の堂の壁に突き当たり、如来と菩薩の全面を柔らかく照らす。光はゆっくりと動いているように見える。堂と共にこれらの像も作られた。快慶の作である。計算されていたのだろう。

 その夜、姫路に戻ってまた宴会である。高校時代からの友人、吉田、苅谷、中山が加わり、ますます冥界に彷徨っていく。阿弥陀の光を思い出す。

 この夕べ、やっと秋の涼しさを感じる。

  浄土寺の 阿弥陀の光 秋の夢

2017年     9月1日     崎谷英文


時は金なりと言うが

 時は金なりと言うが、この諺は、日本の諺でも、中国から来た諺でもない。光陰矢の如し、は中国からもたらされた諺だろうが、この時は金なり、は西洋発の諺である。Time is money. が語源である。光陰矢の如し、は過ぎ行く時の短さを言い、時、時間の大切さを譬えたもので、同じように、時は金なりも、過ぎ行く時、時間の大切さを、金に譬えたものであろう。

 最近、ふと思った。しかし、時、時間は大切だが、それを金に譬えていいのだろうか。時というものは、確かに大切だが、それを下世話な欲望の塊のような金に譬えていのだろうか。金というものが大切なことは解る。特に、近現代において、金というものがほとんどの価値を代表するものとして、金さえあれば、という世界になっているのは理解する。しかし、それは現代社会が欲望の塊であることの証である。

 何となく、時は金なりが、西洋の諺であるのが分かる。この諺が何時生まれたのかは知らないが、明らかに貨幣経済、資本主義経済の申し子なのではなかろうか。中国や日本では、あからさまに、時は金なり、などという発想はなかった。しかし、もはや、日本も中国も、この貨幣経済の中にどっぷりと漬かって、時は金なり、時間を無駄にせずに上手に使うことが金に繋がる、ということは、今は誰もが納得してしまう。

 しかし、実は、人は金よりも大切なものを、確かに知っている。時、時間というものが、人の生きる時、生きる時間としてとても大切なことであるのはその通りだが、それが金と同じぐらい大切だ、というのは、あまりに俗っぽくないか。もしかしたら、いのちさえ金によって買えるのかも知れないが、金で買えるいのちは、どこかおかしい。しかし、もうそんな世界かも知れない。

 この間、地蔵盆という村の行事に参加した。地蔵というのは地蔵菩薩のことである。お釈迦様の入滅後、仏のいない期間になるのだが、五十六億七千万年後に弥勒菩薩がこの世に現れて、衆生を救うと言われる。弥勒菩薩が現れるまで、衆生を導く存在として、地蔵菩薩は信仰される。仏のいない間、人は、六道、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天、の六つの世界を彷徨うことになるのだが、地蔵菩薩によって救われるという訳である。

 五十六億七千万年とは、何とも永過ぎる。人の生きるのは、寿命が延びたとは言え、たかだか百年であろう。その僅かのいのちを生きる時、時、時間は大切なのではないか。光陰矢の如し、ぼうっとしている間に、短いいのちの時間は失われていく。いのちの時間を大切に使わないと、もったいないということだろう。まあ、僕は、ぼうっとしている時間も好きなのだが、金のために時間を使うより善かろうなどと、勝手に思っている。

 時、時間というものは、未来に向かって進んでいるというのが通常だろう。しかし、人の時、時間というものは、過去に向かって進んでいるのかも知れない。人は、未来を想うのかも知れないが、人、その人の時間というものは、今、現在を過ぎた瞬間から、過去になる。世間の時、時間は、時々刻々、未来に向かって刻まれていくのかも知れないが、その人の時、時間というものは、時々刻々過去に流れていく。

 過去は、取り戻すことができない。未来は創れるのかもしれないが、過去はやり直すことができない。その取り戻すことのできない時、時間になるからこそ、時、時間を大切にする。

 過去を御破算にすることは、人の生き方ではない。過去を御破算にすることができるのなら、そんな楽な生き方はない。過去から逃れられないからこそ、今があるのであり、過去のない今はなく、また未来もない。だからこそ、この今という時、時間を大切にしなければならない。時は金なり、ではなさそうだ。

 今、田んぼに水を入れようとしているのだが、思うように入らない。水の通って来る溝の前後にも、水を入れたがっている人がいる。時、時間が掛かりそうだ。

  生き急ぎ 死に急ぎして 秋の蝉

2017年     8月26日     崎谷英文


ツクツクボウシが鳴き始めた

 ツクツクボウシが鳴き始めた、律儀に決まって盆の頃に鳴き始める。法師蝉とも言い、いかにも盆に相応しい。ツクツクボウシと言うが、実はホウシツクツクと鳴いている。鳴き始めは、先ずホウシと長く歌い、ツクツクと続け、間を置かずホウシツクツクと繰り返す。つまり、本当はホウシツクツクと鳴いているのを、ツクツクホウシと人は聞いていることになる。

 早めの盆の墓参りをした。墓は山の中にある。小さな川を渡り、竹藪を横目に坂道を上る。一段下がった所に竹藪のある上の段に、我が家だけの墓が並ぶ。近くにいながら、盆にしか参ることのない罰当たりものである。周囲に絨毯のように落ちている笹を、竹箒とがんじきで払っていく。鬱蒼とした中に、カナカナと鳴くヒグラシの声が聞こえる。家ではまだ聞いていない。他の蝉はいないのかと耳を澄ますが、今はヒグラシだけらしい。

 それにしても暑い。東北、関東では冷たい夏になっているようだが、ここ太市は暑い日が続く。毎日のように夕立のような雨が短く降る。年々体力の落ちていくのを実感する身には、この暑さは堪える。

 東北、関東の冷たい夏は、山背(ヤマセ)という風のせいだろう。中学の理科でも習うが、オホーツク高気圧が勢力の強い時、北東の冷たい風が東北、関東に吹く。東京の友人に聞くと、寒いほどらしい。ヤマセが吹くと、いわゆる冷害となり農作物が不作になる。

 そして反対に、西日本は厳しい暑さが続くのである。まるで日本が分断されているような天候である。

 分断と言えば、今アメリカがおかしい。アメリカだけではないかも知れない、世界でおかしな分断状況があるようだ。

 アメリカでは、トランプ大統領が、KKK(クー・クラックス・クラン)やネオナチに代表されるような白人至上主義者たちの起こした事件について、その白人至上主義に対し、明確に非を唱えず、かえって自らの怪しい心情を吐露しているように思われ、大統領府の中にも反発が起き、アメリカ国内、国外において批判され、大きな騒動になりつつある。

 

 人種差別、民族差別、宗教差別というものは、とても根深い。これまでの世界の戦争というものの多くは、人種、民族、宗教の違いにより起こったのではないか。そこには、自らの人種、民族、宗教の優越を誇り、他の人種、民族、宗教を劣等と見る、少なくとも同等に見ないという差別意識があったのではないか。

 ドイツのヒットラー率いるナチスは、ユダヤ人を迫害し、ゲルマン至上主義を貫いて、ヨーロッパに戦線を拡げていった。

 日本の太平洋戦争におけるアジア侵略も、大東亜共栄圏などという聞こえのいい言葉は使っていても、つまりは日本民族の優越性を喧伝するものだったろう。

 昔に戻れば、ヨーロッパの帝国主義による、アフリカ、アジア、南アメリカへの侵略も、白人たちのこころの底にある文明人、野蛮人という差別主義があったであろう。

 もちろん、アメリカにおける黒人奴隷制度は、人種差別の最たるものであった。移民の国、様々な人種の坩堝であるはずのアメリカで、黒人たちは奴隷として連れてこられた。南北戦争を経て、またキング牧師たちの努力によって、形の上では差別はなくなっているのだが、一部の白人たちのこころの底には、黒人差別、白人至上主義というものがずっと残っているのである。トランプ氏は、彼らの支持も受けて大統領になった。

 しかし、それはアメリカにとっての問題だけではなさそうだ。世界中で、燻っていた差別主義が頭を出し始めているのではないか。自らのこころの底に理不尽な差別意識というものはないだろうか。日本人は優秀で、礼儀正しく誠実で、他国の人はそれほどでもなさそうだ、と思っていないだろうか。日本人として優越感を持っているとしたら、そこに既に、差別意識が根差しているのではないか。

 生まれ育った中で培われた自己優越感、その反動としての差別感覚、そういったものは容易に拭い去ることは難しいのかも知れない。

 赤蜻蛉が数十匹、田んぼの上に飛び交っている。

  病葉の 涙の如く 雨流る

2017年     8月20日     崎谷英文


君子は豹変す

 君子は豹変す、これは徳の高い立派な人物は、自分の過ちに気付けば即座に改める、と言う意味の、易経にある言葉である。偉い人は己の考えが過ちだと分かると臆することなくその考えを改める、と言う上に立つ者のあるべき姿を表したものだろう。しかし、今はむしろ態度が急変すること一般に使われることも多い。信念のない付和雷同的な日和見的な態度も表すようだ。

 さて、A首相の態度の急変はどうしたものだろう。気持ちが悪くないか。これまで高慢で高飛車な態度で、批判する相手に対し、ただ強弁を繰り返し、相手を逆に批判し、詭弁を弄して突き放していたのが、今や、これまでは悪かった、傲慢にやり過ぎた、これからは、丁寧に説明しますなどと、猫なで声を出すように低姿勢を装っている。もし、本当に悪かったと思っているのなら、潔く身を退くべきだろう。

 悪かったと思うならば、これまでのことは御破算にして、初めからやり直すべきではないか。与党議員の数に驕り、強引に、特定秘密保護法案、安保法案、共謀罪法案などを、説明不足の中、強行採決したのであり、これまでの首相としてのやり方が本当に悪かったと反省するならば、これらの法案を、もう一度丁寧にやり直すことから始めなければならないのではないか。

 ただ、M学園、K学園の問題で、丁寧に説明してこなかった、そのことに批判を受けたのだから、これからは丁寧に説明するというのでは済まない。A首相の不遜な態度は、首相就任以来ずっと続いているのであり、その態度をもって強引に押し通してきたのであり、本当に、これまでの時に傲慢な、時に木で鼻をくくったようなやり方を反省するならば、全てをやり直す覚悟を持つべきだろう。

 ただ、内閣支持率が急降下したのを受けて、国民に手を揉むように許しを乞うているように見え、本心から反省しているとは思えない。もし、本当に反省しているのならば、先ずは、K学園の問題について、真相を明らかにすべきであろう。はっきり言って嘘八百を並べ立てて、自己保身を図っているとしか思えない。刑事ドラマで言えば、もう既に状況証拠は出揃っていて、犯罪証拠として、後は自白を待つのみの状況だろう。

 それを、恥ずかしげもなく、K学園の計画を最後まで知らなかった、などとよく言えたものだ。嘘もつき通せば通ると思っているのだろう。普通に考えれば、何を言っているのだと、ほとんどの人が思うようなことを、平気でうそぶいて罪を逃れようとしている。国民は、馬鹿にされている。もしここで、A首相の罪を許すようならば、もはやこの世に正義はないことになる。

 まだ、アメリカの方がましだろう。大統領周辺の犯罪を、独立して捜査する体制がある。まだ、韓国の方がましだ。友達に便宜を図ってやったことで、大統領は捕まった。M学園やK学園も同じではないか。国と地方から、多くの金がM学園やK学園に入っていくのだから、国の制度を利用した、第三者に利益を与える収賄罪にあたるのではないか。そんなことができないように、守られるべき法治主義があり、手続き順守があり、公平な取り扱いがある。

 道徳教育などと、おこがましいことは止めねばなるまい。子供に価値観を押し付けること自体反対であるが、今の大人たちに、道徳を言う資格はあるのかと訝しい。政治家たちは、平気で嘘をつく、ごまかす、知らぬ存ぜぬで押し通す。寄らば大樹の陰と、権力に尻尾を振る。金さえ儲かればいいと大衆が思っているとしたら、何処に正義があるというのか。何処に道徳があるのか。

 A首相の態度の急変は、気持ちが悪い。君子は豹変す、の後に、小人は面を革む、と続く。徳のない人は、外面だけを取り繕うという意味である。何とか権力の座にしがみ付こうとしているのだろう。手練手管を使って国民をだまくらかそうとしているようにしか見えない。まるで、二重人格者のようにも見える。政治家というものは役者なのだ。政治の舞台で、どこまでも芝居をしている。

  流れ星 いのち短き 恋の後

2017年     8月11日     崎谷英文


田草取り

 田草取りに追われている。除草剤というものを一切使わずに米作りをすると、どうしても田んぼに雑草が蔓延る。除草機などを何度か使って、また手で草取りを何度かしても、雑草は生えてくる。

 今年の雑草の生え方が面白い。同じ田んぼであるのに、毎年雑草の生え方は異なる。田んぼの雑草の代表と言えば、ヒエの類で、数年前にはそのヒエらしきものが多く生えていたのだが、毎年根気よくそのヒエらしきものを抜いていると、年毎にそのヒエらしきものは少なくなってきた。ヒエというものは、放って置くと大きく育ち、土の栄養分を吸い取ってしまい、最も稲に悪い影響を与えるものらしい。

 しかし、ヒエの類の少なくなったのはいいが、その代わりのように、別の雑草が生えてくる。名前はよく知らないのだが、三・四種類の別の雑草が増えてくる。形は様々である。その中でも、ヒエの代わりのように田んぼを占めるようなある種の雑草が多くなってくる。それをまた、根気よく引っこ抜く。するとまた、その種が減って来る。またそれを引っこ抜く。しかし、次の年にはまた別の雑草が増えてくる。そんなことを繰り返す。

 しかし、そのこれまで田んぼを代わる代わる占めていたヒエや他の雑草が、全くなくなるわけではない。今年も、その昔から生えていた雑草たちも田んぼに生える。数は減ったが、背の高くならないうちに田んぼに入ってそれらを引っこ抜く。これまでの常連のような雑草も、根気よく退治していくと減っていくことは分かった。

 しかし、雑草は、その田んぼに元々いたものだけではない。畔や隣の田んぼや、またもっと遠くの所からも、雑草の種は飛んでくる。雑草がなくなることはない。

 強い雑草と弱い雑草というものがありそうだ。ヒエとかの類は、稲苗を弱らせるほどの強い雑草で、ヒエなどが多くなると稲も弱るが、他の雑草たちも育ちにくい。ヒエの隙間に小さく生えることになる。しかし、ヒエという強い雑草が減ると、その次に強い雑草たちが力を持ってくる。二番手がヒエに代わって、田んぼの主となる。そして、その雑草が減ると、また次の雑草が頭をもたげてくる。雑草のなくなることはない。

 雑草たちも、一所懸命生きているわけで、自分たちの生きて行く場所を見つけ、そこを確保しようとし、伸びられない時はじっと背を低くして耐えている。その健気な姿は、尊くもある。踏まれても蹴られても、懸命に頭をもたげる。切られても引っこ抜かれても、何処かでしぶとく生きて行く。じっと耐えていのちを繋ごうとしている。

 人にとって役に立たず、迷惑そうな雑草も生きている。いのちが須らく同じいのちである限り、彼らも生きている値打ちはあるのであって、この大地でしっかり生きる価値はある。人もまた、世のため人のために生きているのではなかろう。雑草のごとく生きているいのちこそ尊いのではなかろうか。稲や強い雑草の隙間にいて、僅かばかりの光を懸命に吸い取って生きて行く可愛い雑草のように。

 毎年田んぼに生えてくる雑草は変化しているのだが、今年はまた特に面白い。大きな田んぼには、少し緑っぽく茎のしっかりしたまるで小さな木のような草で、放って置くと稲の頭を越えて、遠くから見ても目立つようなのが、それは土が水を被っていなかった所であろう、そんな所にかたまって生えている。中干しを終えた後、特に目立ってきた。引っこ抜くと直ぐ抜ける。広がった白い根ごと、引っこ抜く。

 小さな田んぼでは、それこそ除草が適当だったせいもあろう、放って置くとやはり稲を越えて大きくなり、黄色い花を咲かせる草が、一面に生えてきている。大きな田んぼに生えていたのとはまるっきり異なる草である。これも簡単に引っこ抜ける。ヒエは、大きくなると引っこ抜くにも力がいる。この暑い夏、何日かに分けて引っこ抜くことにする。

 大きな田んぼと小さな田んぼの草は、全然異なる。共にこれまで、それほど多くなかった草である。それぞれ、何処から飛んできたのであろう。

  炎昼に 育ついのちと 散るいのち

2017年     8月6日     崎谷英文


蠅が飛んでいる

 蠅が飛んでいる、この部屋に何処から入って来たのかは分からないが、一匹の蠅が飛んでいる。目の前をさっと横切って、隣に積んである本の上にすっと止まる。やれうつな蠅が手をすり足をする、一茶の俳句にあるように、前足を揉み手をするように擦り合わせている。今も昔も、蠅は同じようなことをしていたのだ。叩いてやろうかとも思ったが、一茶の句を思い出して止めた。

 調べてみると、蠅の成虫のいのちは、四週間程らしい。今この部屋にいる蠅が、いつ生まれたのか知らないが、別に悪さをするものでもなく、時が経てば寿命は尽きよう。放って置くことにした。蠅やゴキブリは、家の中で最も嫌われる虫かも知れない。汚物や腐敗した物、人の食べ物などから摂食し、病原菌を運ぶとして嫌われる。しかし、この部屋には食べ物も腐ったものもなく、増えることもない。

 あれから五日程経つ。その一匹の蠅を見る日もあれば、見ない日もある。一日蠅を見ないと、もう何処かへ飛んでいってしまったのか、それとももう何処かで死んでいるのか、と思ったりするのだが、また翌日にはその蠅を見る。同じ蠅かどうか識別などできないのだが、二匹と見たことはないのだから、同じ蠅であろう。さらに三日経った。蠅が見えなくなった。翌日も見ない。三日間見なくなった。

 蝉が鳴き始めた。アブラゼミとクマゼミの声か、アブラゼミはジージーと鳴く、クマゼミはシャーシャーと鳴く。クマゼミは、夏もっと遅くなってよく鳴くものだと思っていたが、この夏はもうクマゼミも鳴き始めたのか。ニイニイゼミも鳴いているようだ。蝉は七年間土の中にいて、地上に出て七日間のいのちを全うすると言う。今鳴いている蝉は、七年間の眠りから覚めた、短い七日間のいのちの声を上げている。

 都会に蝉は鳴いているのだろうか。コンクリートで敷き詰められた都会では、七年間眠っていられる土はそう多くはなかろう。公園とか、街路樹の下とか、まだ土の残っている所に、辛うじて蝉たちは眠っているのだろうか。閑けさや岩にしみいる蝉の声、と芭蕉は詠んだ。朝、戸を開けると一斉に蝉の声が聞こえる。蝉の声だけが聞こえる。もう少し前は、夜、窓を開けると一斉に蛙の声が聞こえた。蛙の声だけが聞こえた。静かだ。

 実家の庭は、木をほとんどきれいさっぱり切ったり、残した木も枝を多く払ったりして、全くこれまでの森の様子から一変してしまったのだが、それでも蝉たちは、眠りから覚めて、少なくなった木に止まり鳴いている。木はなくなっても、蝉たちは土の中でしっかり生きていた。そして目覚めた。葉の少なくなった木で、隠れるところも少なくなったが、それでも、短い枝に止まり、蝉たちは声を張り上げている。

 蠅のいのちは四週間、蝉のいのちは地上に出てから七日間、彼らは彼らなりのいのちを全うしている。

 さて、人のいのちはどうだろう。今、人の寿命はどんどん延びている。僕が子供の頃には、六十才と言えば、立派なお爺さん、お婆さんであった。しかし、自分自身が、もうとっくに六十才を越え、そろそろ六十五才になろうとしている。長生きになったはいいが、そろそろいのちを持て余す。振り返ってみれば、もうすでにとてつもなく長く生きてしまっているようにも思え、今さらどう生きるのか。少々生きるのが面倒臭くなる。

 などと言ってみても、やるべきことはやらねばならず、あるべきことはあらねばならず、老骨に鞭を打たねばならないこともある。その反面、なるようにしかならないとも思い、どうなろうが大したことではないなどと思い直したりして、だとすれば、ただただ流れに身を任せ、死ぬまで生きるだけであろう。

 ゴミ箱の横に一匹の蠅が死んでいる。

  空蝉の 世に抗うて 蝉の鳴く

2017年     7月29日     崎谷英文


少し夏バテかな

 少し夏バテかな。この夏は、自分自身、とても暑く感じる。夏が暑いのは当たり前だが、年々暑くなっているように感じる。地球温暖化と言われて久しく、もうずっと前から夏の暑さは年々厳しくなっているのかも知れないが、今年は一層暑く感じる。これまでは、大汗を掻いて作業しても、少し休めば、また回復していたのだが、今年の夏は、同じように大汗を掻くと疲れが取れにくくなった。

 この太市、この太市と言わなくとも、どの村でもそうなのかも知れないが、この太市も高齢化している。田んぼで米を作る人も、畑で野菜を作っている人も、ほとんど僕より年上の人たちである。夏は暑いが、それだからこそ、畔の草刈り、休耕田の草刈り、畑の草取り、やるべきことも多くなる。今、朝早く、多くの人が田んぼや畑に出ている。夏は、多くの人が、朝早くまだ空気の涼やかなうちに農作業をする。

 こう暑くては、昼間に作業をしていては、身体が持たない。無理をすれば、熱中症で倒れるだろう。お年寄りたちは用心し、朝早く、あるいは夕暮れ時に農作業をする。僕が、コンビニに新聞を買いに行く朝の7時には、もう隣の畑で吉田さん夫妻が畑仕事をしている。みんな朝は早いのである。僕は、どうしても夜遅く、こんな朝早くからは難しい。コンビニに行くまでに、所々で草を刈る人たちが見えてくる。今日も暑くなりそうだ。

 年々暑くなっているせいだけでなく、僕自身年々年を取ってきているせいもあるだろう。去年までは、これ位身体を使っても、少し休んで一気に作業を終えることができたのに、今年は、しんどいなと感じる。自ずと作業量が減り、早めに終えて、後は後日ということになることも増えてくる。

 年を取るということは、老化するということでもある。去年より元気になって行くということは滅多になかろう。年々人は年を取り、中年を超えれば年々老化し衰えていく。それは、肉体的にも、精神的にも現れる。その老化というか衰えというものは、個人によってそれぞれであろう。同じ年齢であっても、元気な人とそれほど元気でない人がいる。同じようなことをやっていても、その疲れ方には、個人差がある。

 太市の老人たちは、至って元気である。元気なおじさん、元気なおばさんたちが多い。それでも、ここ数年、突然田んぼが休耕田になったり、畑が荒れたままになったりする。何時までも元気ではいられないということだろう。

 年々夏が暑くなり、年々年を取るのだが、これまでは、がむしゃらに大汗を掻きながら動いても、何とかやり通すことができていたのだが、今年になって、がくっと来るようで、体力と共に気力の衰えも感じる。体力、気力の衰えというものは、実際には徐々にやって来るものかも知れないが、ある時突然、身に染みて襲ってくるものかも知れない。まだ大丈夫だと思っているうちに、突然、気持ちが萎えたりする。

 しかし、太市には、良い見習うべき先輩たちがいる。僕より、五才も十才も、十五才も年上で、田んぼで米を作り、畑で野菜を作っている人たちがいる。彼らを見習って、彼らの元気なやり方を学ばねばならない。要領よく作業をすることも一つの方法であろう。彼らは、やはり要領がいい。僕もそろそろ、何時までも若いつもりで力任せに動くことは止めて、しなやかに無理をしないように動くことを考えなければならないだろう。

 少し夏バテかな、という感じだったのだが、丁度、田んぼの中干しの時期とも重なり、暫く大汗を掻くような作業を控えていたら、漸く身体の調子が戻ってきたようだ。やはり、年を取り、疲れが溜まり、疲れが取れるのに時間が掛かるということか。何時までも若くない。この夏は、そのことを少し思い知らされたような気がする。

  此処彼処 羽黒蜻蛉は 独りかな

2017年     7月23日     崎谷英文


庭の木を切った

 庭の木を切った。塾のある実家の庭の木を切った。これまであまり手を入れず、ジャングルのようになっていて、鬱蒼とした庭だったのを、思い切り沢山木を切った。

 この庭は、多分僕が子供の頃、物心着いた頃には、出来上がっていただろう。60年以上前からの庭である。播州庭園、播州庭園と言うのは、この播州地方に特徴的な庭園で、石を多く使い、灯篭なども幾つか配置され、いろいろな木、特に常緑樹を多く使った庭園で、いわゆる座敷から面した所は前栽と呼ばれる庭として、通用門からの庭とは境界を隔てて作られる。池もあった。今もあるが、水はない。

 僕が子供の頃には、毎年植木屋さんが入って、管理、整理されていただろう。しかし、父が亡くなり母もいなくなって、僕も住まいとしてのこの家を離れてからは、時に雑草刈りを僕がしたり、数年に一度、伸びすぎた枝を払って貰ったりしていたのだが、貧乏人で怠け者の僕には、この庭をきちんと管理することなどできず、長い間放って置いた。

 雑草、雑木と言うものは、何処からやって来るのだろうか。塀で囲まれた庭で、明らかに人工的に植えた木が立ち並ぶ庭であるのに、いつの間にか、名も知らぬ雑木が至る所に生え、放って置くと背高くどんどん伸びてきたりする。土の中の雑草の芽は、何処にでも隠れ住んでいるのか、それらもまた、至る所に生え、伸び、蔓延る。

 南天の木などは、植えたものから実が落ち跳んで、その数を増やしていく。どれが元々あったものか分からなくなる。下草として植えたものも、自然の繁殖力なのだろう縦横に広がって行く。

 厄介なのは蔦の類である。蔦は、家の壁や塀を伝わって伸びていく。春から夏にかけて、青々とした葉を持った蔦が、壁を這い塀を上って行く。蔦の絡まるチャペル、などと言う歌もあるが、そんな優しい景色ではない。蔦と言うものを上手に管理することもできるのかも知れないが、それは多分、洋風建築でないと無理で、日本家屋においては、蔦が屋根にまで上りつくと、屋根の下に根を張り、屋根瓦さえ押し上げると言う。

 毎年のように、その蔦の木の根に近い所を切ったりして枯らすようにはしていたのだが、蔦の勢いは凄いもので、追いつけなくなってしまった。蔦のために雨漏りさえしないかと心配する。

 また、いわゆる藪枯(ヤブカラシ)と言う雑木が所々に生え、それは他の木を押しのけてくねくねと蔓延って他の木を枯らす。一本一本引っこ抜いていくだけではとても追いつかない。

 そこで仕方なく、その庭を大整理することにした。植木造園屋さんに頼んで、とにかく綺麗さっぱりしてもらうことにした。

 やはり、餅は餅屋、植木は植木屋である。四人ほどやって来て、草を刈り、木を切って行く。この家の前の道をよくぞ通ったと思える程の大きなクレーン付きのトラックも入って来て、高い枝も払っていく。

 良い木だけを残して、後はばっさりと切って貰う。元々植えていた木でも、腐って死んでいったものもあるが、まだ生きていても、邪魔になりそうな木は、根元から切る。人は身勝手だ。僕の庭の、木の切られるのを見ていて、長い間あった木を切るのは残念ですね、と言う近所の人もいた。その通りであろう。経を唱え、供養しておこう。木も草も生きている。

 この森のような庭には、蜂も住んでいる。植木屋さんは、十個ほどの蜂の巣を見つけたそうだ。その植木屋さんは、もう何度も蜂に刺されているそうだが、もう身体が慣れているというのか、免疫ができているというのか分からないが、刺されてもどうってことはないと言う。スズメバチの巣はなかったらしい。きっと蜂以外にもいろいろな生き物が。この庭を住処としていただろう。彼らも生き場を失ったことになる。

 庭の木を沢山切った。とても風通しが良くなった。

  植木屋の 滴り落ちる 汗の音

2017年     7月16日     崎谷英文


猿が出た

 猿が出た。太市の人里で猿が目撃された。7月4日、太市の丸山地区で猿の目撃情報があった。昨日、7日、石倉地区でも目撃情報があった。共に午後の4時前後のことらしい。丸山と石倉とでは1kmほども離れているが、同一の猿ではなかろうか。僕の携帯には、防犯情報として不審者情報などと共に、熊や猿の目撃情報も随時入って来る。

 その防犯情報では、丁寧に被害防止ポイントも教えてくれる。熊の場合は、ラジオや音の出るものを携行しましょうとか、熊は夜間に動くから、夕方から早朝に気を付けましょうとかで、猿の場合は、目撃したら刺激することなく離れましょうとか、可愛いからと手を出すと咬まれたり引っかかれたりする恐れがあるとか、教えてくれる。

 しかし、猿というものは、この中国山地にはある程度いるらしい。ここから北西の方向に上って行くと、佐用町の船越山、瑠璃寺近くには、モンキーパークがあり、そこでは、餌付けした野生の猿を、人が檻の中から見ることができる。以前から、太市でも猿を見かけた人は結構いるらしいが、それは山の中で、人里にまで下りてくることは珍しい。

 太市は、四方が山に囲まれた盆地で、野生の動物は山の中に多くいるだろう。シカ、イノシシ、キツネ、タヌキ、ウサギなど、元々の日本の野生動物たちは近くにいる。

 しかし、昔は里山というものがあって、人々はキノコや山菜、もちろんタケノコもであるが、それらを採りに山に入って行くことは日常的だったろう。薪や木材を得るために山に入ることもあったろう。そのために、山の管理を村人たちが行っていて、野生の動物たちは、山深くに追いやられ、その里山には辛うじて、人の目を盗んで入り込むことができた。

 しかし、今里山というものがあるのかどうか。里山というのは、人里近くの人々の生活に結び付いた山なのだが、太市でも、山は、タケノコ以外に生活と関わる山ではなくなっていて、熱心にタケノコを育てているような人でなければ、タケノコの季節以外に、山に入ることはあまりなくなっている。太市以外の、他の山間の村では、なおさら山に入って行くことなどなくなってきているだろう。

 すると、それまで人の目があちらこちらにあった里山らしきものがなくなり、野生の動物たちは、深い山から下の方に降りてくる。人の気配を感じなければ、彼らにとっての安全地帯は拡がる。

 昔、里山だった所は、人と野生動物たちとの緩衝地帯だった。動物たちは用心しながらしか、里山には入らなかった。しかし、人にほったらかしにされたその場所を、野生動物たちは自分たちの場と心得るようになる。そうなれば、人里への道はあと一歩である。

 里山を緩衝地帯として、人と野生動物たちが住み分け共生していたのが、その緩衝地帯がなくなると、彼らは容易に人の生活圏に近づける。群れから迷い出た猿か、勇気ある猿かは知れないが、この太市に出現した猿も、そんな人里への近さが誘ったのであろう。

 もちろん、野生動物たちが人里に出現する理由には、その他にも、鉄道、高速道路、ゴルフ場などにより、山が分断され、野生動物たちの行き場、生き場が少なくなったことも挙げられるし、その年の山の木の実、ドングリなどの不作なども考えられる。

 元々、大地は人間だけのものではない。野生動物たちにとっても、大地は彼らの住処であり、彼らのものだった。身勝手に人が開発して、彼らを山深く追いやりながらも、人と彼らが共生する大地だったのを、人が管理を放棄したことにより、彼らは再び人里近く降りてくる。人間の都合で翻弄される野生動物たち、昔から、人は彼らのいのちを山に住む尊いいのちと感じていたはずなのだが。

 猿と言えば、見ざる聞かざる言わざる、という言葉がある。これは、本来、悪いことは見ない、聞かない、言わない、と言う生き方を志すという意味だったらしいが、現代では、自分の生活にとって直接関係のない都合の悪いことは、目を閉じ、耳を塞ぎ、何も言わず、自己本位の個人主義を意味するようだ。

  なめくじら 葉陰を宿と 一人旅

2017年     7月8日     崎谷英文


オクラが生った

 オクラが生った。ナスも生った。キュウリも生った。ピーマンも生った。トマトは、ミニトマトが生り始めたが、普通のトマトはまだ青い。しかし、もうすぐそのトマトも色を付け始めるだろう。トウモロコシを十本程も植えているのだが、あまり大きくならないうちに実が生り始めたと思ったら、朝、そのうちの二本が倒されている。一本の実は、齧られてもいた。

 きっと、アライグマの仕業であろう。アライグマは、夜、ポトラの食べ物を残したまま縁側に置いておくと、決まってやってくる。僕がビールや焼酎を飲みながらのんびりしていると、決まってやってくる。もちろん、ポトラの食べ物の残りを食べに来ている。とても可愛いのだが、頼りにされても困るので、このところ、夜寝る前に、ポトラの残したものは中に入れることにしている。アライグマも、腹が減る。だからトウモロコシを狙う。

 ポトラの食べ物を狙うのは、アライグマだけではない。これまでにもいろいろな猫が、彼らが野良なのか、飼い猫なのかは知らないが、夜と言わず昼と言わず、縁側のポトラの残し物を狙ってやって来ていた。今やって来るのは、青白いこれまで見たこともないような猫である。ポトラは、家族を失いながら、僕のそばにずっといるのだが、ポトラの残り物を狙ってやって来る猫は、次々と変わる。昔来ていた猫は、何処へ行ったのだろう。

 田植えも終わり、今、いろいろ忙しい。田植の後の水の管理とかもあるが、何しろ、除草剤を使っていないから、草取りが大変である。除草機を使ったり、昔ながらの手押しの除草器を使ったり、自分の手で草を取って行ったり、草が蔓延らないようにするには、田植えをしてから一か月が大切である。その間に、悪い草の元を断っておくのがいいらしい。いつものことだが、この時期、体重が三kg程も減る。

 そしてまた、今年も思うのだが、同じ田んぼでも毎年様相が異なる。田んぼに生える草も、年によって似てはいるが異なる。今年も去年と同じ草があると思えば、これまでとは違う草が見えたりする。これまでよくあった草で、無くなりつつあるのもある。一年生の草でも、種が残っていれば、今年も生えるはずだ。いい加減な草取りしかしてこなかったのだから、さて、これまでの草は何処へ行ったのか。

 手で植えし 早苗曲がりて 絵となりぬ

 それにしても、今の政治は酷い。真実を覆い隠して、屁理屈を捏ね繰り回して、大衆を騙くらかそうとしている。言い訳が通用しそうになくなって、だんまりをし続けるかと思えば、とんでもない詭弁を恥ずかしげもなく発する。融通の利かない官僚機構であったが、それでも筋を通すことで公平、公正を保ってきたのを、権力によって捻じ曲げる。そして、やっていることは、韓国の朴前大統領がお友達に便宜を図ってやっていたことと、全く同じ構図である。

 日本人というものは、と言うよりも多くの世界中の人々に通ずることかも知れないが、権威とか地位とか名誉とかに憧れ、恋々とするものらしく、自ら権力者になったり、権力者に媚びへつらうことで、その立場を守ろうとする。既得権を打破するなどと言いながら、既得権を自分たちだけのものにしようとしているとしか思えない。長いものに巻かれろ、寄らば大樹の陰、人々は、権力、暴力に屈する。正義も優しさもない。

 アメリカでは、トランプ大統領が堂々とメディア批判をやっているが、日本でも同じことが起こっている。自分たちの旗色が悪くなると、メディアのせいだと言い出す。どうやら、日本のメディアも腰が引けていて、政府の批判を受けないように中立を取り繕うとしている節があるが、それこそ、委縮であろう。首相や政府の見え透いた嘘を断罪できなくてどうする。

 霞を食って生きて行く仙人にはなれそうにないが、せめて醜い俗世からなるべく遠く離れて、アライグマやポトラと一緒に、オクラと米を食べていくか。

  草を取る オタマジャクシを 追いかけて

2017年     7月2日     崎谷英文


A総理は言った

 A総理は言った。「Kさん、これでやっと、あなたの希望する獣医学部ができますよ。国家戦略特区というのは便利なものでしてね、岩盤規制に穴を開ける、ということは誰も反対しにくい、それを利用すればいいので、僕が都合のいいようにできますよ。」

 Kは答える。「そうだよね、今まで何度も申請してきたのに、獣医は足りているとか、僕の経営に不安があるとか、いろいろ言われてね、ずっと蹴られていたのだが、Aさんが総理になったんだから、上手くやってくれると思っているよ。」

 「でもね、あからさまに僕の命令とか、指図とかをやってしまうと、ばれたら困るからね。まあ、それとなく、睨みを利かせるとか、目配せするとか、鼻薬を効かせるとか、公平、公正にやっているように装って、Kさんの思いが叶うようにするよ。」

 「僕も、M学園の理事長のように悪者にされるのは、嫌だからね。誰からも文句を言われないように、上手くやってくれるね。」

 「文科省がちょっとうるさいのだが、まあ、天下り問題もあるから、きっとおとなしくしてくれるだろう。官僚の人事権も握ったし、農林省の方は、何とか同意させたんだが、でも、本当は獣医は不足していないんだよ、獣医学会も反対していたのを、上からの岩盤規制の突破だと突っぱねたよ。僕は国民に人気があるからね。少々荒っぽくやったって、誰も逆らえないよ。」

 「僕もこれまで、I市にいろいろ取り入って来たんだよ。小さなI市に、大学が来れば人も増え、元気になりますよ、と言ってさ、I市の方もその気になっているんだ。土地も呉れるし、建設費用も沢山出してくれるんだ。今更駄目になったら困る。C県の僕の大学も、定員割れしたりして大変なのだから。」

 時が経て、A総理が言った。「おいおい、H君、総理のご意向とか、官邸の最高レベルとか言っては駄目だよ、僕は何も言ってないことにしてくれないと。君もKさんの思いは知ってるだろう、国家戦略特区が、ちょうどKさんのためになっているんだから、公平と公正をきちんと纏ってやってくれよ。」

 Hは言った。「いや、KS大学が手を挙げてきたので困りました。だから、広域的に存在しない限り、と付け加えたんですがね、それで、KS大学は資格がなくなりましたからね。上手くやったつもりだったんですがね。文科省の役人たち、おとなしくしていればいいものを、あのM前事務次官も、正義感を振り回して余計なことをするものだから。」

 「僕たちは、元々、Kありきでやっているのだから、それを途中から変なのが割り込んできたから困るんだ。しかし、建前はきちんと通しておかなければならない。共謀罪も、無理なやり方だが、一応は建前を通して成立させたんだ。でも、そのために僕も世間の風当たりが強くなってね。でも、仕方がない。強弁と詭弁、問題ずらし、いろいろやって突っ張るしかなさそうだ。」

 「僕は切り抜けますよ。知らぬ存ぜぬで押し通します。だけど、記録がない、記憶がない、メモもない、というのは便利ですな。困ったら、こちらには記憶がない、記録がない、ちゃんと法に基づいてやっています、と言えばいい。それにしても、あの社民党のおばさん、俺をひっかけやがって、思わず総理とKさんの仲を報道で知ったように言ってしまって、あれは、拙かった。途端に、4年前の三人の写真が出ましたからね。」

 「でも、あの時のビールは美味かったね。まあ、真っ正面から対応するのは止そう。都議会選挙もあるし、野党の要求は打っちゃっとこう。どうせ、国民は忘れっぽいから、ずるずると時が経てば忘れてくれるさ。何しろ、僕は人気があるのだから。何か、メディアを引き付ける大事件が起こればいいのだがね。憲法改正に話題をずらすか。」

 A総理は言った。「特定秘密保護法もあるし、共謀罪もあるから、僕に歯向かう輩は捕まえて牢屋に入れてやる。」

 目覚めた時、汗を掻いていた。嫌な変な夢を見た。

  鳥の巣を 円く残して 草を刈る

2017年     6月25日     崎谷英文


田植えをした

 田植えをした。9日の金曜日に小さな田んぼの、11日の日曜日に大きな田んぼの田植えをした。先月の24日に小さな田んぼのキヌムスメと言う品種の稲苗が、29日に大きな田んぼのヒノヒカリと言う品種の稲苗が、農協から運ばれてきて、共に二週間程毎日水を遣って育て、田植えに至る。苗半分と言って、稲、米の出来具合は、田んぼに植える前の苗の良し悪しも大きな要素になる。

 米を作り始めて何年になるだろうか。もう10年程にはなっていると思うのだが、一向に慣れない。田んぼの鋤き方、代掻きの仕方、田植えのやり方、どれもこれも、毎年素人になる。

 今年初めて、駅前の村落、相野の、田植えのための池の水落としに付き合った。4班の班長と言うことで、付き合ったのだが、僕はこの相野には米を作っている田んぼはなく、全く田んぼの水とは関係がないのだが、浮世の義理で付き合った。

 しかし、なかなか面白かった。村落によって、いろいろやり方が違うものである。僕の実家、塾のある村落、そこに僕の小さな田んぼも大きな田んぼもあるのだが、そこでは、田んぼの水を幾つかの池、ダムからの水を流し始める日を予め決めておいて、その日から水を落とし始め、近い田んぼの人から順々に、各自水を入れていくのだが、この相野では、村役員たちが、米を作っている全ての田んぼに水が入るのを管理する。

 相野の田んぼの水は、ゴルフの打ちっ放し場になっている大池から落とされる。大きな鉄の輪の栓を回し開け、水が流れ出す。朝の5時である。先ず近くの田んぼの水口を開け、水を入れる。その田んぼ一面に水が張られるまで、水の通り道は塞がれる。水が張られたら、水の通り道を開け、次の田んぼに移っていく。そんなことを繰り返していると、思いがけなく、朝の弁当が支給される。

 みんなでブルーシートに座って、弁当を食べる。酒もビールも用意されている。昔は、今もかも知れないが、田植えというものは、農民にとっての大事業なのである。田植えができるということが、生きていくということに繋がる。夏に田植えをし、秋に収穫する。それが、農民たちが生きるということだった。いや、農民たちだけではない、武士にとっても町人にとっても、米が作られるということが、生きる原点だった。

 五月雨や 田水に山は 煌めいて

 だから、田植え、田植えのための水落としは、めでたいことだった。酒を飲んで祝うことだった。その日の弁当も赤飯である。村人が共同して、みんなの田んぼに水を入れていく、今年もこの季節がやって来たのだ。天と地に祈りながら、一年の糧を得ることの第一歩が始まるのだ。田植えは一大事なのである。

 田んぼに水が張られると、待っていたかのように村人たちが代掻きにやって来る。代掻きとは、鋤いた田んぼに水が入った後、その表面を薄く細かく鋤いて滑らかにすることで、代掻きをしないと、ちゃんとした田植えはできない。代掻きが下手だと、田植えをしても、苗が浮いたり根が付かなかったりする。長年米作りをしている人は、代掻きも上手い。感心するばかりだった。

 日出而作      日出でて作り、

 日入而息      日入りて息う。

 穿井而飲      井を穿ちて飲み、

 耕田而食      田を耕して食らう。

 帝力何有於我哉   帝力何か我に有らんや。  (一部漢字を現代化した)

 十八史略にある、撃壌歌と言われるものである。

 日が昇れば、田畑の野良仕事、日が沈めば、身体を休め、井戸を掘って水を飲み、田畑を耕してできたものを食べる。天子の力など俺には何の関係もない。

 生きる原点である。ずっとずっと、人々は田畑と共に、大地と共に生きてきた。近代、現代になって、あまりに人々は複雑に生きるようになった。生きていくということは、もっと単純だと思うのだが。

  日の入りて 泥土洗い 手に麦酒

2017年     6月18日     崎谷英文


ピアノを売った

 ピアノを売った。一応塾をしている実家にあった、もう60年以上も前に買ったピアノが、台所兼食堂、居間になっている部屋に、僕が太市に帰ってきてからずっと置いてあったのだが、そのピアノを売った。確か帰ってきてから、別の部屋にあったピアノをこの部屋に持ってきたものだと思うのだが、その時に調律して貰ったのが最後で、そのままずっと置いていたものである。

 姉の小さな時に買ったものだと思うのだが、今はほとんど弾く者はいない。僕も少しは、鍵盤を叩いたりすることはあるが、さすがに20年以上調律をせずに放って置くと、出ない音はないのだが、幾つかの音は割れた響きである。今では本の置き場所になってしまっていた。綺麗な音も出ず、弾く者も余りいないとなると、大きな邪魔物でもある。このピアノがなくなれば、本をもっと整理できるはず、と思ってピアノを売ることにした。

 ピアノ売って頂戴、というテレビコマーシャルで有名なピアノを買う店があるが、インターネットで、ピアノを売る、で検索したら、幾つかのピアノを買う店が紹介される。親切に、ピアノを売るにはどうすればいいか、高く売るにはどうすればいいかなど、教えてくれるページもある。

 二つの店に、ピアノを売るということで、ピアノの種類、製造番号などを入力して見積もりをして貰う。店によって値段の違いがあるようなことを言っていたからである。しかし、二つの店とも見積もりは同じであった。その一つにピアノを売ることにして、インターネット上で連絡し、ピアノを売る手続きをする。二・三日後、連絡もあり、電話もあり、十日程後に、ピアノを引き取りに来て、ピアノを売ったのである。一万五千円であった。

 ピアノは重いもので、この前ピアノをこの部屋に移すのには、四・五人はいたのではなかったか、と思うのだが、今回やって来たのは、若者二人であった。三十代ぐらいと二十代前半の若者二人でやって来たので、これで大丈夫かと思っていたのだが、その250kgはあるというピアノを、彼らは、いろいろなコツと業をもって、金属のコロやベルトなどを使ったりして、30分ほどで、持って行った。

 大したものである。餅は餅屋というが、ピアノ運びは、ピアノ運びの専門家に限る。実際、ピアノ専門の運送屋なのである。

 夏の月 古いピアノの 音は割れ

 しかし、ここでインターネット、コンピューターというものの妖しさ、怪しさを感じた。一度、ピアノを売る、と検索を入れると、その後、二週間ほど、コンピューターを開くと、ページの横にピアノを買う店の宣伝が続くのである。いわゆる、ビッグデータというものであろうが、コンピューターのインターネット上の行為は、秘密情報ではなく、公開情報になってしまう。このことを、便利と思う人もいるかも知れないが、僕にとっては、恐怖である。

 以前、プライバシーの権利というものが大切である、などと言われたことがあった。プライバシーの権利とは、自分自身の情報は自分自身でコントロールできる、濫りに公開されるものではない、というものであるが、今はどうだ。これは、僕と君との秘密だよ、などとしゃべっていたら、どこで監視カメラが回っているかも分からず、録音さえされていそうだ。メールで連絡すれば、秘密ではあり得ず、その記録は消そうにも消せない。

 国家の行動は、特定秘密保護法なども成立し、国民の監視、管理の目が届かなくなっていく一方、国民の行動は、監視され、管理されていくのが、共謀罪である。国家のやることに歯向かってはいけませんよ、行動を慎みましょうね、何時も見ているのですから、何時でも捜査し、捕まえることができるのですよ、と言うのが共謀罪であろう。由らしむべし知らしむべからず、のつもりかもしれないが、ただの傲慢であり、独裁である。

 国民は、自由を失う。

 ピアノを売って空いた所に、金属製のよくある本棚を置くことにする。

  日の入りて 麦酒飲む手は 傷だらけ

2017年     6月11日     崎谷英文


キャベツが食べられた

 作っていたキャベツが何者かに食べられている。何者か、と言うのは、その食べられ方が、がぶっ、というような感じでギザギザに齧られていたからである。モンシロチョウや他の昆虫ならば、葉の表面にぽつりぽつりと穴が開いたり、一枚の端から食べられていくはずなのだが、そうではない。小鳥などに食べられた風でもない。

 それは、何か獣によって食べられたものと見受けられる。大きなキャベツが二つ、葉の二・三枚目までがりがりに齧らている。アライグマのせいではなかろうかと推察する。他にも、ヌートリア、イタチ、キツネ、タヌキなども考えられるが、きっとアライグマであろう。

 その齧られた二つは、切り取った。中身はまだ多く食べることができる。残ったキャベツには、一応網をかけて守ってやる。すると、もう一つ別の所に残っていたキャベツが、今朝食べられていた。これにも網をかける。

 アライグマは、ポトラの餌の残りを狙って夜中にやって来たこともあり、最近は、夜には残った餌は部屋の中に入れるようにしていたので、アライグマは飢えていたのかも知れない。だからと言って、ポトラの餌を当てにしてもらっても困る。

 二年ぐらい前に、他所の畑でスイカが食べられて、これはアライグマのせいだろう、と言われ、仕掛けをしてアライグマを捕まえようとしたのだが駄目だったらしい。僕は、スイカは作っていないので、スイカの心配はないが、もしかして、美味いものなら食べるのだとしたら、これから、トマト、キュウリ、ナスなどができてくるので、それらが狙われないか、少し心配にはなる。

 ホタルが今年は多く飛んでいる。先日、大津茂川の橋の近くで、友人たちとブルーシートを敷いてホタルを見ながら飲んだ。今年も、既に何度かホタルを見に来てはいるのだが、その夜のホタルは一段と煌びやかであった。辺りが薄暗くなるにつれ、ホタルが二つ、三つ飛び交い始め、日の沈むにつれて、その数は増し、日の沈み切ったころからは、百以上ものホタルの饗宴である。今年のホタルは、去年よりずっと多いと感じる。

 ホタルは自分勝手に光るのではなさそうだ。橋の上から見ていると、全員が同調しているように、同時に消え、同時に光るようである。もちろん、少しの時間のずれがあり、一斉に光り、一斉に消えるのではないが、ほぼ同期のように光り、それらが同調する時、見事な輝きを見せる。

 先日、僕には縁のないはずの会に出る羽目になった。高校のOB会で、戦前の中学から戦後の高校と続く、戦前からの歴史からすると来年で140周年を迎えるOBの会、懇親会のようなものである。何で僕がその会に出なければならなかったのか、今もって分からない。

 ほとんど顔も知らないような人たちが、嬉しそうに言葉を交わしているのだが、僕は、異邦人のようにテーブルに座って酒を飲んでいた。この数十年着たことのない背広を着て肩が凝る。

 日頃、出会う人間より出会う動物や植物の方が多い生活をしていると、社会生活とはこんなものかと知らされる。偉いらしい人にいろいろ紹介されるのだが、ああ、そうですか、と頷くしかない。その偉いらしい人たちが壇上で挨拶するのだが、一向に耳に入ってこない。最近、耳が老化して聞き取りが悪くなったのかと思ったのだが、そうでもなさそうだ。言っていることが、無意味でつまらなく、耳に入ってこないのだと知る。

 みんな、いろいろテーブルを渡り歩いているようだった。僕に何か言えというので、前の壇に立って、タマネギの話をしたのだが、誰も聞いていないようだ。ホタルの話は止めた。彼らには勿体無い。早々に切り上げて元の席に戻る。会が終わった時、テーブルには大量の料理が残されていた。

 今日の夜、太市の防犯の夜回りがある。また、ホタルを見るだろう。

  蛍は 闇を闇とし 瞬けり

2017年     6月4日     崎谷英文


 何から何まで真っ暗闇よ、筋の通らぬことばかり、一体全体、今の世は筋の通らぬことばかりではないか。

 法治主義というものは、全く蔑ろになって、御都合主義によって物事が進んでいっているようだ。法治主義ということは、公平なる法規の下において、誰かを優遇したり、誰かを冷遇したりすることは許されず、全ての人が平等に取り扱われることである。

 どんな権力者も、この民主主義、法治国家においては、権力を利用して、法を破って物事を行うことはできない。本来、法治とはそういうことである。官僚は、法に基づいてあらゆることを判断し、決定していく。上司がこう言ったからとか、政権党の意向がそうだからとかで判断、決定してはいけないのである。

 官僚は、整合性と継続性というものを頑なに守る者であり、それがまた、法の適用、執行の硬直性として批難されることにもなるのだが、それこそ、法治の原則であり、何人に対しても平等に法を適用せねばならず、恣意的な法の適用はしてはならないからこそなのである。しかし、今の官僚たちは、筋を通さない連中ばかりで、堕落し腐敗しきっているのではないか。

 本来、法というものは、人間不信を前提に成り立っているのではないか。法というものがなければ悪い奴は何をするかも分からないから、法というものを定めて、してはいけないことを明示して、手続きを平等に定めて、その法に反することは無効であり、法に反した者は罰せられる。

 情けないことであるが、法とはそういうものだろう。家族においては、法は先ずないであろう。家訓とか、家族で決まり事を定めることとかはあるかも知れないが、家族はそんな拘束において繋がるものではなかろう。家族というものは、その情、その気持ち、そのこころにおいて繋がり、法でもって統治されるものではない。共に笑い。共に泣き、共に喜び、共に苦しむ、それは法ではない。そうせざるを得ないこころの繋がりである。

 しかし、国家は家族のようには行かない。国家の中の個人は、それぞれ別の個人であり、別々に家族を持つのであって、国家全体が家族にはなり得ない。個人の多様性をこそ前提に、それを大切にして、国家というものが成り立つのであり、やはりそこには、法が、自由で平等な法が必要となる。

 以前、日本国を一つの家族として見るような思考があったが、それこそが、個人の自由を奪い、平等を損ない、終には大きな戦争をもたらしたのである。

 立憲主義というものも、それはいくら優秀な個人が権力を持とうが、やはり何をするか分からないから、どんな法律を作るか分からないから、法によって個人の尊厳に基づく自由と平等は侵すことができないと定める。国民主権は勿論譲れないが、たとえ国民主権、民主主義によって権力者になったとしても、その権力者がしてはならないことを明示するのである。今提案されている共謀罪は、憲法違反である。

 日本国憲法の平和主義、戦争放棄は、それに反することを権力者はできない、ということの明示である。

 自衛隊について喧しいが、それは、日本国憲法第九条を読む限り、普通の国語の読解能力があれば、今の豊かな軍事力を持つ自衛隊は、違憲であろう。だとすれば、その自衛隊を何とかするのが筋だろう。自衛隊に合わせて憲法を変えようなどというのは、本末転倒甚だしい。

 辛うじて、国内における自衛権、それは正当防衛としてのものであろうが、それが認められるとしても、その範囲のものに自衛隊を縮小することこそ考えるべきで、世界情勢が変化しているからといって、海外に自衛隊が行くことができるようにする安保法制など、以ての外である。世界情勢が変われば憲法解釈が変わるなど、ちゃんちゃらおかしい。憲法の意味がない。結局は、安倍晋三は戦争をする国にしたいのである。

 筋の通らないことばかりなのに、みんな権力亡者になり、大衆はアメとサーカスに酔いしれ、浮かれ切っていて情けない。右を向いても、左を見ても、馬鹿と阿呆のすれ違い、どこに男の夢がある。

  蛍の 光届かぬ 水の闇

2017年     5月25日     崎谷英文


夏野菜

 夏が来た。夏野菜を育てる時季になった。自分で言うのも何だが、最近、野菜が以前に比べて出来がいい。今は、丁度絹さや、レタス、キャベツ、ブロッコリーなどが食べられる。アスパラも、細いのがちょこちょこ出てくる。相変わらず草茫々の畑なのだが、適当に草取りをしてやるだけで、今年は、結構育ってくれた。今、野菜はほとんど買わずに賄える。

 この世は、ますます分業化し、農作物も、国内のどこかから商品として運ばれてきたものを都会の人たちは食べている。国内からだけではない、世界のいろいろな所から食料はやって来る。農作物も魚介類も畜産物も、世界中で分業して、作られ収穫され獲られて、世界中に運ばれていく。

 そうなると、食べるためには金が要る。日本の食料自給率は、40%らしいが、そうなると、60%は世界のどこかから食べ物を買ってこなければならない。金が要る。そのために稼がなければならない。そのためには、いろいろなものを作って世界に売らなければならない。国際分業化である。面倒臭いことである、と思うのだが、世間は、もうその姿から逃れられないようだ。むしろそれが当たり前の世界を人々は生きている。

 しかし、そうなると金に振り回されるのである。金がなければ、金さえあれば、と人々は奔走する。実は、金などなくても自給自足すればいいのだが、もう世界は、そんな世界ではない。金を奪い合う世界になってしまったのである。グローバル化、ウィンウインの繋がりだ、などと言ってみても、所詮は、如何に自分たちが儲けるか、との騙し合いの世界である。

 面倒臭く、嫌らしい世界である。人が生きるには、競争しなければならない世界であり、貪欲にならなければ生きていけない世界となってしまっている。醜い争いの世界であり、強欲の世界である。

 そんな面倒臭い世界は御免被りたいので、のんびりと田舎に閉じ籠って、放っておいてくれ、と言って生きたいのだが、世の中はがんじがらめに人々を絡め捕り、この強欲の世界から解放してくれそうにない。

 今年は、タマネギがよく出来た。去年は、もちろん作り方がいい加減なせいもあるが、ベト病とかで小さなタマネギしかできなかったのだが、今年は周囲の人たちのタマネギも病気に罹ることもなく、僕のタマネギも順調に育っている。そろそろ収穫時期である。早めに新タマネギを食べたが、なかなか旨い。ジャガイモはその後少ししてからの収穫になるが、これの出来は分からない。

 噛り付く 新タマネギの 甘さかな

 トマト、ナス、キュウリ、ピーマン、シシトウ、オクラ、モロヘイヤなど、いろいろな夏野菜の苗を植える。全て、アグロ、農業用製品のスーパーで苗を買って来る。農家の上手な人は、去年の作物から種を取っておいて、種から育てる人もいるが、もちろん僕はそんな面倒臭いことはしない。罰当たりものである。キュウリなどは、種から育てることもあるが、それもアグロで買ってきたものになる。

 それでも、一つの苗が60円ぐらいで、一株から沢山の実がなるのだ。高い苗もある。特別に品種のいいものもあるが、同じ苗でありながら、接木苗は200円、300円になる。安いのは実生苗と言って、そのまま種から育てたままの苗なのだが、接木苗は、茎の下方にカボチャなどの茎と根を接いだものである。

 野菜というものは、嫌地などと言って、連作を嫌うものが多い。去年と同じところで同じ作物を作るとちゃんと生長しないのである。接木苗にすると、その連作障害が避けられる。つまり、カボチャは強いのである。小さな畑で家庭菜園をやっているような人は、連作を避けることは難しいので、接木苗にする必要がある。

 僕はいい加減な記憶に基づいて、去年と別な所を選んで作っているつもりなのだが、時々失敗する。

 実は、稲というものが素晴らしいのは、連作障害というものがないことである。毎年同じ所に同じ稲を作ることができる。これから田んぼの準備も忙しくなる。

  稲苗の 水も滴る 笑顔なり

2017年     5月21日     崎谷英文


ポトラの日記25

 野良の寿命は6・7年とか言われるそうだ。だとすれば、僕ももう6才を過ぎたのだから、いつお迎えが来ても良さそうだ。などと言うのは冗談で、まだまだ相棒をからかい、夜遊びするのが楽しくてたまらない。人生(猫生)と言うものは、いつ果てるかも分からないくせに、そのことを知らずに生きていくもので、まるで永遠の人生(猫生)でもあるかのように錯覚して生きていくものだ。

 他人(他猫)の死など、文字通り他人事で、そんなことが自分の身の上に降りかかることなど思いもしない。同じ人(猫)の死ですら他人事なのだから、他の生き物のいのちなどましてや他人事であって、そんなの関係ねえ、である。

 僕も沢山の死に出合っている。家族はみんな死んだ。父親は知らない。野良の宿命である。野良だから、同じ野良とこれまでにも沢山会ったのだが、もうその多くは死んでしまった。死んでしまったのではなく、何処か僕の知らない所で、しぶとく生きているのもいるのかも知れないが、僕にとっては、死んだも同じことだ。

 僕の目の前で死んでいった野良もいる。生意気な野良で、ゴンタと名付けていたのだが、僕の食べるものをいつも狙っているような奴で、よく喧嘩をしたのだが、あれは夜中だっただろう、僕を見つけて、通りの向こう側から駆けてきたのだが、突然曲がり角から車が猛スピードで走って来て、奴はそのヘッドライトに怯み立ち止まったようだ。逃げようとしたが遅かった。車の左側にこする様にして撥ねられた。

 二mも跳んだだろうか、奴は廃屋となった農協のコンクリートの壁に頭をぶつけた。暫く動かなかったのだが、僕が近づくと、やっとのことで起き上がり、向こう側の空き地にとぼとぼと歩いて行って、そこでばたりと倒れた。僕は一瞬ほっとしたのもつかの間、また急いで駆け付けたのだが、奴は頭から血を流して息絶えていた。

 人間の世というものは、科学とやらが発達し、至って便利に楽になったらしいが、その分危険が増したようだ。自動車というものがあるからゴンタは死んだのであって、自動車がなけりゃこんな突然の死はなかっただろう。人間の文明というものは、人の世を豊かにするらしいが、文明の発達により新たな危険が増していることも事実であろう。

 辛き世を 空しく生きる 野良の春

 ゴンタの死骸は鳥葬される。僕が奴を弔うことなどできない。その空き地にほったらかしになったゴンタの骸は、二・三日の内に皮と骨だけを残して、鳥に食べられてしまった。カラスもいればトンビもいただろうか、黙って見ているしかなかった。

 でもそれもこの世の摂理、死んで、生きていくものに食べられてこそのいのちかも知れないのだ。散る桜残る桜も散る桜、もとのしずくすゑの露よりしげしと言えず、この世は儚い。儚い世を空しく生きる。

 今サクランボの実が赤く色づいているのだが、鳥たちに食べられている。相棒が、毎年鳥に食べられているので、今年こそはとネットを張って守ろうとしたのだが、一部しか覆えず、賢い鳥たちは隙間に入って食べ放題だ。しかし、サクランボにしてみれば、人に食べられようが、鳥に食べられようが、似たようなものだろう。鳥に食べられた方が、何処かで種が生き残る可能性も多かろう。

 熊が出没しているらしい。この太市にである。僕はまだ会っていないのだが、太市中の方で。熊の糞、熊の糞がどんなものなのかも知らないのだが、その熊の糞らしきものが見つかったと言う。そこは、相棒の先祖の墓に近く、つい先月、相棒は何度も筍掘りに入って行った竹林の近くだ。その糞の中に、猫の毛が混じっていたらしい。野良を食べたと思われている。熊に会ったら死んだふりをしよう。

 そう言えば、相棒が、筍が根元から折られたようなのがあったと言っていたが、それは鹿の食べ方でもなく、猪の食べ方でもなく、相棒は筍泥棒を心配したらしいが、もしかすると、それは熊の仕業だったのかも知れない。

 その直ぐ傍に、相棒の小さな田んぼもある。音がすると熊が寄ってこないと聞いたらしく、相棒は、携帯ラジを持ち歩こうかと思っているらしい。

  夜歩く 熊の孤独や 竹の秋

2017年     5月14日     崎谷英文


鴨の巣

 我が家の隣にレンコン畑がある。近所の岡田さんが数年前からレンコンを作っている。元々田んぼだった所で、商売としてレンコンを作っているのではなく、全くの趣味である。採れたレンコンは、近所の人や友人達に分け与えている。レンコン畑は、夏に白い蓮の花が咲き、冬にレンコンができる。南側の表通りから五メートルも離れていない。

 そのレンコン畑の中で、鴨が抱卵しているらしい。レンコン畑の一部には水が少なく草の生い茂っている所があり、その茂みの中に鴨が卵を抱いている、と岡田さんが教えてくれる。レンコン畑の東側、南側からは見えないのだが、岡田さんの家の方からは、鴨の抱卵している所が良く見えるらしい。十個ほども卵を抱いているそうだ。

 岡田さんは、丁度、そのレンコン畑に肥料をやろうと準備しているところだったのだが、しばらくお預けである。鴨に刺激を与えないように、そっとしておいてやろう、と言うことで、僕にも心得ているように声が掛かったのである。

 野生の鳥には多くの敵がいよう。鴨は鴨なりに、その場所が安全だと思って巣を作り、抱卵しているのだろう。この辺りには、ポトラの餌を狙っているカラスもいれば、アオサギもやって来る。言われてみて気が付いたのだが、先日、珍しくレンコン畑にトンビが舞い降りてきていたのに出くわしたのだが、もしかしたら、目聡く鴨の卵を見つけていたのかも知れない。そのときは僕が近くにいて、トンビも直ぐに飛び立った。

 ポトラなどの猫の餌食にはなるまい。猫は、流石に沼を渡っていくことはできないだろう。しかし、この辺りには、アライグマもいればヌートリアもいる。彼らが水を渡っていけるのかは知らないが、少し心配ではある。

 その抱卵している所は、草の繁っている中でも、草丈が高く周囲からは見えにくい。野生の鳥の身に付いた知恵であろう。人家の近く、通りの近くと言うのも、ツバメが人家の玄関の廂に巣を作るのと同じように、人のいる安全を狙ってのことかも知れない。

 その鴨は、多分カルガモであろう。カルガモは雄と雌で区別がつきにくい。共に茶色い。マガモは、雄が頭は緑で羽の白い派手な装いだが、雌は地味に全体が茶色で、大津茂川にもやって来る冬鳥だが、カルガモは留鳥である。時に話題となって、テレビで鴨の親子の行進が放映されるが、その類の鴨だと想像される。

 調べてみると、カルガモの抱卵期間は二十五日から二十八日ぐらいで、孵化するのはまだまだ先の話だが、楽しみである。無事孵化することを願うのだが、心配も長引く。

 鴨の巣や 光を弾く 草の陰

 何年前だっただろうか、休耕田の草刈りをやっていた時、キジの抱卵していることを知らず、母鳥を傷つけたことがある。それも草高く生い茂っている所で、僕は鳥のいることに全然気が付かなかった。草刈り機の大きな音がしているのに、母鳥は逃げなかった。僕は、母鳥を傷つけたと知って、直ぐにそこを去った。きっと、卵は孵化しなかっただろう。嫌な思いが、今も時々よみがえる。

 今年も、その草刈りの時期が来た。いろいろな所の草を刈るのだが、今年は少し早めに刈り過ぎた。後で草刈りを溜め込むのはしんどいので、早めに刈っておこうとしたのだが、今年の春は、雨が少なく気温も低めで、休耕田を刈ったはいいが、今頃になって夏の草が生い茂り、これでは早めに刈った意味がなかったと後悔している。草刈りの回数が増えてしまっただけかも知れない。

 休耕田の草を刈っている時、鳥の巣を見つけることがある。それは、鴨の巣などではなく、小さな鳥の巣であったろう。何の鳥かは知らないが、もう使われていない巣である。冬の間に巣を作り雛を育てた名残である。枯草を寄せ集め、綺麗にお椀状に作っている。やはり、蛇などに狙われないように、草の高い所に上手に作っている。

 実は、昔、そのキジを傷つけた後、数日して雄のキジが我が家にやって来た。こんな所に綺麗なキジが来ることなど考えられないのだが、その傷つけた番の鳥だろう。妻を探しに来たのか、子供を探しに来たのか、僕に恨みを晴らしに来たのか。

  夏草や 生きるというは 罪なこと

2017年     5月7日     崎谷英文


石楠花

 西洋石楠花が、居間から直ぐ先の庭に咲いていた。四月の初めに咲き始め、一輪咲いてはまた一輪、一週間ほどで五輪の白い花が満開になる。薔薇のような容貌をしている。躑躅に似た、と言う形容もあるが、寧ろ薔薇を優しくした感じで、花弁は薄くか弱く見える。一m程の低木で、日本の石楠花は山に入らなければ見られないが、西洋石楠花は園芸種で、毎年、この時期にこの庭に咲く。

 春雷を伴った雨が短く振り、石楠花は一輪、一輪と落ちていった。二週間も咲いていただろうか、ほんの僅かな日々を、石楠花はその花を咲かせ落ちていった。薄い花弁は、落ちると散り散りになって土に吸い込まれる。その白い花びらは、たちまちの内に茶色くなって咲いていた頃の艶やかさを失い、土に同化していく。

 桜の花は散る。時に花吹雪となって、そのいのちの華やかさを保ったまま散っていく。地に落ちて花絨毯となって土を覆い、きれいなピンクを残す。川に散れば、花筏となって、時にたたずみ、ゆっくりと流れていく。花のいのちが所を離れても、そのいのちはたちまちに消えるのではなく、この世に思い出を残すように散っていく。

 石楠花は散らない、落ちていく。落ちて直ぐ、死の姿を見せる。生きていた頃の華やかさなど微塵も見せず、落ちて直ぐ醜く変色し、決して桜のように生きていた頃を思い出させない。一直線に死に向かう。

 春雷に 鴉一鳴き 応へけり

 この間、義父の四十九日で経を詠んだ。四十九日と言えど何もしない。義父の遺言で、坊さんも呼ばず形式ばった葬儀もしなかったのだから、四十九日のその日も、妻と二人、僕が短い経を詠んで終わった。

 死の儀式というものは、残った人の思い出の儀式でもある。忘れることのないように、思い出させるように、適時儀式を行い、その人を思い出させる。

 しかし、その人が帰ってくることなどなく、その人のいのちは、思い出す人のこころに留まるだけである。言ってみれば未練である。死んでいったその人も未練であるかも知れないのだが、思い出す人にとっても未練である。ただ、思い出す人がいる限り、その人はまだこの世に生きている。しかし、未練であることには間違いはなかろう。

 僕の祖父は、死んだら太市の土になりたい、と言っていたそうだが、本当に土になるのかどうかは知らなかったろう。ただ祖父は、太市での最後の野焼きの死者であったことは覚えている。円い棺桶に死んだ祖父が座らされ、白装束を身に着けた村の若者、数人に担がれて、野焼きの場に持っていかれ、一晩かけて、祖父はゆっくりと骨になっていった。それはまさしく、太市の土になったようにも見える。

 今は、死者たちは、町の火葬場のコンクリートの中で焼かれ、二時間で骨になる。土となるわけがない。散骨するとか、樹木の墓にするとか、が今、流行っているそうだが、それも未練かもしれない。死んでもこの世に足跡、名残を残そうとしているようにも見える。塵、芥となっても、土に紛れ木の養分になろうとも、いのちがこの世に残るような気がするのか。

 義父の辞世の句がある。

 死して蛆湧くも大非よあなかしこ

 墓に入るほどの身になし悉皆佛

 未練はなさそうだ。

 

 僕も多くの親族、知人を見送った。そして、本当に、ふとした時にその人たちを思い出す。別に思い出してやろうとするのではない。ふと思い出す。思い出している間は、その人たちは、まだ死んではいない。それは、僕の未練かもしれない。

 桜の花は、人々にその艶やかさを印象付けながら、散ってもその色を残す。石楠花は、華やかに咲きながら、落ちれば未練を残すことなく死を見せる。

  独りでは 咲かぬなりけり 藤の浪

2017年     4月30日     崎谷英文


グローバル化と国家主義

 世界は今、グローバル化と国家主義のせめぎ合いと言っていいかもしれない。

 EUという壮大な統一経済圏の実験が行われているのだが、その国家を超えていく経済体制、枠組みというものが、今危機に陥っている。イギリスがEUからの離脱を宣言し、いずれEUからの離脱となるのだが、フランスでも、ルペン党首率いる国家主義の政党、国民戦線が勢いを伸ばしている。他のヨーロッパの国々でも、国家主義に回帰しようとする政党が力を伸ばしている。

 地域国家間の経済的結びつきというものが、結局は経済的繁栄をもたらすはずであり、平和にも繋がるという考えなのではあるが、そんなにうまくいかない。国家間に経済的格差があり、いずれの国もそのEUの恩恵を受けるとは限らず、特に今の中東からの難民の流入による問題は国家を守る、国民を守るという国家主義を台頭させたのである。国家主権を回復させ、国家、国民を第一にという動きである。

 アメリカでは、アメリカンファーストを叫ぶトランプ大統領が誕生し、TPPという環太平洋の国々の経済統合は破綻した。やはり、国家第一主義である。日本も、TPPを推進すると言いながら、安倍晋三の戦前、戦中への回帰の志向は著しく、お互いの利益という建前を言いながら、その実態はジャパニーズファーストであることに間違いはない。

 つまりは、グローバル化と言いながら、まだまだそれは真の世界中での共生の理念には程遠く、自国第一の経済繁栄の手段でしかない。

 ヨーロッパで産業革命が起こり、ヨーロッパからの帝国主義が、アジア、アフリカ、南アメリカへの侵略を始め、植民地時代になる。日本は幸いに島国であり、大地の中での国境を接する国もなく、侵略を免れた。そして、文明開化からの近代産業、科学技術の導入により、日本は帝国主義に参入していく。国民主権も自由も平等もなく、とにかく富国強兵へと突き進んでいく。

 ヨーロッパの国々は、アフリカ、中東アジア、南アメリカなどを侵略していくのだが、その傲慢な差別主義による支配は、やがて、アフリカ、アジア、アメリカでの民族自決を促し、多くの国が独立していく。それは、ヨーロッパ、アメリカの人々を精神的に支える民主主義、自由、平等から来る当然の帰結であって、あらゆる人々が差別のない同じ人なのだと知れば、人々を暴力によって支配することの不条理は自明のことである。

 第一次世界大戦後、ソビエト連邦が誕生し、東西対立の幕が開けるのだが、ドイツではヒットラー率いるゲルマン民族ファーストの政権が誕生し、世界は第二次世界大戦に突入する。日本もまた皇国日本として、朝鮮に侵略し、満州に侵略し、アメリカに戦争を挑み、日本全土で空襲を受け、原子爆弾を落とされて敗れる。

 太平洋戦争後、日本は、国民主権、基本的人権の尊重、戦争放棄という憲法を持ち、新しい日本になった。それでも、東西対立が深まり、世界は共産主義、社会主義との共生はできず、中国では中華人民共和国が誕生し、朝鮮半島で朝鮮戦争が起こり、朝鮮半島は分断される。

 中東の紛争も、テロの危機も、北朝鮮の核の危機も、元を正せば、これまでのヨーロッパ、アメリカ、そして日本のやって来たことの残影ではないのか。それを武力、暴力で封じ込めようとすることはあまりに身勝手ではないか。

 以前のように、あからさまな帝国主義ではないのだが、グローバル主義というものは、新しい帝国主義ではないのだろうか。国家と大企業、グローバル企業とが結びついた新たな帝国主義である。世界が全体的に豊かになってきたことは、その通りかもしれないが、世界ではまだまだ貧困に苦しむ人々が多くいて、大国に住む人々の間でも格差が広がっているのではないか。

 経済のグローバル化は、世界の人々を結び付け、それは世界平和にも繋がるとも考えられるが、国家主権が縮小し、世界の中での分業化が進むと、戦争、災害、異常気象などにより、国家が自立できなくなることも考えられる。世界はまだ大きな一つのまとまりにはなっていないし、多分なり得ないだろう。だとすれば、違いを超えて共生の道を探るしかない。

 ひたひたと戦争の臭いがする。

  筍を 煮る香しき 空青し

2017年     4月24日     崎谷英文


ポトラの日記24

 春が来た。暦の上ではとっくに春なのだが、三月中はずっと寒く、今頃漸く体感的に春が来たと感じる。相棒も、暖房のスイッチを入れることがやっとなくなったようで、僕も昼間は、待っていた春の日差しの中で、縁側で寝そべるようになった。夜は、アライグマも、今年のアライグマは大きいのが一頭なのだが、冬眠から覚めたように動き出した。大きくて、とても僕の立ち向かえる相手ではない。

 冬鳥たちも何処かへ行ってしまったようで、代わりにツバメがやって来たようで、戦闘機のように低く僕の目の前を滑空する。カラスは、冬も春もなく相変わらず、朝夕、カアカアと鳴いて、僕の食べ残しを狙ってくる。小さなハクセキレイは、家族が増えたようで、仲良く遊んでいる。トンビの小次郎さんが、ゆっくりと空高く円を描いている。

 サクラも咲くのが遅かったのだが、やっと満開を過ぎ散り頃になった。一陣の風が吹く度に花吹雪が舞う。隣の原っぱには、色とりどりの野の花が咲き乱れ、名もなき草の緑も爽やかだ。畑に取り残された野菜の花が、それは黄色い花が多いのだが、所々に賑わいを見せている。ソラマメの花も咲き始めた。草を刈る時期だろうが、相棒は、いい景色じゃないかと暫く放って置くつもりらしい。

 帰り来て 桜吹雪に 立ち止まる

 寒かったことと雨が少なかったこともあり、今年のタケノコの出が遅い、と相棒がやきもきしていたのだが、それもようやっと暖かくなり雨も降り、少しずつタケノコは頭を見せ始めたようだ。先日、テレビで、太市のタケノコのことを放映していた。案内役の筍組合の組合長は、相棒の良く知る人で、田んぼでもよく会う、前の太市中の自治会長だ。

 相棒の竹藪とは比べものにならないほど綺麗に手入れされた太市のどこかの竹林にゲストを案内して、隠れたタケノコの在りかの見つけ方や、その掘り方などを説明していた。掘ったばかりのタケノコを、そのままゲストに食べさせたりしていたが、本当に生のタケノコは美味いのか、と相棒は怪訝な顔をしていた。太市では、そんな食べ方はあまりしない。姿京都に味太市などと味の日本一を宣伝していた。

 相棒も若いようで、もう今年の誕生日が来ると六十五才という高齢者の仲間入りをする。相棒は、これと言って運動を日頃しないのだが、田んぼや畑やタケノコやらで、結構身体を使っていて、筋肉は残っているように見える。しかしそれでも、寄る年波、年々無理をすると、足腰のあちらこちらの痛むのが増えたようだ。昔なら、六十五才と言えば、立派なお爺ちゃんだったろう。

 しかし、太市には元気な年寄りが多い。八十才を超えたお爺ちゃんが、頑張って田んぼを作り、畑仕事をし、タケノコを掘っている。お祖母ちゃんたちは更に元気で、毎日のように畑に出て作業をしている。田舎で農作業をするということは、身体にも精神にもとてもいい。相棒などは、この田舎ではまだまだ若造なのだ。

 田舎にくすぼっていると、本当は世界のことなどどうでもいいのだが、どうやら今、世界では戦争へのきな臭い臭いを感じる。目を閉じても、耳を塞いでも、現代の情報機器は、世界の出来事を否応なく伝え、この浮世との繋がりは断ち切り難い。てめえら戦争をやりたければ、勝手にやれ、巻き込むな、と言いたいのだが、日本が危なく、日本でも戦争をやりたがっている輩が多そうだ。

 国際連合が機能しない中、世界の警察を気取っていたアメリカが、一時はその立場を離れたように見えたのだが、またぞろ新しい大統領が、プライドと人気取りのために強いアメリカを演出している。核戦争が起こらないまでも、ベトナム戦争の再来のように、沖縄、日本の米軍基地から軍隊が出動し、更には、安保法制の成立していることからして、日本の自衛隊が出動させられる羽目になってもおかしくない。

 それにしても、世間の人たちは能天気で、金儲けと娯楽と食べることばかりにしか興味がなさそうで、お気楽なものだ。

  どもならん 戦の予感 桜散る

2017年     4月16日     崎谷英文


 漸く塾の前のサクラが開花した。寒い春が途端に暖かくなったようで、このまま一気に咲く気配である。しかし、それでも、今年のサクラの開花は近年では遅かったろう。大津茂川の土手のサクラも、やっと少しずつ咲き始めた。川原には、細い水の流れを残して、菜の花が一面に咲いている。白い李の花や桃の花、紫木蓮など、それぞれの色と形をして、あちらこちらの庭先の塀越しに見える。色彩を楽しむ春になる。

 色というものは不思議である。様々な色があるが、それらは全て、光の三原色、赤緑青の組み合わせ、配合割合によって感知される。赤緑青の三原色で光のすべての色は作られ、その三原色が重なると白になる。光がなければ暗黒の黒になる。光の色、可視光線は赤から紫まで、その色によって波長が異なり、赤が最も波長が長く、紫が最も波長が短い。その可視光線が屈折率の違いにより分解される時、虹になる。

 人はその可視光線の赤から紫までが見えるのだが、赤の外にもっと波長の長い光があり、見えないが赤外線として熱を感じさせる。紫の外にもっと波長の短い光があり、紫外線として、これは人の肌を通過し、健康に被害を与える。

 多くの鳥類は、四原色をもって色を感じていると言う。紫の外の紫外線まで感知、反応する目、脳を持っているらしい。彼らの獲物を見つけるときの目聡さを思うと、彼らは、人の目に見えないものを見て生きていると推察される。

 また、多くの哺乳類は、二色原色、緑と青をもって色を感じていると言う。感知する赤がない。つまり、人ほどカラフルな世界を見ていないということになるかも知れないが、彼らにしてみれば、それが現実の世界の色である。

 四原色で見る目を持っている鳥が、現実世界をどのようにして見ているかは分からない。紫外線の色が人には感知できないのだから仕方がない。犬や猫がどんな世界を見ているのかと言えば、緑と青の二原色だから、あらゆる色が緑と青の間になるということなのだろうか。赤は感知できないから、黄も橙もピンクも見分けられないのかも知れない。

 だとすると、僕がポトラと、同じ赤いバラを見ていても、ポトラにすれば、少し濃い灰色にしか見えていなかったことになる。ポトラにしてみれば、タンポポの花は、少し明るい灰色でしかないのかも知れない。しかし、それがポトラにとっての世界の真実である。

 猫が手を 伸ばし木洩れ日 受ける春

 しかし、生き物は、またそれぞれに能力に特徴があり、犬や猫は、視覚の代わりに嗅覚、聴覚が人よりも格段に優れていて、その意味でも、やはり人には分からない世界の中にいると言える。想像してみれば、いろんな匂いが常にして、いろんな音が常に聞こえるということは、煩わしく、うるさい世界なのではなかろうか。

 人も他の動物も、それぞれの感覚の世界があり、そのそれぞれの感覚の世界の中で生きていくしかない。

 言葉を使ってコミュニケーションをとるというのは、人の固有の能力だろう。声があり、文法があり、文字を持つのは人だけである。人はその言葉を駆使して生きている。猫のように泣くことしか知らずに生まれてきながら、知らず知らずのうちに言葉を覚え、自らの欲望を語り、事実を伝え、情報を受け取り、また伝えていく。言葉で、気持ちを語り、事実を語り、真実を語ることによって、人々は共同生活を営むことができた。

 しかし、言葉を使うことによって、嘘をつくことを覚えたのも事実である。動物たちは、小賢しく狙った獲物に罠ぐらいはかけるかも知れないが、嘘はつけない、言葉は知らないのだから。人は、言葉を覚えて、嘘をつくことも覚えた。

 嘘を嘘として伝えれば、ファンタジーになり小説になる。嘘をまことしやかに喧伝し流布すれば、時に人は嘘を真実と信じさせられ、嘘と真実が逆転する。権威と暴力と巧言により、権力者たちは、嘘を真実に仕立て上げる。長い間に、嘘か真実か分からない伝説が生まれる。

  草萌ゆる 朝日に向かい 一歩踏む

2017年     4月6日     崎谷英文


テントウムシ

 四月になったというのに寒い日が続く。地球温暖化と言われて久しく、近年サクラの開花が早まってきているように感じていたのだが、今年の春は、気象庁の開花予想を裏切るように、日本列島に寒気が入り込んでいる。塾の前のサクラも、ようやっと二・三輪の花を見つけたばかりで、五輪咲いて開花宣言というのが標準だとしたら、我が家の開花宣言は今日か明日ということになる。

 全国的にはどうだろうか、少し寒さが続くということもあるのだが、この辺りではまとまった雨が長い間降っていない。長い間乾燥注意報が続いていて、畑はからからに乾いている。先日、久しぶりに半日ほど続く雨が降ったが、畑を潤すほどのものではなかった。畑を少し掘れば、乾いた白い土が見えてくる。春の野菜の植えたばかりの苗や蒔いたばかりの種は、水を欲しがっている。

 寒く乾燥しているということは、雑草の芽生えや育ちを遅くしそうなものだが、雑草たちは逞しい。レンゲ、ナズナ、タンポポ、スミレ、野の花たちは、ゆっくりとだがその緑を濃くし、陣地を拡げるように、畑をカラフルにする。しかし、油断をしていると、雑草に囲まれた野菜になる。これから暖かく、潤ってくると、野の草、野の花たちは、ますます元気になっていくだろう。

 花冷えや 本来人は 無一物

 ジョービタキがいなくなったようだ。ジョービタキは冬鳥で、十月頃にここにやって来て、春になると北に向かう。この秋に戻ってきてくれるのを待つ。ツグミは、まだ庭にいて、毎日のようにポトラの餌を食べにくる。なくなっていたらとぼとぼと帰るのだが、数粒入れてやると、またちょこちょことやって来る。

 ポトラの餌は、カラスにも狙われている。ガレージの隣でも朝、ポトラに餌をやることがあるのだが、そんな時、僕がその場を離れるのを待っていたように、カラスは飛んでくる。ポトラが襲われることは流石にないが、ポトラもカラスに立ち向かうことはしない。大きなカラスなのである。ポトラが食べ残した皿にブロックで蓋をしていても、カラスはそれを力づくで蹴飛ばしてしまう。

 カラスは嫌われ者だろうが、本当に賢い。これまで、縁側のポトラの餌にまでは手を出していなかったのだが、最近は、人のいないのを見計らったように食べにくる。

 さらに、夜にはまたアライグマがやって来た。しばらく来ていないと思ったのだが、アライグマが冬眠をするのかどうかも知らないが、その冬眠から覚めたのだろうか、再びやって来た。夜遅く、酒を飲みうとうとしていると、アライグマがゆっくりと警戒しながらガラス戸に近づいてくる。今まで見たこともないような大きなアライグマ一頭である。気が付いて立ち上がると、急いで逃げていくが、暫くすると、また忍び足でやって来る。

 カラスにもアライグマにも悪いのだが、これからはポトラの餌の残りは、部屋の中に仕舞うことにしなければならないだろう。

 ツグミにもカラスにもアライグマにもそれぞれの事情があろう。食べなければ生きていけないのだから、何とか食べようと努力をしているのである。人間の作り残したものばかり狙っているのではないのだろうが、手っ取り早く楽に手に入るものがあれば飛びつく。彼らも彼らなりに、野生の力で自然の中で食料を調達することも知っているはずで、ポトラの餌ばかりに頼らないようにしてやることも必要だろう。

 塾の裏の建物を取り払った空き地に、タンポポがちらほらと咲いている。モンキチョウが一頭、花から花へふわふわと飛び交う。今朝は、トラックに薄っすらと霜が降りるほどに寒かったのだが、昼前、今は空は綺麗に晴れ上がり、気温も上昇しているようだ。

 タマネギの畝の草を抜いているとテントウムシがいる。まだ子供のような小さなテントウムシだ。彼も春を待っていたのだろう。

  ジグザグと 歩くばかりや 風光る

2017年     4月2日     崎谷英文


耕す

 春分も過ぎたと言うのに、結構肌寒い日が続く。東京では、もう桜の開花宣言が出ているというのに、ここ太市では、大津茂川の土手の並木の桜はまだまだ蕾が固く、花開く日はまだ少し先になりそうだ。梅の花はほとんど散り、二輪だけが残っている。サクランボの花は、普通の桜の花よりも早く、もう三分咲き程になっている。

 漸く畑に、いろいろな野菜の、種を蒔いたり、苗を植え付けたりする時季になった。少し寒いが、ニンジン、ホウレンソウ、シュンギク、コカブの種を蒔き、ブロッコリーは妻の要望もあり、二十株程もその苗を植えた。キャベツの苗も数本、レタスの苗も数本、これらの苗は、近くの、近くと言っても姫新線で言えば隣の駅、余部駅に近い飾西にある農業用品を多く扱うアグロと言うホームセンターで買ってきたものである。

 春風や 土潤いて いのち湧く

 カルチャー、culture 、とは文化であるが、カルティベイト、cultivate、耕すと言う言葉からきている。つまり、文化とは、その土地を耕すことから生まれる。アグリカルチャー、agriculture 、は農業である。文化というものは、その土地を耕すところから生まれるものであり、思えば祭りは、収穫への感謝と祈りであり、その土地を耕す農民たちにとっての祭りであった。文化というものは、農民たちの生活から生まれた。

 その土地の気候、風土により、農業の形態は変化するのだが、だからこそ、文化と言うものも、その土地によって異なる。文明も、初めは一つの所から生まれるものだろうが、それは拡がって行く。機械文明は、産業革命以降、瞬く間に世界に広がって行った。科学技術の発達は、グローバル経済の進展の下、世界中に、その文明の機器の生産、販路を拡げ、人々の生活を一変させる。

 文化、それは多分に精神的なものであり、生活習慣の中で根付くものだろう。文明は、多分に物質的なものであり、人々の生活を便利に楽にさせるのであるが、だからこそ、文化を破壊させるものともなり得る。文化は、本来その土地のものであり、長い間の生活習慣の中で培われ、洗練されてきたものだが、その文化というものが、文明によって壊されていく。

 文化も拡がり得るのだが、元来、文化というものは、その土地の自然環境の中でこそのものである。物質文明が、文化を侵食し、人々をバラバラにさせる。文明は、その土地から人々を奪い、空疎なビルの立ち並ぶ都会に誘い、終には、その村を無くす。その地の文化は消失する。

 昔、ヨーロッパでルネサンスと言う時期があった。文芸復興と訳されるが、つまりは、自然に還れ、人間本来の姿に戻れ、ということであったろう。それは、中世のキリスト教的人間観、世界観に閉じ込められていた人々の、人間性の回復への運動であった。それは、ブルジョアジーたちによる文化の再生であったのだが、暗鬱たる時代に、一陣の清涼なる風をもたらしたであろう。

 もしかしたら、今、第二のルネサンスの時かも知れない。それは、第一のルネサンスとは違う。現代は、人々は文明の恩恵であろう、便利に豊かになっていく中で、がんじがらめに体制、組織に絡め捕られ、ますますこころは空虚になっているのではないか。その地の文化というものが失われてしまったとしたら、もう一度耕すところから文化を再生することができるのではないか。

 文明を捨てよ、とは言わない。しかし、文明があまりに人間を、本来の人間から遠ざけていっているのだとしたら、今一度、自然に回帰してはどうか。自分の身体を用い、手足を使って、自然と触れ合うことから始めてはどうか。裸足になって、素手で土を弄り、木々を撫で、野の草を摘んではどうか。忘れていたものを思い出すのではないか。

 ずっと以前に植えていたキャベツ、ブロッコリーは、ものの見事に鳥たちに齧られ、芯だけが残っているような状態なのだが、それでも大したもので、そのほとんどなくなっているところから、ゆっくりと目を覚ますように緑を付けている。

 採り残した野菜の花と蓮華の花が、競い合うように咲いている。春である。

  野の花の こころたずねむ 春の土

2017年     3月26日     崎谷英文


嘘つき

 朝食を終えぼんやりしていると、縁側に小鳥がいる。あれはツグミだろうか。首をきょろきょろさせながらガラス戸に近づいてくる。今朝のポトラの餌の残りを食べに来たらしい。猫の小さな餌をチョコンチョコンと啄む。四つほど口に入れて、またちょこちょこと縁側を降りて行った。

 鳥のことは詳しくないのだが、この冬から新しいこのツグミらしい鳥がやって来たようで、前の小さな雑木林によく止まっている。この間は、以前からここを縄張りにしているジョウビタキを物凄い勢いで滑空して追いかけているのを見た。鳥の喧嘩を初めて見た。ジョウビタキの方が心配になったのだが、その二日後にジョウビタキが、平然と畑の枝豆の支柱に止まっているのを見て安心した。

 渡り鳥か留鳥かの区別もつかないのだが、この鳥はガラス戸近くまで、こちらが見えるはずなのに、それほど警戒心もなさそうにやって来る。何時までここにいるだろうか。野生の鳥たちは、生存競争をしているのだろうが、鳥たちは物覚えがよく、嘘もつかない。いつも真っ正直に生きているだけだろう。ジョウビタキなども、記憶確かにきちんと毎冬我が家にやって来る。

 春浅し 鳥の迅さに 驚きぬ

 しかし、人は物忘れをする。嘘もつく。物覚えの能力は人それぞれらしい。記憶力がいい人もいれば、僕のように物忘ればかりする者もいる。年を取ったせいもあろう。持っていく物を忘れたり、エアコンを消し忘れたり、電灯を点けっぱなしにしたり、最近は、確認作業に念を入れているのだが、それでも忘れていることがあるから困ったものだ。

 先日は、相野村の役員会で、家が近いからと老人会の会長に渡してくれと託された封筒のことをすっかり忘れていて恥ずかしい思いをした。自治会長からの問い合わせの電話の時も気づかず、預かってません、と答えた。電話を切った途端、あ、受け取ったか、と想い出し、調べると受け取っていた。直ぐに、老人会の会長の所に持って行った。

 その時、ふとこの失態をごまかせないかと頭に浮かんだのが恥ずかしい。人は過ちを犯すと素直に責任を取ればいいのだが、人のこころは醜い。何とかごまかそうとか、ばれないように工作をしたり、証拠など出てくるはずがないとして、平気で嘘をついたりする。故意の犯罪者は、元より悪いことと知りながら罪を犯すのであって、ごまかせる、ばれないと思って罪を犯す。ばれても何とかごまかそうとする。

 近頃の、森友学園や自衛隊の日報問題も、人のこころの醜さが溢れている。

 稲田防衛大臣の場合、断言して記憶違いと謝って済むはずがなかろう。知っていて嘘をついたのなら、もちろん嘘つきに大臣は務まらないし、本当に忘れていたのなら馬鹿で、馬鹿に大臣は任せられない。まだ若いだろう。どうやら安倍政権は、強気に出て恫喝し、批判を封じ込めようとする傾向がある。戦前戦中の日本である。

 本来、官僚は、整合性と継続性の原則で厳密に法規を守るものなのだが、何らかの意図をもって、それが政権からの圧力か政権への忖度かは知らないが、何とか整合性と継続性を取り繕って、つじつま合わせに奔走したということだろう。記録に残さなかったとして嘘をつき通そう、という魂胆である。官僚は過ちを認めない。プライドが高く自己保身に専念する。

 学園の理事長の言葉と安倍晋三、その妻の言葉のどちらが真実かは分からない。理事長はいかがわしく、首相は偉いのだから、安倍晋三の言を信じる、というのは通用しない。首相だからこそ、その地位、権威を守ろうとするプライドは高く、ごまかし切ろう、嘘をつき通そうとするものである。ばれなければ、証拠がなければ、ごまかし切れると思っている。

 

 嘘をつき始めると、その嘘を隠すためにまた嘘をつく。そうやって、止めどのない嘘つきになっていく。大本営発表は、嘘をつき通したのだ。

 あんなとんでもない理事長、これはその理事長が嘘つきだからでなくその教育に対しての考え方がとんでもないということで、その理事長の小学校が潰れたということは良かったのであるが、その考え方に共鳴する安倍晋三の本質をこそ問題にしなければならないことを忘れてはならない。

 今朝もツグミが、ポトラの餌を食べに来た。今日は十粒ほども食べただろうか。ポトラも暫く鳥を狙っていたようであるが、諦めて離れた後、少し経ってツグミはやって来た。ポトラは優しいのかも知れない。

  蠢いて いのちを覚ます 春の土

2017年     3月18日     崎谷英文


梅の香

 森友学園の事件、そもそもこんな学園が存在していることが奇怪である。教育勅語を素読、暗唱させる教育などあり得ない。教育勅語は、1890年、明治23年、第一回帝国議会の開会直前に発布された忠君愛国を謳う国家主義的思想の内容である。

 天皇主権における臣民、つまり日本国民を天皇の子として扱うものであり、親子、友人、夫婦の絆を謳おうが、それは全て、国のため、天皇のための臣民として使命、務めを果たすことに密接に繋がっていた。

 当時、日本は欧米列強に伍する経済力、軍事力持たねばならないとして、富国強兵を国家目標とした。200年以上の鎖国を解き、国際社会に参入していくのだが、富国強兵を実現するために、日本として統一した統率のとれた国民を醸成しなければならないとした。その頃、日本には国民主権という概念はない。個人の尊厳という概念もなかった。国家というものとして、絶対的な主君を抱いて国民を統率していく方策しか見いだせなかった。

 立憲君主主義の大日本帝国憲法を発布して、国会開設を前にして、国民の精神を皇国史観によって統率しようとしたのが教育勅語である。教育勅語の内容は儒教的精神を多く含むものであり、江戸時代から続く封建的精神を受け継ぐものであるが、それは武士にとっての藩主、将軍が天皇に変わったもので、天皇を戴く日本、その日本のために命を奉げよ、というものであった。それは、国家神道と一体化する。

 もっともらしい日常生活の心得としての、親子の情、友人の大切さ、夫婦仲良く、と言う言い回しの末に、挙句、究極的には、日本のため、天皇のために命を差し出せ、というものであった。子供たちは、天皇の写真に敬礼しなければならず、教育勅語の写本に対して頭を垂れることを強制された。

 そんな思想統制の中で、子供たちは、国粋主義的精神を植え込まれる。日清戦争、日露戦争と勝利が続き、帝国日本の日本人としての誇りを埋めつけられる。そして、帝国日本として、朝鮮半島に侵略し、朝鮮を併合し、中国に侵略して日中戦争を拡大し、ついにはアメリカに戦争を仕掛けたのである。そして敗れた。その太平洋戦争では、世界で2000万人以上が死に、日本人は300万人以上が亡くなった。

 その悲惨な戦争を、日本において始めから終わりまで支えた精神的支柱が、教育勅語であった。命を奉げて、天皇の国、神の国、日本のために生きることを強いられていたのだ。

 大戦後、日本国憲法が作られ、やっと真に日本人は、個人の尊厳、思想の自由、表現の自由の大切さを知ったのではなかったか。戦争に負けたのが悪かったのではない、どんな戦争も、勝とうが負けようが、戦争自体むごたらしく、悲惨であり、二度と戦争をしないと誓ったのではなかったか。天皇主権、皇国史観の全体主義、絶対主義が、豊かな自由な精神の発達を壊し、損なうと知り、国民主権、民主主義に目覚めたのではなかったか。

 1948年、教育勅語は、根本理念が、主権在君並びに神話的国体観に基づいているとして、国会で排除され、失効確認がなされた。

 森友学園の理事長は、さっき理事長を退任したらしいが、その教育勅語を素読、暗唱させて何が悪いと開き直る。安倍晋三もその妻も、そんな森友学園の教育に共鳴しているのであり、この事件がなければ、安倍晋三の妻はずっとその新設小学校の名誉校長だっただろう。安倍晋三の見苦しいほどの責任回避の様子が見ていて笑える。自民党内も同床異夢であろうが、権力維持のために黙り込んでいる。

 儒教に学ぶべきことはある。しかし、教育勅語を用いることなど以ての外である。小さな子供たちに、教育勅語を素読、暗唱させるということは、思想教育、思想統制、洗脳であり、思想信条の自由を侵す、まさしく戦前、戦中の教育なのである。

 そもそも、思想的なものを暗唱させる教育自体、洗脳であり、問題なのではなかろうか。新興宗教がよくやる方策でもある。この事件で、日本の国民は今の権力者の本質を知らねばならず、目覚めないとしたら、うやむやに終わらせるとしたら、それは、ますます国粋主義者たちを蔓延らせることになろう。

 義父が亡くなった。義父の辞世の句、ずっと以前から用意されていたもの、そのうちの一句。

 墓に入るほどの身になし悉皆仏      齊

  背伸びして 目を閉じ梅の 香を貰う

2017年     3月12日     崎谷英文


春の草花

 家の前の梅の花が漸く咲いた。小さな梅の木で、手入れも何もしていないから、年々咲く花の数が減ってきているようで寂しい。桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿とも言い、少し剪定した方がいいのかも分からない。肥料を遣った方がいいのかも分からず、思案している。

 水仙が群がって咲くのも、いつもの冬の終わりごろの光景で、夏には全くその存在の気配さえ見せていなかったのが、何処に隠れていたのかと思わせるように律儀に毎冬花を咲かせる。

 タマネギを植えている畝は、冬の寒さの中では目立っていなかった草が、これも春の気配を律儀に感じ取ったのか、いつの間にか土を隠す程に生長している。別の畝では、レンゲがもう蔓延ってきている。

 生来の怠け者で、余り草取りなどしないのだが、去年放ったらかしにしておいてベト病とかにやられたようで良いタマネギが採れなかったので、今年は少し草取りをすることにした。基本的には、軍手を履いて手でむしり取るのだが、抜けない時はスコップで掘り返す。座りっぱなしで楽そうに見えるが、結構な重労働になる。

 暦の上ではとっくに春なのだが、現代暦では十二月、一月、二月が冬になり、やっと春が来たことになる。三寒四温とも言い、寒さとほの暖かさが交互にやって来る。気の早いタンポポを見つけた。明日は雛祭りである。我が家には全く関係がないのだが、それでも毎年妻はちらし寿司などを用意してくれるのだが、今年は義父の介護に忙しく、多分忘れているだろう。義父はさらに強力な痛み止めを飲むようになった。

 床にいて 桜まだかと 手を擦る

 それにしても、そろそろこの世の邪悪な目論見にみんな気が付かないのだろうか。

 トランプ大統領は、アメリカと言う国が移民の国であり、移民を受け入れてきたからこそのアメリカであることを忘れているのではないか。アメリカの先住民を追い払って、アフリカから黒人を連れてきて奴隷にし、と言う醜い歴史も忘れてはいけない。アメリカは、過去の罪を背負いながら、世界中からの移民を受け入れて、アメリカという国を作ってきた。

 アメリカは超大国であった。いや、今も超大国かも知れない。しかし、その勢いに陰りが見えてきたのも事実だろう。Make Amerika great again. トランプ大統領は、そのアメリカの偉大さを取り戻すと言う。アメリカ第一主義を掲げ、経済においても、軍事においても、強いアメリカを取り戻そうとしている。それは、世界のためにアメリカは行動するのではなく、アメリカのためのみに行動するということだろう。

 日本の安倍首相も似たようなものだ。朝鮮半島、中国に侵略し、アメリカに戦争を仕掛け、東南アジアの人たちをも多く死に至らしめた過去の罪を忘れ、戦前、戦中の日本に戻ろうとしている。おじいちゃんの岸信介の念願だった憲法改正、再軍備を着々と進め、戦争をする国にしようとしている。

 安倍は、皇国史観の日本会議の一員であり、教育勅語を暗唱、素読させる幼稚園、その新設小学校の教育方針に共鳴しているのだから、安倍の進めようとする方向は自ずと知れる。

 ドイツは反省した。徹底的に反省した。しかし、日本は反省できなかった。戦争が終わりながら、国体は護持された、と喜ぶ人たちがいた。せっかくの最も進んだ平和憲法を持ちながら、またぞろ昔の全体主義的な日本になろうとしている。テロと北朝鮮と中国という敵を作り、トランプ大統領の国家主義を渡りに船と軍備増強に向かうだろう。日米安保体制を固めながら、自前の軍事力も拡張しなければならないというやり方である。

 日本、日本人のアイデンティティーとして、日本の文化、伝統を大切にする、と言われれば、多くの日本人が共感するだろう。そんな国民の気分を利用して、じわじわと戦前、戦中の超国家主義的な日本に導こうとしているのが、安倍であり、その取り巻きである。見かけだけの経済成長を装うことも、国民をたらし込む手段となる。

 日本国憲法の前文、第九条を、何故日本の、日本人のアイデンティティーにできないのか。

 菜の花のお浸しを食べた。妻は、もう少し経つと川原の菜の花を摘んでくるだろう。春の草花たちは、強さを誇らない、しなやかに生きている。

  菜の花や かそけき声に 耳澄ます

2017年     3月2日     崎谷英文


春の目覚め

 ジャガイモ、メークィーンの種イモ、3kgを買っておいたのだが、生来の怠け者で、植えるための準備を全くしていなかった。本来は、事前に畑を耕しておいて有機石灰なども散布しておいた方がいいのだが、いつかやろうと思っているだけで放っておいた。しかし、さすがにそろそろ植えなくてはならない時期になり、明後日は雨が降ると言う天気予報が出たので、明日こそ植えることにして寝た。

 翌朝は良い天気で、畑仕事に相応しい。それでもぐずぐずして時が経ち、さあやるかと畑に繰り出したのは、朝の10時頃だった。先ずは畑を耕す。手押しのトラクターにガソリンを入れてエンジンをかける。

 この手の農機具は、チョークを一杯に開けて始動ベルトを勢いよく引っ張ることで、エンジンをかける。手持ちの草刈り機の場合、エンジンがかかるまで何度も何度も引っ張らなければならないことがあるのだが、このトラクターの場合はほとんど一度でかかる。

 秋の終わり頃までナスを植えていて、一応は簡単な草刈りをしていた畝を耕す。冬の草は短いが根は強い。何度か往復して丁寧に耕さなければならない。

 耕していると目の前にアオサギがいる。3mも離れていないところに一羽のアオサギが、ゆっくりと耕した畝の上を歩いてくる。逃げる気配がない。トラクターを押して近づくと少し下がるのだが、怯える様子もなく、向きを変えるとまた近づく。

 畑の中には、ミミズや虫の幼虫など様々な生き物がいる。トラクターを押している間は、目に見えることもあまりないが、手で掘り返すとミミズなど、蠢くものをしばしば目にする。アオサギの餌になる。畑を耕すことで土の下に隠れていた生き物たちが露わになる。その小さな餌を、アオサギは野生の目で狙っている。

 何度か畝を往復して、牡蠣殻石灰と鶏糞肥料を取りに倉庫に行き、また戻ってくると、まだアオサギはいる。忍び足のように歩き、時々、ひょいと首を傾げて土の上を啄む。ごくりと喉を獲物が通る。それでも、肥料と石灰は遣らなければならないので、アオサギを無視して、それらを畝に撒き、再びトラクターを動かして鋤き込む。何度か往復して、やっと畑の準備が終わる。

 近くのベンチに座って一息ついていると、またアオサギがやって来ている。この後、ジャガイモを植えなければならないのだが、そのままアオサギの食事を待つことにする。すると、ジョービタキがやって来てトラクターの取っ手の処に止まり、せわしなく尾を振る。近くのサクランボの枝に飛び移ったりして縄張りを守っている。

 アオサギに 畑盗られて 春の風

 ハクセキレイが、アオサギのすぐ近くまでぴょんぴょんとやって来て土を突く。ヒヨドリだろうかムクドリだろうか、廂ほどの高さを真っすぐ飛んできて栗の木に止まる。冬の間放ったらかしにしておいて、暖かくなったら成長するだろうと期待していたブロッコリーの葉を喰い散らかしたのは、このヒヨドリかムクドリに違いない。

 漸くアオサギがゆっくりと畝から離れていったので、ジャガイモを植える。種イモを縦半分に鋏で切り、切り口に灰を付ける。数年前から、その灰は線香の灰に決まっている。一年の間に溜まった線香の灰を切り口に押し付け、切り口を下にしてスコップで少し掘った所に置き、土を掛ける。本当は、3kgを全て植え終えるつもりだったのだが、アオサギのおかげで、半分しか植えられなかった。後は、後日だ。

 家に戻り、風呂に入り、新聞を見ながらテレビのニュースを見る。

 組織的天下りがあり、どうやら戦闘の読みはショートツらしいし、云々はデンデンらしいし、戦前の治安維持法のような共謀罪ができそうだし、トランプ大統領は相変わらず言いたい放題だし、スパイ映画もどきの暗殺事件があり、巧言令色少なし仁の安倍晋三の化けの皮が剝がれ本性が見えたような、教育勅語を暗唱、素読させるような新設小学校へのとんでもない安価での国有地売却があったり、情けないことばかり。

 全く、昔の反省、教訓などきれいさっぱり忘れて、またぞろ軍国主義に戻りそうで、メディアは委縮して、腰が引け、この世は臭いの出るほど腐りつつあるようだ。

 鳥と遊び、猫と戯れ、土を弄って生きていく。こんな醜い、汚らわしく、嘆かわしい俗世とは、決別したい気分になる。

  春の夢 見える見えぬも 夢現

2017年     2月26日     崎谷英文


春浅し

 「この前の犬、どうなりました。」

 「飼い主見つかったよ。」

 「良かったですね。それで、誰の犬だったんですか。」

 「いや、放送した後も、何所からも連絡がなくてね。近所を歩いていたら、見つけてくれるかと思って散歩していたら、自転車に乗った若者が、うちの犬です!と声を掛けてきたんだ。」

 「どこの人です?」

 「丸山の人だったんだ。放送は聞こえなかったろう。自分の犬ではなく、親戚の犬だそうだ。その子、ぽろぽろ涙を流してたよ。一所懸命、捜していたんだろうな。」

  先日、太市中の村の放送で、迷子の犬を預かっているというのがあった。その犬を預かっていたのが、このKさんだった。偶々、村の中で出くわして、犬について尋ねたのだ。

 Kさんの家の前で、首輪をつけた見栄えのいい犬がうろうろしているのを見つけたそうだ。周囲には誰もいなくておかしいと思い、大人しい犬だったので保護したのだと言う。

 よく飼い主が見つかったものだ。太市中の村内の放送だったから、少し離れている丸山には聞こえなかったであろう。Kさんは、立派な犬で、きっと飼い主は捜しているだろうと思い、近くを散歩させていたので見つけられた。運が良かった。いや、Kさんの優しさとその若者の必死の思いが繋がったのだろう。

 丁度そこをTさんが通り掛かった。

 「人参はあるか。」

 「少しあります。」

 「ほうれん草はあるか。」

 「いやないです。」

 「では、持って行け。」

 Tさんは直ぐ近くの自分の畑に行って、奥さんにほうれん草を遣るように言う。Tさんは83才ほどにもなる人だが、元気で、今も結構な広さの畑で野菜を多く育てている。奥さんは、ほうれん草を20本ほども呉れる。立派なほうれん草だ。この前に、立派な白菜を頂いたばかりだ。

 「Tさん、もう無理しないでのんびりしたらいいのに。倒れるよ。」

 「じゃ、今のうちに香典を呉れ。地獄の沙汰も金次第。」

 「閻魔さんには、賄賂は通じませんよ。」

 僕らのいつもの会話である。

 春浅し 浅瀬ついばむ 鷺一羽

 妻から電話が掛かってきた。「今すぐ帰ってきて、父が変なことを言ってる。」

 義父は仰向けに寝たままで、妻に、テレビは付いていないのに、テレビの画面が見える、と言う。その画面には、日付と時刻と各地の気温が映っている、と言う。妻は思わず、怒ったらしい。「テレビは付いていません。変なこと言わないで。」その後も、テレビのことをとやかく言うので、心配して僕を呼んだ。

 義父の部屋にテレビはあるが、テレビはもう見ないと言って付けてはいず、付いていたとしても、今の義父の寝ている位置からは画面は見えない。

 義父は、目の上、斜め前にテレビ画面を見ているようだ。幻覚だ。

 「幻覚ですよ。」

 「そうか、でもこのスイッチで付いたり消えたりするんですがな。」

 義父の握っているのは、エアコンのリモコンである。どうやら、このエアコンのスイッチを幻覚のテレビのスイッチとして、コントロールされているらしい。

 暫く話した後、義父は、幻覚を幻覚としっかり理解されたようだ。

 「幻覚を楽しんだったらよろしいですよ。」

 「幻覚ですな。だけど、幻覚とそうでないものとの区別はつきませんな。今まで見てきたものこそ幻覚かも分かりませんしな。今見えているものこそ真実かも知れませんしな。」

 そうかも知れない。今見ているものも、結局は自分の頭の中で作られているのだから、脳によって違うものが見えて当然で、どちらが本物かは分かりはしない。

 どうやら義父は、ゆっくりと確実に、生死を超えた幽玄の世界に浸りつつあるようだ。

  抗うて 行きつく先や 春の沼

2017年     2月17日     崎谷英文


冷たい春

 二月になったら暖かくなるだろう、と一月の天気予報では言っていたと思うのだが、二月の十日を過ぎても一向に暖かくならない。雪はたいして降ったりはしないのだが、朝晩の冷え込みは厳しい。これまで手足が冷えるなどということはほとんどなかったのだが、年を取ったせいもあるだろう、もう皮ふの潤いもなくなってきて、手足が冷たく干からびていくようだ。死んで干からびるか、干からびて死ぬか、似たようなものだ。

 義父が、一時入院して戻ってきた。一挙に介護度が1から介護度4なってしまうほどで、寝たきりに近い状態になってしまった。しかし、声は元気で頭もしっかりしている。それでも、一年半以上前に肺がんを宣告され、早くて三・四か月と言われて、これまで頑張ってきていて、さすがにがんも進行したようで、病院では胸に溜まった水を4リットルほども抜いたと言う。帝人製の酸素吸入器を、常時使用するようになった。

 義父は、身体は弱ってきているのだが、頭脳は明晰で、病院にいた時、突然僕に話しかける。

 「いや、世の中というものは、語るに語れないものですな。全てがそうで、人と人との関係もまたそうで、曰く言い難し、筆舌に尽くせるものではないですな。」

 義父は、俳句の達人である。旧制の中学校の頃から俳句を作り始めたという。若い頃は、何処かの結社に入っていて、弟子のような人も多くいたそうだが、後に結社から離れ、老いてからも一人で俳句を作りながら、最近は自分自身の句集を編纂されていた。義父の句である。

 月光の冴ゆれば水のなほ昏し    斎水

 消し炭に釘の刺さりておりにけり  斎水

 義父の言葉は、俳句とは何の関係もないかも知れない。しかし、五・七・五の十七音でこの世、人の世、自然を言い表そうとする俳句と絡めて考えてみる。

 僅か十七音で、この世の真実を言い表せるのかと言えば、できないというしかなさそうだ。しかし、あらゆるものに宇宙は宿るのだとしたら、ほんの小さな些細な出来事、情景も、宇宙を凝縮している、とも言える。俳句が単なる言葉遊びでないとしたら、俳句というものは、この世の真実を短く印象付けるものでなければならないのではないか。

 しかし、いくら巧みに俳句を作ろうが、それはこの世の真実の一部でしかない、と義父は言ったのかも知れない。

 このように言うことは、考えすぎかも知れない。義父は、ただ、どんなに長く語ろうが、この世を説明できるものではない、特に人のこころなど説明できるものではない、と言っただけかも知れない。

 裏の離れに戻ってきた義父は、身体が相当痛いらしく、強力な鎮痛剤を飲むことが多くなった。食べるものも、一食にゼリーが一つほどで、様子を見に行っても、身体をくの字に折って、寝ていることが多い。我が儘はほとんど言わない。気分のいい時は、自分の句の推敲もしているらしい。妻は忙しくなった。

 義父を看る 妻泣き笑う 寒の朝

 いくら饒舌に語ったとしても、この世を語り尽くすことなどできない。今の世、饒舌な輩が蔓延っているようだ。声の大きさと巧みな物言いで、この世を支配しようとしているようだが、矛盾だらけの弁舌を並べ立てる輩が多い。それを見抜けない大衆で、人参を鼻先にぶら下げられて尻尾を振っている。強い相手と見れば、手を揉んで、土産を持って、頭を撫でられに行く。優しさも正義もあったものじゃない。

 「七十才を過ぎた頃、もう何時死んでもいい、と思ったんですがな。こんな年まで生きてきてしまいましたがな。」

 義父は、我が家の離れに一人で住むようになってから、二十年近くになる。義父は今、九十四才になる。

  冬山は 語るを知らず ただ在りぬ

2017年     2月12日     崎谷英文


春立てど

 ジョウビタキが窓の外、木の枝を渡り跳ぶ。玄関を出ようとすると、ヒヨドリかムクドリか、何を間違えたか、玄関の戸の上の磨りガラスをコンコンと突いている。畑に出ると、ハクセキレイがちょこちょこと歩み、耕したばかりの土を突いている。猫の餌を狙ってカラスがカアカアと鳴く。レンコンの沼地にアオサギが舞い降りてゆっくり歩いている。トンビの小次郎が北から南へ低く飛ぶ。太市の里には、鳥が多く住む。

 太市と言っても、太市は全体で一つの連合自治会と言うものがあるのだが、地区ごとにいくつかの村落があり、それぞれに自治会がある。北から言うと、石倉、谷、相野、西脇、出屋敷、向山、太市中(中村)という八つの地域があり、それぞれ自治会があり、その自治会長が集う連合自治会というものがある。

 太市は、江戸時代には龍野藩に属していたと思われるが、明治になり、その市町村制において揖保郡太市村として村長がいて村議会もあった。大戦後、昭和29年に姫路市に合併され、村でなくなった。

 今、住所地としての地名では、石倉、相野、西脇、太市中が残っている。今、太市の人口は約2000人で、世帯数は770程になっている。これまでも多くとも人口は3000人位であったろう。それでも人口は減少している訳であるが、例えば、明治43年には一世帯約六名もいたのだが、今は一世帯三名にも満たなくなっている。

 太市小学校の生徒数も、多い時には六学年で400名近くもいたのだが、今は100名を切り、来年度には70数名にまで落ち込むという。一学年10名以下のクラスが多くなる。

 春立てど 冷たき雨に 山煙る

 それはつまり、日本全体の問題でもあるいわゆる少子高齢化が、太市では特に進んでいるということになる。

 山に囲まれた小さな太市の里、昔はほとんどが農業専従者だったのだが、今太市に農業専従者はいないだろう。年々農地は荒れ果てていく。今、田んぼで米を作っているのは、ほとんどが高齢者である。トラクター、田植え機、コンバインという機械化によって、ずいぶんと米作りは楽になったのだが、それでも年老いたおじいちゃん、おばあちゃんが続けていくには限界がある。残っている若者たちも田んぼを続けようとするものは少ない。

 年々、不耕作地は増え続けている。僕の作っている田んぼの近くでも、一つ二つ三つと米作りを止めている。不耕作地は、いわゆる休耕田になるのだが、作らなければいいというものではなく、放っておいたら草茫々になり、やがては木も生えて林のようになったりもする。

 これから、太市の里をどのようにしていくか、田園の地をどのように守っていくか、というのは大きな課題である。何となく、限界に近付いている気配がする。まだ米作りをしている人たちも、多くは70歳を超えていて、ますます米作りが厳しくなってくるのは目に見えている。

 少子高齢化を食い止めるために、外から人を多く呼び寄せればいいというものではない。この里の田園を守りながら、農地が荒廃しないように、活気のある村にしていくにはどうすればいいのか。本当に考え時に来ている。僕が太市に戻って来てからも、太市小学校の生徒数は半減している。僅か20年の間にである。若者たちが、この太市に多く残っていくような魅力のある村にするにはどうすればいいのか。

 今、太市の駅前周辺を活性化する会議というものが、姫路市の職員も参加して始まっているのだが、単に駅周辺の話では済まない。

 相野自治会の四班の長の役目として、西脇の人で相野に田んぼなどを持っている人にその分担費用を頂いているのだが、会う人はほとんどおばあちゃんである。

 久しぶりに冷たい雨が降っている中、大津茂川の岸辺で一羽のシラサギが遊んでいる。

  氷雨降る 人なき里に 鷺一羽

2017年     2月5日     崎谷英文


酔っ払い授業

 昼から酒を飲んで酔っ払っちまって、午後の四時ごろから脚を投げ出して襤褸ソファーの椅子に凭れてぐっすり眠っていたら、突然、戸が開いて「先生、来てるよ。」と声が掛かる。飲む量を控えておこうと抑制しながら飲み始めたはずだったのだが、そんな抑制は飲み始めると直ぐにどこかに飛んでいってしまい、すっかり酔っぱらっていて、三時間ほどの眠りでその酔いが抜けるはずもない。

 それでも、何とか顔の赤いのだけは治まっているようで、いつものように大きなマスクをつけて教室に行く。酔っ払い運転は、違法で禁止で危険だが、酔っ払い授業は、別に違法でも禁止でも危険でもない。普通の学校で先生が酔っ払っていたら、怒られて懲戒免職にもなりかねないだろうが、ここは気軽な塾、それも自分自身が塾長で、他に誰も先生はなく、怒る相手もいなければ、怒られる相手もいない。

 教室に入ると、先の声を掛けてきた高校三年生の女の子の他に、中学二年生の女の子がいた。どうやら高校三年生の女の子は、既に一時間程前に来ていて、一人で勉強していたらしいが、中学生の女の子がやって来て、これは先生を呼びに行った方がよかろうと、僕の寝ている所に声を掛けにやって来たらしい。

 まだ酔いが抜けているのではないが、不思議なもので、頭は働く。高校生の女の子の方は、一人で英語を勉強していたらしく、解らないところがあると尋ねてくる。高校三年生で、センター試験が終わったばかりで、後は国立大学の本試験と幾つかの私立大学の試験が残っていて、国語と英語の科目の勉強で足りる。

 この女の子がこの塾に来たのは、確か高校二年生の初めだったろう。数学が苦手な子だったが、この二年足らずで、結構数学の力はついて、センター試験でもそれなりの成績を出した。週刊誌の発表する志望校の合格ボーダーラインは優に超えているのだが、油断するなと釘を刺しておく。

 昔は、この塾も結構生徒がいて、集団授業などもしたりしていたのだが、今は専ら個人の勉強を個別に教えている。中学二年生の女の子が学校で貰った数学のプリントをやっているのだが、余り解っていなさそうだ。そのプリントをコピーして、模範解答を作って教えることにした。中学二年生のこの時期、数学は三角形の合同、平行四辺形の証明問題などで、図形の苦手な子は、この辺りで躓く。

 今、子供の貧困ということがよく言われる。日本では、16%以上の子供が貧困だと言われるが、そうすると子供の6人に1人程は貧困ということになる。多分食べることもできないというような絶対的貧困は、少なくなってきていると思うのだが、いわゆる相対的貧困、周囲の子供たちと比較して豊かさが足りない、贅沢ができない、ゆとりがない、と言うような子供たちが増えてきているのではないかとと想像する。

 大人たちの間の貧困の問題も、もちろん課題であるが、子供たちの貧困は深刻である。大人たちの間においては、幾ばくかは、自己責任と言う言葉が通用するかもしれないが、子供たちの間では、自己責任はあり得ない。お腹が空く、食べられない、と言うような絶対的貧困などあってはならないのは当然として、隣の子は豊かに贅沢に過ごしているのに、同じことが僕にはできない、と言うような相対的貧困も大きな問題である。

 相対的貧困は、精神的被差別感をもたらす。相対的貧困はもはや自由とか自己責任とかの言葉で済ませられないのではないか。涙を誘う貧乏物語に酔いしれてはならないのである。その影で、どうしようもなく虐げられていく人たちがいる。特に子供たちにおいて、その精神的成長を阻害し、社会への信頼を失わせるものともなる。強欲な世界は極めて残酷である。

 塾に行かなければ勉強できないなどというのは、馬鹿な金持ちをますます作ることになる。学校教育だけで全ての子供たちがしっかり勉強できなければおかしい。

 中学生の女の子が帰るころ、中高一貫の中学三年生がやって来た。

  坪庭の 小枝の下の 雪溜まり

2017年     1月29日     崎谷英文


ポトラの日記23

 寒い日が続く。地球は温暖化していると言われ、近年においても暖冬化傾向だったので、僕はとても過ごしやすかったのだが、今年の冬は、結構寒い。しかしそれでも、この寒気は、地球温暖化の反動的なもので、北極から一部の寒気が飛び出るように日本列島に入って来ている、と言うのが一般的な考え方らしい。この二月からは温かくなると予想されているので、そうなれば僕も嬉しい。

 それにしても、ここ数日とても寒い。薄っすらと雪が積もったり、雪にならないにしても冷たい雨が降ったり、雨にならないにしても空一面曇よりとしていたりして、日射しは一向に届かない。僕は冬の朝、暗がりの中食事をとった後、日の射す所を選んで移動するのが常なのだが、ここ数日、空に日は昇ってはいるのだろうが、明るい所は少なく困っている。そんな時は、縁の下が一番暖かい。

 相棒もこの寒さに辟易しているようだ。インフルエンザに罹ったとかで、暫く只管寝ていたようで、ようやっと治ったらしいが、この続く寒さに、冷たいビールを飲むのも嫌になって、初めから焼酎の湯割りになったらしい。この駅前の家でも、少しの隙間風は入り込むのだが、塾となっている古い家の方は、隙間風どころではない冷たい風に悩まされているという。

 相棒もこの近年の暖冬に慣れ切っていて、子供の頃からすればこれ位の寒さは日常だっただろうが、寄る年波でもあり、今年の冬の寒さに震えている。ジャガイモの種イモを買ってきてはいるようだが、この寒さの中、植える気にもならないらしい怠け者になっている。

 しかし、この寒さが、やがてやって来るであろう春の喜び、春のありがたさを、一層増すことになるのも確かである。冬を経ない春などというものは、いったい何なのか。花咲く春、草萌ゆる春は、この厳しい冬の寒さを経てこそ、価値がある。僕も、この今の寒さは堪えるのだが、今少しの辛抱と、春の来るのが待ち遠しい。

 春を待つ 試練の雪と 眺めたり

 相棒がインフルエンザで休んでいた間に、丁度大学のセンター試験があったらしい。相棒に聞いたのだが、その英語の問題で猫が出てきたらしい。高校生らしい主人公が、朝起きると猫に変わっていて、びっくりしながらもそのまま食堂に行くと、人間である自分自身がいて、猫になった自分自身が人間の自分自身を観察する。スマートフォンに夢中になっている自分自身を、猫になった自分自身が見て反省する、という夢であった。

 実際、人間というもの賢そうでたいして賢くない。何かに夢中になったり、思い込んだりしてしまうと、自分自身が自分自身を見て反省するなどということはあまりしなくなる。傲慢に思い上がってしまうと、自分はこれでいいのだと、自分のことを悪く言う輩こそ何も知らない悪いやつらだ、などと思ったりする。

 アメリカでは、トランプとか言うカルタのような人間が、正式にアメリカの大統領に就任したらしい。評判がよろしくない。アメリカ国内だけでなく、世界中で評判がよろしくないらしい。相棒の言うことによれば、彼こそ反省のあまりできない人間だ、と言う。メディアに何か批判されたら、自分は悪くない、メディアこそ悪いのだと言ってはばからず、自らの正当性を主張する。

 アメリカ第一主義とか言って、本来移民の国であるはずのアメリカが、その寛容性を失いつつある。しかし、それは他の国においても同様の傾向にある。日本でもそうだが、ヨーロッパでも、トランプのような国家主義的な感覚の持ち主が台頭してきているらしい。愛国心を煽り、それを建前とした、排外主義、排他主義が蔓延っていくのではないかと相棒は心配している。

 とにかく、人の世というものは損得勘定で動いているらしく、自分だけが、自分たちだけが良ければそれでいい、という心情はどうしても抜けきれないらしい。猫になって自分自身を見てみるがいい。醜く見えるだろう。

  隙間風 ただ痩せ我慢 するばかり

2017年     1月23日     崎谷英文


睦月の頃

 今週はいろいろなことがあった、あったというよりまだ続いている。先週の日曜日には、とんど作りに朝から駆り出され、その翌日は、自衛消防の出初式に駆り出された。

 とんど作りは、僕が子供の頃は、子供たちだけでやって、そのとんどの中で遊ぶのが楽しみだったことを覚えているのだが、子供の少なくなった今は大人たちが作ることになる。地域の文化を廃らせてはならないとは思うのだが、もはや、今子供たちにとっては、とんどなどわくわくする行事ではなさそうだ。そして、何と、夜燃やすのは面倒なので、朝から燃やすところもあるという。訳が分からない。

 次の日は、出初式の会場に集まったのが、時間が早すぎて、一時間以上もその野原の会場で立ったまま待っていたので、寒かった。漸く始まろうとしたのだが、地元の人間でもなく、消防に関係する者でもない国会議員や市会議員が顔を見せにやって来たのだろう、どうせまたつまらないことを言い出すのだろうと思って、近くのローソンで100円コーヒーを買って時間を潰した。

 ゴルフの打ちっ放し場のある大池で、一斉放水が始まったのは昼前であった。その消防車六台による一斉放水は迫力があった。

 次の日、妻が風邪をひいたと言っていたが、熱が38.6度ぐらいなのでインフルエンザではない、普通の風邪だろうと自分で言う。38.6度もあれば相当高熱と思うのだが、あえて疑問は伏せておく。94才になる義父が、酸素吸入器を利用し始めたのだが、その携帯用のボンベの使い方が分からないというので、初めにその使い方を一緒に聞いていたので説明をしに行く。

 その日、センター試験を受ける予定の女の子と勉強したのだが、センター試験の前日に早目に勉強をして早目に帰りたいというので、早めに塾を開けておくことを約束する。

 安心を 床より祈る 大試験

 次の日、頭が痛く、身体がだるい。少々の頭痛は日常のことなのだが、それだけでなく身体がだるい。花粉症などでは到底ない。身体の所々も痛い。四日程前に田んぼをトラクターで鋤いたのだが、その痛みが今になってやって来たのかと思ったりもする。その日は一日中本を読む気にもなれず、ぐったりとした感じで、身体も熱っぽい。妻の風邪がうつったのだろうと思った。

 ただの風邪ならと思いはしたが、食欲もなく、それでもいつものように酒を飲んで早めに寝た。

 次の日は、朝食を食べる力もなく、ようやっとローソンで新聞二紙と数本のペットボトルを抱えて帰って来て、只管眠ることで治そうとした。流石に今日は仕事を休むしかなく、生徒たちに今日、明日の休講を連絡する。翌日の金曜日に早く塾を開けておくと約束していたことが守れなくなって申し訳なかった。その後、只管眠っていたのだが、何も食べる気も起らず、昼少し前に、ようやっと一杯の粥を食べた。熱は、38.3度あった。

 ただ、只管寝ていたのだが、そんなにずっと眠れるものでもない。よく眠ったと思ったら、一時間程しか経っていなかったり、うとうとするが途端目が冴えたりして、充分に眠れるものではない。朝からずっと寝ているのだから、それも当然か。僕は熱があるとき、汗を掻くようになれば熱が下がるものだと思っている。熱っぽいのに一向に汗を掻かない時は、熱も下がらない。ペットボトルのお茶を度々飲んでは、眠ろうとした。

 翌朝五時ごろに目が覚めた時、上半身が汗で湿っている。しめたものだ。きっと熱は下がっていよう。熱を測ると36.9度になっていた。まだ自分の平熱よりは高いが、ずいぶん楽に感じる。しかし、まだ頭がずきずきと痛い。身体の所々も痛い。まだ神経が回復していないのであろう。食欲もなく、何とか一杯のうどんを食べた。

 義父が倒れ、病院に連れて行った。入院することになった。僕が先に帰って寝ていると、妻が帰って来て、義父がインフルエンザA型に罹っていたという。夕方、妻と二人で別の医院で診て貰ったら、こちらもやはり、インフルエンザA型だった。

 まだ頭が痛い。すっきりと治るにはしばらく掛かりそうだ。センター試験を受けた子は、大丈夫だっただろうか。

  白雪は 降りて融け行き また降りぬ

2017年     1月15日     崎谷英文


睦月の朝

 あれは誰だっただろうか。有名な日本人の画家が山里の村に入った。その画家は、その場所、その風景をとても懐かしく感じた。しかし、その人は都会生まれの都会育ちで、子供の頃からこれまでに、こんな自然に囲まれたところに住んだことはなく、このような風景もほとんど見たことはなかった。しかし、それでも、その画家は、その山里の自然に囲まれた景色の中に入って、懐かしく、こころが和んだ、と言うのである。

 このような風景を、絵とか写真で何度か見たことがあり、それで懐かしく感じたのであろうか。そうではないだろう。いくら絵とか写真で見ていたとしても、それは実体験ではない。田舎の人が、画像では知っているが実際に見たことのないビルの立ち並ぶ都会に入ったとしても、凄いなとは思っても、その場所、その景色を懐かしいとは感じないのではないか。

 人にはふるさとがある。時に生まれついて流れ流される放浪の旅をしてきたような人には、確かなふるさとというものはないかも知れないが、通常、人にはふるさとがある。現代、都会で生まれ育った人は、やはりその都会がふるさとになるのであろうか。田舎で生まれ育てば、確かにふるさとはある。その生まれ育った地を離れ、遠い地で長く過ごした時、その生まれ育った地はふるさとであり、懐かしい。

 生まれ育った地、ふるさとは懐かしく、帰ればほっとする。長く離れていればいるほど、懐かしく感じるものかも知れない。

 雲流る 湖面の先は 枯野原

 それを郷愁、ノスタルジーというのかも知れないが、それはただ昔の思い出がよみがえるのではなかろう。懐かしいには、気分の安らぎが含まれている。嫌なことばかりを思い出させるなら、それは懐かしいとは言うまい。郷愁は、懐かしさを呼び起こすもので、ふるさとを想うこと、ふるさとに帰ることは、気持ちを落ち着かせ、穏やかなこころをもたらすものである。

 昔に帰ることが懐かしいのではなかろうか。特に今生きている現実が、生き馬の目を抜くような厳しいものであるとしたら、なおさらそこから解放され、昔の穏やかな自分に帰ることで、こころが癒され、懐かしく感じさせるのではないか。無邪気な子供時代、自然に囲まれ、家族に囲まれ、村人、友人たちと仲良く暮らしていた頃が懐かしい、そのふるさとの景色は、昔の自分に戻してくれる懐かしいものとなる。

 ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聞きにいく、(啄木)ふるさとの言葉さえ、懐かしい。

 ふるさとを離れることは、見知らぬ人の中に身を投じることである。個人として、生存競争の中で自らの生きる力を発揮させなければならない。新しい出会いや喜び、夢もあるであろうが、危険と不安とストレスの交じった生活をする。ふるさとはそのささくれだったこころを癒してくれる。

 室生犀星が、ふるさとは遠きにありて思ふもの、帰るところにあるまじや、と詠ったのは、ふるさとのほっとする癒されるところを去って、厳しい社会で生き抜こうとする覚悟であったろう。

 それは、この世でのエロスの生きる力、闘う力に対する、平和で全てが融合していた生まれる前の世に戻ろうとするタナトスにも似ている。個人として奪い合う、殺し合う世界から平穏な共生の世界に戻ろうとする願望である。

 その画家は都会の人であったが、山里の村を懐かしく感じた。それは人として、もしくは日本の人として、その山里、その山里の風景は、生まれる前から刻み込まれていた原点であったのではなかろうか。意識せずとも、無意識の底に宿り漂っていたこころの原点が、その山里にあったのではなかろうか。

 生きることの究極は、自然に包まれ、自然と一体となって生きることだったのではなかろうか。どんなにビルの立ち並ぶ都会に生まれ育ったとしても、人の生きる原点が、自然の中にあるということを、思い出さずにはおれないのである。だからこそ、自然は美しいのではなかろうか。

  白菜の 縛られておる 畝一長

2017年     1月8日     崎谷英文


仙人の戯言

 自由は実は、苦しいのである。
自分自身で判断し、自分自身で責任を持つ
これは実に大変なことである。
勉強するのは、この考えること、判断すること
責任をもつことの前提としてある。