「この前の犬、どうなりました。」
「飼い主見つかったよ。」
「良かったですね。それで、誰の犬だったんですか。」
「いや、放送した後も、何所からも連絡がなくてね。近所を歩いていたら、見つけてくれるかと思って散歩していたら、自転車に乗った若者が、うちの犬です!と声を掛けてきたんだ。」
「どこの人です?」
「丸山の人だったんだ。放送は聞こえなかったろう。自分の犬ではなく、親戚の犬だそうだ。その子、ぽろぽろ涙を流してたよ。一所懸命、捜していたんだろうな。」
先日、太市中の村の放送で、迷子の犬を預かっているというのがあった。その犬を預かっていたのが、このKさんだった。偶々、村の中で出くわして、犬について尋ねたのだ。
Kさんの家の前で、首輪をつけた見栄えのいい犬がうろうろしているのを見つけたそうだ。周囲には誰もいなくておかしいと思い、大人しい犬だったので保護したのだと言う。
よく飼い主が見つかったものだ。太市中の村内の放送だったから、少し離れている丸山には聞こえなかったであろう。Kさんは、立派な犬で、きっと飼い主は捜しているだろうと思い、近くを散歩させていたので見つけられた。運が良かった。いや、Kさんの優しさとその若者の必死の思いが繋がったのだろう。
丁度そこをTさんが通り掛かった。
「人参はあるか。」
「少しあります。」
「ほうれん草はあるか。」
「いやないです。」
「では、持って行け。」
Tさんは直ぐ近くの自分の畑に行って、奥さんにほうれん草を遣るように言う。Tさんは83才ほどにもなる人だが、元気で、今も結構な広さの畑で野菜を多く育てている。奥さんは、ほうれん草を20本ほども呉れる。立派なほうれん草だ。この前に、立派な白菜を頂いたばかりだ。
「Tさん、もう無理しないでのんびりしたらいいのに。倒れるよ。」
「じゃ、今のうちに香典を呉れ。地獄の沙汰も金次第。」
「閻魔さんには、賄賂は通じませんよ。」
僕らのいつもの会話である。
春浅し 浅瀬ついばむ 鷺一羽
妻から電話が掛かってきた。「今すぐ帰ってきて、父が変なことを言ってる。」
義父は仰向けに寝たままで、妻に、テレビは付いていないのに、テレビの画面が見える、と言う。その画面には、日付と時刻と各地の気温が映っている、と言う。妻は思わず、怒ったらしい。「テレビは付いていません。変なこと言わないで。」その後も、テレビのことをとやかく言うので、心配して僕を呼んだ。
義父の部屋にテレビはあるが、テレビはもう見ないと言って付けてはいず、付いていたとしても、今の義父の寝ている位置からは画面は見えない。
義父は、目の上、斜め前にテレビ画面を見ているようだ。幻覚だ。
「幻覚ですよ。」
「そうか、でもこのスイッチで付いたり消えたりするんですがな。」
義父の握っているのは、エアコンのリモコンである。どうやら、このエアコンのスイッチを幻覚のテレビのスイッチとして、コントロールされているらしい。
暫く話した後、義父は、幻覚を幻覚としっかり理解されたようだ。
「幻覚を楽しんだったらよろしいですよ。」
「幻覚ですな。だけど、幻覚とそうでないものとの区別はつきませんな。今まで見てきたものこそ幻覚かも分かりませんしな。今見えているものこそ真実かも知れませんしな。」
そうかも知れない。今見ているものも、結局は自分の頭の中で作られているのだから、脳によって違うものが見えて当然で、どちらが本物かは分かりはしない。
どうやら義父は、ゆっくりと確実に、生死を超えた幽玄の世界に浸りつつあるようだ。
抗うて 行きつく先や 春の沼
2017年 2月17日 崎谷英文
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